自由を請い求める生き方/映画『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』

ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 (監督:キャシー・ヤン 2020年アメリカ映画)

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DCエクステンデッド・ユニバース映画『スーサイド・スクワッド』、あれこれ毀誉褒貶はあろうがオレにはお気に入りの映画のひとつである。なぜならそれは、ハーレイ・クインという傑出したヴィランを登場させていたからだ。

スーパーヴィラン、ジョーカーの恋人であると同時に、ぶっ飛んだルックスとそれを更に超えるぶっ飛んだキャラクターを持ち、狂った思考回路と狂った暴力性兼ね備えながらも、スクリーンに立ち現れるその姿は妖しいキュートさに満ち溢れた存在だった。そんな彼女を演じるマーゴット・ロビーの作品をそれからオレは注目しながら見守ることになった。そして彼女の主演する『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は彼女の魅力と演技力抜きには語れない傑作として完成していた。そのハーレイさんが主役として登場する映画が完成した。タイトルは『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』、なんでもあのジョーカーと破局を迎えた後のハーレイさんの活躍が描かれるのらしい。破局を迎えようが結婚に漕ぎ付けていようが麗しのハーレイさんが主演するのならそりゃ観なければいけない。そして観終わった感想としては、今日的なフェミニズム要素を取り入れながらも、充分普遍的な価値観を持ち、当然ハーレイさんの魅力を余す所無く披露し、さらに想像以上にパワフルなアクションを見せ付けてくれた作品だということであった。

今作はなにしろジョーカーと決別した後のハーレイさんの巻き込まれる事件が描かれるわけだが、それまでジョーカーの庇護下にあったためにギャングどもから一目置かれていた彼女が、庇護が外れたと知られた途端「いけ好かないクソ女」としてギャングどもから命を狙われる事になるのだ。とはいえ、こんな風にヒエラルキーにしか興味のない人間って、ギャングじゃなくとも世の中いっぱいいますよねえ。そして相手が「女」ともなれば、その嗜虐心はたぎる一方なんだろう。

危機一髪のハーレイさんではあるが、持ち前の暴虐性とあまり深く考えない思考でそれらを乗り切り、さらに男権社会の中で虐げられ憤怒と共に生きる女たちを仲間にして、大いなる反逆へと乗り出す、というのがこの作品である。

これらの物語を通してハーレイさんの行動規範として描かれるのは次のようなことだ。 

・男に頼らず自立して生きる。

・誰にも縛られない。私は自由。

・でも仲間は大切なもの。

・「好き」の気持ちは大事。

・これらを邪魔するヤツにはキッチリ落とし前を付けてやる。

そう、ハーレイさんの基本にあるのは「自由」だ。自由だからこそ押し付けがましいモラルなんか知ったこっちゃ無いし、 どこまでもアナーキーヴィランとして痛快極まりない行動を取ってくれるのだ。

しかしこれらの条項は、「男に頼らず」という文言を抜きにするなら、男女問わず社会に生きる誰もが思い浮かべ、こうありたいと願ったことのある事柄なのではないのか。まあ「キッチリ落とし前」はどうするかは分からないが、「どうにもならない不自由さ」に悲嘆したり、そんな不自由さを「好きなもの」で忘れようとしたり、あるいは気の置けない仲間や友人とのひと時で息抜きをしたりするものなのではないか。

確かに無制限な自由の中で生きることなど有り得はしないけれども、少なくとも、こうしたハーレイさんの「自由を請い求める生き方」は、それがフェミニズムがどうとかいうことだけではなく、普遍的な人間の願望なのだと言えはしないか。そしてだからこそ、ヴィランでありながらもハーレイ・クインという存在はあれほど魅力的に輝いているのではないか。人は彼女のそんな「自由を請い求める生き方」と、それを現実にするためのなりふり構わぬ行動に、羨望と共感を覚えるのではないだろうか。

そしてこの作品は、そんなハーレイさんを存分に輝かせていたように思う。彼女はどんな危機にも狂った笑顔を浮かべ「やってやるぜ」とタフに乗り切ってゆく。彼女は決して気持ちを引き摺らず、立ち直りが早く、圧倒的な自己肯定感に満ちている。下らない現実を捻じ伏せる諧謔性と、今の刹那を楽しみ切ろうとする楽天性を持っている。そういった「負けない態度」が全編に滲んでいて、それは眩しいほどだ。

ハーレイさんの正義は「自分」だ。「社会」とか「決まり事」ではない。彼女はヴィランであるからこそその一線を軽々と超え、アンモラルでアナーキーな「自由」を獲得する。そこが痛快なのだ。そしてその「痛快さ」は、本作におけるアクション・シーンの、華麗でアクロバティックなスタントの数々に花開く。ことこのアクション・シーンに関しては「ここまで見せてくれるか、やってくれるのか」と感嘆する素晴らしいものだった。それは当然、殆どのアクションシーンを自ら演じたマーゴット・ロビーへの賞賛でもある。

それと、今作では前半においてフラッシュバック・シーンが多用されすぎ煩雑であるという指摘を幾つか見かけたが、この物語がハーレイ・クインのモノローグで語られている部分から分かるように、あのとっちらかったように思える演出は、実はハーレイ・クイン自身のとっちらかった思考の流れを映像化しているものなのではないかとオレは思ったけどな。理路整然とスマートに物語れるハーレイ・クインってまともすぎるだろ?拷問されている彼女の脳裏に歌と踊りが花開くシーンがあったが、あのぶっ壊れた思考の在り方こそが彼女なんじゃないのか。

 

 

「……という感じで書いときましたが、いかがでしょう姐さん!?」

「まあまあよし。45点!」

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ハーレイ・クイン&バーズ・オブ・プレイ (ShoPro Books)

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ヴァラエティに富んだミステリ短編集『ディオゲネス変奏曲』

ディオゲネス変奏曲 / 陳 浩基

ディオゲネス変奏曲 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

今、新たな潮流として注目を浴びている華文(中国語)ミステリ。その第一人者・陳浩基が持てる才能を遺憾なく発揮したのが、この自選短篇集である。大学生たちが講義室にまぎれこんだ謎の人物「X」の正体を暴くために推理を競い合う本格ミステリ「見えないX」、台湾推理作家協会賞最終候補作となった衝撃のサスペンス「藍を見つめる藍」、密室殺人を扱った「作家デビュー殺人事件」、時間を売買できる世界を描いた異色作「時は金なり」など、奇想と仕掛けに満ちた驚愕の17篇を収録。著者デビュー10周年記念作品。

子供の頃から推理小説というのがどうにも苦手で、今まできちんと読んだ事がない。挑戦することはするが、自分と合わなくて数ページで投げ出してしまうのだ。だからホームズすらちゃんと読んだ事がない。基本的に殺人だのトリックだのというのがどうでもいいと思えてしまうのだ。それより宇宙船!宇宙人!宇宙の危機!というのが好きな人間なのだ。

今回紹介する『ディオゲネス変奏曲』は中国人推理小説作家・陳 浩基(ちん・こうき)による短編集だが、まず「中国人推理小説作家」というのが興味を引いたこと(最近SF小説も中国人作家が一番活きがいい)、評価がそこそこに高かったこと、推理小説のみならずSFやホラー・ジャンルの作品もあるということで読んでみることにした。

読み終えて思ったことは、才気溢れる作家が己に様々なハードルを課して挑戦を試みた、実に考えぬかれバラエティに富んだ作品の数々だという事だった。着想のあり方が若々しく、自信に満ちている。ちょっとした気取りは鼻に付いたがこれも若さゆえなのだろう。SF読みのオレが読んでもSF作品は出来がよかったし、推理ものに関しては二重三重にオチを持ってきてサービス精神が豊かだ。というかこういった予想を何度も裏切る構成をするのが推理小説に求められるものなのだろう。

特に「見えないX」はラストで驚かされた後もう一度読み返しその緻密に作り上げられたのパズルの如き構造に感嘆した。よい作家でありよい短編集だと思う。しかしここまで書いておいてまだ言うが殺人とかトリックとかってオレはやはり興味が無い人間なのだなと再確認してしまったのも確かだ。

ディオゲネス変奏曲 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

ディオゲネス変奏曲 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

 
ディオゲネス変奏曲 (ハヤカワ・ミステリ)

ディオゲネス変奏曲 (ハヤカワ・ミステリ)

 

冷戦下の東ベルリンを舞台にした傑作ミステリ『影の子』

■影の子 / デイヴィッド・ヤング

影の子 (ハヤカワ・ミステリ1931)

1975年2月、東ベルリン。東西を隔てる“壁”に接した墓地で少女の死体が発見された。現場に呼び出された刑事警察の女性班長ミュラー中尉は衝撃を受ける。少女の顔面は破壊され、歯もすべて失われていたのだ。これでは身元の調べようもない。現場にいち早く国家保安省のイェーガー中佐が来ており、やがて異例のことながら、事件の捜査がミュラーたちに命じられた。その背景には何かが?暗中模索の捜査は知らぬうちに国家の闇に迫っていく。社会主義国家での難事件を描き、CWA賞に輝いた歴史ミステリの傑作。

1975年、今だベルリンの壁東西ドイツを二分する冷戦下の東ベルリンを舞台にしたミステリである。物語はベルリンの壁周辺で発見された少女の惨たらしい死体から始まる。主人公は東ドイツ人民警察の女性班長ミュラー、ただの殺人ではないと推理し捜査を開始した彼女の前に想像を絶する壁が立ちはだかる、というのがこの作品だ。

なによりソ連傀儡の社会主義国家における警察小説、という設定にとてつもなく惹かれるではないか。そこには自由主義国家とは違う冷徹な官僚主義と恐怖政治、相互監視の中の密告と脅迫、秘密逮捕や弾圧や強制労働といった人権蹂躙の有様が語られる。その陰鬱な社会体制の中で息を殺しながら生きざるを得ない登場人物たちの姿には読んでいて眩暈がしそうなほどだ。

シュタージだの人民警察だのという固有名詞にも得も言われぬものを感じるし、そのシュタージ/人民警察がお互いに牽制し合い事実を秘匿し合い、捜査にも度重なる妨害と中止命令が入り、とことん一筋縄にはいかないのだ。事件の背後に存在する得体の知れない影がなんらかの巨悪であろうとは最初から予想は付くが、そこからの泥沼の中を這い進むかのような異様な展開や、誰がシュタージのスパイなのか分からない疑心暗鬼など、常に薄氷を踏むが如き緊張が横溢しているのだ。

鉄のカーテンの向こう”を舞台にしたミステリには『ゴーリキー・パーク』や『チャイルド44』といった暗く寒々とした傑作があるが、この『影の子』はそれと比類する傑作だろうと思う。お勧めです!

影の子 (ハヤカワ・ミステリ)

影の子 (ハヤカワ・ミステリ)

 
影の子 (ハヤカワ・ミステリ1931)

影の子 (ハヤカワ・ミステリ1931)

 

今更ながらスティーヴン・キングの『ミザリー』を読んだ

ミザリースティーヴン・キング

ミザリー (文春文庫)

雪道の自動車事故で半身不随になった流行作家のポール・シェルダン。元看護師の愛読者、アニーに助けられて一安心と思いきや、彼女に監禁され、自分ひとりのために作品を書けと脅迫される―。キング自身の体験に根ざす“ファン心理の恐ろしさ”を極限まで追求した傑作。のちにロブ・ライナー監督で映画化。

オレはスティーヴン・キングのファンであるが、全ての作品を読んでいるわけではない。まずあの『ダークタワー・シリーズ』は1巻しか読んでいない(なにしろその後の巻数が多くどうにも長大過ぎて読む気が萎える)。文学寄りの作品と幾つかの短編集も読んでいない。『死の舞踏』あたりのノンフィクションも読んでいないな。ホラー作品はほぼ読んでいるつもりだったが、1冊だけ有名作を読んでいなかった。それがこの『ミザリー』である。

ミザリー』はあの『IT』(1986)、ファンタジー長編『ドラゴンの眼』(1987)(そういやこれも読んでいない)の後、1987年に発表された長編サスペンスホラーだ。ちなみに『ミザリー』の次に『トミー・ノッカーズ』(1987)、『ダーク・ハーフ』(1989)が発表されている。日本では1990年に単行本が発売され、映画化作品は1991年に日本公開されている(なあに、全部Wikipedia調べだ)。

なぜ当時のオレが『ミザリー』の単行本に手を出さなかったのか覚えているわけではないが、多分粗筋から「非ホラー小説」だと思えて食指が動かなかったのだろう。その後映画化作品も観たが、楽しめた記憶はあるけれども、わざわざ原作を読み直す必要はないなと思い、そして結局最近まで至ってしまったのである。しかしどうも「読んでいない心残り」を引き摺っていて、ついこの間古本で購入(旧版、1992年第4刷)、やっと読み終わったという訳だ。

内容については今更語ることもあるまい。一応書くと、流行作家ポール・シェルダンが雪山で車の事故を起こし大怪我を負った所をたまたま彼の「ナンバーワンの愛読者」の女アニーに救出されたが、実はこの女、恐ろしいサイコパス殺人鬼で、動けないポールを監禁し、虐待と拷問を繰り返しながら「あなたが終了させた『ミザリー』シリーズの続きを書いてええええ」と迫る、というサスペンスである。

作品は主人公がおぞましい虐待を受ける様を500ページに渡り、手を変え品を変えチクチクと描きまくる。そもそも最初の数10ページですら相当にいやったらしい。最初読んでいて「この調子で500ページ続くのか?」と具合が悪くなってきたほどだ。当然主人公も脱出の策を練るが、なにしろ下半身不随状態で動きが制限されている上に、狡猾なアニーはそれを見破ると、折檻に継ぐ折檻を繰り返し、ポールは精神的にも追い込まれてゆく。いやあ、ホントに胸糞悪いお話だわ……。

面白いのは、この手の「監禁モノ」はたいてい、いたいけな少女が変態野郎に閉じ込められいたぶり続けらるというパターンが多いが、ここでは半身不随とは言え成人男性が監禁され女性にいたぶられる、という物語となっている部分だ。キングはこの物語の着想を「作家である自分をストーキングする気色悪いファンの存在」から得たようだが、それをここまで胸糞悪い物語に仕上げる部分にキングの妄想の逞しさが伺えるというものだ。さすが世界的ベストセラー作家だけある。

この原作では虐待の様子が事細かに描かれるので胸糞の悪さは映画版以上だ。さらにアニーに強要されて書くことになる「終了したシリーズの続きの作品」が作品内作品として描かれることになる。ここで描かれる作品『ミザリー』はもともとハーレクイン小説のような薄っぺらいロマンス作品シリーズなのだが、監禁されて描くことになるその新作が、なんと「シリーズ最高傑作」にまで高められてしまう、という皮肉もスゴイ。作品内ではキングらしい笑えないジョークも頻出し、単にグロテスクなだけのお話になっていない(まあそれでも十分うんざりさせられるが)。

物語への興味は虐待の様だけではなく、ポールが最後に脱出することができるのか?という部分にも当然ある。ありとあらゆる策を封じられ身も心もボロボロになりながら、それでもポールに逆襲する手段があるのか?というサスペンスで最後まで引っ張ってゆく。この辺りのストーリーテリングがやはり巧いしグイグイと読ませるものがある。

という訳でようやく懸案だったこの『ミザリー』を読み終えたのだが、なにしろとことん胸糞悪かったのは確かで、映画版だけ観て満足しといたほうがよかったかもしれない……とはちょっと思っている。逆に言うなら「胸糞悪いお話が大好き!」という方には是非お勧めしたい小説である。キングには監禁モノの変形版『ジェラルドのゲーム』という作品もあり、これも相当いやったらしい展開を見せるのでよろしければドウゾ。

ちなみにキングについては以前これらの( ↓ )記事でまとめたことがある。2008年と結構古い記事になるのだが、当時においての「キング作品ベスト」もまとめてあるので興味のある方は読んで貰えればいいかと。ただし今なら『11/22/63』が上位に出るだろうな。

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この怪奇で、不思議に満ちた人生/エリック・マコーマックの『雲』を読んだ

■雲/エリック・マコーマック

雲 (海外文学セレクション)

出張先のメキシコで、突然の雨を逃れて入った古書店。そこで見つけた一冊の書物には19世紀に、スコットランドのある町で起きた黒曜石雲という謎の雲にまつわる奇怪な出来事が書かれていた。驚いたことに、かつて、若かった私はその町を訪れたことがあり、そこで出会ったある女性との愛と、その後の彼女の裏切りが、重く苦しい記憶となっていたのだった。書物を読み、自らの魂の奥底に辿り着き、自らの亡霊にめぐり会う。ひとは他者にとって、自分自身にとって、いかに謎に満ちた存在であることか…。幻想小説、ミステリ、そしてゴシック小説の魅力を併せ持つ、マコーマック・ワールドの集大成とも言うべき一冊。

エリック・マコーマックの長編幻想小説『雲』は不思議な物語である。不思議で、奇妙で、さらに奇怪な物語である。同時に、数奇な運命と偶然とを描いた、心を捕らえて離さない物語でもある。

物語は、ひとりの男がメキシコで手にした怪しげな古書から始まる。「黒曜石雲」というタイトルのその書は、スコットランドで起きた真偽の定かではない怪奇現象について書かれていた。そこから男の回想が始まり、彼の大学時代から現在へと至る、世界の様々な地への旅と、そこで出会った様々な人々と、身を裂くような悲恋と、変転する人生とが語られてゆくのだ。そしてそれらの記憶にはどれも、奇怪な逸話に彩られたものだった。

この物語は二重の構造を成している。まず主人公である繊細な青年が幾多の経験を経て、大成した実業家へと至る物語は、ある種の成長譚として読むことができる。そこだけ抜き出して見るなら主流文学的味わいを持つものではあるが、確かに世界の辺地を経巡るその幾つもの体験は、新奇ではあれ、ひとつの文学作品としてみるなら多少ありふれたものであるかもしれない。しかし、この作品はその成長譚に怪奇のスパイスをまぶす。

その怪奇は、まず最初に主人公が出会う古書「黒曜石雲」の不気味な内容であり、彼が出会う様々な人々が語る、恐怖にまつわる話や不可思議の物語であったりする。主人公自身も、異様な体験や奇妙な出来事に出会い、さらに運命の悪戯としか思えない偶然や、長年隠され続けてきた真実と出会うこととなる。これら個々の逸話はそれだけとりだしてみれば単に「奇妙な話」ではあるが、主人公の成長譚と相補し合う事で、主人公そのものの人生にゴシック・ロマン的な昏い色彩を加味してゆく。

この、ひとりの男の人生の遍歴という至極現実的な側面に、なぜ奇怪な物語がまぶされてゆくのか。それはつまり、人生とは、その途上で出会う多くの体験とは、不可思議であり不可解なものであり、時に異様であり奇怪であり、さらには神秘と驚異に溢れたものである、ということを体現したものなのだからではないか。こうした、主流文学と幻想小説とをクロスオーバーさせたポストモダンな読み口を併せ持つのが本作であり、人の人生と怪奇への通俗的な興味は、頁を繰る手を休ませない面白さを兼ね備えている。

こうして『雲』は、ひとりの男が至る人生を描きながら、謎の古書「黒曜石雲」の真相へとも迫ってゆく。実は主人公と古書とには浅からぬ因縁が存在し、さらに主人公の破局した恋とその感傷とが常に通奏低音のように語られてゆく。これらが幾多の逸話を経て、大きな円環となって物語の終局へとなだれ込んでゆく様は圧巻だ。 この作品の最大の魅力は、円環の、つまりは永遠の物語の循環をそこに見出すことができるからなのだろう。

雲 (海外文学セレクション)

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雲 (海外文学セレクション)

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