■Parineeta (監督:ビマール・ロイ 1953年インド映画)
1953年にインドで公開されたモノクロ映画『Parineeta』は、カルカッタを舞台に、愛し合う一組の男女が家同士の諍いにより引き裂かれてしまう様を描いた文芸作品である。監督は社会派で知られ、『Do Bigha Zamin』(1953)で第7回カンヌ国際映画祭国際賞を受賞したビマール・ロイ。主演にアショク・クマール、ミーナ・クマリ。原作はあの名作インド映画、『Devdas』の原作者シャラッチャンドラ・チョットッパッドヤーイによるもの。
《物語》19世紀から20世紀への変わり目にあるカルカッタ。富裕なナビン家に生まれ育ったシェーカル(アショク)は、隣家にある貧しいグルチャラン家の娘ラリター(ミーナ)と秘密の結婚を挙げていた。しかし借金を巡り二人の家同士は険悪な仲となり、遂に家の間に煉瓦塀が築かれてしまう。困ったラリターの父は古い恩人ギリン(アシット・バラン)から金を借り借金を返そうとするが、同時にギリンとラリターの結婚を勝手に決めてしまう。シェーカルはそのことを知り激しく動揺する。
実はこの作品、2005年に再び映画化されており、自分はそちらのほうを先に観ていた。主演はサイフ・アリー・カーン、ヴィディヤー・バーラン、サンジャイ・ダット。
『Devdas』原作者による一組の男女のすれ違いを描く文芸ドラマ〜映画『Parineeta』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ(監督:プラディープ・サルカール 2005年インド映画)
時代設定は20世紀中葉になっており、出演者たちの演技、そしてカラー作品ならではの美しい映像が印象的だった。それと同時に、1953年版と2005年版では同じ原作を元にしながら、テーマの中心となるところが異なるところが興味深く思えた。それは2005年版ではロマンス要素を中心にしっとりとした文芸作として完成していた部分を、この1953年版では、ビマール・ロイ監督作ということもあってか、より社会的なテーマが浮き上がったものになっているのだ。
それはシェーカルの父ナビンとその取り巻きたちの傲慢さだろう。そしてそれは自らのカーストの高さを根拠とした傲慢さなのだ。ナビンとラリターの父グルチャランは同じカーストにあったが、グルチャランが金を借りたギリンは下のカーストだった。とはいえグルチャランとギリンはカーストの垣根を越えた信頼関係にあり、家族同然の付き合いをしていた。借金にしてもラリターをギリンの結婚相手としたこともそういった信頼があったればこそだった。ナビンはそれをコミュニティを破壊する行為だと非難するが、グルチャランは逆にそんなカーストなど無意味だと言い返すのだ。困窮する相手を助ける者がいることこそ真のコミュニティであり、それはカーストなど何も関係ないことだと。
1953年版と2005年版ではどちらが原作に忠実なのかは確かめる術はないが、ビマール・ロイによる1953年版は1947年のインド独立間もない頃の製作であり、と同時にカーストによる差別撤廃の機運が高まっていた頃でもあったのだろう。そういった高い時代性がこの作品には加味されていたように思える。映画としてみると前半は二つの家を行き来するだけの映像に若干退屈したことは否めない。それとこれは個人的なことなのなのだろうが古いモノクロ映画のせいか登場人物の区別が最初付きにくくて混乱した……。