スノウ・クラッシュ / ニール・スティーブンスン

スノウ・クラッシュ〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

スノウ・クラッシュ〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

スノウ・クラッシュ〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

スノウ・クラッシュ〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

ポスト・サイバーパンク世代と呼ばれているニール・スティーブンスンの長編SF小説。


舞台は近未来、かつてアメリカだった国は監視国家に成り下がり、さらに”フランチャイズ国家”と呼ばれる衛星国家が街の至る所に存在し治外法権を主張しています。主人公ヒロはピザの宅配人兼ハッカー。彼は同じく配達人を仕事にする少女H.Y.と知り合いますが、ある日彼がアクセスするサイバーワールドに新種の危険なドラッグが持ち込まれ、彼の友人が廃人と化します。ヒロはH.Y.と共にドラッグの正体を追いますが…というところが発端。


最初は現在のMMORPGみたいなサイバーワールドと、異様に変質した現実世界とを行き来する少年少女らのポップな冒険活劇になるのかな、と読み進んでいくと、新種のドラッグがウィルスであり、それにシュメール文明のなんたらかんたらが絡んで…と様々なデータを駆使した神話と古代文明言語学に関するSF的考察が成されるのですが、このアイディア自体は悪くは無いもの、どうにも説明的で、それまでのスピード感ある筆致が失速してゆくんです。どうもアイディアをあれこれ盛り込もうとして物語構成がいびつになってしまった気がします。ただ活劇のほうは面白く読めて、こちらを生かしたシンプルなセーシュンSFにしとけばよかったかなあ、と思えた。


これはニール・スティーブンスンの手癖とでも言うのか、これまで『クリプトノミコン』(長かった…)や『ダイヤモンド・エイジ』を読んできましたが、彼の作品は2つ以上の主題を盛り込もうとしてその主題同士をうまくまとめることに失敗しがちだと思う。彼の小説はちまちまと積み上げられるサイバーなアイディアが楽しい反面、あれもこれもと書き込みすぎて話全体がぼやけて来るんです。


あとどうもニール・スティーブンスンの著作の持つテーマには「それって長編の主題になるほど重要なテーマかなあ?」と思えることが多々あり、面白く読めたにしてもなんだか釈然としないことが多いんです。例えば『クリプトノミコン』のデータ・ヘブンって、そんな命賭けなくても別に実現できると思うけどなあ、とか、『ダイヤモンド・エイジ』のインタラクティブ教育システムは、今でも似たようなものはあるし、それが世界変えるかあ?とか、今回の『スノウ・クラッシュ』だって、人類の始祖にあった共通言語って??と思うんだけど。なんかこう、アイディアを生かしたいばかりに、現実性に乏しい部分がありますねニール・スティーブンスンは。


だから全体的に嘘っぽい。SFなんざ結局は全部嘘なんだけれど、それでも”嘘っぽい”と感じさせるのは作者のアイディアの咀嚼の仕方が足りないからじゃないかな。あと、文章の饒舌さとも関係するのだと思うんだけれど、所謂「喋りすぎてボロが出る」ってやつね。かと言って決してつまらない作家なのではなく、その個々のサイバーパンクなSF的アイディアというかガジェットはとても面白いんだけどね。その辺が好きだから長い長い長編を今まで読み続けてきたんだけれど、ちょっと惜しい悔しい作家ではありますね。


で、そんな『スノウ・クラッシュ』だったけれど、これが『翻訳SFファン度調査(06年オールタイムベスト版) http://www.fan.gr.jp/~hosoi/alltimeenq/enq-alltime3.cgi』の長編の一篇として挙げられてるのは…うーん、どうなんっすかねえ?