パターン・レコグニション/ウィリアム・ギブスン (著), 浅倉 久志 (翻訳)

パターン・レコグニション
ウィリアム・ギブスンの『電脳空間3部作』『廃虚空間3部作』に次ぐ第7長編、『パターン・レコグニション』です。最初に言っちゃうと、これは、ギブスン久々の傑作じゃないでしょうか。
この作品でギブスンはこれまでの小説作法を以下の点で変更しています。「現実世界を舞台にする」「主人公の単一視点で物語る」「省略を多用しない」。これによりこれまでのギブスン小説の読み難さが解消され、主人公に感情移入しやすいストーリー展開に仕上がっています。
そのストーリーなんですが、実のところギブスン小説というのは、本当の主役は膨大な量の情報とガジェット、そして凝りまくった言い回しなのであって、物語としては弱かったりするんですよね。だから『廃虚空間3部作』あたりは、ギブスン的スタイルはどんどん洗練されてきていたのに、結局何の物語なんだかさっぱりわからなかった、という恨みがあったりしましたね。しかし今回は女性主人公の視点一本に絞られたため、多少偶然任せの話の展開も、主人公のキュートさでなんだか許せてしまいましたね。この、“主人公がキュート”なんてのも今までには無い事ですね!
現実世界を舞台にし、実際に存在するテクノロジー以上のものは決して出てこないこの作品がSFなのかどうか?という見方もあるでしょうね。これは、サイバーパンクという呼び名で近未来を描いた諸作品が、その描かれた時代に追いついた時、サイバーパンクの方法論が「現実となった未来」の中で再話が可能か?という試みなんではないでしょうか。「結局、テクノロジーは、世界と現実をどう変容させたか?」を描くフィクションとして、この作品は十分SFであると思います。
さて、この物語における“世界と現実を変容させたテクノロジー”って、実は「インターネット」「Eメール」「携帯電話」なんですね。あまりにもベタですね!しかし、「あまりにもベタ」と言えるほど、現実にすっかり馴染んでしまっているテクノロジーでもある訳なんですよ。実はサイバーパンクが生まれて今年は20周年なんだそうですが、20年前にこれらの物が誰にでも当たり前に、低価格で手に入り、使いこなす事が極々普通なことになってるなんて想像できたでしょうか?
オレはインターネットもEメールも携帯電話も無くても多分生きていけますが、それはしかし言ってみれば便利か不便かというレベルの話でしかないんですね。オレは今こうしてネット上の「はてなダイアリー」という所で、日記みたいなもの(ブログでいいの?)を書いており、そしてあなたは多分今これを読んでいるのだと思います。これも一つのコミニュケーションの形だと思うんですよ。“世界と現実を変容させたテクノロジー”は、新しいコミニュケーションの方式を生み出しましたが、それは便利とか不便とか言う以上の「あたらしいかたち」な訳ですよ。そしてギブスンの今作のテーマはまさにその『新しいコミニュケーションのかたちの中の人々の日常』なんですよ。そしてその日常の中には当然オレがいるし、多分あなたもいるわけです。だからこそ、オレは、この物語に感動したし、ラストにはちょっと泣かされました。まさか!ギブスンで泣くなんて!