「蟲たちの家」

蟲たちの家 (ビッグコミックススペシャル 楳図パーフェクション! 3)

蟲たちの家 (ビッグコミックススペシャル 楳図パーフェクション! 3)

楳図は怪物や異形と化したものを多く描くが、もうひとつ得意とする分野が、「異形と化した精神」、暗い情念を抱え込んだ人間達の悲劇である。
嫉妬、傲慢、強欲、姦淫…ここではあたかも「七つの大罪」の如く人間の悪徳を描く。しかし楳図は神の視点からそれを断罪する訳ではない。肯定でも否定でもない。人間は誰もがその精神の暗部にこのような情念を抱えうるものであり、そして大なり小なり不幸な存在なのだ。よかれと思ってやっていることが実は当人の傲慢の産物なのかもしれない。幸せになりたいというありふれた欲望が結局はまわりに亀裂と不幸を呼んでいるのかもしれない。人間はこのようにただ罪深い存在であり、それを楳図は救いようの無い悲劇として描く。その結末はどれも物悲しい。
楳図が描く人間の業は、耐えられないほど生々しくドロドロとしているけれど、しかし同時に、生への強い強い執着が感じられてならない。つまりは生きて行くということは、このような醜い執着心を持ち続ける事なのだ、と楳図は思っているのかもしれない。そして、どんなに醜くても業が深い事であろうとも、人間は生き続けなければならない。だから楳図の描く「人間の情念」は、これほどまでに悲しいのだ。

「ねがい」

ねがい (ビッグコミックススペシャル 楳図パーフェクション! 2)

ねがい (ビッグコミックススペシャル 楳図パーフェクション! 2)

タイトル作は少年時代の儚い妄想と願望が、少年が大人になりそれを捨てることにより逆襲してくる、という短編作品。怪奇さ、異常さ、テーマの明確さで楳図作品でも1,2を争う傑作短編ではないか。
その他の短編は長編「14歳」「神の左手 悪魔の右手」を彷彿させるハイパー・スプラッター・コミック!例えば日本のホラーはどこか情緒性が底流に流れているが、楳図のホラーは徹底した即物性と暴力性を兼ね備えている。つまり情緒を一切廃した楳図のホラーは日本人の描く物としては異質なのである。ハリウッド製ホラー映画に対する日本のホラー・キングの返答と言ってもいい。
ラストの短編「鎌」のブルドーザー並みに暴走する恐怖はサム・ライミの処女作「死霊のはらわた」を思わせる死と破壊と哄笑に満ちた悪魔的な作品。怖いって!マジ怖いって!!
「DEATH MAKE」も死の化身と言う他無いモンスターに次々と嬲り殺される少年少女たちの情け容赦ないスプラッター描写がナイス!
「プレゼント」ではクリスマスになるとセックスしか頭に思い浮かばないワカモノ達を、激怒したサンタのオジサンが鎖鎌でズタズタの肉片に切り刻んで歩くというハートウォーミングでラブリーな一篇!ひゃっほう!殺っちまえ!

総論:楳図かずおとは何だったのか?

私生活における楳図の子供っぽさはよく言われている事である。しかしどうしてあのようなおどろおどろしいものを描く人間があのように稚気に溢れた人間であるのだろう。
楳図は恐怖や怪奇、グロテスクな情念を描くけれども、それに対比するように子供達の無垢さ、純真さをも描いている。この対比の明確さは傑作《漂流教室》を読むと一目瞭然だろう。異常な事態に自滅し、あるいは自己中心的な暴力の世界に君臨しようとする大人と必死に生きようとする子供たち。彼は自らの嫌悪するものを執拗に描くことによって子供=彼自身の潔癖な魂を逆説的に浮き彫りにし、それを救済しようとしているのではないか。そして成熟することへの徹底的なNO!が問題作《まことちゃん》の、やんちゃだが無垢なる者でもあるまことちゃんの成熟した社会へのゲリラ的なサボタージュなのだ。さらにこの《まことちゃん》ストーリーの前身が、成熟後に老人となって社会から棄てられた男がもう一度少年に戻って社会を破壊と混乱の笑いに巻き込む長編《アゲイン》だというのが実に痛烈である。
つまり、全ての露悪的な描写は作者自身の子供のような無垢さ、純粋であろうとする願望の裏返しなのである。幼生で在り続けたいにも拘らず無理矢理にでも成熟させれられることへの嫌悪。「大人」として汚れる事への恐怖。そして楳図の嫌悪と忌避が強ければ強いほど、その描かれるものの醜悪さと恐怖はモンスターとして、あるいは怪異として君臨して暴虐の限りをつくし、その負の想念は輝くばかりにひと際際立つのであろうと思う。