楳図かずおデビュー50周年記念出版 UMEZZ PERFECTION! その1

今でこそオレはグログロゲロゲロなホラーファンではあるけれど、20代の頃まではホラーというジャンルを頭から馬鹿にしていた。殆どのホラーと呼ばれる作品は、恐怖そのものを煽情的に描こうとする為に、ドラマとして破綻しているものが多かったからだ。つまり、物語として劣っている、と思っていたのである。
しかしドラマとは何か?と考えると、例えばハリウッド映画はあくまでハリウッド映画的なフォーマットのもとに物語が構成されているだけだということに気付く。そして観る者はそれをドラマだと思い込んでいるに過ぎない。大げさに言うならホラーは「紋切り型と化したドラマへのアナーキーな対峙」と云うことさえ出来ると思う。(そして実は「極端な煽情によるドラマの破綻」と云う意味ではポルノグラフィーも同じものだと言うことができる)既存の物語のあり方への反抗、否定、破壊的なアンチテーゼ。あえて隠されたグロテスクな物を陽の下に晒すアナーキーさ。つまりホラーとはそれ自体が反社会的・反権力的な表現なのである。(ある種のロック・ミュージックとホラーが結びつきやすいのはこういった意味があるのではないか。)
勿論反社会的であればそれでいいと云うわけでは決してない。しかし、一般だの常識だのという言葉から零れ落ちてしまう、人間の生々しくリアルな情念がそこにあるのだと思う。そしてそのような情念を抱え込むのも、人間の本質のひとつであるのだ。(ま、しかし…ホラーばっかり観てるのも気分が悪くなるがな…)
あとガキの頃、ホラーってオンナコドモの観るものだと思ってたんですね。差別的ですね。そんな事言ってる自分はと言うとスター・ウォーズ観て喜んでいたんですから、思い上がりも甚だしい奴でしたね。でもホラーは女性のほうに訴求力が強い部分はあると思う。女性のほうがより生々しいものに対して興味や関心が強いのではないか。それは女性のほうが男性より身体性や感情の把握が確固としているからではないか…そして、楳図かずおの恐怖漫画が、まず少女マンガから始まり人気を得たのはそういう側面があるからではないか…などと想像してるんです。その楳図の恐怖漫画家としての名を不動にしたのがまず「ママがこわい」を始めとする《へび女》シリーズなのでしょう。

さてこの程小学館から「楳図かずおデビュー50周年記念出版」として『へび女』『蟲たちの家』『ねがい』という三冊の短編集が《UMEZZ PERFECTION!》として刊行されました。今回はその三冊のレビューを通して漫画家・楳図かずおという存在の本質に迫ってみたい、と大それたことを考えました。

「へび女」

へび女 (ビッグコミックススペシャル)

へび女 (ビッグコミックススペシャル)

ここでは「ママがこわい」「まだらの少女」「へび少女」の3作が収められていて、この作品集の中でも最も古い作品になるのでしょう。しかし、侮る無かれ、楳図の描く恐怖の本質はここに集約されていると言っていいのだと思います。実は今回初めてこの3作品を通して読んだんですが、これ、連作だったんですね!「ヘビ女」サーガとしてその恐怖の歴史が語られているのです!知らなかった!
蛇になっていく、爬虫類に変身してゆく、という恐怖は何なのでしょう。子供にとって最も身近な存在である母親が、「人間ではないもの」であるという恐怖。これは優しい母さんが持つもうひとつの女としての側面、性的な部分に対して、性的に未分化な子供が「異質なもの」として恐怖を抱くと言うことなのかな。例えば同時出版された《ねがい》の中のヘビ女譚「蛇」では、ヘビが変身した女が留守番中の子供の家にやってきて…と云う話なのですが、この変身したヘビの女の姿というのは、物語のラストで現れる、この少年の継母の姿と酷似しているのです。血縁の無い母とは父親とのみ性的な関係で結ばれた他者であり、そのセクシャリティのみの異質さが子供にとっては「性的存在という自分には理解できない属性を持った存在」として忌避の対象となるのでしょうか。つまり蛇へと変身した母や女友達への忌避は、セックス/成熟への忌避であり、未成熟でありたい、ということへの願望なのではないでしょうか。
また、安易ではありますがフロイト的解釈をするならば幾らでもセックスの暗喩を読み取ることは可能でしょう。

…長くなりそうなので2回に分けます!