『マッドマックス・アンソロジー BOX』を買った!観た!興奮した!

マッドマックス アンソロジーBOX (4K ULTRA HD & ブルーレイセット) (9枚組) [4K ULTRA HD + Blu-ray]

あの「マッドマックス」シリーズ4作の4K ULTRA HD & ブルーレイセット、『マッドマックス・アンソロジー BOX』が発売され、『マッドマックス』信者であるオレは矢も楯もたまらず逆上気味に購入したのである。

その内容は以下の通りだ。

〈収録ディスク〉

マッドマックス 4K UHD & Blu-ray

マッドマックス2 4K UHD & Blu-ray

マッドマックス/サンダードーム 4K UHD & Blu-ray

マッドマックス 怒りのデス・ロード 4K UHD & Blu-ray

マッドマックス 怒りのデス・ロード〈ブラック&クローム〉エディション Blu-ray

「マッドマックス」シリーズ4作の4K UHD & Blu-rayのみならず、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のモノクロ映像版、「〈ブラック&クローム〉エディション」も収録された全9枚組のボックスセットとなるのだ 。

購入してとりあえず、オレがシリーズで最も好きな『マッドマックス2』4KUHD版を観てみたのだが……これが驚くほど素晴らしかった!実は4KUHDとはいえ、『マッドマックス2』ぐらい古い作品となると、それほど画質の向上が見られずにがっかりすることが多いのだが、この『マッドマックス2』4KUHD版は違った。あのシーンこのシーンが細密な画質で美しく再現されていたのだ。それは撮影現場の空気感まで伝わってくるほどの迫真的な映像だった。確かに全編に渡って、というわけではなく、場面によっては画質の粗い部分もあったが、全体的には大満足であった。『1』と3作目である『サンダードーム』はまだ観ておらず、今後の愉しみの為にとっておいてある。

ところで、実は「マッドマックス」シリーズ4作の4KUHDボックスセットというのは以前にも限定スチールブック仕様で発売されていたのだが、微妙に高くて見送っていたのだ(スチールブックには惹かれたけどねー)。それに『怒りのデスロード』は既に4KUHDを持っていたので割高に感じてしまった。そしてこのボックスセットの発売時点では他のシリーズ作品のバラ売りがされていなかった。

しかし今回、もう少しこなれた値段の4KUHDボックスセットと、各作品のバラ売りがリリースされることになり、先ほど書いたように4KUHD版『怒りのデスロード』は既に持っていたので、最初はバラ売りのほうの3作品を購入しようと思ったのである。

ところがである。なんとこの3作品全部を合わせた値段と比べると、ボックスセットのほうが安かったのだ。そういった経緯があったので、今回ボックスセットの購入と相成ったわけである。

しかし、購入したこと自体には全く不満はないのだが、ちょっと妙なことになってしまった。今回のボックスセットを購入したことで、なんと『怒りのデスロード』Blu-rayを4枚所有することになってしまったのである。

1枚目はまず、一番最初に買った単品のBlu-rayだ。

2枚目は本編のモノクロ・バージョンという触れ込みで発売され、購入した「ブラック&クローム・エディション」に付属しているBlu-rayである。

3枚目は4KUHD版を購入した時に付属していたBlu-rayである。

最後、4枚目のBlu-rayが今回購入したボックスセットのBlu-rayというわけである。

いやー、まあファンなので文句はないのだが、それにしても同じ映画のBlu-rayを4枚持っているのってちょっと珍しい人なのかもしれない。とはいえ、『怒りのデスロード』はそもそもが【神映画】なので、それにお布施をするということは、すなわち【徳を積んだ】ってことに他ならないけどね!

結論:『怒りのデスロード』Blu-rayは何枚持っていてもいい。

ミシェル・ウエルベックの『ウエルベック発言集』を読んだ

ウエルベック発言集/ミシェル・ウエルベック(著)、西山雄二(訳)、八木悠允(訳)、関大聡(訳)、安達孝信(訳)

ウエルベック発言集

詩人や文学者をはじめ、左翼知識人にフェミニスト、映画、音楽、建築、宗教……まがまがしくも目くるめく混乱した世界に「介入」するウエルベックの論舌は、鋭く、耳目を集める。 多種多様なジャンルを射程におさめた本書に通底するのは、「口撃」しようとする批判精神ではなく、人間性への関心だ。そこから浮かび上がってくるのは、書くことに愚直にむきあう人物の創作の秘密─「現実を観察し、未来を予測する小説家の哲学」である。冷笑よりも、素朴だが重要なメッセージが込められている。

「フランス文学界の問題児」ミシェル・ウエルベックによる『ウエルベック発言集』を読んだ。収録されているのは1992年から2020年にかけて発表されたエッセイや批評、社会時評、インタビューや対談、序文、芸術家との共作などとなる。発表媒体はフランスで発売されている様々な雑誌・新聞からで、これを発表順に並べて掲載している。

オレはウエルベック小説がたいそう好きで、評論も含め日本で訳出された書籍はほぼすべて読んだぐらいだ。だからこの『発言集』も読むのをとても楽しみにしていたが、実際読み始めるとこれがそうとうに手強い内容で、他の本と並行して読んでいたせいもあったが結局読み終わるのに1ヶ月ほどかかってしまった。

「手強い」というのはまずオレの読解力と知識レベルの問題なのだが、特に前半部において(オレにとっては)相当に難解な哲学論議をブチかましてくれており、読んでいたオレは白目を剥きながら「なにがなにやら」という状態であった。もうひとつは、この『発言集』においてウエルベックが取り上げ、または対談で語っている内容の幾つかが、非常にフランスのドメスティックな内容にかかわっており、扱われる人物にしてもほとんどが聞いたことのない人名ばかりで、これが取っつき難かったというのがあった。詩も掲載されていたがこれもまるで理解できなかった。

とはいえそれも前半の辺りまでで、後半に行くほどに「ウエルベック節」の炸裂するニマニマの止まらない内容になってくる。それは、ウエルベックの著作にリンクする形で読めるからであり、あの小説の背景にはこういった思考や思想が織り交ぜらていたのか、ということが透けて見えてくるのだ。先に触れたようにこの『発言集』は発表順、即ち年数を追って掲載されているので、「この発言はあの小説発表の前後のものだな」ということがだいたい分かってくるのである。そういった部分でウエルベック小説の解題として有用であると言えるだろう。

印象に残った「発言」を引用してみよう。

  • 私的な考察を一切排して人間を語るのだとする文学に、いったいどんな面白みがあるのか?(p158)」
  • 「自己について語るというのは面倒で嫌悪さえ催させる行為である。だが自己について書くというのは、文学においては唯一価値のあるもので、書物の価値は(中略)作家が自己をそのなかに持ち込む能力によって測られるのだ。(p158)」
  • 「世界を記述すること、現実という生き生きとして反駁の余地のない大きな塊を書き留めることで、私はこの塊を相対化する。(p162)」
  • 「私が独創性を発揮するチャンスは、(ボードレールの言葉を借りるなら)新しい紋切型を作り出すことにしかないのだから。(p211)」
  • 「地下鉄内の出会い系サイトの広告に冷やっとさせられたんだが、そこにはこうあった。「愛は偶然に訪れるものではない」とね。こう言いたくなったよ、「いやいや、せめて運命は取り上げないでくれよ」と。(p228)」
  • 「(人類をよりよくする)とはいっても限界がある。人間を適度に標準化するべきなんかじゃないんだ。なぜなら、善良でなければならないとしたら……君も僕も生きてはいないだろうからね!(笑)(p228)」
  • 「世界はあなたに何もできず、あなたは世界に何もできません。(p239)」
  • 「(パスカルについて)私はそれまで死と虚無の強力さについてそのように説明されるのを見たことがなく、そしてそれらの問いに対するパスカルの激烈さが文学において比肩するものがないままだと私には思われたからです。(p273)」
  • 「私はいかなる幸福にも宗教的本質があるという考えを曲げません。(p274)」
  • 細かいことでうんざりさせないでくれ、現実に関わって無駄にする時間なんかないんだ、どの道私は現実を誰よりもよく知っているんだから(p290)」
  • 「善は存在する、絶対に存在する、まさに悪と同等に。(p296)」
  • 「どう生きるべきかについて説明するよう作家たちに催促する権利を読者は絶対に持っている(p299)」
  • 生涯において少なくとも一人の人を幸福にすること、ただし、実際的に、つまり実効的におこなうこと、私はそれを教養あるすべての人への掟としたい。(p299)」
  • イスラムとの戦いはヨーロッパの長い歴史の一般的傾向の一つである。それが前面に戻ってきたというだけだ。(p303)」
  • アメリカ人はもはや地球の表面上に民主主義を広めようと試みない。そもそもどんな民主主義なのか。四年に一回、首長を選ぶために投票すること、それが民主主義なのか。(p305)」
  • ヨーロッパは人民の形成を望んでいないということだ。いずれにせよ、欧州連合(EU)が民主主義のために構想されたことなどなく、その目的はむしろ真逆であった。(p306)」
  • 「(新型コロナウィルスについて)なぜならこの感染症は、不安であると同時に退屈でもあるという快挙を成し遂げたのだから。(中略)要するに、特性の無いウィルスなのだ。この感染症がいかに毎日世界中で多数の死者をもたらしても、それでも出来事など起こらなかったという奇妙な印象を産んだ。(p337)」

ただ聞くところによるとウエルベックというのははぐらかし屋でその時々で「自分」を演じ、なかなか尻尾を見せない男なのらしい。そこがまた彼のシニシズムの発露であるという事なのか。だからこの『発言集』の「発言」なるものもどこまで鵜呑みにしていいのか判別できないのだが、彼なりの思考遊戯でありひとつの創作の形としての「発言」であるという受け取り方でいいのかも知れない。どちらにしろ思考の強度や知識の膨大さや教養の広範さや視点の鋭さに改めて感服させられ、読んでいて楽しめるし、やはりオレはこのオッサンが好きだな、としみじみ思わされた。

なによりウエルベックは第一に作家であり、その生み出すものは文学小説という作品である。そして文学とは人間の本質に迫ろうという意思であり、人間性への深い関心なのだ。この『発言集』を読んで感じるのは、彼の創作というものに対する非常に真摯な態度であり、それは透徹として純粋であるとすら思う。彼の描く作品の持つ時に過激なラジカルさ、筆禍だ舌禍だと喧しい評判のその裏側にあるのは、実は彼の文学に奉じるこの頑固とも言える態度から来ているのではないか。帯の惹句にあるウエルベックの「私が政治的に正しくなって、それで何が得られるのでしょう。」という言葉は、彼が小説を書く上での態度と決意を如実に示したものであると思えてならない。

最近読んだコミック/斎藤潤一郎の『武蔵野』とか

武蔵野/斎藤潤一郎

『死都調布』『死都調布 南米紀行』『死都調布 ミステリーアメリカ』と、カラカラに乾ききった無情の世界アバンギャルドに描き続けてきた斎藤潤一郎の新作はなんと「武蔵野紀行コミック」である。そして、これがいい。武蔵野の野。そこは荒野であり絶望であり寂寥であり鼻糞であり放屁であり胡乱である。それはつげ義春から全ての情緒をフリーズドライ化し雲散霧消させた湿度ゼロの旅情である。斎藤潤一郎が実際に武蔵野界隈へと出向きそこであてもなく彷徨いながら見たもの聞いたもの体験したものを描くのだが、そこには愉しみも安らぎもなくただただ殺伐としているだけなのだ。斎藤潤一郎が描くと横浜の街ですらドイツ表現主義のモノクロホラー映画の1シーンかソヴィエト連邦時代の街の名前が数字だけで呼ばれる秘密研究都市みたいに思えてしまう。そこには無情と無常だけがある。そしてそこがいい。これまでの作品から、ドドドドド!と力が抜けまくったこの作品集からは、作者の真の内実が、すなわちパンツを脱いだ齋藤潤一郎の姿が、武蔵野の地獄のように赤い夕日を背中に浴びながら立ち上がったかのように思えるのだ。読んでいると、オレも人間性を剥奪されるために、武蔵野の荒野を彷徨いたくなる。そしてもう帰らない。この『武蔵野』は斎藤潤一郎が遂に到達した殺伐無情漫画の最高峰であり最高傑作なのではないか。同じモチーフで今後描き続けても全然構わないぐらいに思う。

それゆけ犬HK/うかうか

犬漫画を追求する「うかうか」氏の新たな犬漫画、それがこの『それゆけ犬HK』である。某N〇Kの様々な番組を「うかうか」氏ならではの犬視点で描いた犬パロディ漫画なのだ。それは例えば「100分de名犬の著」「クローズアップ犬代」「ダーウィヌが来た!」などといったタイトルからうかがい知ることができよう。そして今作『それゆけ犬HK』、「うかうか」氏の新機軸なのではないかと思った。これまでの「うかうか」氏の犬漫画は「うっかり者の主人公犬がよく分からない状況に巻き込まれるが、なんとなくほっこりとしたラストを迎える」といった展開が殆どだったが、そのパターンから抜け出しているのだ。それぞれのエピソードがパロディとして練り込まれており、きちんとしたオチを持ってきている。もともと「うかうか」氏の犬漫画は、例えば犬の名前や固有名詞にわざわざ「犬」の文字が入っている細かい面白さがあったが、今作ではストーリー自体にきっちりと「犬らしさ」を感じるのである。今後もこういった構成で「犬パロディ漫画」を展開してみてもいいかもしれない。

#DRCL midnight children (1)(2)/坂本眞一

イノサン』の坂本眞一による新作コミックである。オレは『イノサン』は割と面白く読んでいたが『イノサン Rouge』になったあたりから飽きてしまって読まなくなっちゃったんだよな。で、この『#DRCL』は坂本眞一の新解釈によるブラム・ストーカー版『吸血鬼』の漫画化なのらしい。『イノサン』はホラータッチではあったが、こちら『#DRCL』はガチホラーということで冒頭から実に飛ばしまくっており大変気持ちいい。そして主人公として登場するのが寄宿学校のビジュアル系美少年たち&イケテナイ少女なのだが、この辺りが新解釈という事なのかな。例によってやり過ぎなぐらい耽美かつデカダンなグラフィックが花咲き、そしてやっぱりやり過ぎなミュージカルショー演出が笑わせてくれる(2巻なんてどう見てもマイケル・ジャクソンなキャラが登場なんだぜ)。まあ坂本眞一の真骨頂は美麗なグラフィックではなくどれだけアホアホ展開へと脱線してくれるのかにあるので今後も期待しながら見守りたい。

風水ペット(4)/花輪和一

日本漫画界の極北を行く異能の漫画家・花輪和一の最新コミック『風水ペット』第4巻である。どんな物語なのかというと「どこぞの山奥の村で見るからに《百姓》なおじさんおばさんが怪しげなオカルト知識と動物たちを駆使し世界経済崩壊後の新たなる経済体制を妄想し、さらに中国共産党への賛美と攻撃で真っ二つに割れるというひたすら頭のおかしい話」である。ここまで読んでどういう話なのか理解できる人は少ないように思うが本当にそういうお話なのである。そしてこの4巻ではこのプロットすら崩壊し訳の分からないカルト同士がお互いを牽制しあい、あるいは輝く未来に陶酔するといった展開がグジャグジャと続くという、カオスの様相を呈している。よく分からないがこれで完結なのだろうか。まあいいか。ただし今回は電書のみの発売みたいでオレはそこだけちょっと不満である。

川尻こだまのただれた生活 第十集: 「vsカラス」他/川尻こだま

ものぐさ娘・川尻こだまのTwitterまとめ漫画も早10集である。最初は悪食と極度のだらしなさがウリだった川尻だが10集ともなるとそんなネタも減り、「日常のちょっと変な出来事・しょうもない失敗」が増えてきた。とはいえつまらなくなったわけではなく、もともと日常の出来事への目の付け所がよく、さらに脚色力が秀でていた川尻なので、やはり変わらずに面白いのだ。ライフハックネタなどは普通に参考になったりする。やはり才能があるなあこの人。

『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』は最高最先端のアトラクション・ムービーだった

アバター:ウェイ・オブ・ウォーター (監督:ジェームズ・キャメロン 2022年アメリカ映画)

アバター・サーガ」第2弾『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』

ジェームズ・キャメロン監督による驚異的な映像表現により全世界興行収入歴代1位の大ヒット作となった『アバター』(2009)の続編がいよいよ公開というので公開日にIMAX3Dで観てきました(ホントはHFR上映*1も体験したかったのですが、限定上映館まで行くのがかったるくて諦めました)。

いやーオレ、前作『アバター』がホントに好きで、映画が上映された年のナンバーワン作品に挙げたぐらいなんですよ。なんと言っても3D表現が本当に圧倒的だった。「飛び出す」だけじゃなくて奥行きまでもしっかり感じられる作品だった。『アバター』の後も3D作品は多数作られましたが、『アバター』を超える3D表現を成し得た作品は存在しなかったんじゃないかとすら思います。あと余談ですがディスクで出ている『アバター:エクステンデッド・エディション』は多数の追加シーンがあって驚愕させられるので是非こちらで見てください。

というわけで「アバター・サーガ」第2弾、『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』です。前作公開から13年ぶり、製作費540億円、しかも「5部作予定の第2作」とかなんとかアレコレとんでもないことになってるのでこれはもう観なきゃ始まりません!

前作から10年後の物語

そもそも『アバター』ってナニ?という所から始めましょう。以前ブログ記事に書いた1作目の感想文から引用しますね。

映画『アバター』は西暦2154年の未来、地球から5光年離れたアルファ・ケンタウリの恒星系に存在する衛星パンドラを巡る物語である。そこには大気の組成こそ違うものの地球とよく似た生態系が存在し、ヒューマノイド・タイプの知的生命体・"ナヴィ"が居住していた。この物語の主人公ジェイク(サム・ワーシントン)は、遺伝子工学により生成された人間:ナヴィのハイブリッド・ボディに意識を転移し、そのボディを操ることで人類とナヴィ部族とのある交渉を成立させるためにパンドラに降り立つことになる。しかしその交渉は決裂し、アバター・ボディのジェイクは、人類とナヴィとの戦いの狭間で揺れ動くのだ。

映画『アバター』は異世界への郷愁である - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』は前作の10年後の世界が描かれます。ナヴィ族と地球人との紛争は一応の終結を迎えたのですが、平和が戻ったはずのパンドラにまたもや地球人の魔の手が迫るのです。

《物語》地球からはるか彼方の神秘の星パンドラ。元海兵隊員のジェイクはパンドラの一員となり、先住民ナヴィの女性ネイティリと結ばれた。2人は家族を築き、子どもたちと平和に暮らしていたが、再び人類がパンドラに現れたことで、その生活は一変する。神聖な森を追われたジェイクとその一家は、未知なる海の部族のもとへ身を寄せることになる。しかし、その美しい海辺の楽園にも侵略の手が迫っていた。

アバター ウェイ・オブ・ウォーター : 作品情報 - 映画.com

またもや巻き起こる戦争の悲劇

さて感想ですが、今回も3D効果が驚異的でした!上映中「映画館の天井から埃が落ちてきたぞ?」と思ったら映画の映像だったし、「なんか目の隅に邪魔なものがある」と思ったら映画の映像だったし、「誰だよ映写機の前に立ってる奴は?」と思ったら映画の登場人物だったし、字幕なんて奥の登場人物と手前の登場人物の中間に見えたりしてなんかもういろいろ凄かった。これ、映画黎明期に蒸気機関車の映像流したら「機関車が画面の向こうからやって来る!」と観客が逃げ出しそうになったとかいう逸話を思い出させますよね。それだけ臨場感たっぷりで、キャメロンの考えた「映画新世紀」とはまさにこういうことだったのでしょう。

では物語は?というと実はまあ普通、というかある意味平凡ではあるんですよ。主人公ジェイクは「地球人が攻めてきたけど目的は自分への復讐だから、部族のみんなに迷惑かけられないので他所行こう」ってことで家族を引き連れて海の部族メトケイナ族のもとに身を寄せますが、いやこれ結局メトケイナ族に戦禍が及ぶだけの話じゃん?と思っちゃいますよね。そもそも敵役であるクオリッチ大佐たちの惑星パンドラにおけるナヴィ族討伐活動が、「ジェイクへの復讐」という私怨を中心に成り立っているなんて随分イビツな話ですよね。物語の中心となるのも「家族の絆」という分かり易いけれどもありふれたものだし、全体的に見ても「空を駆る描写に特化した前作から海を征く描写に特化した今作」へと単にスライドしただけなんですよ。

圧倒的な没入感

しかしこういった物語の平凡さはこの作品をつまらなくしているのか?というと全くそういうことではないんですよ。

先に挙げたいわゆる瑕疵とも取れる物語の在り方は、実は視覚効果を最優先にして映画を見せるための方便、視覚表現により没入させるために逆に物語を単純化して馴染みやすくわかりやすくした、という事だと思うんですよ。「復讐の物語」も「家族の絆」も物語としてありふれている分理解しやすいし、「空から海へ」というのは「空を中心に視覚効果を駆使した作品を今度は海を中心にした視覚効果で観客を驚かせたい」という意図があったからなのでしょう。

映画『アバター』はまず「没入感」の映画、いかに別世界に観客を没入させるかに特化した映画だと思うんですね。アバター=化身というのは「化身に入り込むことで別世界を冒険する」ことを目的としていますが、これってなんだかゲーム的ですよね。そしてゲームの没入感というのは、特にFPSやTPSなんかをプレイしたことがある方は分かると思うんですが、「ゲーム世界という別世界に没入しその世界に耽溺する」という楽しさがありますよね。昨今のオープンワールドゲームなんて「世界一個をまるまる体験する」作りになってるじゃないですか。ジェームズ・キャメロンがやりたかったことはこれじゃないかと思うんですよ。

世界最高最先端のアトラクション・ムービー

特に前半部では延々「海と海中を冒険してそこに住む海棲生物の百花繚乱な形態に驚異し、その中で危険と楽しさを味わい、そんな海の民となって生活すること、その文化に触れることに喜びを覚えさす」ことだけが描かれていますが、これは「物語」なんかじゃなく「体験」なんですよね。その「体験」に迫真性を持たせるのが先端的な視覚技術であり、それが生み出すものが没入感なんですよ。そういった意味で、この作品は前作と同じように、というか技術の進歩によりより完成度の増した「アトラクション」としての映画だと言えるんですよ。で、アトラクションが一個だけだと飽きられるので、前回空だったのが今回海だったと。

とはいえ、キャメロンらしい手癖が難な部分は確かにありますね。キャメロンって基本的に視覚技術の人でストーリーテラーじゃないと思うんですよ。そこを逆手に取ったというのがこのシリーズでもあるんですが。

まずキャメロンって1作目で世界観を作ってその後「さあ戦争だ!」ってやっちゃうのが好きですよね。(監督は違いますが)『エイリアン』1作目のアートなゴシック世界を『エイリアン2』で「戦争映画」にしたのもキャメロンだし、単調な追っかけっこ映画だった『ターミネーター』1作目を2作目において当時最先端のCGIを使用してT-800対T-1000の戦闘映画にして化け物シリーズ化させました。今回の『アバター』も1作目で世界観を作ってこの2作目で「戦争映画」に特化させちゃってますよね。あの『アビス』も2作目があったら絶対戦争映画になってると思うな!

とまああれこれ書きましたが結論としては大満足、5作目まで作るって言うなら全部付き合う気満々です。今後展開されるであろう3作目から5作目ではまた別のシチュエーションで描かれるのでしょう。最終的に宇宙空間に行っちゃうのかな?HFR上映もなあ、暇があったら体験してみたいんだがなあ……。

*1:48fpsによるハイフレームレート(HFR)上映。詳しくはこちらで:アバター2はなぜ48コマなのか。HFR映画がもたらす視覚効果とリアリティ - AV Watch

デヴィッド・ボウイ、『ハンキー・ドーリー』時のレア曲等を収めたボックスセット『ディヴァイン・シンメトリー』

ボウイ名作『ハンキー・ドリー』にまつわるボックスセット『ディヴァイン・シンメトリー』

デヴィッド・ボウイが1971年にリリースした4枚目のアルバム『ハンキー・ドリー』は、数あるボウイ・アルバムの中でも名作の1つとして名高い作品だ。ボウイの最高傑作として知られる『ジギー・スターダスト』と同時進行で録音され、いわゆる「裏ジギー」とでもいうような、デヴィッド・ボウイというアーチストを知るのに欠かせない重要な曲が並んでいるのだ。

その『ハンキー・ドリー』にまつわるボックスセットがリリースされるというから、いちボウイ・ファンとしてこれは見過ごすわけにはいかない。ボックスセットのタイトルは『ディヴァイン・シンメトリー』、なにしろこれが質・量・重さととんでもないボリュームの作品となっており、さらにお値段も相当なことになっていて、というわけでオレは今ボウイ祭り真っ盛りという状態なのである。

内容はまず音源が4CD+BLU-RAYオーディオからなる5枚組、それにさらにボウイ写真やライナーノーツが100ページにのぼり収められた大型ハードカヴァー本、そして手書きの歌詞や衣装のデザイン画、レコーディング時のメモやセットリストなど当時のボウイのノートを復刻した60ページのブックレット、日本発売版にはハードカヴァー本の日本語訳と歌詞対訳の大型冊子までつけらているのだ。気になるお値段は定価22000円!

音源についてはまだ十分に聴き込んでいないのだが、ざっと流して聴いただけでも「結構とんでもないことになっている」という印象。それぞれどんなことになっているのかごく簡単に説明してみよう。

CD 1: THE SONGWRITING DEMOS PLUS

アルバム作成時のデモということだが、どの曲も完成作とニュアンスが違っていて新鮮な響きに聴こえる。しかも未発表曲が数曲入っている上にボウイの歌うベルベット・アンダーグラウンドの名曲『Waiting For The Man』が収録されていて大変驚かされる。さらに1曲目の『Tired Of My Life (Demo)』は聴いていて「これどこかで聴いたことがあるけど?」と思いよく考えてみたら、なんとボウイ1980年リリースのアルバム『スケアリー・モンスターズ』の1曲『It's No Game』の原曲じゃないのか!?

CD 2: BBC RADIO IN CONCERT: JOHN PEEL

デヴィッド・ボウイ・アンド・フレンズ」という名義で1971年6月に録音・放送されたBBCラジオのコンサート。1971年6月というと実は『ハンキー・ドリー』のリリース直前なのだが、伸び伸びとしたパフォーマンスからは新作に対する溢れんばかりの自信を感じる。音質はとてもよく、なぜかモノラルとステレオの2バージョンの曲が並んでいる。とはいえモノラル音源はダイナミックに聴こえるし、ステレオは繊細に耳に響いてくるから不思議。ところで曲によってボウイじゃない男女が歌っているのだけどこれが「デヴィッド・ボウイ・アンド・フレンズ」ってことなのかな?

CD 3: BBC RADIO SESSION AND LIVE

BBCのボブ・ハリスがホストを務める「サウンズ・オブ・ザ・70s」において1971年に録音されたパフォーマンスと、ロンドンのエイルズベリーにあるコンサート会場フライアーズにおいてやはり1971年に録音されたライブ。このフライアーズはボウイがジギースターダストとして初めてパフォーマンスを行ったコンサート会場だという。下の動画でコーラスを入れているのはミック・ロンソンかな?

CD 4: ALTERNATIVE MIXES, SINGLES AND VERSIONS (BOWPROMO mixes)

2022年にMixされた「BOWPROMO Mix」と2021年にMixされた「ALTERNATIVE MIXES」を収録。今回のボックスセットではこれが結構な目玉かも。まず「BOWPROMO」というのはアルバム『ハンキー・ドリー』のレコード会社配布用の試聴用プロモ・アルバムで、ブートレグも出ていたようだが大変なレア盤。そしてこれがよく聴くとオリジナルとヴァージョンやミックスが微妙に違っており、つまりは「ハンキー・ドリー別バージョンアルバム」として聴くことができるのだ。2022年Mixということで音質もとてもいい。「ALTERNATIVE MIXES」は2021年に新たにMixし直された別バージョンの曲が並ぶ。例えば下の動画『Quicksand』はオリジナルにあったストリングスの無いアーリーヴァージョンだし、『Song For Bob Dylan』は非常に現代的な分厚いサウンドに生まれ変わっている。

[BLU-RAY AUDIO] HUNKY DORY 2015 REMASTER / A DIVINE SYMMETRY (AN ALTERNATIVE JOURNEY THROUGH HUNKY DORY) / Bonus mix / SOUNDS OF THE 70S: BOB HARRIS

こちらはBlu-rayオーディオ・ディスクとなっており、Blu-rayオーディオの高音質を楽しむことができる仕様だが、当然だがBlu-ray再生機が無ければ聴くことはできない。オレはPS5で再生してテレビのスピーカーで聴いたけれども、レンジが広くなったような気はするが音質が良いのかどうかは正直よく分からん……。内容はまず『ハンキー・ドリー・2015リマスター』全11曲の96Khz/24bitオーディオ。もう一つは『ア・ディバイン・シンメトリー:オルタナティヴ・ジャーニー・スルー・ハンキー・ドリー』と名付けられた12曲の96Khz/24bitオーディオ。これは『ディバイン・シンメトリー』収録のオルタナティヴ・ヴァージョン、ボウプロモ・ミックスの曲が取り上げられ高音質で聴くことができるようになっている。ボーナス・ミックスとして『Life On Mars 2016Mix』の96Khz/24bitオーディオとDTS-HDマスター・オーディオ5.1chサウンド。さらに「サウンズ・オブ・ザ・70s」から7曲が96Khz/24bitオーディオで収録されている。