フランス文学探訪:その9/スタンダール『赤と黒』

赤と黒スタンダール (著)、野崎 歓 (訳)

ナポレオン失脚後のフランス、貧しい家に育った青年ジュリヤン・ソレルは、立身のため僧職に身を投じる。やがて貴族であるレナール家の家庭教師となり、その美貌からレナール夫人に慕われるようになる。ジュリヤンは金持ちへの反発と野心から、夫人を誘惑する。さらに神学校を足がかりに、ジュリヤンの野心はさらに燃え上がる。パリの貴族ラ・モール侯爵の秘書となり、社交界の華である侯爵令嬢マチルドの心をも手に入れる。しかし野望が達成されようとしたそのとき……。

19世紀中期のフランス作家スタンダールが書いた『赤と黒』はサマセット・モームによる『世界十大小説』の1冊にも取り上げられた文学史上に残る名作とされている。物語は19世紀フランスを舞台に鬱屈に塗れ野心に溢れた地方出身青年の生きざまを鮮烈に描いたものだ。

読み始めると確かにその文章の虜となってしまう。物語はバルザックの描写力とジッドの簡潔さ、ラディゲの観察眼とフローベールの冷徹さを併せ持ち、クライマックスなどはカミュの『異邦人』すら思い出させられた。要するにフランス文学のいいとこ取りといった作品なのだ。さらに短い章立ての体裁をとることにより、上下二巻の大部の物語を息つく間もなく読ませるのだ。

とはいえ、「世界名作文学」という厳めしい肩書に似合わず、物語それ自体は当時の大衆文学、人気小説であったのではないかと思わせる身近で親しみやすい内容のように感じた。物語は一人の青年の野望と恋、貴族と平民という格差社会への怒りを描くものだが、シリアスであっても深刻ぶることなく、むしろ主人公のどこか「若気の至り」とでもいうような暴走振り、勘違い振りに時折「おいおい」と突っ込んでしまいたくなる内容でもあるのだ。

赤と黒』の主人公ジュリヤンは頭も良く顔も良いが身分の低い田舎青年という設定だ。まずこの設定からして「おいおい」といった体ではないか。彼は19世紀フランス復古王政期にナポレオン信奉者である事をひた隠しにしていた。これが日本なら「幕末維新の志士」を語らせたら鼻息の荒くなる若者と言ったところか(今時そんな奴いんのか)。そんな彼が貴族(つまりは王党派)に仕え、その貴族への憎しみを沸々と滾らせ稚拙な手練手管を弄する様は「政治かぶれのこじらせた若者感」があって読んでてニマニマしてしまう。

主人公ジュリヤンはひがみ根性だけで生きている上に、何かあると「ナポレオン閣下はこんな風にしないはず……ッ!」などと自分を戒めてみたり、田舎貴族をちょっと翻弄しただけで天下取った気になってるところなど、イタい要素ありすぎなのだ(しかも友人に頭おかしいと思われている)。読んでいて「これは近世フランスの中二病青年を描いた小説なのか」と思わせる程なのだ。

とはいえ、この物語を面白くしているのはひとえにこのジュリアンの矛盾に満ちた性格にあると言っていい。貴族が憎いと言いながら貴族に引き立てられることを望み、聖書や宗教書を丸暗記する信仰心がありながら聖職に就くことに退屈さを感じている。ナポレオンに憧れながら兵役にそれほど興味が無く、田舎から都会に出て一旗揚げる機運を持ちながら金持ちになる事にそれほど魅力を感じていない。

貴族の令夫人レナールを堕落させようとしながら本気で恋をし、同じく伯爵令嬢マチルドに打算的な恋の駆け引きを持ち掛けながらつれなくされると落ち込んでしまう。もう毎度毎度がこの調子で、物語を読みながら「おいおい、お前一体何がしたいんだ?」と始終突っ込みまくっていたほどだ。特に伯爵令嬢マチルドというのがタカピーのツンデレ女子で、同じくツンデレ青年である我らがジュリヤンと腹の読み合い化かし合いを演じる第2部などは、「いったい何のラブコメ展開だ」と微苦笑が止まらなかった。

もう一つジュリヤンの行動と性格からうかがえるのは、それは「母の不在」であり、「愛の不在」だろうか。物語の中でジュリヤンの母の存在は一切描かれず、それは存在しているのかしていないのかすら分からない。そして最初に愛したレナール夫人を「母親のように」慕い恋焦がれながらも、それをつれなく裏切ってしまう。二番目に愛したマチルドですらも、計算ずくの「恋の駆け引き」を演じようとしながら、結局愛し、そして裏切ってしまう。これは実は、幼少の頃からジュリヤンには母親が存在せず同時に愛されたことが無く、だからこそ母親の影を請い求めながら愛し方を知らないということだったのではないだろうか。

これらジュリヤンの矛盾に満ちた性格は、それは若さゆえの至らなさと不器用さなのだろう。若さゆえの全能感と傲慢さ、若さゆえの熱情と滑稽さ、若さゆえの孤独と渇望なのだろう。しかしそれらは、若き日があったすべての者にとって、一度は踏んだ轍であり、決して嘲笑し唾棄して済まされるものではないはずだ。そしてジュリヤンと同じく、時代に翻弄され、世の在り方に鬱屈し疑問を感じる若者はいつの時代であろうと存在するはずだ。スタンダール赤と黒』の素晴らしさは、この青春小説としての側面であり、もう一つの青春の蹉跌を描いた部分にあったのではないだろうか。

スタンダール(1783 - 1842)、本名はマリ=アンリ・ベール。

神道の世界からやってきたヒーローが活躍する異様極まりないコミック『古代戦士ハニワット』

古代戦士ハニワット(1)~(8)/武富健治

古代戦士ハニワット : 1 (アクションコミックス)

長野県長野善光寺市に、なんの前触れもなく突如現れた巨大土偶。街を破壊し、阻もうとする人間を排除しながら漸進する土偶を阻止できるのは、そうハニワットしかいない!『鈴木先生』の武富健治が渾身の筆致で描き出す、超古代伝奇ヒーロー譚!!

このコミックの存在を知ったのはTwitterのこのツイートからだったんですけどね。

古代戦士ハニワット、友人から「諸星大二郎エヴァンゲリオン」と熱烈レコメンドされ、一巻無料だったので試しに読んでみたんだけど、本当に諸星大二郎エヴァンゲリオンだった。面白かった…
古代戦士ハニワット : 1 (アクションコミックス) https://t.co/l01PrG8Vc2

— 南無三 (@namuamidub2) May 15, 2022

「うーん諸星でエヴァって、そりゃちょっと盛り過ぎじゃないの?」と思いつつ、1~3巻がKindle Unlimitedで無料公開されていたので興味本位で読んでみたら、間違いなく諸星でエヴァでした。それだけではなく近来稀に見るほどに飛びぬけた発想と構成を持つ驚くべき作品でした。ツイート主さんを疑ったことをここで激しくお詫びします……。その『古代戦士ハニワット』、何が凄かったかって、まず世界観が神道の世界なんですよ。

突如日本に発生した「土偶の形をした荒ぶる神」を鎮めるために「埴輪をモチーフとしたヒーロー」ハニワットが出動する、というお話なんですが、最初は「よくあるヒーローモノの亜流か」程度に思ってたんですがね。でもハニワット登場シーンでまず度肝を抜かされるんですよ。まず大勢の巫女さんが登場しシャアアンシャアアンシャアアンと鈴を鳴らし踊り始める!そして神職の出で立ちをした弓隊がビョイインビョイインビョイインと弦を弾き鳴らす!シャアアンシャアアンシャアアン!ビョイインビョイインビョイイン!もうこのシーンだけで「オレたちはいったい何を見せられているんだ!?」と呆然とさせられるんです!要するに「神下ろし」ということなんでしょうが、それでもこの異様さだけで全部持っていかれるんです。

そこからの「荒ぶる神」とハニワットの対峙も、「戦い」ではないんですね。「神をもてなしてお引き取り願う」ことなのだという。「神」だから退治ではないんです。さらにそのハニワットも、最初の1体があっけなく敗退するもんだから「???!」と唖然とさせられる。どうやらハニワット、何体も存在していて、それぞれに「操縦者」がいるんですが、この「操縦者」たちもどれもワケアリだったりして一筋縄に行かない。さらに背後に存在する神社庁も一枚岩では無く、謎も多い。この辺りがエヴァなんでしょうね。そして『日本書紀』から始まる設定の深淵さ、複雑さは当然諸星です。

さらにグラフィックが激情のほとばしる実に熱いもので、描線の微妙な揺れ方には『進撃の巨人』あたりに通じるドロドロとしたパッションが渦巻いていて、これがまた逆に新鮮なんです。決して下手なのではなくむしろベテランの筆であることは分かるんですが、泥臭く、洗練とはまた違う絵なんですよ。作者である武富健治氏の作品は今まで読んだことがなかったんですが、調べたら『鈴木先生』の作者で、これはオレでもタイトルは知っていた大ヒット作じゃないですか。その武富氏が少年時代から温めていた構想というのがこの『ハニワット』で、まさしく満を持したリリースだったのでしょう。一時は中断も危ぶまれたらしいのですが、こうして書き続けられているのは僥倖としか言いようがありません。今後の展開が楽しみでしょうがない作品がまた一つ増えてしまいました。

 

 

 

リーアム・ニーソン主演のアクション映画『マークスマン』はちょっとイマイチだったなあ。

マークスマン (監督:ロバート・ローレンツ 2021年アメリカ映画)

リーアム・ニーソンといえばベテラン中のベテラン俳優ですが、アクション俳優としても『96時間』シリーズを始め多数の優れた作品に出演していますよね。そのリーアム・ニーソンが元狙撃兵に扮し、メキシコ麻薬カルテルに追われる少年を守るためにアメリカを放浪する、というアクション+ロードムービーが本作となります。監督は『人生の特等席』のロバート・ローレンツ

かつては海兵隊の狙撃兵だったジム・ハンソンは、妻に先立たれ、いまはメキシコ国境付近の町で牧場を営みながら愛犬と暮らしていた。ある日、メキシコの麻薬カルテルの魔の手から逃れようと、国境を越えてきたメキシコ人親子の母親が追手の銃弾に倒れる。息を引き取る直前の母親に11歳の息子ミゲルをシカゴに住む親類のもとに送り届けてほしいと託されたジムは、仕方なくこれを引き受ける。シカゴへ向けて旅立つ2人を、アメリカに不法侵入したカルテルが執拗に追撃する。

マークスマン : 作品情報 - 映画.com

とはいえ「リーアム・ニーソン主演のアクション作!」ということで期待たっぷりで観始めたのですが、観終わってみるとなんだかイマイチなショッパイ作品だったのが正直なところです。元敏腕海兵隊員の経歴を持ちながら今は生活苦に塗れた生活を送る主人公の姿を描いた冒頭こそ、「おお、今は苦難の中にあるけれども悪党どもを目の当たりにして突如戦闘マシーンと化す主人公の姿が見られるのだな!」と身を乗り出して観ていたのですが、救出したメキシコ人少年をシカゴにあるという彼の身内に送り届けるドラマが始まった途端になんだか物語がしょぼくなってくるんです。

だいたい警察署からこっそり少年を連れ出す方法自体なし崩しだし「でもそれバレたらどうすんの?」と思ってしまいます。主人公の妹が警官役で出てきて主人公の行動にヤキモキして見せるんですが、この警官妹の存在が物語に何の役にも立っておらず、二人の絡みが後半にあるのか?と思って観ていると肩透かしを食らわされます。彼らを追う麻薬カルテル集団は凶悪さを強調するためなのでしょうがあちこちで殺戮を繰り返すのですが、単に陰惨なだけで物語展開の助けになっていません。

最も問題なのは主人公が「金の為に少年を救った」という部分でなんだかグダグダしている部分で、観ていてスカッとしないんですよ。これなら「正義のため!」とかストレートに展開させた方がすっきりした物語になったはずじゃないですか。そしてなにしろ主人公と少年がアメリカの街々を逃げ回る展開なのですが、あんだけ広いアメリカでよその国から来たメキシコ人に簡単に追尾されんなよ、と思わされます。逃げ回っているだけなのでアクションは存在せず、かと言って緊張感があるわけでもなく、「的中率100%の狙撃兵!」という謳い文句がずっと反故にされたままなんですよ。最後でやっと大暴れする主人公なんですが、その頃には「だったらさっさとやっとけよ……」とうんざりしている自分がいるだけでした。

またもやドニー・イェンが宇宙一の強さを見せつけるアクション作『レイジング・ファイア』!

レイジング・ファイア (監督:ベニー・チャン 2021年香港・中国映画)

「宇宙一強い男」ドニー・イェンが正義に燃える警官に扮し、凶悪極まりない犯罪集団と正面衝突する!という香港・中国製作のアクション映画です。なんと中国公開時には約240億円の興行収入をあげたというスーパーヒット作品でもあるんですね。共演は『孫文の義士団』(09)のニコラス・ツェー、スタントコーディネーターをドニーさんと長年タッグを組む谷垣健治が勤めます。監督のベニー・チャンはこの作品が遺作となりました。

正義感あふれる警察官チョンは、麻薬組織の壊滅作戦中に謎の仮面をかぶった集団に襲撃され、仲間を殺されてしまう。やがてチョンは、事件の黒幕が3年前に警察組織にはめられ投獄された元同僚ンゴウであることを知る。チョンは自身にとって弟子のような存在だったンゴウと、激しい攻防を繰り広げるが……。

レイジング・ファイア : 作品情報 - 映画.com

物語は冒頭から徹底して激しい銃撃戦と強烈な格闘の応酬、そして情け容赦ない殺戮劇に彩られます。正直ここまで凄まじいアクション作だとは思ってもみませんでした。中盤は『ダークナイト』の如き非情の物語が展開し、後半などは『ヒート』を思わせる超絶的な市街戦が行われます。とはいえそのアクションはハリウッド的な物量と力まかせのものではなく、クンフーを下地にしたスピーディーでテクニカルな格闘、周囲の環境を徹底的に利用した立体的でギミック感溢れるアクションを見せるんです。この辺りの心憎いばかりの小技の効かせ方は香港映画がこれまで培ってきた技術と、スタントコーディネーターの谷垣健治の手腕によるものなのでしょう。

そして当然ドニーさんの雄姿です!今作のドニーさんは正義を愛する熱血警官であるばかりに及び腰の上層部と対立し、常に苦渋を味わわされ、さらに凶悪な犯罪集団がかつての部下であったことを知って大いなる苦悩に打ちひしがれます。しかしそのような苦難の中、それでも正義を貫き通すために立ち上がるドニーさんに胸を熱くさせられるんです!そしていざアクションともなれば電光石火の技を繰り出し猛然と敵を打ちのめしてゆく姿にやんややんやの拍手喝采雨あられ!ドニーさん映画はどれも素晴らしいですが、今作も必見のドニーさん映画として仕上がっています。

ドニーさんだけではなく犯罪集団の首領ンゴウを演じるニコラス・ツェーの水も滴る美形振り、それとは裏腹の狂気に満ちた演技もまた本作の魅力です。とはいえ、構成として少々分かりにくい部分があるのも確かです。特に追想シーンに戸惑わされる部分があります。なんだろうなあ、と思って調べてみると今作は本来3時間ほどあった尺を2時間に縮めたものなのらしく、その部分で物語の流れにちぐはぐさが出てしまったのかもしれません。とはいえそういった部分を差し引いても今観ることの出来る最高のアクション映画であることに間違いありません。なんと言ったってドニー・イェン主演作、これは観ないと損ですよ!

ワタリウム美術館『視覚トリップ展』を観に行った

この間の土曜日は青山通りにあるワタリウム美術館へ『視覚トリップ展』を観に行ってきました。展覧会タイトルだけではトリックアート展かと一瞬思っちゃいますが、多数の現代アートによる「新たな視覚体験」を目指してキュレーションされた展示会なんですね。

【展示会概要】コロナ禍で、ただ2年の間に、誰かと実際に会うことは、特別なことになってしまった。何かとの出会いはモニターの画面越しにもたらされる。画面越しの出会いでは、視覚に依るところが増し、触覚や嗅覚などは無力のようだ。共有されつづける画面により、視覚は個人の感覚である以上に、他者と共有する感覚となった。自分と他者を意識するともなく、もはや自分の体験と他者の体験、自分の感情と他者の感情は混在し、その区別さえ難しい。それでも花は美しく咲き、枯れ、その花の美しさを感じているのは、花をみつめているあなた自身である。

視覚トリップ展|ワタリウム美術館

展示されている作品のアーチストは次の通り。結構お馴染みのアーチストが並んでいます。

青木陵子伊藤存ジグマー・ポルケナムジュン・パイクヨーゼフ・ボイスオラファー・エリアソンアンディ・ウォーホルキース・へリング/ジョナサン・ボロフスキー/クリスト/ジュリアン・シュナーベル/マルセル・ブロータス河原温/有馬かおる

ワタリウム美術館は5階建てビルの2階から4階が展示室になっており、1階と地下1階はミュージアム・ショップ&カフェになっています。展示スペース自体はこじんまりとしたもので、ゆっくり観ても1時間もかからないほどなのですが、大きな美術館とはまた違う、アットホームでありながら瀟洒で洗練された雰囲気がとてもいいんですよ。だから作品を一点一点観るだけではなく、アートのある空間でのんびり寛ぐことができるという点が実に素晴らしいんですよね。

写真撮影がOKだったので展示の様子をざっと紹介します。

ドイツのアーチスト、ジグマー・ポルケの作品群。今回の展覧会で一番気に入ったアーチストでした。

こちらもジグマー・ポルケ

ナム・ジュン・パイクの作品群。

こちらもナム・ジュン・パイク。「?」と裏返しになった「?」を組み合わせてハートマーク、「?」と逆さになった「?」を組み合わせて「∞」だなんて、発想がチャーミング過ぎてすっかり惚れてしまいました。

キース・ヘリングも展示されています。

さわひらきによる映像作品「/home」。部屋の中を小さな旅客機が飛び交う、という作品なんですが、こちらもとてもチャーミングだったなあ。

アンディ・ウォーホルによるペインティング作品、ウォーホル、こんな作品も製作していたんですね。

こちらもウォーホル。これもチャーミングだなあ(こればっかり)。キレッキレのシルクスクリーン作品しか知らなかったので、こういう作品を見せられるとウォーホルのイメージもまた変わってきますね。

帰りはミュージアム・ショップを覗いてきましたが、ワタリウム美術館ミュージアム・ショップってとってもグレードが高くて、「あれも欲しい!これも欲しい!」と心をざわつかせながら結局エコバッグを1個だけ買ってこの日は帰りました。ああ、あれも欲しい、これも欲しい……(写真は公式HPより)。