イア!イア!田辺剛のクトゥルフ小説コミカライズ『インスマスの影』を読んだ!イア=ルルイエ!

インスマスの影(1)(2) ラヴクラフト傑作集 / 田辺剛

インスマスの影 1 ラヴクラフト傑作集 (ビームコミックス) インスマスの影 2 ラヴクラフト傑作集 (ビームコミックス)

イア!イア!クトゥルフ・フタグン!もはや知らない者のいないコズミックホラー大系、クトゥルフ神話を生み出したH・P・ラヴクラフトの代表作である『インスマスの影』がコミカライズ作品として遂に発売だよ!

作者はラヴクラフト作品を次々にコミカライズして話題となっている田辺剛だ!その圧倒的な画力はクトゥルフ神話を暗く冷たくグロテスクな筆致で描き切り、もはやクトゥルフ神話コミカライズの第一人者と言っていいだろう!オレもあれこれ読んでるけどどれも傑作ぞろいだ!

さてこの『インスマスの影』、あえて物語を説明するまでもないと思うけど、煎じ詰めるなら「ある男が寂れ切った漁師町インスマスに迷い込み魚の顔した呪われた血筋の町民たちに襲われ逃げ惑う」ってお話なんだね!その呪われた血というのが旧支配者クトルゥフ神眷属のものだというわけなんだな!

物語はなにしろ『インスマスの影』なんだけれど、寂れ果て醜く傾くインスマスの街並みの鬱陶しいぐらいの暗さや、インスマスの住人のぬるぬるした半魚人姿と彼らが群れを成して夜の町を蹂躙する様をグラフィックで堪能できるのはやっぱり興奮させられるね!

やはり圧巻なのは深夜主人公がホテルの一室にいたところをインスマス人に襲撃され、闇に包まれた町をひたすら逃げ惑うシーンだな!異形の者たちで溢れかえる見知らぬ町を延々逃げ続けなければならない不安と恐怖が畳みかけるように描写されるんだ!この部分の緊迫感はひょっとして原作以上かもしれないな!そしてやはり甘美な絶望に彩られたあのおぞましいラスト!「あはは、ボクもう人間じゃなくていいんだあああ」という狂気の様はクトゥルフ神話の醍醐味だろう!

ひとつだけ難を言えばこれまでの田辺作品におけるクトルゥフ眷属の姿はなんとも名状し難い不気味極まる体形として描かれていた部分が、この『インスマスの影』では「半魚人」というホラー作品としては割と分かり易い体形をしていたことで、この辺りをもっと病気っぽくグジャグジャと描いてほしかったという点かな。まあしかし十分気色悪かったよ!

ところで実はオレ、北海道の魚臭くて寂れ切った漁師町で生まれ育ち、ギョロ目でタラコ唇したおっさんなんで、ひょっとして自分もクトルゥフ眷属の一員なんじゃないかとたまに思うことがあるんだ!もしかして『インスマスの影』ってオレの育った町が舞台だったんじゃないか!?ってことはいつかオレも海に還るのかな!?そして新たな仲間達と共に奇跡と栄光と囲まれて永遠に生き続けるんだ!イア!イア!イア=ルルイエ!

カルトSF映画『不思議惑星キン・ザ・ザ』のアニメーション・リメイク作品『クー!キン・ザ・ザ』

クー!キン・ザ・ザ (監督:ゲオルギー・ダネリア 2013年ロシア映画

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気が付いたら訳の分からない惑星に降り立っていた!?

雪のモスクワで奇妙な男に話しかけらた二人の男は突然見知らぬ砂漠の地へとワープさせられてしまう。ここはどこだ?いぶかしむ二人の前に釣り鐘型の飛行物体が現れ、中から小汚い二人のおっさんが出てきてこう叫ぶ。「クー!」......そう、ここは一面の砂に覆われた不思議惑星キン・ザ・ザ、訳の分からない異星人たちの訳の分からない理屈と訳の分からない行動に振り回されながら、二人の男は地球へ帰還する方法を探しあぐねるのだった!?

1986年、ゲオルギー・ダネリア監督により未だ社会主義体制下のソ連で製作されたSF映画不思議惑星キン・ザ・ザ』は、そのあまりに素っ頓狂で不条理極まりない物語性により、一躍カルトSF映画として人気を得た作品だ。物語で繰り返し使われる「クー!」という言葉は観る者の脳を侵し、この作品を観終わった後に矢も盾もたまらず「クー!クー!」と連呼してしまうという恐るべき中毒性をも兼ね備えていた。

その『不思議惑星キン・ザ・ザ』を、2013年にダネリア監督がアニメーション作品としてセルフ・リメイクしたのがこの『クー!キン・ザ・ザ』となる(共同監督のタチアナ・イリーナによると「この作品はリメイクでも続編でもない」ということらしいが)。なおダネリア監督は2019年に死去、この作品が遺作となった。

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実写版『不思議惑星キン・ザ・ザ
実写版とアニメ版はどう違うんだろう?

さてこのアニメ版『クー!キン・ザ・ザ』、実写版ファンとしてはアニメ版製作は嬉しいものの、なぜわざわざ同じものをアニメで再話するのだろう?という危惧はあった。しかし実際観てみると、様々な部分で細かい改編と展開のブラッシュアップが成され、殆ど同じ内容ながらまた違った感慨を生む作品だった。

まず惑星キン・ザ・ザに現れる異星人たちが、ヒューマノイド体型ながらやはり異星人らしい容貌をしている点だろう。そして釣り鐘型宇宙船から現れる二人の異星人のおっさんには小型ロボットが随行しており、これがワチャワチャと動き回って物語をさらにややこしくさせる役を演じている。主人公の二人も、実写版では建築技師と学生であった部分を、遠い血縁を持つ音楽家とDJ志望の若者という形に改変され、この二人の職業と関係が物語をより理解しやい形にしている。また上演時間は実写版で135分であったものが、アニメ版では92分とタイトになっており、割とグダグダした展開を持つ実写版(それがまた味わいだったが)よりも観やすい作品となっている。

そしてやはりSF作品とアニメとの親和性だろう。実写版では見渡すばかりの砂漠と奇矯な格好の異星人たち、そして廃物だらけの建築物というビジュアルがある種の抽象性を感じさせたが、アニメ版では同じビジュアルを扱っていても異世界ならではのファンタジックさを感じさせるのだ。当然、アニメならではの誇張された動きもまた楽しさを倍加させている。そういった部分で、内容は変わらなくても新鮮な驚きを体験しながら飽きることなく作品を観ることができた。 

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アニメ版『クー!キン・ザ・ザ』
コミュニケーション不全の本質

それにしても『不思議惑星キン・ザ・ザ』にしろ『クー!キン・ザ・ザ』にしろ、この作品の奇妙奇天烈としか言いようのない内容の本質はいったいどこにあるのだろう?この二つの作品の本質にあるのはコミュニケーションの不全である。それは、全く異なった文化と、全く異なった習俗と、全く異なった価値観を持つ者同士の齟齬から生まれるディスコミュニケーションである。それぞれの全く違う立ち位置により、お互いが全く嚙み合わず、全く理解しあえないという状況、このある意味絶望的なシチュエーションを、逆に可笑し味ととぼけた味わいで描き出したのが、『キン・ザ・ザ』なのではないだろうか。

ではこうして描かれるディスコミュニケーションは何を暗喩したものなのか。実写版『キン・ザ・ザ』においては、当時のソ連社会主義体制への批判/批評という見方もあり、それはそれで正しいとは思う。だがむしろ、「ソヴィエト社会主義共和国連邦」という、広大な土地に多様な自然環境と共和国国家と人種と文化と言語を有した国の、その「なんかよく分かんないくらいあれこれありすぎて全部を理解したり理解しあったりとか無理」という単純な疲弊感、そして「まあ無理ではあるけど、ギクシャクしながらなんとかやってるよ」という一市民の感想があの物語だったのではないだろうか。

そしてアニメ版『キン・ザ・ザ』では、そこに「血縁関係にありながら社会的立場と年齢の違いにより理解しあえない二人の主人公」を持ち込むことにより、実写版よりもさらに分かりやすい形のディスコミュニケーションの在り方を浮き彫りにし、より普遍的なテーマとして扱うことに成功している。こうして見ると、同じ内容に思えながら、『クー!キン・ザ・ザ』は『不思議惑星キン・ザ・ザ』の現代的な改訂版でありアップデート版といえるのではないだろうか。

 

 

『水曜どうでしょうザ・ベスト(偶数)』がメチャクチャ面白かったッ!!

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あの「水曜どうでしょう」が第30弾DVD&Blu-rayとしてベスト盤を発売するのだという。すなわちこれまでの「水曜どうでしょう」におけるあの名シーンこの迷シーンの、人気の高いベストオブベストを一堂に会してまとめたものだということらしいのだ。「水曜どうでしょう」もそろそろディスクにするネタが無くなってきたのでどうしたもんだべ(北海道弁)、と思っていたのだが、このような飛び道具を放ってくるとは、流石あなどれない「水曜どうでしょう」である。

それだけではない。タイトルを注意して見ると、「ザ・ベスト(偶数)」とあるではないか。偶数、それは2で割り切れる数の事である。ちなみに2で割り切れない1とか3とかは奇数なのである。どういうことなのかというと、この「ザ・ベスト(偶数)」、100位までエントリーされたベストシーンの、その「偶数」番号だけを収録したものだという事なのである。

つまり、1位から100位までの偶数番号である50シーンをこのディスクで紹介し、奇数である残り50シーンはまたそのうち別のディスクで発売予定であるという事らしいのである。要するに「ベスト100」を2巻に分けて発売する、という事を巧妙な分け方で行ったということだ。「奇数」を後発としたのは、これにより「第1位」は次回発売されるディスクに収録予定であるということなのだ。「100位から50位」までを第1巻、「51位から1位」までを第2巻とするよりは、この奇数偶数の分け方のほうがそれぞれの全体的な面白さのテンションが平均化されてどちらも面白く観ることができる、という利点もあるではないか。なんだ、「どうでしょう」のくせによく考えてるじゃないか(失礼)!

この「偶数」でどのようなシーンがエントリーされているのかをいちいち書くことはしないが、長きにわたって放送された「どうでしょう」の、選りに選った人気シーンが次から次へと矢継ぎ早に眼前に登場するのは、得も言われぬ至福の体験であった。最初っから十分面白いシーンの連続なのに、それがどんどんと加速して、もう途中から爆笑に次ぐ爆笑、はらわたよじれまくるほど笑い転げていたオレであった!もう高得点エントリーが連打する後半なんて、笑い過ぎて死ぬんじゃないかと思いましたよ!

そんなわけで『水曜どうでしょうザ・ベスト(偶数)』、最近のどうでしょうはサブスクでも見られるからディスクで買わなくてもいいやあと思っているそこのアナタ、このディスクと続「奇数」編は絶対サブスクになんか入らないと思うから、ここは是非購入をお勧めしますよ!もちろんファンの方なら絶対入手して家宝として祀るべきです!いやーおんもしろいぞー!!

(ちなみに『水曜どうでしょう第31弾「ザ・ベスト(奇数)」』は10月6日発売です。『偶数』の購入方法等詳しい情報はHTBオンラインショップのこちらで)

C・J・ボックスの冒険ミステリ『発火点』を読んだ

発火点 / C・J・ボックス (著)、野口 百合子 (翻訳)

発火点 (創元推理文庫)

猟区管理官ジョー・ピケットの知人、ブッチが失踪。彼の所有地からは2人の男の射殺体が発見されていた。殺害されたのは連邦政府環境保護局の特別捜査官で、ブッチは同局から不可解かつ冷酷な仕打ちを受けていた。ジョーは、狩りの名手で山を知り尽くしているブッチを追うが……。大自然を舞台に展開される予測不可能な追跡劇の行方と、事件に隠された巧妙な陰謀とは。手に汗握り、一気読み間違いなしの大迫力冒険サスペンス! 〈猟区管理官ジョー・ピケット・シリーズ〉新作登場。

荒っぽい冒険小説が読みたくなり、 去年刊行されたC・J・ボックスの『発火点』という冒険ミステリを選んでみた。C・J・ボックスの小説は初めてだが、この『発火点』は〈猟区管理官ジョー・ピケット・シリーズ〉の一作なのらしい。

舞台はアメリカ、ワイオミング州の小さな町。物語はこの町に住む建築業者ブッチの地所から二人の特別捜査官の死体が発見されるところから始まる。ブッチは二人と工事を巡るいさかいを起こしており現在行方不明。ブッチの知人でありこの物語の主人公でもある猟区管理官ジョー・ピケットは森林捜査を開始するが、ブッチが犯人とはどうしても思えなかった。そしてジョーは事件の背後に存在する薄汚い陰謀を察知するのだ。

物語はワイオミング州の広大な森林を中心に展開してゆく。ブッチを追跡するために環境保護局やFBIによる大規模な山狩りが行われるのだ。豊かで瑞々しく、同時に人の介入を拒む大自然の描写が迫真的に描かれる。険しい山並みや緑為す木々の様子、そこで生きる動物たちの生態などが生き生きと迫ってくるのだ。

この森林での緊迫の追跡劇が本作のキモであり、森を知り尽くしたブッチとジョー、それに対して自然への知識が乏しい連邦組織のどこか間の抜けた行動が対比的だ。さらに地元のゴロツキどもがブッチの首に賞金が賭けられたと誤解し彼を亡き者にせんと追撃を開始し、物語はさらに錯綜し出す。そして地元の保安官事務所と中央からやってきた連邦組織との対立の様があからさまになる。ここで描かれるのは土地に根差した者たちの頑固な地元愛であり、強権的な役人たちとは断固たる態度で挑む。地方在住アメリカ人の独立独歩な気風を描くのもまた本作なのだ。

物語には主人公ジョーや嫌疑をかけられたブッチをはじめとする多くの登場人物たちの陰影に富んだ人生模様が盛り込まれる。家族を愛しつましい人生を歩もうとしながら時に躓き悲嘆に堕とされる市井の人々の哀歓が生々しく活写される。そこには剣呑な政府組織への不信と不満も加味されている。そういった部分でも特にアメリカ人読者の共感を得る作品になっているが、もちろん日本の読者にもその生活感は十分に共感を持って迎え入れられるだろう。

物語は後半大規模なカタストロフィを迎え、白熱のドラマとアクションへとなだれ込んでゆく。個人的にはちょいとやり過ぎなんじゃないか?とも思えたが、十分なカタルシスを得ることはできた。柔和な中にも一本芯の通った主人公ジョーの造形もなかなかに頼もしい。森林と山稜を踏破する冒険と邪な陰謀を巡るミステリ、両方の面で充実した娯楽作だった。

発火点 (創元推理文庫)

発火点 (創元推理文庫)

 

麻薬王の巨大資産を巡って裏社会の魑魅魍魎どもが蠢きだす!/映画『ジェントルメン』

ジェントルメン (監督:ガイ・リッチー2020年イギリス・アメリカ映画)

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引退を決意した麻薬王の巨大資産を巡り、裏社会の魑魅魍魎どもが虚々実々の駆け引きを展開するというクライム・ムービー、それが『ジェントルメン』だ。監督は『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』『シャーロック・ホームズ』など、凝ったシナリオとスタイリッシュな映像で見せてゆくイギリス人監督ガイ・リッチー。主演はマシュー・マコノヒー、さらにチャーリー・ハナムヘンリー・ゴールディング、ミシェル・ドッカリー、コリン・ファレルヒュー・グラントらが登場しシブイ役どころを演じている。 

イギリス・ロンドンの暗黒街に、一代で大麻王国を築き上げたマリファナ・キングのミッキーが、総額500億円にも相当するといわれる大麻ビジネスのすべてを売却して引退するという噂が駆け巡った。その噂を耳にした強欲なユダヤ人大富豪、ゴシップ紙の編集長、ゲスな私立探偵、チャイニーズ・マフィア、ロシアン・マフィア、下町のチーマーといったワルたちが一気に動き出す。莫大な利権をめぐり、紳士の顔をした彼らによる、裏の裏をかくスリリングな駆け引きが展開する。

ジェントルメン : 作品情報 - 映画.com

ガイ・リッチー監督は『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』『スナッチ』 『ロックンローラ』など、英国裏社会を生きるチンピラどもの野放図な生態を描く低予算アクション、それとは別に、『シャーロック・ホームズ』シリーズや『コードネーム U.N.C.L.E.』、『アラジン』といったビッグバジェットのエンターティメント作品の両方を得意とするが、今作『ジェントルメン』ではガイ・リッチー監督の原点に還った英国裏社会映画となる。

ガイ・リッチー監督による裏社会映画は、多数の登場人物が入り乱れる複雑なシナリオと時系列をいじくったトリッキーな展開、CM/ミュージック・ビデオ畑出身らしいスタイリッシュな映像がその特徴となるだろう。同時に、モラル皆無の薄汚い社会で、目先の金目当てにちまちまと生きる連中の、さもしく卑しい生態を生々しく描く部分が印象的でもある。最初オレはこの「セコい連中のセコい生き様」を描く初期作品が苦手で、ビッグバジェット作品以外のガイ・リッチー作品は無視していたのだが、ガイ・リッチーによる『リボルバー』等ジェイソン・ステイサム主演作に触れてから見方が変わり、いつしか殆どの作品を観るようになってしまった。

この『ジェントルメン』でも、さもしい連中によるちまちました化かし合いといった点において、かつてのガイ・リッチー作品と殆ど変わりはない。登場するのが英国麻薬王であったりユダヤ人資本家であったり中華ギャングのドンであったりと、そのスジの大者ではあるのだが、やはりどうにもさもしさばかりが目に付く。こんな連中が奸計を巡らし裏の裏をかきながらお互いの足の引っ張り合うといった物語であるため、すっきりと分かり易いカタルシスは存在せず、舞台となるイギリスの空のようにどんよりと湿気った展開となってゆくのだ。

しかし、実は、それがいい。ああ、これが英国流のセコくイヤラシくゲスな外交術なんだな、となんだかしみじみと納得させられる。そしてそんな連中の遠回しで回りくどい、これまた英国流の対話にニマニマさせられるのだ。ハリウッド映画のようにすぐにドンパチ始めて血の海と死体の山を築いたりするような物語ではないのだ。特に麻薬王ミッキーの片腕レイが、失踪した貴族の娘を探してチンピラのアパートを訪れた際、いきなり暴力に訴えるのではなく言葉と暴力の匂いだけでじわじわとチンピラどもを圧倒してゆく様などはそのイヤラシサにワクワクさせられた。このイヤラシサこそが「ジェントルメン」の「ジェントルメン」たる所以だろう。

同時に、やはりハリウッド作品とどうしても違ってしまうのは、アメリカと違ってイギリスは銃の規制が厳しく、例え裏社会といえどやたら大っぴらに銃撃戦をおっぱじめるわけにはいかない、といった点があるのだろう。もちろん要所要所で銃にモノを言わせたりはするのだが、それもここぞといったシーンであり、だからこそ銃撃のシーンが生きる。むしろ、銃がモノを言うまでのギリギリの駆け引きと腹の読み合いが緊張感を生み出す物語なのだ。

もうひとつこの作品で特徴的なのは、主人公ミッキーの麻薬稼業の裏に英国貴族社会の実情が存在するといった点だ。これはもうイギリスならではの実情であり、着眼点として非常にユニークだった。そんな麻薬王と貴族社会の繋がりを描く作品に、英国貴族社会を描いた名作TVドラマ『ダウントン・アビー』で貴族令嬢を演じたミシェル・ドッカリーが出演し、麻薬王の妻を演じているといった点でもニヤリとさせられる作品だった。