しょうもない連中が主人公の『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』はうんざりするほどしょうもない映画だった。

■ディック・ロングはなぜ死んだのか? (監督:ダニエル・シャイナート 2019年アメリカ映画)

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ちょっと前に話題になった映画に『スイス・アーミー・マン』という作品がありましてな、これは無人島に流された青年が、ダニエル・ラドグリフ演じる死体のこく屁の力によって無人島から脱出する、という相当しょうもない作品なんですが、あまりにしょうもなさ過ぎて逆に感心してしまう、といった作品でもありました。で、この『スイス・アーミー・マン』の監督の片割れであったダニエル・シャイナートによる新作映画が公開されるというから、まあこりゃちょっと興味が沸いちゃうじゃないですか。その映画のタイトルは『ディック・ロングはなぜ死んだのか?』、なにやらダークコメディなんだとか。

物語の舞台はアメリカ南部の田舎町。ここにジーク、アール、ディックという3人のアホタレどもが住んでおったのです。ある日、何らかの理由で重症を負ったディックをジークとアールが病院の前に置き去りにし、そのままディックは死んでしまいます。警察は猟奇殺人として捜査を開始し、町中は大騒ぎ。それを知ったジークとアールは懸命に証拠を隠そうとしますが、そもそもアホタレなんでボロが出るばかり、二人はどんどん追い詰められてゆくのです。それにしても、友人を捨て置き死なせてしまうほどの理由はなんだったのか?それは・・・・・・・。

 ええと、最初に書いちゃうと、残念ながら相当つまんなかったです。主人公となるジークが単なる意志薄弱なボンクラ野郎で、あまりに注意散漫かつ頭が悪いので事件の証拠をまるで隠せないばかりか、隠そうとすればするほどボロが出て、観ていて相当イラつかされるんですよ。きっと物語は、このジークのボンクラ振りと情けなさにアイロニーを見出そうとしたのでしょうが、観ているこっちはただ残念な人の残念な行動に逐一つきあわされるだけの話で、うんざりさせられるんですよ。

それと物語の初動の段階で矛盾があって、それはジークとアールは負傷したディックが死にはしないだろうと思っていた(そのうち回復して連絡があるだろうと考えていた)にもかかわらず、身元が判明しないようにディックの財布を抜き取っていたことなんですね。殺したわけでもなく、あとから回復すると思っていたのなら身元を隠す必要なんか無いじゃないですか。それとも内心では死ぬかもなあと思っていたということでしょうか。そもそもジークとアールが考えの足りないボンクラどもだからこそこんな行動を取ったともいえますが、なんだか釈然としない行為なんですよね。で、この財布の存在により後々一波乱起こるのですが、結局この一波乱を起こす為に整合性が無いにも関わらず財布を抜く描写を入れたと思えてしまう、その辺で、下手糞なシナリオだなあと感じるのですよ。

それといくら「とんでもない理由」が背後にあったとしても、瀕死の友人を病院前に置き去りにし、その後自己保身と無関心を決め込む段階で情けないダメ人間確定で、そういったダメ人間の行動を「人間の持つ愚かさ」として許容して見る気が起きないんだよなあ。確かにこの映画を観ている自分もこういった「愚かさ」を持っているだろうということは否定しませんが、それをそのまんま映画で観せてしまうのは単に芸が無いと思えてしまうんだよなあ。

結局、頭は空っぽだけれども、大きな図体して大きな車と大きな家を持ってさらには家族まで養っていて、裕福ってわけでもないが悠々自適には生きていけてしまう、そんなアメリカの田舎町に棲息する益体も無い馬鹿のどうしようもなさを描いた作品なのだろうと思うのですが、馬鹿が否応もなくただ単に馬鹿であった、という自明極まりない話を見せられて面白いのか、ということなんですよねえ。少なくともオレは全然面白くなかった。そんなわけでダークコメディとか言いつつ少しも笑えないし楽しめない、ホントにしょうもない映画ではありました。 

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韓国90年代、14歳女子の多感な日々。/映画『はちどり』

■はちどり (監督:キム・ボラ 2018年韓国・アメリカ映画)

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14歳の少女・ウニの多感な日々を描いた韓国映画『はちどり』を観た。2018年製作の本作は日本でも今年6月に公開されて話題を集め、いまだにあちこちの映画館でロングラン公開されている。オレは最初ノーチェックだったのだが、最近韓国映画を多く観るようになったこともあり、この作品がまだ公開されている事を知って、観てやろうじゃないかと思ったのだ。

映画『はちどり』は1990年代の韓国を舞台にしているという。観る前に予習したのだが、この時期韓国は空前と言っていい程の経済成長を遂げ、人々の生活が徐々に変わっていった時期であったのらしい。生活が変わると、生き方や考え方も変わってくる。そういった、ある意味変遷期にあった韓国で、平凡な家庭の14歳の中学生少女はどのような生を生きたのか。これが『はちどり』の物語のテーマとなる。

主人公の名はウニ(パク・ジフ)、餅屋を営む両親の元、三人きょうだいの末っ子として生まれ、今は14歳の中学生だが、勉強はあまり好きではなく、漫画を描くことを趣味としている(ちなみに左利き)。物語で描かれるのはそんな彼女のありふれた毎日だ。共に暮らす両親、兄・姉との愛憎と対立、ボーイフレンドや友人たちとの楽しい日々と突然の仲違い、後輩女子からの告白、クラブに行ってみたり煙草や万引きをしたりの悪い体験、等々など。そんなありふれた毎日の中、ウニは飄々と生きる塾の女性講師へ憧れと信頼を寄せ始める。

映画は徹頭徹尾14歳女子の平凡な日常が淡々と描かれることになる。そして特別に強烈な映画的事件はクライマックスを除き殆ど起こらない。なので、かつて14歳女子だったこともなく、14歳女子に特に心情的共感が存在せず、実のところ14歳女子に別段関心も無い自分にとっては、ただ「ヘェー韓国の14歳女子ってこうなんだー、日本とあんまり変わらんかもなー」となんだかぼんやり観てしまった。ではかつて14歳男子だった自分を重ね合わせみるとどうかというと、「まーこんなもんだったかもねー」と思わないでもなかった。ただそれも、「14歳ってのはまだ子供でもあり既に思春期でもあるから、あれこれ心が不安定なんだよね」程度のものだろうか。だから「14歳あるある物語」みたいなもんだと思って観てしまった。

確かに90年代高度経済成長期韓国の世情、韓国の強権的な家父長制度と男尊女卑問題を物語から汲み取ることは出来はするけれども、日本の高度経済成長期も似たようなものだったろうし、家父長制度は未だに残っているのだろうしジェンダー問題すら手を付けられたのは最近なんじゃないのかという印象があり、この辺りだって日本でもあったしあるよなあと思えて、決して韓国独特のドメスティックな問題が物語の背後にあるととらえなくてもいいと思う。むしろやはり思春期特有のナイーヴさを描いたある意味普遍的な物語として観ておけばいい映画なんじゃないのかな。まあしかしなにしろオレ、もうすっかり年寄りなんで「思春期のナイーヴさ」ってあんまり興味無いのも確かなんだが。

とはいえ、主人公ウニを演じるパク・ジフの自然体な演技がすばらしく、それはむしろ演技とすら感じないほどだった。観ている間中、主人公ウニの側に寄り添って、さざ波の様に静かな彼女の感情の渦を観察しているような錯覚にとらわれた程だ。描かれる日常にも作り過ぎな部分は一切感じず、まるで実際に今このような事が進行しているのだとすら思わせた。こういったリリカルな感情表現とリアリティを感じさせる抑制された演出によって非凡な作品であると感じさせた。

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燃えよ炎の碁石ィ~~~!!ズキューーーンッ!!/映画『鬼手』

■鬼手(きしゅ)(監督:リ・ゴン 2019年韓国映画

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韓国映画『鬼手』は超絶的な腕を持つ棋士たちが己の全精力を懸けて囲碁を打ち合う囲碁バトル映画なんだッ!!

囲碁を打ち合う棋士の皆さん!

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囲碁の真剣勝負!

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熾烈極まりない囲碁試合!

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白熱する囲碁の駆け引き!

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ここが囲碁の試合会場です!

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囲碁のために鍛え抜かれた身体!

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……って、いったいどこが囲碁やねん!!??

……安心してください、この『鬼手』は間違いなく囲碁映画です!囲碁映画なんだってば!!

物語はこんな感じ:

姉を死に追いやった天才囲碁棋士を倒すため、少年グィスは旅に出た!

グィスの辿り着いたのは山奥の廃寺!

そこでグィスは血の滲むような修行を積み、遂に究極の囲碁の技を会得する!

やがて青年へと成長したグィスは、裏社会で賭け囲碁を打つ猛者どもを次々と血祭りに上げてゆく!

じわじわと敵である天才囲碁棋士に近付いてゆくグィス!

そこに、グィスに過去の恨みを持つ男が刺客として襲い掛かる!

いやー、囲碁ですねー、まさに囲碁バトルストーリーですよねー。

え、なに?

「それ復讐テーマの格闘映画そのまんまやん?」

いやあのえーっと、まーその、その通りなんだけどね!でもね!「格闘」を「囲碁」に置き換える、その発想の転換が凄いじゃないか!というより、そもそも囲碁のシーンと格闘のシーンがほぼ半々(しかも囲碁映画なのにほとんど血塗れ)なので、「囲碁バトル映画」というよりは「囲碁+バトル映画」という事もできるね!え?囲碁映画なのになんでバトルシーンがふんだんに盛り込まれるのかって?そりゃあそのほうが面白いからに決まってるじゃないか!

格闘も囲碁も別格の腕を持つ主人公の敵もスゴイ!どいつもこいつもイッっちゃってる!賭け囲碁に負けると殺し屋を差し向けるヤクザ者!敗者の腕を切り落とす霊能力者!殺人囲碁盤(!?)を持つサイコパスさらにその試合会場となるのも線路の上!とか100人組手!とか、なんか書いていて自分でも訳が分からない!

というか、観ていてふと思ったけど、みんなそんな大金や命まで賭けてしまうほど囲碁好きなのか!?そんなに囲碁が大人気なのか!?猫も杓子もヤクザ者もみんな囲碁の虜なのか!?というオレにはよく分かんない世界線にある物語で、囲碁の世界の大いなる謎と神秘を思い知らされた思いでありました!なんかもーあれこれ訳が分かんないくらい物凄くて、あまりのことに時々「ぷっ」と笑っちゃったけどね!でもそれを大真面目にやり通したのがこの映画の底力だと思うな!囲碁好き、格闘映画好き、そしてとんでもない映画を観てみたい人は是非劇場に足を運んでくれ! いやそれにしても毎度思うが、韓国映画、凄すぎ!

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ビール問題

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長い梅雨が終わりいよいよ夏到来である。夏といえばビール。いや他にもいろいろあろうが、なんと言っても第一にとりあえずビールなのではないか。まずビールさえ確保してしまえばあとは取るに足らない些末なことなのではないか。と、斯様に思う訳なのである。

最近よく飲むビールの銘柄はサッポロビールだ。この間まではキリンビールが多かったが、どうも重たく感じてきてしまい、さっぱりした飲み口とのど越しのサッポロビール一辺倒になってしまった。発泡酒とやらは残念だが飲み物として認めていない。だから飲まない。ドイツビールやベルギービールも好きで、そういったお店に行ってよく飲むけれども、家呑みなら国産のカジュアルなビールで十分だと思っている。というか、ガバガバ飲んでしまうような人間なので、お高いドイツビールやベルギービールは家呑みにするには勿体ない。

ビールは缶で買ってくるが、この時買ってすぐ飲むのではなく冷蔵庫で一日寝かせ落ち着かせたものを飲むのが望ましい。飲むときはグラスに注いで飲む。オレは冷凍庫にビール専用としているグラス2つとさらにジョッキをキンキンに冷やして置いており、これを使用する。飲む缶ビールが2個3個と増えた時は温くなったグラスを冷たいグラスに替えて飲む。そういえばビールを注ぐとき泡立てるのが重要とされるが、オレは実はあまり泡を立てないほうが好みだ。ビールに要求されるようなきめ細かな泡を立てるのは結構難しく、下手にやるとぼやけた味の温い泡となってしまうからだ。

さてなにしろ暑い夏、汗ダラダラの暑い仕事をようやく終えて家に帰り、ここでキンキンに冷えたビールを一発キメてやるぜ!という流れになるのだけれども、ここでひとつ問題がある。それは「家に帰ってどの段階でビールを飲むのか」だ。

既に喉はキンキンのビールを求めている。だから家に着き汗で濡れたシャツを身体から剥ぎ取っていの一番でビールをゴキュゴキュやりたいのは山々だ。しかしだ。もうひとつ、汗だくで帰って来たならシャワーも浴びたいではないか。確かにビール一発キメてからシャワーでもいいかもしれない。でもそれは堪え性が無さ過ぎるというものではないか。ここはひとつ「まずシャワーを浴びようか」とやるのが大人の男ではないか。それが社会人というものであり紳士というものではないか。

とまあここでシャワーを浴びてからビールを飲むとしよう。いやまて。晩飯はどうなる。自炊を習慣とし、なるべく滋養豊かなものを食そうと心掛けるオレとしては、ビールを先に飲んでしまうと料理が疎かになりはしないかと考えてしまのだ。さらに、ビールの最大のつまみこそがその日の夕食であり、すなわちビールと夕食は切っても切り離せないものであり、先にビールなんぞを飲んでしまったら「ビール+夕食」の醍醐味が味わえないではないか。

つまりオレにとって「家に帰ってどの段階でビールを飲むのか」問題は、1.家に帰ってすぐ 2.シャワーを浴びた後 3.夕食を作って食べながらの三択問題なのである。もちろん最良なのは「3.夕食を作って食べながら」である。しかしだ。家に着いた段階で既に喉はカラカラ、頭の中はビールで一杯になっているオレに取って、その前段階としてシャワーも浴び、さらに夕食を作っての後にビールというのは、もう焦らしに焦らしまくるイケズな美女に手玉に取られているかのような行き場の無い憤懣と通じるものがあるのである。

確かに焦らされるのが快感、というのもあることはある。いかに耐えて耐えて耐え忍んで、ようやくの思いでビールに辿り着いた時に得られる達成感と解放感は格別のものと言える。登れぬ山は無く超えられぬ谷は無く渡れない河は無い。それらはビールを飲むためには何の障壁にもならないのだ、というマーヴィン・ゲイの歌の如きものである。そしてそれは幾多もの労苦を乗り越えて遥か天竺に辿り着いた三蔵法師とそのしもべたちの如きものである。遥かな世界その国の名はガンダーラガンダーラガンダーラ愛の国ガンダーラ

とはいえ、オレは三蔵法師の如き聖人ではない。その辺のしょぼくれた、ちょっと汚い、だいぶ胡乱なおっさんである。大人しく我慢しきれるような堪え性のある人間では全く無い。そもそも堪え性のある人間なら毎晩毎晩「ビール!ビール!」と益体も無く連呼する様な爛れきった日々を送る訳がないではないか。だからこそ適当な所で妥協せねばならないのだ。綺麗事なんて言ってられるか。大人は汚れてるんだ。ホントは下品なおっさんなんだ。エッチな話なんか大好きだぞ。どうだ参ったか。

とまあ、ここまで自分を貶めて、そこでオレはようやく自分の規範と欲望に折り合いをつけるのである。という訳でどうするのか。すなわち、帰ったら飲み、シャワーを浴びて飲み、飯を食いながら飲み、食い終わったら飲み、歯を磨いてから飲み、さらに寝る前に飲むのである。そうさオレはいつだってご機嫌さ。ビールの神は天にいまし、全て世は事も無しなのである。Byロバート・ブラウニング

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F・スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を読んだ。

グレート・ギャツビーF・スコット・フィッツジェラルド

グレート・ギャツビー

ニューヨーク郊外の豪壮な邸宅で夜毎開かれる絢爛たるパーティ。シャンパンの泡がきらめき、楽団の演奏に合わせて、着飾った紳士淑女が歌い踊る。主催者のギャツビーは経歴も謎の大富豪で、その心底には失った恋人への焦がれるような思いがあった…。第一次大戦後の繁栄と喧騒の20年代を、時代の寵児として駆け抜けたフィッツジェラルドが、美しくも破滅的な青春を流麗な文体で描いた代表作。

グレート・ギャツビー』、あるいは『華麗なるギャツビー』については随分前からタイトルだけは知っていた。それは小説としてではなく1974年に公開された監督:ジャック・クレイトン、主演:ロバート・レッドフォードによる映画『華麗なるギャツビー』からである。映画自体は観なかったが、その頃は「貴族趣味な上流階級が主人公の、オレには関係のない世界の話」だと思い込んでいた。しかしその後バズ・ラーマン監督作である映画『華麗なるギャツビー』(2013)を観てそのあまりの素晴らしさにオレは呆然とした。これは是非原作小説を読まなければ……と思いつつ幾年月、最近やっと小説を手にした。そしてこれがまた、やはりひたすら素晴らしい作品であり、オレは陶然としながら読み終わった。

グレート・ギャツビー』には様々な翻訳が出ているが、今回オレが手にしたのは新潮社から出ている野崎孝訳の文庫である。ちなみに上の書影とは違う表紙絵で、こちらはギャツビーのものと思われる豪邸を背景にイエローのクラシックカーが大きく描かれたものとなる。

グレート・ギャツビー』は第一次大戦後の好景気に沸く爛熟のアメリカ、そのニューヨーク郊外が舞台となる。最近ここに越してきた青年ニックの隣には謎の大富豪ギャツビーの邸宅があった。夜毎派手なパーティーが行われるこの大邸宅でニックは若々しい青年ギャツビーと出会い、友情が芽生える。そしてニックはギャツビーが、ニックのいとこであり既に富豪の人妻となって暮らす女ディズィに、一途な恋情を抱いていることを知らされるのだ。

優れた文学小説というものはどれもそうだが、『グレート・ギャツビー』の物語も表層から深部に至る様々なレイヤーで形作られており、それを読み解くならば単純な見てくれを持ちながら複雑な含意が込められた物語であることが分かってくる。

まずその単純な表層となるのはこれがラブロマンスの物語であり、その悲恋を扱ったものであり、またアメリカ上流階級の煌びやかな生活を描いたものだという事である。ギャツビーは人妻に横恋慕しており、その人妻ディズィもまたギャツビーを愛するようになる。これも卑俗に言うならば不倫物語であり、ハーレクイン小説となんら変わらないものに思えてしまうが、もちろんそれだけの物語ではない。実はギャツビーは数年前ディズィと出会い恋をするが、ギャツビーは戦地へ出征することになり、結局ディズィはトム・ブキャナンという富豪と結婚してしまう。ギャツビーはこのブランクを取り戻すためにあらゆる努力を払い富豪に上り詰め、ディズィを再び手に入れるため全ての準備を整えていたのだ。

ここに第一次世界大戦とそれに出征し、故国に再び戻って来た者たちが出遭う空白と空虚の物語が明らかになる。さらに大戦がもたらしたアメリカ史上最大の好景気とその好景気の中で莫大な富を得、浮かれ騒ぐ人々の喧騒と頽廃が重ね合わされる。ギャツビーがディズィを失ったのは戦争のせいであり、またギャツビーが富を手に入れたのも戦争の賜物であった。ギャツビーが富を得たのは後ろ暗い仕事によってであったが、それは上り調子の経済の中にあっては不道徳が見過ごされることがままあるからだ。アメリ20年代ロスト・ジェネレーションと呼ばれる世代がここで浮かび上がってくる。さらに好景気に沸くアメリカの陰に存在する野放図な商売とそれに関わる人々とがあからさまになる。その野蛮さと強欲さは、そのままアメリカ社会の一面であったことをうかがわせる。

もう一つ、この物語の語り手であるニックはアメリカ中西部の出身であり、そしてギャツビーもまたもともと中西部出身であることが後に分かってくる。いわば二人は田舎者だったのだ。彼ら二人が居を移したアメリカ東部は大都市ニューヨークに代表され煌びやかな都会であり、そこに住まう人々も経済的に豊かであると同時に功利的で冷淡な住民性を持っており、そういった華やかな土地で暮らすことの愉悦を得るのと同時に薄情な人間関係にもまたさらされることになる。

もともと無一文な兵卒でしかなかったギャツビーがなぜディズィに恋をしたのか。それはディズィが上流階級の子女であり、その輝きを一身にまとった女だったからであった。貧乏人の田舎者が羨望し心蕩した女ディズィ。ギャツビーにどこか「恋に恋する」ような勘違いを感じるのは、ギャツビーが愛し固執したのがディズィの持つ上流階級という属性であったからなのかもしれない。そして自らも上流階級となったギャツビーは、晴れてディズィに相応しい男になった筈だったのだ。

ここに貧富による格差と、それを乗り越えようとする成り上り者の意志を見て取ることができる。そしてギャツビーはまさにそれを遣り遂げた男だ。アメリカン・ドリーム、大きな夢さえ持っていれば必ず叶える事が出来る、そんなアメリカ社会と、どこまでも機関車の様に邁進するアメリカ人の覇気を体現した者がギャツビーなのだ。そしてそれと対比するように、「灰の谷」に代表される、決して浮かびあがることの出来ない経済的敗残者の姿もこの物語では描かれる。

さらに、中西部出身者がアメリカ東部に感じる違和感、居心地の悪さ、その冷淡さへの嫌悪もまたこの物語では描かれる。それはギャツビーとニックが出逢う様々な人々の様子から見て取ることが出来る。結局、ディズィも、その夫であるトムも、金持ちであることを除けば単なる凡俗であり限りなく保守的な利己主義者でしかない。『グレート・ギャツビー』における悲劇の根源は、この「金を持っているだけの凡俗」たちの自己保身と無関心によって引き起こされた、と見る事もできる。しかし、凡俗であることは決してそれだけで責められるものではない。そういう人々であり、そういう社会だった、という他にない。ただ、それら凡俗の中で、ギャツビーだけが、常に前のめりになり、遮二無二自己実現を成そうとし、己の愛に対して真摯であろうとした。そのひたむきさが、ギャツビーが「グレート」であった証だったのだ。

物語後半、ニックがギャツビーにこう語り掛けるシーンがある。

「あいつらはくだらんやつですよ」芝生越しにぼくは叫んだ。「あんたには、あいつらみんなをいっしょにしただけの値打ちがある」(p254)

剣呑な凡俗たちの中でただ一人、「値打ち」のあった男ギャツビー。あふれんばかりの輝きと、その輝きの裏に深い闇と悲しみを持った男ギャツビー。全てを手に入れ、全てを失った男ギャツビー。小説『グレート・ギャツビー』は、狂乱のアメリ20年代に生きた一人の男のさまよえる魂を詠いあげた挽歌であり、その後待ち受ける1930年代の大恐慌へと続くアメリカ経済そのものの挽歌であったのかもしれないと思うのだ。『グレート・ギャツビー』、それはアメリカの偉大さと、その偉大さが潰えてしまう光景を描いた物語だったのではないだろうか。

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