最近聴いたエレクトリック・ミュージック/Anjunadeepレーベルがエモ過ぎる件について

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「最近こればっかり聴いている」というのがAnjunadeepレーベルからリリースされている様々なアルバムだ。ジャンルとしてはプログレッシヴ・ハウスの範疇に入るのだが、プログレッシヴ・ハウスという言葉から連想する大箱中心の産業ダンス・ミュージックとは一味も二味も違うのだ。Anjunadeepのトラックは、どれもとてつもなくメロディアスであり、繊細で美しく、さらに【エモい】のである。

Anjunadeepはロンドンを拠点とするインディペンデント・レコード・レーベルである。Anjunabeatsレーベルから派生する形で2005年にAbove&BeyondとJames Grantによって設立され、これまで300作にのぼるトラックをリリースしている。Moon Boots, Way Out West, Dusky and Michael Cassetteといったアーチストを擁し、James Grant & Jody WisternoffによるMixはiTunesチャートのトップ・コンピレーションシリーズとして注目を浴びている。Anjunadeepがリリースするトラックはどれもタイムレスでソウルフルでメロディックなエレクトロニック・ミュージックだと言っていい。ちなみにレーベル名にある「Anjuna」とはインド:ゴアにあるビーチの名に由来するという。

■Anjunadeep 11 / Jody Wisternoff & James Grant 

Anjunadeep 11 - Mixed By Jody Wisternoff & James Grant

Anjunadeep 11 - Mixed By Jody Wisternoff & James Grant

 

最初に聴いたAnjunadeepのMixアルバムはこの作品だった。憂いを帯びたメロディはどこまでも美しく包み込むようなエモーショナルさに満ち、一曲一曲が単にDJ Mixのパーツではなくそれぞれに完成度の高い楽曲なのである。まるでよく出来たエレクトリック・ミュージックのコンピレーションを聴かされているようだ。BPMも抑え気味で、リスニングに非常に適している。この曲なんか実にいいじゃないか。


Leaving Laurel - Through And Through

■Anjunadeep 10 / James Grant & Jody Wisternoff  

Anjunadeep 10

Anjunadeep 10

  • 発売日: 2019/02/22
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

それから遡ってAnjunadeepのDJ Mixアルバムを漁ってみるようになった。これは2019年リリースの「Anjunadeep 10」。D/LだとMixとは別に全曲のUnmixトラックが収録されている。ここではそのMini-Mixを紹介。


Anjunadeep 10 Mini-Mix (Mixed by James Grant & Jody Wisternoff)

■Anjunadeep 09 / Jody Wisternoff & James Grant 

Anjunadeep 09

Anjunadeep 09

  • 発売日: 2017/10/27
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

さらに遡り2017年リリースの「Anjunadeep 09」 。DJ Mixアルバムなのに静謐な音に満ち溢れているのが特徴だ。この曲なんかは少々ソウルフルだったな。


Dusky - Square Miso (Anjunadeep 09 mix)

■Anjunadeep 8 / James Grant & Jody Wisternoff    

Anjunadeep 08

Anjunadeep 08

  • 発売日: 2016/12/09
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

もっと遡り2016年リリースの「Anjunadeep 08」。これもダンスミュージック・アルバムというよりはコンテンポラリー・ミュージック集と言っていいぐらい穏やかな音に溢れていた。この曲なんかいいぞ。


Way Out West - Oceans feat. Liu Bei

■Hardly A Day Hardly A Night / Cubicolor 

Hardly A Day, Hardly A Night

Hardly A Day, Hardly A Night

  • アーティスト:Cubicolor
  • 発売日: 2020/02/21
  • メディア: CD
 

ここからAnjunadeepからリリースされているアーチストのアルバムを紹介。このCubicolorはアムステルダム/ロンドンを拠点に活躍するエレクトロニックバンド。なにしろセンチメンタルかつメランコリックな曲調が最高に素晴らしい。特にこの曲「Hardly A Day Hardly A Night」はオレがAnjunadeepにどっぷりのめりこむようになった決定的な1曲。ああ……いいわあ……。


Cubicolor - Points Beyond (Official Lyric Video)

■Into Clouds / Luttrell

Into Clouds

Into Clouds

  • 発売日: 2019/01/31
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

サンフランシスコ在住のメロディック・ハウス・プロデユーサー、Luttrellが2019年にリリースしたアルバム。特にこの曲「Out Of Me」の美しくドラマティックな展開には徹底的にヤラレた。


Luttrell - Out Of Me

■Lucky Ones /  Luttrell

Lucky Ones

Lucky Ones

  • アーティスト:Luttrell
  • 発売日: 2020/03/13
  • メディア: CD
 

そのLuttrellが2020年3月にリリースしたニューアルバム。 どの曲もグレードアップしており、同時に力強いポジティビティを感じさせる。


Luttrell - Lucky Ones (Official Music Video)

■Bimini Road / Moon Boots

Bimini Road

Bimini Road

  • アーティスト:Moon Boots
  • 発売日: 2019/09/06
  • メディア: CD
 

N.Y.ブルックリン生まれのニューディスコ・プロデユーサー、Moon Bootsが2019年にリリースしたアルバム。全体的にポップで非常に親しみやすい曲調なのが特徴。
Moon Boots - Tied Up feat. Steven Klavier (Official Music Video)

映画『地獄の黙示録』の原案にもなったジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』を読んだ

■闇の奥 / ジョゼフ・コンラッド

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船乗りマーロウはかつて、象牙交易で絶大な権力を握る人物クルツを救出するため、アフリカの奥地へ河を遡る旅に出た。募るクルツへの興味、森に潜む黒人たちとの遭遇、底知れぬ力を秘め沈黙する密林。ついに対面したクルツの最期の言葉と、そこでマーロウが発見した真実とは。

 オレが戦争映画で最も好きな作品は『地獄の黙示録』である。完成度云々というより、あのグダグダな混乱ぶりも含めて好きなのだ。そして『地獄の黙示録』といえば原案となった小説『闇の奥』だ。しかし『地獄の黙示録』のことを語る時必ず『闇の奥』を引き合いに出していたにもかかわらず、オレはこの小説を読んだ事がなかった。これは「ヒッチコック的手法」とか言いつつヒッチコック作品を一本も観ていないような不誠実さである。で、これじゃあイカンと思い、やっと今回読んでみることにしたわけだ。

『闇の奥』は英国人作家ジョゼフ・コンラッドが1899年に発表した小説である。物語は船乗りである主人公マーロウが商用船でアフリカのコンゴ川を遡り、その奥地で原住民たちに権勢を振るうというクルツという男を見つけ出そうとする物語となる。ランダム・ハウス、モダン・ライブラリーが選んだ「英語で書かれた20世紀の小説ベスト100」に選出され、村上春樹の『羊を巡る冒険』『IQ84』にも影響を与えたとされる文学作品だ。

でまあ、読んでみたわけなのだが、最初暗鬱かつ晦渋そうなイメージの作品だったにも関わらず、読んでみるとスルスルと結構呆気ないくらいに読み終えた。作品の長さ自体が中編程度のボリュームだったのと、光文社の新訳で読んだせいもあったかもしれないが、とにかく最初のイメージとは逆に軽快なぐらいの語り口調の作品だった。内容はなにしろアフリカ大陸の「闇の奥」へと分け入ってゆく物語なのだが、そこで鬱蒼としたジャングルやら得体の知れない原住民と出会いつつも、主人公マーロウが一貫して内省に至らず「19世紀的なタフな船乗り」としてそれらをやり過ごしてゆくのだ。

物語の構成からこの作品が欧州による当時の帝国主義植民地主義、黒人人種差別の様子を炙り出したものだと捉えられがちだが、むしろオレにはもともと船乗りであった作者が描いた暗黒大陸冒険譚にすぎないように思えた。もちろんこれは「あえて薄っぺらく読むならば」という但し書きが付くが、それではなぜこの物語が文学的に重要な作品と呼ばれるのか、ということを考えるならば、それは帝国主義やら差別やらの問題提起ではなく、「訳の分からない土地に行って容易くアイデンティティ・クライシスを起こしてしまう欧州人の心理的脆弱さ」を暴いてしまったからではないかと思えるのだ。

映画『地獄の黙示録』において謎なのは、クライマックス、瀕死となったカーツ大佐が呟く「恐怖だ、恐怖だ」という言葉の意味だ。ジャングルもベトナム戦争もそりゃあ恐怖に違いないが、ベトナムの奥地で専制的な王国まで築いた男が、いまわの際に今更のように「こわいようこわいよう」などと泣き言を言うだろうか。そして原作であるこの『闇の奥』でも、カーツ大佐の如く原住民たちに祀り上げられたクルツという白人が、死に瀕しながらやはり「怖ろしい!怖ろしい!」と呟いて息絶える。原作でもここが唐突であり、この「恐怖の本質」とは何だったのか、という解釈の多様さが『闇の奥』を問題作たらしめているように思う。

この「恐怖の本質」が何かということは、今作に登場する欧州人たちが基本的にキリスト教的伝統の中にある存在だと考えることで導き出すことができる。キリスト教的伝統の中にある欧州人にとって、原生自然(wilderness)とは楽園の対極である呪われた大地であり、それに対するキリスト教的態度は「征服」「支配」なのだ。自然とはそもそもが「野蛮」であり「徹底した不法の状態(ヘーゲル『歴史哲学講義』)」であり、それは人間によって支配されるべき対象なのだ。同様に黒人とは「野蛮」の状態にあるがゆえにそれも支配されるべき対象となるのだ。

すなわち『闇の奥』における「恐怖の本質」とは、「征服も支配もできない”原生自然”に飲み込まれてしまうことへのキリスト教徒的な恐怖」と、「そこに飲み込まれ”原住民=黒人”と同化することへのキリスト教徒的な恐怖」だったのではないか。すなわちそれはキリスト教徒的なアイデンティティを喪失・譲渡してしまうことの恐怖なのではないのか。硬直的なアイデンティティは、それが硬直的であるからこそ逆に脆いものだ。『闇の奥』、そして『地獄の黙示録』における「恐怖の本質」とは、「教化され文明化している筈の自己(欧米白人)が異文化の中であっけなく自己崩壊すること」の恐怖だったのではないだろうか。 

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

 
闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)

闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)

 
闇の奥

闇の奥

 
闇の奥

闇の奥

 

 

ジョン・ル・カレ・スパイ小説の総括ともいえる長編『スパイたちの遺産』

スパイたちの遺産/ジョン・ル・カレ(著)、加賀山卓朗(訳)

スパイたちの遺産 (早川書房)

スマイリーの愛弟子として幾多の諜報戦を戦ってきたピーター・ギラムは、老齢となり、フランスの片田舎で引退生活を送っていた。ある日、彼は英国情報部から呼び出され、警くべきことを知らされる。冷戦のさなか、“ウィンドフォール”作戦の任務についていた英国情報部員アレック・リーマスは、その恋人エリザベスとともに、ベルリンの壁東ドイツ側に射殺された。そのリーマスの息子とエリザベスの娘が、親の死亡した原因は英国情報部にあるとして訴訟を起こそうとしているというのだ。ギラムとスマイリーの責任も問う構えだという。現情報部は“ウィンドフォール”作戦について調べようとしたが、資料は消えていた。スマイリーの行方も杳として知れない。厳しい追及を受け、ギラムはやむなく隠した資料を引き渡すが…。やがて明かされる衝撃の事実とは?そして、訴訟の行方は?魅惑的な設定で描く『寒い国から帰ってきたスパイ』『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』の続篇!

スパイ小説界の重鎮、ジョン・ル・カレは割と好きな作家である。 最初に読んだのはアラブ爆弾テロ組織を追う『リトル・ドラマー・ガール』だったが、その重厚で緻密な描写、そして透徹したストーリーにガツンとやられてしまった。以後作品を遡り、「スマイリー三部作」を中心とした作品を読み続けるようになった。

ル・カレ作品は単純に言うなら「スパイ小説」なのだけれども、それは007的な胸のすくアクションを描くのではなく、冷戦構造の只中で任務を遂行する諜報員たちの、「誰も何一つも信じられない」という異様なまでのパラノイアックな状況を描く物語だった。この異様さが、東西冷戦という政治状況とも、スパイという特殊な職業とも離れ、現代社会を生きる人々の、ひとつの業病ともいえる心理状況と酷似していたからこそ、ル・カレ作品は多くの人の支持を集めたのではないかと思う。

とはいえ、そんなル・カレ小説も、彼の小説のもうひとつ顕著な特徴でもある晦渋な展開の在り方に疲れてあまり読まなくなってしまっていた。冒頭から雲を掴むような曖昧模糊とした状況が続き、何が正しく間違っているのか分からない宙ぶらりんとなった精神状態で読み進めなければならないのだ(とはいえまさしくそれが「諜報」という世界の実態を表現しているのだが)。ただしその冒頭さえ我慢すれば真相が明らかになる後半へ雪崩れ込むカタルシスは素晴らしいんだけどね。

そのル・カレの今のところの最新作がこの『スパイたちの遺産』である。なんでもル・カレの出世作『寒い国から帰って来たスパイ』と映画『裏切りのサーカス』原作でもある『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』の後日譚を描くものらしい。『寒い国から~』が1963年作、『ティンカー~』が1974年作であることを考えると、2017年作であるこの『スパイたちの遺産』は50年近くを経て書かれた後日譚という事になるのだ。なんという気の長さというか揺るぎなさというか、確かにル・カレらしいかもしれない。

とはいえ、『寒い国から~』も『ティンカー~』もオレは読んではいるが、それも数十年前の話だ。『ティンカー~』こそ映画化作品を数年前観ているが、『寒い国から~』ともなると粗筋などまるで忘れている。熱狂的なル・カレ・ファンは「前2作を読み直してから読もう」などとも言うが、オレにはそんな時間的体力的な余裕がない。という訳で前2作の記憶が殆ど無いまま読み始めたが、これが意外と問題なく読み進められたばかりか、なんと今作ではル・カレ小説であるにもかかわらず冒頭からスルスルと物語が頭に入って来た。

『スパイたちの遺産』は『寒い国から~』において犠牲となった諜報員の遺族が当時の作戦実行者を相手取り訴訟をほのめかす、という物語である。主人公は『ティンカー~』に登場し、現在英国情報部を退職しているピーター・ギラム。彼は法務省職員から当時の作戦の実態を明らかにせよ、と尋問を受けるのだ。

ここで描かれるのは「戦後処理」という問題である。冷戦構造の中で自らの属する国家と組織の為に冷徹な作戦を指揮し実行していた諜報部員が、冷戦終結後の世相の中情報開示を求められ、現代の実相に照らすならあまりに非人間的だったその作戦の顛末を追及されるというわけなのだ。すなわちタイトル『スパイたちの遺産』とは、冷戦構造が生んだ「負の遺産」ということなのだ。同時にこれは、当時と現代との、「政治的公正さ」の在り方の変化、つまりは時代の変化を描いたものでもあるだろう。個人を飲み込み犠牲にしながら存続してきた国家というものの在り方に(半ば自己反省的に)言及しようとしているのが本作なのだ。

こうして物語は主人公ギラムの回想の形で、『寒い国から~』の作戦の裏側で動いていた諜報員たちの活動、さらにギラムが関わったもう一つの作戦の顛末とが明らかにされてゆく。ここで知ることが出来るのは、冷徹で非人間的な作戦を遂行しながら、その中で心を挽き潰されてゆく諜報員たちの人間的要素だ。彼らは国家のため、そしてその庇護にある国民のため、諜報員という”汚れ仕事”をこなし続けてきたが、冷戦構造終結後にその大義が揺らいだ時、彼らの胸に去来するのはどんな思いなのか、ということだ。クライマックスにおけるジョージ・スマイリーのこの言葉が、あまりにも痛く突き刺さってくる。

「われわれは無慈悲だったのではない、ピーター。無慈悲だったことは一度もない。むしろ大きな慈悲の心を持っていたのだが、おそらくそれを向ける先をまちがえた。無駄な努力だったのは確かだ。いまはそれがわかる。当時はわからなかった」

「無駄な努力」であったことを認めざるを得ない、その虚無。平和の名のもとに様々なものを犠牲にし尽くしてきたことへの後悔。こうして『スパイたちの遺産』はル・カレ・スパイ小説の総括であり終章ともいえる哀切に満ちた作品として完成していたのだ。

スパイたちの遺産 (ハヤカワ文庫NV)

スパイたちの遺産 (ハヤカワ文庫NV)

 
スパイたちの遺産 (早川書房)

スパイたちの遺産 (早川書房)

 

 

映画館もやってないのでタイトルだけ知ってて観たことのなかった巨匠映画監督の作品をあれこれ観ていた

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タイトルだけ知ってて観たことのなかったシネフィルな作品をまとめて観た

基本的にオレはただただドンパチしてるだけのIQの低い映画や観た後すぐ忘れるようなひたすらしょーもない映画を頭をボンヤリさせつつウヘヘ……とか半笑いしながら観るのが大好きな怠惰極まりない人間なのだが、時たま意味不明な向上心がメラメラと燃え上がり、「世界の名だたる巨匠の撮った素晴らしい名作映画を観ておかなければ!」などと思い付き、アマゾンでそんな映画のDVDやらブルーレイを逆上気味にポチッてしまう事があるのである。まあオレもちょっと見栄はってみたくなるんだよ!

ただそんな名作映画のディスクを買っても実際観ようとしたら案の定なーんだか退屈で全然観ることが無い。まあなにしろオレだしな。しょうがないだろ。で、そんな生活をしてると「観ていない名作映画DVD」がたっぷりと溜まり、それらのDVDジャケットを眺めながら「いったいどうすんだよこれ……」と暗澹たる気持ちになってしまうのである。

ところが昨今の新型コロナウィルス騒ぎで映画館が軒並み休業し、新作ソフトも発売されず、観たい映画は殆ど観てしまっているという状況が訪れ、そんな時に5月の連休が到来してしまったのだ。まあネトフリやらアマプラには入ってるのでそれらでしょーもないドラマでも観ていればいいのかもしれないが、実はオレはドラマってヤツが嫌いで殆ど観ないし、観てもそのあまりの薄っぺらさに辟易してすぐ観るのを止めてしまうで、全く役に立たない。

そこで思い出したのが最初に書いた「観ていない名作映画DVD」である。ああ、もういよいよこれを観るしかないのか……とオレは観念したのである。というわけで今日はそれらオレの部屋に死蔵されていた「観ていない名作映画DVD」の鑑賞記録を付けておくというわけである。なお、オレは映画的知識というのとはひたすら無縁の男であり、そればかりか映画的知識とかいうのを憎んでさえいる男なので、ここで書かれていることには何一つ有用な蘊蓄が無いばかりかひたすら軽薄かつ適当かつ的外れな感想しか並んでいないだろうことはお断りしておく。一言で言うならなんのタメにもならないアホ感想である(開き直り)。では行ってみよう!

サクリファイス (監督:アンドレイ・タルコフスキー 1986年スウェーデン/イギリス/フランス映画)

サクリファイス [Blu-ray]

サクリファイス [Blu-ray]

  • 発売日: 2019/09/04
  • メディア: Blu-ray
 

ロシアの巨匠アンドレイ・タルコフスキーの作品。実際に観たのは随分前に購入したDVD版。物語は煎じ詰めると核戦争勃発をド田舎で知ったインテリ欧州人があとはもう神に祈るしかないんだ...…と己の信仰の在り方を掘り下げようとする話である。しかし実際観た感想としては、耶蘇教にかぶれた爺いが世界終末戦争の妄想に囚われ「終末を止める為にはマリアっちゅう娘といたさねば!」と勘違いして夜這いかけた挙句、気が付けば世界は終わってなんかいなくて「よし神様に捧げ物を!」とばかりに自分ち燃やして最後に救急車に連れてかれるという狂った物語、とオレには思えてしまった。あのなあ、祈ってないでモンスターマシンを駆ってガソリン求めてヒャッハー!するのが先決だろッ!?結局信仰に凝り過ぎたインテリ欧州人が理屈捏ねまくった挙句どんどん悲観的な事しか考えられなくなっちゃうって話に思えちゃうんだがなあ。ただし撮影はすんばらしく美しい。特に前半の一軒家の中のシーンではカメラがゆっくりと縦横に動きながら複数の登場人物がそれぞれに独白する場面を一人一人捉え、そのどれものシーンの構図が絵画の様にカッキリ美しくキマっている、という部分は息をのんだ。あと鏡を使って一つの場面に二つの視点を設けるとか驚かされたな。 

甘い生活 (監督:フェデリコ・フェリーニ 1960年イタリア/フランス映画)

甘い生活 Blu-ray

甘い生活 Blu-ray

  • 発売日: 2015/04/24
  • メディア: Blu-ray
 

イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニの最高傑作と謳われる名作。いやこれが実に複雑な風味の作品だった。なにしろ3時間余りある作品なのだが、確たる物語があるというわけではなく、ゴシップ記者を主人公としながら彼がローマの街を彷徨う姿を確信犯的にとりとめなく描いているのだ。しかしひとつひとつのエピソードに注視するなら、そこにはヨーロッパ上流階級の退廃と悲哀、喧騒と虚無が描かれ、ある意味非常にフェリーニらしい混沌とした作品に仕上がっている。ただし決して暗鬱な作品ではなく、可笑しみも愛も編み込まれ、それら全てが止まらないメリーゴーランドのようにぐるぐる回っている、そんな映画だった。ところで主演のマルチェロ・マストロヤンニ、モノクロ画面でも分かってしまう程に相当に仕立てのいいスーツ着てなかったか?さすがのイタリアものってヤツか。あとマストロヤンニの睫毛が異様にパチパチして見えたがやっぱりつけ睫毛だったんだろうか……。

バリー・リンドン (監督:スタンリー・キューブリック 1975年イギリス/アメリカ映画)

バリーリンドン [Blu-ray]

バリーリンドン [Blu-ray]

  • 発売日: 2012/11/07
  • メディア: Blu-ray
 

アメリカ出身、『2001年宇宙の旅』で知られる鬼才スタンリー・キューブリックの作品。 実際観たのはDVDで、しかも上下左右が黒縁になってるという仕様の画面だった……。さてキューブリック、さきの『2001年』や『時計仕掛けのオレンジ』、『シャイニング』に『フルメタル・ジャケット』、『博士の異常な愛情』あたりで有名な監督で、オレもどの作品も一通り観ているが、それ以外の作品となるとあまり取り沙汰されないんじゃないのか?この『バリー・リンドン』は18世紀欧州を舞台に1人の男の栄枯盛衰を描いた歴史モノなんだが、アカデミー賞4部門を受賞しているにもかかわらず、なんかこう地味な印象であまり食指が動かなかったんだよな。しかも3時間もありやがるんだよ。でまあ実際観てみると予想通りひたすら地味な内容でな……。ただこの作品、聞くところによると完璧主義者キューブリック時代考証からなにから一分の隙も無く作り上げ、あたかも当時の情景をそのまま撮ったかのように見せる為徹底的に自然光にこだわり、蝋燭の炎でも写るカメラを開発しちゃった、という伝説的な作品で、多分映画史的には相当重要であることは確からしいんだがな。とはいえ、やっぱり物語はやっぱり地味でなあ……なんかこう、いつもピザ食ってるような舌で高級とらふぐの刺身を食って繊細すぎて味が分からん、といった敗北感を感じてしまった……。

羅生門 (監督:黒澤明 1950年日本映画) 

羅生門 デジタル完全版 [Blu-ray]

羅生門 デジタル完全版 [Blu-ray]

  • 発売日: 2009/02/06
  • メディア: Blu-ray
 

世界に名だたる日本の巨匠、黒澤明監督作品。なんとデジタルリマスター完全版ブルーレイで観た。この『羅生門』、日本映画として初めてヴェネツィア国際映画祭金獅子賞とアカデミー賞名誉賞を受賞し、黒澤明や日本映画が世界で認知・評価されるきっかけとなった作品として有名でもある。原作は芥川龍之介の『藪の中』。物語は平安時代を舞台に一つの死体に関する3人の異なった証言を描きながら結局真相は藪の中、というお話である。こうして物語は客観的現実に対する主観的現実の食い違いを描くことにより人間心理が冒しがちな認知バイアスを浮き彫りにするわけなんだが、だからなんだというかそんなの当たり前だろというか、特に先鋭的なテーマとも思えなかったんだけれどなあ……。それよりも三船敏郎の野蛮さ全開のワイルドっぷりとか森雅之とのへっぴり腰のチャンバラとか京マチ子の妖しい鬱陶しさとか志村亮の分かったような分かってないような台詞とかそーゆーのに「へー」とか言いつつ観ておった。結局ヴァネツィア云々受賞というのも単に欧州白人の皆さんがプリミティヴなジャポネスク風味に「ヴラーヴォ!」となっただけなのではないか、と勘繰ってしまうんだがな。あと出演者の皆さんの平安時代だけど舞台俳優みたいな活舌の良いせりふ回しになんか違和感があったな。

三人の女 (監督:ロバート・アルトマン 1977年アメリカ映画)

三人の女 [DVD]

三人の女 [DVD]

  • 発売日: 2012/07/11
  • メディア: DVD
 

アメリカ映画界の鬼才ロバート・アルトマン監督作品。『キャリー』のシシー・スペイセクと『シャイニング』のシェリー・デュヴァルが主演という段階で怪しさ百万倍の作品である。描かれるのは全篇不穏な空気に満ちた女同士の確執で、何が起こるって訳じゃないのに終始不気味な違和感と不安感に包まれているのだ。そして「3人の女」の3人目というのがこれが始終不気味な絵を描いているよく分からん人で……。実はこの作品、以前名画座で観てたいそうショックを受け、DVDで購入していた。しかしこうしてもう一回観直してみると、イケテナイ女( シェリー・デュヴァル)と度を越した天然( シシー・スペイセク)が織りなす居心地の悪いこの物語は、視点を変えると容易くコメディに変身し得るもので、つまりは「何かが……変!?」と不安を煽るところを「いやーしゃーねーなーアホやなー」と笑いに変える事が全然可能なのだ。それをこんな具合に怪しげに撮っちゃうのは監督ロバート・アルトマンの底意地の悪さなんじゃね?とちと思ったけどね。 

毛皮のヴィーナス (監督:ロマン・ポランスキー 2013年フランス/ポーランド映画

毛皮のヴィーナス [Blu-ray]

毛皮のヴィーナス [Blu-ray]

  • 発売日: 2015/07/02
  • メディア: Blu-ray
 

ポーランド出身、『ワンス・アポンナ・タイム・イン・ハリウッド』でもその名が取り沙汰されたワケアリ監督ロマン・ポランスキーの作品。これはアマゾンプライムで観た。物語は舞台女優オーディションに来た女と脚本家の二人芝居となるが、この舞台演目というのが「マゾ」という単語の元になったレーオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホの1870年の小説『毛皮を着たヴィーナス』を原作とした舞台だったんだな。物語はこの「マゾ」風味を漂わせながら二人の主従関係がどんどん入れ替わって行くというブラックコメディで、最後まで得体の知れない展開が続く様に引き寄せられた。ポランスキー作品って今まで幾つか観たけど、なんだかどれも微妙にイヤったらしい雰囲気、それは嗜虐的であると同時に自虐的な、つまりはSMな雰囲気が漂っていて、やはりこの監督つくづく変態なんだなーと納得ししつつ、そんな変態ぶりがとても気に入った。

旧い神々と新しい神々との戦い/ニール・ゲイマンの『アメリカン・ゴッズ』が凄まじく素晴らしかった

アメリカン・ゴッズ(上)(下)/ニール・ゲイマン 

アメリカン・ゴッズ 上 アメリカン・ゴッズ 下

 出所まであと五日。三年の服役を終え、残りの日数を数えるシャドウ。あと、四日。あと、三日。そして…。その日まで四十八時間と迫ったとき、看守に呼び出されたシャドウはこう告げられた。今朝、愛する妻が自分の親友と浮気の末、自動車事故で亡くなったと―。呆然と立ちすくむシャドウの前に、奇妙な男が現れる。彼の持ちかけた仕事を引き受けた瞬間から、シャドウの数奇な運命の歯車が回り始めた。

Amazon Primeで配信されていたドラマ『アメリカン・ゴッズ』(シーズン1~2)は途方もなく面白い作品だった。「なんだこの凄まじい話は!?」と思い原作本を探してみたら、なんと原作者があのニール・ゲイマンだったのでさらに驚いた。ただ、アマプラでの初公開時には原作本が品切れになっていて手に入らず(そもそも2009年の発売だ)、最近やっと入手できたのでいそいそと読み始めたのが、これがもうドラマ以上に恐るべき作品で、今年読んだフィクションの中でもベスト級の完成度だと確信した。

アメリカン・ゴッズ』の物語はこうだ。主人公は刑務所から出所してきたばかりの男シャドウ。しかし出所寸前に彼の愛する妻は事故死していた。失意に打ちひしがれる彼にウェンズデイと名乗る謎の男が近づき「仕事を頼まれてくれ」と請う。やがてシャドウは奇妙な事件や奇妙な人々と出会うことになる。実はそれは、伝説の神々と、新しい神々との、壮大な戦いの予兆だったのだ。さらに死んだはずの妻がシャドウに付きまとい始め、そしてウェンズデイの正体が北欧神話の神オーディーンであることをシャドウは知ることになる。

旧い神と新しい神との戦い。古くはギリシャ神話で物語られ、近代ではクトゥルフ神話において旧神と旧支配者の対立といった形の創作が成されているが、この『アメリカン・ゴッズ』における「旧い神と新しい神」とはなんなのか。「旧い神」とはオーディーンをはじめ、アシュタロス、イフリート、レプラコーン、アヌビス、カーリーといった、世界中の神話伝承にある神々や妖精の眷属である。これら信仰やまじないの中に生きた彼らは、新大陸アメリカへ人々が移住した際に、共にアメリカに持ち込まれ、そこに住まうことになった。しかし、やがて信仰は失われ、「旧い神」たちは惨めに生き延びざるを得なくなってしまった。

一方アメリカでは「新しい神」が勃興しはじめる。それはクレジットカードの神、フリーウェイの神、インターネットの神、テレビの神……等々だ。彼らは新大陸アメリカにおいて「新しい神」として人々に崇められ、強大な力を蓄えることになった。『アメリカン・ゴッズ』は、これらアメリカで生まれた「新しい神」と、忘れ去られようとしている「旧い神」とが、「アメリカの神々」としてのお互いの権勢を賭け、殲滅戦を繰り広げる様を描いた物語なのだ。

こうした設定がそもそも凄い作品なのだが、これは「神」「信仰」といったものに対するアイロニカルな批評が成された作品でもあるのだ。「新しい神」とはつまり、「高度資本主義経済において発生した信仰の対象」である。それは「旧い神」を生み出すもとになった運命や生死にまつわる神秘性や畏れが払拭されてしまった世界における、合理と効率と即物性によって成り立つ神々であるという事なのだ。つまりそれは、「神無き地の神」と言う事もできるのだ。オレなどは個人的に、イギリスのニューウェーブ・バンド、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの、「我々はセックスと恐怖が新しい神々として君臨する地に住んでいる」という『トゥー・トライヴス』の歌詞を思い出してしまった。

とはいえ、この物語をなお一層ユニークにしているのは、決して「神々たちの熾烈なる戦い」のみをスペクタクルたっぷりに描くのものではない、という部分だ。代わりに中心的に描かれるのは、主人公シャドウがアメリカの様々なランドマークを「遍歴」してゆくという部分、そして同時に、シャドウ自身の「精神的遍歴」の様をじっくりと描いてゆく、という部分なのだ。これは「旧い神と新しい神」という人外の者たちの間で、一介の小さな人間が何を見、何を体験し、何を得てゆくのか、という物語なのである。この「遍歴者」としての彼の存在こそが、実は「神々の戦い」における大きな鍵となり、さらに「遍歴者」という宗教的ニュアンスを通じて、「神無き地で人は神/神性と出会えるのか」というテーマへと結びついてゆくのである。

これらの物語を作者ニール・ゲイマンは圧倒的な知識量と絶妙な構成力で描ききる。細かなエピソードのひとつひとつがはっとさせられるような輝きに満ち、同時に妖しい神秘性を帯びている。神々とその眷属を描く物語は限りなくスピリチャルな様相を呈し、この作品そのものがひとつの「神話」であるかのように構築されているのだ。同時に挙げたいのは、するすると水を飲むが如く読めてしまう文章力であり平易な文体の在り方だ。これはゲイマンの短編集『壊れやすいもの』を読んだ時も思ったのだが、彼がいかに優れたストーリーテラーであるのかを示すのと同時に、訳者の高い技術力もあるのだろうと思う。

それにしてもニール・ゲイマン、ここまで物凄い作家だとは思わなかった。他の作品も追って読んでみたい。なおゲイマンの短編集『壊れやすいもの』にはこの『アメリカン・ゴッズ』の後日譚とも呼べる短編作品が収められているので、『アメリカン・ゴッズ』と併せて読まれるとまた世界が広がるだろうと思う。

アメリカン・ゴッズ 上

アメリカン・ゴッズ 上

 
アメリカン・ゴッズ 下

アメリカン・ゴッズ 下