奥浩哉の『GIGANT』に日本SF大賞を!!

■GIGANT(3) / 奥浩哉

GIGANT(3) (ビッグコミックス)

(注:今回の記事は果てしなく下品低劣俗悪下劣な文章だけで書かれておりますのでそういうの苦手な方はお読みにならないでください)

GANTZ』『いぬやしき』の奥浩哉による新作コミック、『GIGANT』の単行本第3巻が発売されました。ええっと、どういう話かと言うとですね。

AV女優が巨大化してモンスターと戦います。全裸で。

いやあ、なんとシンプル極まりないプロット!素晴らしい!分かり易い!そして頭悪い!

「全ての真の傑作はシンプルなプロットで構築されている」と文豪・武者小路実篤も申しておりますが(もちろん真っ赤な嘘)、『GIGANT』はこの「はあ?なんだとお?」と一瞬思考がアンドロメダ星雲の彼方まで行ってしまいそうになるお話を恥ずかしげもなく展開してるんですね。

「なんでAV女優が?」「なんで巨大化?」「モンスターってなによ?」などといろいろ疑問もあるかとは思いますが、とりあえずこまけぇこたぁいいんだよ!

ここには中学2年生(レベル)の夢が全て詰まっている!詰まっているどころかパンパンになっている(※股間も)!

なんてったってアナタ、「巨大化」「モンスター」「戦闘」「裸の女子」が闇鍋の如く一つの物語世界の中でグツグツと煮えたぎっているわけですよ!これ以上ゴージャスかつデリシャスな夢がこの世のどこにあるだろうか(いやない)!?もうこりゃあ夢は枯野を駆け巡っちゃうじゃないですか!(枯野ちゃう)

このような中2の夢を実現した映画作品に『パシフィック・リム』なんてぇロボット映画がありましたが、ここ大事なことですが、『パシフィック・リム』には「裸の女子(しかも巨大化)」は出てこないんですよ!?この一点だけみても、既に『GIGANT』は『パシフィック・リム』を超えたと言えるでしょう!やいデルトロ悔しかったら映画化してみやがれ!

まあそれ以外の物語はなんもありません。奥浩哉ストーリーテリングを期待する人なんて誰もいないでしょう。とりあえずエモな高校生男子が出てきておっぱいのデカイ女子が出てきて、生々しいスケベシーンを経た後おっぱいデカ女子の危機が訪れエモ男子は鼻水垂らしながらワアワア泣く、といういつもアレです。芸なんかないです。

しかーし!すわ戦闘シーンともなればこれが凄い!地上に現れたモンスター!破壊される街!虐殺される人々!このまま日本は蹂躙されてしまうのか!?そこに颯爽と現れたのが我らがヒーロー巨大裸女子(ちなみに名前はパピコ)!

立ちはだかる凶悪なモンスター!対するパピコの攻撃!ここでおっぱいがブルン!モンスターも負けてはいない!モンスターの逆襲に吹き飛ばされるパピコここでまたおっぱいがブルン!パピコ絶対の危機!執拗に繰り出されるモンスターのパンチ!パンチのたびにパピコのおっぱいがブルンブルン!立つんだ!立つんだパピコ!ここでパピコの捨て身の攻撃が炸裂!もちろんおっぱいがブルン!肉塊となって地にくずおれるモンスター!勝利だ!パピコの勝利だ!ブルンブルン!

いやあ……最高っすねえ……。

いまだかつてここまで徹底的に振り切りまくったSF作品があったでしょうか。オレも一人のSFファンとして様々なSF小説、SFコミックを読み、SF映画を観てきましたが、あのクラークでさえ、手塚でさえ、そしてスピルバーグですら、これほど透徹した(頭の悪い)SF世界が展開する物語を物したことはない(する筈もないと思うが)、と断言していいと思います。

このような優れたSF作品が日本で生まれたことに誇りを覚えるとともに、作者である奥浩哉の栄誉を称え、彼に日本SF大賞を授与すべきとオレは切に思うのでありますよ。日本SF大賞の基準は【SFとしてすぐれた作品であり、「このあとからは、これがなかった以前の世界が想像できないような作品」や「SFの歴史に新たな側面を付け加えた作品」】となってますが、この『GIGANT』はまさにそのものじゃないですか。まあ、SFとしてすぐれた作品かどうかはよく分かんないけど!

GIGANT (1) (ビッグコミックススペシャル)

GIGANT (1) (ビッグコミックススペシャル)

 
GIGANT (2) (ビッグコミックススペシャル)

GIGANT (2) (ビッグコミックススペシャル)

 
GIGANT (3) (ビッグコミックススペシャル)

GIGANT (3) (ビッグコミックススペシャル)

 

『J・G・バラード短編全集 第4巻』(だけ)を読んだ

J・G・バラード短編全集(4) 下り坂カーレースにみたてたジョン・フィッツジェラルドケネディ暗殺事件/J・G・バラード

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『結晶世界』『ハイ・ライズ』などの傑作群で、叙事的な文体で20世紀SFに独自の境地を拓いた鬼才の全短編を五巻に集成。第四巻には自伝的要素が色濃く投影された本邦初訳作「Dead Time」や発表時に多大な衝撃をもたらした濃縮小説「下り坂カーレースにみたてたジョン・フィッツジェラルドケネディ暗殺事件」など21篇を収録。

「『沈んだ世界』『結晶世界』『ハイライズ』で知られる鬼才の全短編を執筆順に集成する決定版全集」と謳われる「J・G・バラード短編全集」 全5巻、去年の頭に全巻完結したようだが、今回その中の第4巻を読んでみた。

なぜ4巻から?というと、以前読んだ『チェコSF短編小説集』にこの第4巻のタイトルに冠されている短編作品「下り坂カーレースにみたてたジョン・フィッツジェラルドケネディ暗殺事件」へのオマージュ作が収録されており(『クレー射撃にみたてた月旅行』)、それがなかなかに面白かったこと、同時にこの不穏かつ長々しいタイトルの作品が妙に気になったからである。とはいえこの全集、1冊のお値段がそれぞれ¥3888と結構お高い。それと、実のところオレはJ・G・バラードの作品といえば長編・短編集合わせてもたった3冊程度しか読んでいない程度の関心しかなく、大丈夫かなあ、と若干心配ではあった。

でまあ一応読了したのだが、歯応えが在り過ぎて結構持て余し気味だった、というのが正直な感想。いや、作品の完成度は遜色が無いどころか非常に含蓄に富み無駄が無く研ぎ澄まされた文章の冴え渡る作品ばかりで、バラードの後期はここまで硬質な文章を書いていたのか、と驚かされたぐらいではある。しかし硬質な文章ゆえに半端に流し読みすることを許さず、文章と対決するぐらいの心構えで読まねば内容を咀嚼する事も叶わず、読むのに時間が掛かったし読んでいて疲れた、というのがあったのだ。即ち内容の問題ではなく読んでいるこのオレの豆腐な頭の問題ということなのである。

とかなんとか言い訳をしつつ全22編、それぞれに興味深く読んだ。やはり先鋭的なのはアブストラクトな構成の成された実験的作品だろう。「下り坂~」もそうだが、バロウズを思わす「どうしてわたしはロナルド・レーガンとファックしたいか」や、冒頭の一節の文章を分解し内容を解説する「ある神経衰弱にむけた覚え書」、単なる索引の羅列から物語が浮き出してくる「索引」など、知的に狂った作品だろう。これらはバラードの提唱した「濃縮文学」というテーマの作品なのかもしれない。 

ヴァーミリオン・サンズ」シリーズの短編が幾つか収録されていたが、大昔ハヤカワから出ていたハードカヴァーを持っていたにもかかわらず読めなかったので、今回一部だがリベンジできたのが嬉しかった。その中でも「風にさよならを言おう」はボリス・ヴィアン的味わいの作品だった。また、この短編集中唯一の中篇「最終都市」は、崩壊後のアメリカを描く長編『ハロー・アメリカ』の青写真のような作品で、「本当にこの人、破滅した世界が好きなんだなあ」としみじみ思えた。

全体的な特色を成すのは一見SF/ファンタジーのような非主流文学のようでもあり、そして文学作品のようでもあり、そして実の所どちらもない「スリップストリーム文学」的な作品が目に付くということだろう。また、テクノロジーの介在によって「観念的な意味におけるサイボーグ」と化した人間たちを描く作品らも、バラードの長編に通じるものがある。これらもSFではないが、どこか機械(テクノロジー)と人間が合体化しているかのような冷たく非人間的な感触を作品にもたらしている。

とはいえ、なにしろ歯応え在り過ぎだったので、全集の残りの巻を今後読むかはどうかはしばらくペンディングにしておきたい。

 

スタニスワフ・レム原作によるチェコの古典SF映画『イカリエ-XB1』

イカリエ-XB1 (監督:インドゥジヒ・ポラーク 1963年チェコスロバキア映画)

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「1963年、共産主義下にあったチェコで製作された本格SF映画」というふれこみの映画『イカリエ XB-1』を観た。

《物語》22世紀後半、宇宙船イカリエ-XB1は生命探査のためアルファ・ケンタウリ系へと向かう途上、地球から旅立った宇宙船が朽ちた状態で漂流しているのを発見する。漂流船内にイカリエ-XB1から調査員を数名送り込むが、死因不明の乗組員たちの死体が転がる漂流船内に積載された核兵器の爆発により、その命が失われてしまう。悲劇の中、イカリエ-XB1は航行を続けたが、謎のダークスターとの遭遇によって乗組員一同が眠りについてしまう。

イカリエ-XB1 : 作品情報 - 映画.com

原作はオレがSF作家の中で最も敬愛する作家の中の一人、スタニスワフ・レム。映画ファンの方にはアンドレイ・タルコフスキー監督作品『惑星ソラリス』の原作者だと書いた方が伝わり易いか。原作作品タイトルは『マゼラン星雲』だが、未訳のため読んでいない。なんでも映画のほうは『2001年宇宙の旅』製作以前のスタンリー・キューブリックにインスピレーションを与えた作品、なんていう話もある。

物語は22世紀の未来、アルファ・ケンタウリ星系へ生命探査のため旅立った宇宙船「イカリエ-XB1」船内において起こる様々な事件を描いたものだ。宇宙船外や宇宙空間を描くミニチュア特撮こそ時代を感じさせるものだが、「イカリエ-XB1」の内部は1963年製作ということもあってレトロ・フューチャーでモダンな作りをしており、まずこの美術の楽しさを堪能できる作品だと思っていただきたい。船内には未知の世界への関心に溢れた知的かつ聡明そうな男女が数多くひしめき、その船内生活も自由で開放的で、こういった未来や科学技術への楽観性もまたこの時代のものなのだろう。

とはいえ物語自体には核心的なエピソードが存在せず、アルファ・ケンタウリへの旅の途中で遭遇するあんな事件やこんな事件が羅列される形で披露されるだけである。言ってみるなら「イカリエ-XB1徒然航宙日誌」といった内容なのだ。そういった部分では物語的なカタルシスには乏しい作品ではある。物語性云々よりも「危険と困難を乗り越え宇宙探査を遂行する未来の宇宙飛行士たち」という共産主義的なヒューマニティの在り方に比重が置かれた作品なのではないかと思う。

原作となる『マゼラン星雲』はなにしろ読めないのだが、内容を調べてみるともう少々シリアスなものなのらしい。宇宙空間で発見された謎の宇宙船、というプロットは映画にも存在するが、原作ではこれはアメリカ製で、原爆や生物兵器を搭載していた、ということになっているらしい。これは冷戦時代だった原作執筆時の西側諸国への批判ということも出来る。また、クライマックスにおけるアルファ・ケンタウリ星系の惑星住民とのコンタクトは、映画では賑々しい希望に満ち溢れたものだが、原作では一触即発の緊張を孕み、決して薔薇色のご対面というわけではなかったのらしい。この辺りの懐疑主義にはのちのレムの片鱗が見え隠れする。

総体的に言うなら原作はレム初期作品と言うこともあってか、レムらしからぬ楽観的でナイーヴな出来であるのらしく、だからこそ日本語翻訳が見送られたと推測することができる。この映画『イカリエ-XB1』も原作のそんな楽観的でナイーヴな部分を踏襲することになったのだろう。そういった退屈さもあるのだが、前述したレトロ・フューチャーな宇宙船映像の楽しさ、1963年チェコ製作のSF映画といった物珍しさから、SFファン、SF映画ファンにはタイトルだけでも頭の隅に置いて欲しい 作品であることは確かだ。


「イカリエーXB1」予告編

つれづれゲーム日記:『メトロ エクソダス』の巻

■メトロ エクソダスPS4 / Xbox One

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ポスト・アポカリプス世界を舞台にしたFPSゲーム『メトロ エクソダス』が発売されたのでオレもいそいそとプレイしている最中である。ポスト・アポカリプスちゅうのは「全面核戦争後の文明が崩壊し殆どの人類が死に絶えた世界」の事だ。映画だと『マッドマックス』シリーズあたりを思い浮かべてもらうといい。しかし『マッドマックス』は血管ブチ切れ気味のならず者たちが今日も元気に「ヒャッハーッ!」している世界だが、この『メトロ エクソダス』はもっと暗くて怖くて寒々しい世界なのだ。

このゲームは核戦争後の荒廃したモスクワを舞台に、放射能を恐れ地下鉄坑道で細々と生きる人々のサバイバルを描いたものだ。未だ放射能渦巻く地表は防護マスクなしで活動することができず、さらに獰猛なミュータントや危険な敵勢力が潜んでいる。ゲームは瓦礫と化した廃墟の都市を、あるいは腐敗と汚濁に満ちた暗黒の地下道を彷徨うことになる。さらに厳寒のロシアの地を舞台としていることにより、地上は雪に覆われ河川は凍りつき、物語世界の寒々しさを一層引き立てることになる。ちなみにこのゲーム、『メトロ2033』『メトロ ラストライト』の続編となり、シリーズ第3作という位置付けになる。

さてこの『メトロ』シリーズを語る上で忘れてはいけないのは伝説のFPSゲームS.T.A.L.K.E.R.』の存在だろう。FPSゲームには『DOOM』『Quake』『Unreal』『Half-Life』など一時代を築いた名作ゲームが多数あるが、そのユニークな世界観と高い難易度から、『S.T.A.L.K.E.R.』も多くのゲーマーの心に刻まれたゲームと言っていいだろう。そしてこの『メトロ』シリーズは、『S.T.A.L.K.E.R.』の製作メンバーが関わっているゲームなのだ。

S.T.A.L.K.E.R.』はなにしろ凄まじいFPSだった。まず、物語の中心となるのが1986年4月にメルトダウンを起こし、地球規模の大災害を招いたあのチェルノブイリ原子力発電所なのだ。で、こっからはゲームの物語。事故後さらに謎の大爆発が起こり広範囲の放射能汚染地帯となったその地では突然変異の危険な生物が跋扈し、さらに不可解な超常現象が観測されるようになる。そして人々にはある噂が流れ始める。「原発跡地には全ての願いを叶える”何か”が存在する」と。こうして様々な食い詰め者たちがその地に集まり、幾つものセクトを形成して敵対しあいながら、多額の報酬を得られる”異次元の遺物”を求め、死と隣り合わせの探索活動を続けていた、というのがゲーム『S.T.A.L.K.E.R.』だ。廃墟と瓦礫に覆われた荒涼たるロシアの大地、そこを徘徊するミュータント生物と武装した集団との戦闘、防護マスク無しでは容易く放射能被曝を起こす危険、常に絶望的状況の中で生存を余儀なくされる主人公など、『S.T.A.L.K.E.R.』と『メトロ』シリーズの共通項は多い。『S.T.A.L.K.E.R.』をよりカジュアルにプレイできるようにしたゲームが『メトロ』だと思えばいいかもしれない。

さてオレ個人は『メトロ2033』をPC版でクリアしたが、同じくPC版でプレイした続編『メトロ ラストライト』はグラボの不調でプレイ断念、今回XboxOneで始めたこの『メトロ エクソダス』はそのリベンジという形になる(ストーリーが繋がってるという話なんで2作目やってないのはちょっと残念)。早速始めた訳だけれど、いきなり真っ暗な地下坑道でモンスターに追い掛け回されて既に涙目だ!

「暗いよー、狭いよー、コワイよー!(おまけに小汚いよー!!)」

今回の『メトロ エクソダス』、タイトル通り「絶望的な生活を送る地下鉄坑道からの脱出」が描かれることになる。物語では力強い仲間たちが手助けしてくれるが、何と言っても嬉しいのは主人公の美人の奥さんアンナの登場だ!主人公や仲間たちと最前線で戦う彼女だが、常に主人公を頼りにし全幅の信頼と熱い愛情で応えてくれるのだよ!守るわ!こんな美人ちゃんだったらオレ守り抜いちゃうわ!もうオレはアンナが画面に登場するだけでいつもメロメロだぞコノヤロ!

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ショートカットが素敵なアンナ奥様

ゲームシステムやデザインがどうとかはどこかのゲームサイトでも見てもらうとして、今作では非常に物語に力を入れているらしく、仲間との会話や人間関係の濃密さ、そこから生まれるドラマを楽しむゲームとなっているように感じた。要するにRPG的な要素が強いという事だ。

同じ核戦争後の地球を舞台にしたゲームに「Fallout」シリーズがあるが、この「メトロ」はもっと暗く寒々しく絶望的で世界はあまりにも非情さに満ちている。しかしこの3作目にはどこか希望のきざはしが見え隠れする物語となっているのだ。マップも結構広大でありやりがいも多い。「ちょっと癖のある世界観の普通のFPS」だった「メトロ」シリーズだが、この3作目は案外最高傑作かもしれない(2作目ちゃんとやってないけど)。

『アリータ:バトル・エンジェル』は主人公の目が大きいだけじゃない大興奮な映画だったッ!

アリータ:バトル・エンジェル (監督:ロバート・ロドリゲス 2019年アメリカ映画)

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◆『アリータ:バトル・エンジェル』を観た

木城ゆきとによる日本のコミック『銃夢』を原作に、監督:ロバート・ロドリゲス、脚本:ジェームズ・キャメロンで製作されたSF映画アリータ:バトル・エンジェル』を観たんですけどね、いやー、主演女優さんビックリするほど目が大きくてビビりましたよ!あんな女優さんもいるんですねー(違う)。

◆アリータの目の大きさ

それにしても、最初この映画の予告編を観たとき主人公アリータの目がすんごく大きくて、もちろんCGなんでしょうけど、「何コレ?」と思いませんでした?「なんかすんごい違和感あるけど」ってみんな思ったんじゃないかなあ。

しかしね。これが映画を実際観てみると、まるで違和感が無いばかりか、逆にとてもチャーミングに見えてしまったから驚きましたね。むしろ「これが正解だったんだ」とすら思わされましたよ。

例えば、クリストフ・ガンツ演じるアリータの名付け親イドはやっぱりクリストフ・ガンツだし、ジェニファー・コネリー演じるイドの元嫁チレンはやっぱりジェニファー・コネリーなんですね。当たり前っちゃあ当たり前なんですが。

けれども、アリータに関しては、唯一無二の「アリータ」なんですよ。実際はローラ・サラザールという女優さんがモーション・キャプチャーで演じているのですが、CG化された容姿は他の誰でも無い「アリータ」なんですね。

これ、ネットで誰かが言ってたんですが、「『アリータ』は実写とアニメの融合を目指したってことなんじゃないか」という話があって、それを読んで「ああなるほど」と溜飲が下がりましたね。100%架空の容姿のキャラを中心に配することで、コミック原作の物語を、まさにコミックらしく撮ろうとしたのが映画『アリータ』だったんじゃないかってね。

◆没落した未来世界が舞台

物語の舞台は数百年後の未来、「没落戦争」と呼ばれる惑星間戦争により未来を閉ざされ斜陽と化した地球の一都市アイアン・シティ。ここで医師イドは天空都市ザレムから廃棄されたゴミの山から300年前の壊れたサイボーグを拾い上げるんですね。

メンテナンスされ生き生きと動くようになったサイボーグはアリータと名付けられますが、過去の記憶を持っていません。しかし、このアリータこそが「没落戦争」を戦い抜いた戦闘サイボーグの生き残りだったことが後に判ってきます。そして彼女の身体に秘められた強力なテクノロジーを奪うため、様々な刺客が送り込まれることになる・・・・・・というのがこのお話。ちなみに原作マンガは読んでません。

物語の世界観はSF作品としてはある意味ありふれたものです。世界戦争後の荒廃した未来とか、エリートの住むユートピア都市/貧困と犯罪にまみれたスラム街という格差社会とか、サイボーグ(ないしはロボット)の跋扈する世界とか、これだけでも幾つか同様のSF作品を挙げられるでしょう。

記憶を喪った主人公、というのもよくありますし、アンドロイドではありませんがロボット同士のバトルというのなら『リアル・スティール』(2011)という映画があったし、サーキット・デスマッチ「モーターボール」はモロにSF映画ローラーボール』(1975/リメイク作は2002)ですよね。そういった部分では特に珍しい部分のある物語では無いんですよ。

◆戦闘少女アリータ

しかしこの物語は、幾つかの部分で切り口を変えることで新鮮な世界観を持たせることに成功しているんです。まずなにより「戦闘少女アリータ」というキャラの在り方です。『バイオニック・ジェミー』みたいなサイボーグ・ヒロインはかつて存在しましたが、アリータのような10代少女の外見を持つ戦闘サイボーグは少なくともハリウッド作品では珍しいんじゃないかな。

そしてこのアリータの「親子関係」であったり「ロマンス」であったりする部分、いわゆる「ティーンエージャーの心の揺れ」を物語に持ち込んでいる部分が新鮮ですし、それにより非常に大きな感情移入を可能にしているんですよ。

もうひとつ、この作品ではアンドロイド同士の戦闘が多数描かれますが、「法的にアウト」という理由で基本的に銃器やSF武器は使用されず、あくまで「格闘」をメインとしている部分、つまりサイボーグ同士の肉弾戦を徹底的に描いている部分が逆に興奮を生み出しているんですね。

そしてまた敵のアンドロイドというのがどいつもこいつも醜い鉄の塊みたいな野郎(女性型もありますが)ばかりで、下手に人間の顔をしているもんだからその異様さはなお一層醸し出されます。彼ら、ないしアリータが戦闘の最中に肉体破損したり切り株状態になったりする描写が頻繁に登場しますが、「機械が破壊された」というのとはまた違うグロテスクさがあり、これもまた作品の特色となってるんですよ。

◆『鉄腕アトム』直系のロボット作品の系譜

この作品を観ながら思ったのは、日本のコミック原作である部分から、手塚治の『鉄腕アトム』直系のロボット作品の系譜を継いでいる作品なんじゃないかということですね。アトムと天馬博士との父子関係はまさにアリータそのものだし、ロボットバトルもアトム作品に存在し、そこにおける感情的なロボットたちや破壊されたロボットのグロテスクさもアリータと同様です。

「ロボット」の概念とはユダヤ教伝承の泥人形ゴーレムの如き魂無き無機物ではありますが、心を持ったロボット・アトムはもはや「魂なき無機物」とは呼べません。それは無機物の肉体を持つ生命(A.I.)と呼ぶべきものです。スピルバーグ作品『A.I.』(2001)ではようやくロボットA.I.をひとつの生命の如きものとして描きますが、日本のコミックでは既に先験的に「生命と同等のもの」であり「人間の似姿」だったんですね。

アリータはロボットではなくサイボーグですが、「無機物の肉体を持つ生命」といった部分で同行のモチーフを描いてはいないか。それは作者が意識するしないに関わらず、日本のコミックの遺伝子を持った作品ならではの物語性がこの作品には内在していないか。そしてそんな日本独特の感覚が欧米監督の目に止まったんではないか。そんなことをちと考えた作品でもありました。

◆オマケその1:「T」と「A」のヒミツ

ジェームズ・キャメロンの監督作品のタイトル殆どが「T」「A」で始まる、ということを製作者のジョン・ランドーが指摘している、というお話です。

ランドーはキャメロンのほとんどの映画が『タイタニック』(T)、『エイリアン2』(A)、『ターミネーター』(T)、『アビス』(A)、『トゥルーライズ』(T)、『アバター』(A)とTまたはAで始まるタイトルばかりであると指摘している。

アリータ: バトル・エンジェル - Wikipedia

そしてこの『アリータ:バトル・エンジェル』は(キャメロン監督作ではありませんが)「A」で始まる映画なんですね。 

◆オマケその2:こんな『アリータ:バトル・エンジェル』はイヤだ!?

……以上、お粗末様でした!!


『アリータ:バトル・エンジェル』 予告編2 (2018年)

 

アート&メイキング・オブ・アリータ:バトル・エンジェル

アート&メイキング・オブ・アリータ:バトル・エンジェル

 
新装版銃夢(1)錆びた天使 (KCデラックス)

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アリータ:バトル・エンジェル(オリジナル・サウンドトラック)

アリータ:バトル・エンジェル(オリジナル・サウンドトラック)