『J・G・バラード短編全集 第4巻』(だけ)を読んだ

J・G・バラード短編全集(4) 下り坂カーレースにみたてたジョン・フィッツジェラルドケネディ暗殺事件/J・G・バラード

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『結晶世界』『ハイ・ライズ』などの傑作群で、叙事的な文体で20世紀SFに独自の境地を拓いた鬼才の全短編を五巻に集成。第四巻には自伝的要素が色濃く投影された本邦初訳作「Dead Time」や発表時に多大な衝撃をもたらした濃縮小説「下り坂カーレースにみたてたジョン・フィッツジェラルドケネディ暗殺事件」など21篇を収録。

「『沈んだ世界』『結晶世界』『ハイライズ』で知られる鬼才の全短編を執筆順に集成する決定版全集」と謳われる「J・G・バラード短編全集」 全5巻、去年の頭に全巻完結したようだが、今回その中の第4巻を読んでみた。

なぜ4巻から?というと、以前読んだ『チェコSF短編小説集』にこの第4巻のタイトルに冠されている短編作品「下り坂カーレースにみたてたジョン・フィッツジェラルドケネディ暗殺事件」へのオマージュ作が収録されており(『クレー射撃にみたてた月旅行』)、それがなかなかに面白かったこと、同時にこの不穏かつ長々しいタイトルの作品が妙に気になったからである。とはいえこの全集、1冊のお値段がそれぞれ¥3888と結構お高い。それと、実のところオレはJ・G・バラードの作品といえば長編・短編集合わせてもたった3冊程度しか読んでいない程度の関心しかなく、大丈夫かなあ、と若干心配ではあった。

でまあ一応読了したのだが、歯応えが在り過ぎて結構持て余し気味だった、というのが正直な感想。いや、作品の完成度は遜色が無いどころか非常に含蓄に富み無駄が無く研ぎ澄まされた文章の冴え渡る作品ばかりで、バラードの後期はここまで硬質な文章を書いていたのか、と驚かされたぐらいではある。しかし硬質な文章ゆえに半端に流し読みすることを許さず、文章と対決するぐらいの心構えで読まねば内容を咀嚼する事も叶わず、読むのに時間が掛かったし読んでいて疲れた、というのがあったのだ。即ち内容の問題ではなく読んでいるこのオレの豆腐な頭の問題ということなのである。

とかなんとか言い訳をしつつ全22編、それぞれに興味深く読んだ。やはり先鋭的なのはアブストラクトな構成の成された実験的作品だろう。「下り坂~」もそうだが、バロウズを思わす「どうしてわたしはロナルド・レーガンとファックしたいか」や、冒頭の一節の文章を分解し内容を解説する「ある神経衰弱にむけた覚え書」、単なる索引の羅列から物語が浮き出してくる「索引」など、知的に狂った作品だろう。これらはバラードの提唱した「濃縮文学」というテーマの作品なのかもしれない。 

ヴァーミリオン・サンズ」シリーズの短編が幾つか収録されていたが、大昔ハヤカワから出ていたハードカヴァーを持っていたにもかかわらず読めなかったので、今回一部だがリベンジできたのが嬉しかった。その中でも「風にさよならを言おう」はボリス・ヴィアン的味わいの作品だった。また、この短編集中唯一の中篇「最終都市」は、崩壊後のアメリカを描く長編『ハロー・アメリカ』の青写真のような作品で、「本当にこの人、破滅した世界が好きなんだなあ」としみじみ思えた。

全体的な特色を成すのは一見SF/ファンタジーのような非主流文学のようでもあり、そして文学作品のようでもあり、そして実の所どちらもない「スリップストリーム文学」的な作品が目に付くということだろう。また、テクノロジーの介在によって「観念的な意味におけるサイボーグ」と化した人間たちを描く作品らも、バラードの長編に通じるものがある。これらもSFではないが、どこか機械(テクノロジー)と人間が合体化しているかのような冷たく非人間的な感触を作品にもたらしている。

とはいえ、なにしろ歯応え在り過ぎだったので、全集の残りの巻を今後読むかはどうかはしばらくペンディングにしておきたい。

 

スタニスワフ・レム原作によるチェコの古典SF映画『イカリエ-XB1』

イカリエ-XB1 (監督:インドゥジヒ・ポラーク 1963年チェコスロバキア映画)

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「1963年、共産主義下にあったチェコで製作された本格SF映画」というふれこみの映画『イカリエ XB-1』を観た。

《物語》22世紀後半、宇宙船イカリエ-XB1は生命探査のためアルファ・ケンタウリ系へと向かう途上、地球から旅立った宇宙船が朽ちた状態で漂流しているのを発見する。漂流船内にイカリエ-XB1から調査員を数名送り込むが、死因不明の乗組員たちの死体が転がる漂流船内に積載された核兵器の爆発により、その命が失われてしまう。悲劇の中、イカリエ-XB1は航行を続けたが、謎のダークスターとの遭遇によって乗組員一同が眠りについてしまう。

イカリエ-XB1 : 作品情報 - 映画.com

原作はオレがSF作家の中で最も敬愛する作家の中の一人、スタニスワフ・レム。映画ファンの方にはアンドレイ・タルコフスキー監督作品『惑星ソラリス』の原作者だと書いた方が伝わり易いか。原作作品タイトルは『マゼラン星雲』だが、未訳のため読んでいない。なんでも映画のほうは『2001年宇宙の旅』製作以前のスタンリー・キューブリックにインスピレーションを与えた作品、なんていう話もある。

物語は22世紀の未来、アルファ・ケンタウリ星系へ生命探査のため旅立った宇宙船「イカリエ-XB1」船内において起こる様々な事件を描いたものだ。宇宙船外や宇宙空間を描くミニチュア特撮こそ時代を感じさせるものだが、「イカリエ-XB1」の内部は1963年製作ということもあってレトロ・フューチャーでモダンな作りをしており、まずこの美術の楽しさを堪能できる作品だと思っていただきたい。船内には未知の世界への関心に溢れた知的かつ聡明そうな男女が数多くひしめき、その船内生活も自由で開放的で、こういった未来や科学技術への楽観性もまたこの時代のものなのだろう。

とはいえ物語自体には核心的なエピソードが存在せず、アルファ・ケンタウリへの旅の途中で遭遇するあんな事件やこんな事件が羅列される形で披露されるだけである。言ってみるなら「イカリエ-XB1徒然航宙日誌」といった内容なのだ。そういった部分では物語的なカタルシスには乏しい作品ではある。物語性云々よりも「危険と困難を乗り越え宇宙探査を遂行する未来の宇宙飛行士たち」という共産主義的なヒューマニティの在り方に比重が置かれた作品なのではないかと思う。

原作となる『マゼラン星雲』はなにしろ読めないのだが、内容を調べてみるともう少々シリアスなものなのらしい。宇宙空間で発見された謎の宇宙船、というプロットは映画にも存在するが、原作ではこれはアメリカ製で、原爆や生物兵器を搭載していた、ということになっているらしい。これは冷戦時代だった原作執筆時の西側諸国への批判ということも出来る。また、クライマックスにおけるアルファ・ケンタウリ星系の惑星住民とのコンタクトは、映画では賑々しい希望に満ち溢れたものだが、原作では一触即発の緊張を孕み、決して薔薇色のご対面というわけではなかったのらしい。この辺りの懐疑主義にはのちのレムの片鱗が見え隠れする。

総体的に言うなら原作はレム初期作品と言うこともあってか、レムらしからぬ楽観的でナイーヴな出来であるのらしく、だからこそ日本語翻訳が見送られたと推測することができる。この映画『イカリエ-XB1』も原作のそんな楽観的でナイーヴな部分を踏襲することになったのだろう。そういった退屈さもあるのだが、前述したレトロ・フューチャーな宇宙船映像の楽しさ、1963年チェコ製作のSF映画といった物珍しさから、SFファン、SF映画ファンにはタイトルだけでも頭の隅に置いて欲しい 作品であることは確かだ。


「イカリエーXB1」予告編

つれづれゲーム日記:『メトロ エクソダス』の巻

■メトロ エクソダスPS4 / Xbox One

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ポスト・アポカリプス世界を舞台にしたFPSゲーム『メトロ エクソダス』が発売されたのでオレもいそいそとプレイしている最中である。ポスト・アポカリプスちゅうのは「全面核戦争後の文明が崩壊し殆どの人類が死に絶えた世界」の事だ。映画だと『マッドマックス』シリーズあたりを思い浮かべてもらうといい。しかし『マッドマックス』は血管ブチ切れ気味のならず者たちが今日も元気に「ヒャッハーッ!」している世界だが、この『メトロ エクソダス』はもっと暗くて怖くて寒々しい世界なのだ。

このゲームは核戦争後の荒廃したモスクワを舞台に、放射能を恐れ地下鉄坑道で細々と生きる人々のサバイバルを描いたものだ。未だ放射能渦巻く地表は防護マスクなしで活動することができず、さらに獰猛なミュータントや危険な敵勢力が潜んでいる。ゲームは瓦礫と化した廃墟の都市を、あるいは腐敗と汚濁に満ちた暗黒の地下道を彷徨うことになる。さらに厳寒のロシアの地を舞台としていることにより、地上は雪に覆われ河川は凍りつき、物語世界の寒々しさを一層引き立てることになる。ちなみにこのゲーム、『メトロ2033』『メトロ ラストライト』の続編となり、シリーズ第3作という位置付けになる。

さてこの『メトロ』シリーズを語る上で忘れてはいけないのは伝説のFPSゲームS.T.A.L.K.E.R.』の存在だろう。FPSゲームには『DOOM』『Quake』『Unreal』『Half-Life』など一時代を築いた名作ゲームが多数あるが、そのユニークな世界観と高い難易度から、『S.T.A.L.K.E.R.』も多くのゲーマーの心に刻まれたゲームと言っていいだろう。そしてこの『メトロ』シリーズは、『S.T.A.L.K.E.R.』の製作メンバーが関わっているゲームなのだ。

S.T.A.L.K.E.R.』はなにしろ凄まじいFPSだった。まず、物語の中心となるのが1986年4月にメルトダウンを起こし、地球規模の大災害を招いたあのチェルノブイリ原子力発電所なのだ。で、こっからはゲームの物語。事故後さらに謎の大爆発が起こり広範囲の放射能汚染地帯となったその地では突然変異の危険な生物が跋扈し、さらに不可解な超常現象が観測されるようになる。そして人々にはある噂が流れ始める。「原発跡地には全ての願いを叶える”何か”が存在する」と。こうして様々な食い詰め者たちがその地に集まり、幾つものセクトを形成して敵対しあいながら、多額の報酬を得られる”異次元の遺物”を求め、死と隣り合わせの探索活動を続けていた、というのがゲーム『S.T.A.L.K.E.R.』だ。廃墟と瓦礫に覆われた荒涼たるロシアの大地、そこを徘徊するミュータント生物と武装した集団との戦闘、防護マスク無しでは容易く放射能被曝を起こす危険、常に絶望的状況の中で生存を余儀なくされる主人公など、『S.T.A.L.K.E.R.』と『メトロ』シリーズの共通項は多い。『S.T.A.L.K.E.R.』をよりカジュアルにプレイできるようにしたゲームが『メトロ』だと思えばいいかもしれない。

さてオレ個人は『メトロ2033』をPC版でクリアしたが、同じくPC版でプレイした続編『メトロ ラストライト』はグラボの不調でプレイ断念、今回XboxOneで始めたこの『メトロ エクソダス』はそのリベンジという形になる(ストーリーが繋がってるという話なんで2作目やってないのはちょっと残念)。早速始めた訳だけれど、いきなり真っ暗な地下坑道でモンスターに追い掛け回されて既に涙目だ!

「暗いよー、狭いよー、コワイよー!(おまけに小汚いよー!!)」

今回の『メトロ エクソダス』、タイトル通り「絶望的な生活を送る地下鉄坑道からの脱出」が描かれることになる。物語では力強い仲間たちが手助けしてくれるが、何と言っても嬉しいのは主人公の美人の奥さんアンナの登場だ!主人公や仲間たちと最前線で戦う彼女だが、常に主人公を頼りにし全幅の信頼と熱い愛情で応えてくれるのだよ!守るわ!こんな美人ちゃんだったらオレ守り抜いちゃうわ!もうオレはアンナが画面に登場するだけでいつもメロメロだぞコノヤロ!

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ショートカットが素敵なアンナ奥様

ゲームシステムやデザインがどうとかはどこかのゲームサイトでも見てもらうとして、今作では非常に物語に力を入れているらしく、仲間との会話や人間関係の濃密さ、そこから生まれるドラマを楽しむゲームとなっているように感じた。要するにRPG的な要素が強いという事だ。

同じ核戦争後の地球を舞台にしたゲームに「Fallout」シリーズがあるが、この「メトロ」はもっと暗く寒々しく絶望的で世界はあまりにも非情さに満ちている。しかしこの3作目にはどこか希望のきざはしが見え隠れする物語となっているのだ。マップも結構広大でありやりがいも多い。「ちょっと癖のある世界観の普通のFPS」だった「メトロ」シリーズだが、この3作目は案外最高傑作かもしれない(2作目ちゃんとやってないけど)。

『アリータ:バトル・エンジェル』は主人公の目が大きいだけじゃない大興奮な映画だったッ!

アリータ:バトル・エンジェル (監督:ロバート・ロドリゲス 2019年アメリカ映画)

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◆『アリータ:バトル・エンジェル』を観た

木城ゆきとによる日本のコミック『銃夢』を原作に、監督:ロバート・ロドリゲス、脚本:ジェームズ・キャメロンで製作されたSF映画アリータ:バトル・エンジェル』を観たんですけどね、いやー、主演女優さんビックリするほど目が大きくてビビりましたよ!あんな女優さんもいるんですねー(違う)。

◆アリータの目の大きさ

それにしても、最初この映画の予告編を観たとき主人公アリータの目がすんごく大きくて、もちろんCGなんでしょうけど、「何コレ?」と思いませんでした?「なんかすんごい違和感あるけど」ってみんな思ったんじゃないかなあ。

しかしね。これが映画を実際観てみると、まるで違和感が無いばかりか、逆にとてもチャーミングに見えてしまったから驚きましたね。むしろ「これが正解だったんだ」とすら思わされましたよ。

例えば、クリストフ・ガンツ演じるアリータの名付け親イドはやっぱりクリストフ・ガンツだし、ジェニファー・コネリー演じるイドの元嫁チレンはやっぱりジェニファー・コネリーなんですね。当たり前っちゃあ当たり前なんですが。

けれども、アリータに関しては、唯一無二の「アリータ」なんですよ。実際はローラ・サラザールという女優さんがモーション・キャプチャーで演じているのですが、CG化された容姿は他の誰でも無い「アリータ」なんですね。

これ、ネットで誰かが言ってたんですが、「『アリータ』は実写とアニメの融合を目指したってことなんじゃないか」という話があって、それを読んで「ああなるほど」と溜飲が下がりましたね。100%架空の容姿のキャラを中心に配することで、コミック原作の物語を、まさにコミックらしく撮ろうとしたのが映画『アリータ』だったんじゃないかってね。

◆没落した未来世界が舞台

物語の舞台は数百年後の未来、「没落戦争」と呼ばれる惑星間戦争により未来を閉ざされ斜陽と化した地球の一都市アイアン・シティ。ここで医師イドは天空都市ザレムから廃棄されたゴミの山から300年前の壊れたサイボーグを拾い上げるんですね。

メンテナンスされ生き生きと動くようになったサイボーグはアリータと名付けられますが、過去の記憶を持っていません。しかし、このアリータこそが「没落戦争」を戦い抜いた戦闘サイボーグの生き残りだったことが後に判ってきます。そして彼女の身体に秘められた強力なテクノロジーを奪うため、様々な刺客が送り込まれることになる・・・・・・というのがこのお話。ちなみに原作マンガは読んでません。

物語の世界観はSF作品としてはある意味ありふれたものです。世界戦争後の荒廃した未来とか、エリートの住むユートピア都市/貧困と犯罪にまみれたスラム街という格差社会とか、サイボーグ(ないしはロボット)の跋扈する世界とか、これだけでも幾つか同様のSF作品を挙げられるでしょう。

記憶を喪った主人公、というのもよくありますし、アンドロイドではありませんがロボット同士のバトルというのなら『リアル・スティール』(2011)という映画があったし、サーキット・デスマッチ「モーターボール」はモロにSF映画ローラーボール』(1975/リメイク作は2002)ですよね。そういった部分では特に珍しい部分のある物語では無いんですよ。

◆戦闘少女アリータ

しかしこの物語は、幾つかの部分で切り口を変えることで新鮮な世界観を持たせることに成功しているんです。まずなにより「戦闘少女アリータ」というキャラの在り方です。『バイオニック・ジェミー』みたいなサイボーグ・ヒロインはかつて存在しましたが、アリータのような10代少女の外見を持つ戦闘サイボーグは少なくともハリウッド作品では珍しいんじゃないかな。

そしてこのアリータの「親子関係」であったり「ロマンス」であったりする部分、いわゆる「ティーンエージャーの心の揺れ」を物語に持ち込んでいる部分が新鮮ですし、それにより非常に大きな感情移入を可能にしているんですよ。

もうひとつ、この作品ではアンドロイド同士の戦闘が多数描かれますが、「法的にアウト」という理由で基本的に銃器やSF武器は使用されず、あくまで「格闘」をメインとしている部分、つまりサイボーグ同士の肉弾戦を徹底的に描いている部分が逆に興奮を生み出しているんですね。

そしてまた敵のアンドロイドというのがどいつもこいつも醜い鉄の塊みたいな野郎(女性型もありますが)ばかりで、下手に人間の顔をしているもんだからその異様さはなお一層醸し出されます。彼ら、ないしアリータが戦闘の最中に肉体破損したり切り株状態になったりする描写が頻繁に登場しますが、「機械が破壊された」というのとはまた違うグロテスクさがあり、これもまた作品の特色となってるんですよ。

◆『鉄腕アトム』直系のロボット作品の系譜

この作品を観ながら思ったのは、日本のコミック原作である部分から、手塚治の『鉄腕アトム』直系のロボット作品の系譜を継いでいる作品なんじゃないかということですね。アトムと天馬博士との父子関係はまさにアリータそのものだし、ロボットバトルもアトム作品に存在し、そこにおける感情的なロボットたちや破壊されたロボットのグロテスクさもアリータと同様です。

「ロボット」の概念とはユダヤ教伝承の泥人形ゴーレムの如き魂無き無機物ではありますが、心を持ったロボット・アトムはもはや「魂なき無機物」とは呼べません。それは無機物の肉体を持つ生命(A.I.)と呼ぶべきものです。スピルバーグ作品『A.I.』(2001)ではようやくロボットA.I.をひとつの生命の如きものとして描きますが、日本のコミックでは既に先験的に「生命と同等のもの」であり「人間の似姿」だったんですね。

アリータはロボットではなくサイボーグですが、「無機物の肉体を持つ生命」といった部分で同行のモチーフを描いてはいないか。それは作者が意識するしないに関わらず、日本のコミックの遺伝子を持った作品ならではの物語性がこの作品には内在していないか。そしてそんな日本独特の感覚が欧米監督の目に止まったんではないか。そんなことをちと考えた作品でもありました。

◆オマケその1:「T」と「A」のヒミツ

ジェームズ・キャメロンの監督作品のタイトル殆どが「T」「A」で始まる、ということを製作者のジョン・ランドーが指摘している、というお話です。

ランドーはキャメロンのほとんどの映画が『タイタニック』(T)、『エイリアン2』(A)、『ターミネーター』(T)、『アビス』(A)、『トゥルーライズ』(T)、『アバター』(A)とTまたはAで始まるタイトルばかりであると指摘している。

アリータ: バトル・エンジェル - Wikipedia

そしてこの『アリータ:バトル・エンジェル』は(キャメロン監督作ではありませんが)「A」で始まる映画なんですね。 

◆オマケその2:こんな『アリータ:バトル・エンジェル』はイヤだ!?

……以上、お粗末様でした!!


『アリータ:バトル・エンジェル』 予告編2 (2018年)

 

アート&メイキング・オブ・アリータ:バトル・エンジェル

アート&メイキング・オブ・アリータ:バトル・エンジェル

 
新装版銃夢(1)錆びた天使 (KCデラックス)

新装版銃夢(1)錆びた天使 (KCデラックス)

 
アリータ:バトル・エンジェル(オリジナル・サウンドトラック)

アリータ:バトル・エンジェル(オリジナル・サウンドトラック)

 

 

怪人連盟第3弾『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン:センチュリー』を読んだ

■リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン:センチュリー / アラン・ムーア(原作)、ケビン・オニール(画)

リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン:センチュリー

1910年、火星人の侵略から倫敦を守り抜いた怪人連盟。だが、その代償は大きかった。ジキルとグリフィンが命を落とし、ネモ船長が去った今、残るはミナ・マリーとアラン・クォーターメイン・“ジュニア”のみ。不死なるオーランドーの助力を得た二人は、破滅をもたらすとされる「ムーンチャイルド」の誕生を阻止すべく動き出す。それが、一世紀にも及ぶ長き戦いになるとは知る由もなく…。1910年、1969年、2009年と三つの時代を舞台に、怪人連盟と希代の魔術師の死闘を描く、鬼才アラン・ムーアの代名詞たる長寿シリーズ、堂々の第三弾登場!

大英帝国の薫り高い「怪人連盟」の物語第3弾!

H.G.ウェルズジュール・ヴェルヌ、H.R.ハガード、ブラム・ストーカー、ロバート・ルイス・スティーヴンソンら19世紀から20世紀初頭に掛けて活躍した英国作家によるSF・怪奇・冒険小説の主人公を結集させ、「怪人連盟」の名の下にビクトリア朝イギリスを襲う超自然的な危機を救う!というグラフィック・ノベル『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン(LoEG)』シリーズの最新作第3弾が遂に発売されました。

原作は『ウォッチメン』『Vフォー・ヴェンデッタ』『フロム・ヘル』『バットマン:キリングジョーク』『スーパーマン:ザ・ラスト・エピソード』 を手掛けた鬼才、アラン・ムーア。原作コミックを読んだことの無い方でも幾つかの映画化作品の存在はご存知でしょう。彼の文学的で批評的でアダルトな切り口を見せる問題作の数々はグラフィック・ノベル界に新風をもたらし、コミックというものを新たなステージに立たせたといっても過言ではありません。

この物語、当時のイギリスにまつわるあらゆる小ネタ、実在/フィクションの人物・出来事を徹底的に散りばめ、19世紀イギリス文化と文学を極限まで濃縮したとんでもない「裏イギリス史」作品でもあるのです(ちなみにこのシリーズを映画化した『リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い』という作品がありますが、原作とは似ても似つかない駄作なので考慮に入れる必要はありません)。

■これまでの作品を振り返ってみる

まずはこれまで発表された『LoEG』の物語を振り返ってみましょう。

◆リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン

リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン

リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン

 

ビクトリア朝時代を舞台に、アラン・クォーターメン、ネモ船長、ジキル博士とハイド氏、透明人間、さらに吸血鬼ドラキュラのヒロインが主人公となり、大英帝国の繁栄を脅かす魔人フー・マンチューの陰謀を討つ!というとんでもない物語なんですが、それだけではなく、作品全体を覆うスチームパンクのテイストが堪らなく素晴らしいんです!

◆続リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン

続リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン

続リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン

 

今作ではH.G.ウェルズの『宇宙戦争』で描かれた火星人が敵役として登場し、前作を遥かに超えるスケールでロンドンを蹂躙してゆくのです!毎回古きイギリスを彷彿させるSF・推理・怪奇小説の小ネタがとどまるところを知らぬ量で散りばめられるこの作品ですが、さらに今作では「火星しばり」ということで、火星を舞台にしたプロローグで物語られるのはE.R.バローズの「火星シリーズ」の様々な登場人物と小ネタです!

■そして怪人連盟第3弾『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン:センチュリー』

こうして2作に渡り19世紀ビクトリア朝イギリスを救ってきた「怪人連盟」ですが、この第3作においては時代は20世紀に突入、さらには21世紀にまでその戦いが波及してゆくのです。実に100年を優に超える年代を経ることになりますが、「怪人連盟」のメンバーの殆どは「不死」であり、そうでない者は「代変わり」して登場しており、主要メンバーはほぼ変わりが無いんですね。

今作の主人公となるのは『ドラキュラ』のヒロイン、ミナ・マリー、『ソロモン王の洞窟』で知られるアラン・クォーターメイン、『海底2万里』ネモ船長の落し子ジャンニ、さらに新メンバーとしてヴァージニア・ウルフ作品『オーランドー』の主人公である不死者オーランドー。そして彼らと敵対しイギリスを地獄の底へ落とそうとする邪悪なる男オリバー・ハッドは実在の魔術師アレイスター・クロウリーをモデルにしてるんですね。

物語は3章に分かれています。第1章「何が人間を生かしているのか?」では1910年のオカルト社交界を舞台に、シャーロック・ホームズの兄マイクロフト、切り裂きジャック、時間旅行者アンドリュー・ノートンなどを登場させながらイギリス・イーストエンドで巻き起こる大災害へと展開します。

第2章「黒く塗れ!」では1969年を舞台として当時のサイケデリックなロック/ドラッグ/ヒッピー・カルチャーを登場させ、その裏で進行する魔術師オリバー・ハッドの邪悪な企みを阻止せんと奔走する「怪人同盟」の活躍を描きます。そしてこの章において物語の鍵を握る人気ロック・バンドのモデルはあのローリング・ストーンズなんですよ!?

第3章「ぶち壊せ」ではいよいよ舞台は2009年の汚濁と退廃に満ちたイギリスです。戦いに疲弊し新しい文化にとまどう「怪人同盟」メンバーはここで遂にハッドとの最終決戦に挑むのです。そしてこの第3章、なんとキーワードとなるのはあの!「ハリー・ポッター」シリーズなんですよ!?そしてラストには”アレ”が!?えええええこのネタまで!?と驚愕必至!

今作では今までの2作を遙かに越えるとてつもない量の小ネタ・裏ネタが続出します。ドイツの劇作家アルベルト・プレヒトの音楽劇『三文オペラ』から始まり終いには『サンダーバード』まで飛び出す始末!なにしろ全ては書き切れませんがその引用の膨大さ詳細さには気が遠くなりそうなほど。原作者アラン・ムーアの博覧強記も凄まじいですがこれら引用を脚注として小冊子にまとめた日本版編集者の尽力にも頭が下がります。

作品全体の雰囲気はどこまでもアラン・ムーア節全開、シリアスな物語の中に皮肉と冷笑と諧謔を織り交ぜ、性描写は露骨で低劣、暴力描写は無慈悲で醜悪、心にルサンチマンを抱えた主人公にも登場人物にも感情移入は困難です。ケビン・オニールのグラフィックは非常に特徴的ですが不安定で時に破綻を見せ、決して親しみやすくはありません(サイケデリック描写は稚拙だったなあ)。この第3巻はひたすら癖が強く、これまで以上にシニカルな作品となっています。しかしやはり「イギリス文化史地獄巡り」とも言える物語は強烈な吸引力に満ちており、片時も目が離せないんですよね。そういった部分で万人向けではないんですが、英国サブカルチャーにこだわりのある方なら一度手に取られてみるといいかもしれません。

リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン:センチュリー

リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン:センチュリー