シッペー怒涛だった

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シッペー報告だった

シッペー(つまり疾病)については書くのも読むのも苦手である。まずネット上で書くと大袈裟に伝わってしまう。風邪なんて人生で1万回ぐらい引いているだろうが、ネットで「風邪ひいた」なんて書いてしまうと限りなく重篤な呼吸器疾患を引き起こし意識朦朧入院点滴状態であるかのように伝わってしまうのだ。たいしたことでもないのに心配をかけてしまう。これが苦手だ。

個人ブログの疾病報告も苦手だ。これは最初に書いた「大袈裟フィードバック」の逆パターンで、今度は読んでいるオレが過剰に反応し、ちょっとした擦り傷の報告すら満身創痍入院手術状態であるかのように思えてしまうのである。本人にはたいしたことでなかったとしても、妙に心配してしまう。苦手だ。

同時に、人様の疾病を目の当たりにすると、人間というのは肉体にしても精神にしても脆く傷つきやすく確実に摩耗し老いてゆく存在であるであることをどうしても認識せざるを得なくなってしまう。実の所それは現実ではあるけれども、それを意識させられることが、やはり苦手なのだ。

とまあここまで長々と書いておいてなんなんだが今回はオレ個人のここ最近のシッペー報告である。あれがイヤだこれがイヤだとグダグダ言っておきながらなぜそのシッペー報告をするのかというと、オレにはネット上で古くから知己の方が幾人かおり、それらの方への現状報告といった意味がある。それとこのブログは日記でもあるので、「2018年のこの頃はどんな健康状態だったか」を記録しておきたいというのがある。そういった内容なのでこのブログ主には何の興味も無いという方は当然ながらさっさとブラウザを閉じてもらって構わない。ではぼちぼち行ってみよう。

あちこちガタが来やがるのだった

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まず今年の初め頃、膝を痛めてしまった。これは仕事のシフトが変わり、ほぼ一日ゲンバで歩き回るようになったからという理由があるだろう。これにより一日における歩行歩数は1万5千歩を超え、2万歩に届く日もあった。それが祟って膝が不調を起こし、痛みがひどくなり仕舞いに殆ど歩くことが出来なくなってしまった。後で知ったのだがどうやら冷やしたのがまずかったらしい。薬局でサポーターを買い暫く仕事中はそれをして過ごしたが、痛みを気にすることが無くなるまで一ヶ月以上掛かった。自分はこの歳になっても肩や腰を痛める事が殆ど無い人間だったので、膝に来たのにはびっくりさせられた。今現在は特に痛みは無い。

3月になって今度は口中の歯茎が腫れまくるという異常事態に至った。おまけに知覚過敏が酷くなり冷たい物を口に入れると沁みまくる。オレは日本酒など体を温めるタイプの酒を飲むとてきめんに歯茎に来るので気を付けていたのだが、今回は慌てて歯科医に出向いた。まあしかし歯医者に行ってもこの手の疾患は「ちゃんとブラッシングしてください」で終わってしまう。とりあえずブラッシングを頑張ってほぼ腫れは引いたのだが、今度は奥歯の一本がずっとグラグラする。歯医者からは「あまり酷い場合は抜かなくちゃいけないかも」と脅かされ、この歯の隣がもともと無いものだから「オレもいよいよ入れ歯か……」と暗澹たる気持ちになった。

グラグラしている歯は実に陰鬱に痛み、鎮痛剤を常用する羽目になったが、今度はそれと時期を同じくして花粉症が発症、鼻水が止まらず頭が重く、これも鼻炎薬を飲まねば収まらない。しかし鎮痛剤と鼻炎薬を同時に飲むのはさすがにマズイだろと思い、常にどちらか重い方の薬を飲むことになった。まあ実際の所鎮痛剤で済んだが。とはいえ一週間鎮痛剤を飲み続けた時には「これヤヴァイんじゃないか」とやはり暗澹たる気持ちになった。その後辛抱強くブラッシングした所歯茎の痛みは収まったが、今だ歯のほうは微妙にグラグラしている。

歯茎が痛むためと歯がグラグラしていた為、食事をするときには痛くない側だけを使って咀嚼することになり、そのせいもあって固いものが食べられなくなった。さらにやはり片側だけだと食べ物がきちんと咀嚼されていないようで、今度は胃が痛むようになった。これも歯茎の痛みが治まり比較的きちんと咀嚼できるようになってから収まったが、歯が悪いと体も悪くするなあとしみじみ思った。

それとこれはシッペーということではないのだが、以前より右目の下瞼に脂肪の溜まった袋状のものが出来ており(「霰粒腫」というらしい)、これは痛いわけでもないので20年近く放置していたのだが、見てくれもよくないのでそろそろ切除しようかと思い眼医者に行ってきた。簡単な手術と一針のみの縫合で、眼帯も半日のみ。しかし半日とはいえ片目だけの生活は難儀した。出血は僅かで多少の腫れこそあったが術後は良好で、手術の一週間後に抜糸して終了となった。この治療をした時「そういやオレ、これで耳と口と鼻と耳、頭部器官全部の医者に行った事になるな」と妙な感慨を抱いた。いや、あとは脳か。これはイヤだな。

報告は以上になる。現在の所特に痛い所も痒い所も無いのだが……実は鼠径部に近い右わき腹に時たま微妙な不快感がある。なんだろなーと思いつつ様子見しているところだ。

終わる世界/映画『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』

アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー (監督:アンソニー・ルッソ ジョー・ルッソ 2018年アメリカ映画)

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マーベルヒーロー総出演映画『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』を観てきました。今回はなるべくネタバレ無しで書くつもりです。

最初に白状しちゃうとオレ、MCU、いわゆる「マーベル・シネマティック・ユニヴァース」映画って正直楽しめなかった作品が多くて、全然思い入れがないんですよ。最初の『アイアンマン』から『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』あたりまでは面白く観てたんですが、『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』、あれがダメだった。辛気臭くて。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』1,2作目は凡作にしか思えなかった。『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』に至ってはお題目が多くてイラつかされた。

そんなオレなんですが、今作『インフィニティ・ウォー』は「アベンジャーズ全滅へのカウントダウンが始まる!」とか言ってるんで、「そろそろ最後みたいだしハナシのネタにちょっくら観とっか」程度の興味で劇場に行ったんですけどね。

そしたらアナタ。これが。メチャクチャ凄まじい映画だったじゃないですか!?

いやあ、よくもこんな情け容赦ない映画作ったもんだ。感服しました。今までブログやツィッターMCU貶したこともありますが、ここで全面降伏します。オレが悪かった。MCU製作者の皆様並びにファンの皆様、本当にスイマセン。

(とはいえ、「全然思い入れがない」とか言ってるくせに、調べたらMCU作品全部観てるんだよなあオレ……最近のだって『ドクター・ストレンジ』や『ブラックパンサー』なんか大絶賛だったんじゃんかよオレ。「好きじゃない作品もあった」ぐらいでMCUを全否定してたのかよオレ。実は好きな事認めたくなかったのかよオレ?このヒネクレモノ……)

メチャクチャ凄まじい、と思わされたのは、「これまでの全部のMCU作品はこの『インフィニティ・ウォー』の為に用意されていたんだな」と思わずにはいられない巧妙極まりない構成を感じさせてくれたからですね。

あのキャラも、このキャラも、どれもみんな無駄じゃないんだよ!それぞれにきちんと役割があって見せ場があるんだよ!特にガーディアンズ!オレ最初に『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』がつまんなかったって書いたけど、この『インフィニティ・ウォー』でのガーディアンズの連中、誰も彼もが愛おしくてカッコよくて、オレみんな好きになっちゃったよ!そう考えるとガーディアンズ1,2作目を観ていたことは、実はまるで無駄じゃなかったってことなんだよ!

それともうひとつ驚かされたのは、ケツアゴならぬキンタマアゴをした最大の敵、サノスのキャラクターでしょう。大概このテの敵キャラというのは冷酷で非人間的で非人格的な存在として登場するんですが、このサノス、あろうことか人間的なんですよ。確かに冷酷かつ悪逆な狂気に囚われたキャラクターではあるんですが、きちんと人格のある存在として描かれている。ここにはびっくりさせられた。そしてそれにより物語に非常に深みを与えることに成功している。

そしてとてもよかったのは、お話がとてもシンプル、これに尽きるでしょう。いろいろ因縁なり前作までのわだかまりなりが描かれもしますが、基本となるのはヒーローたちとサノス軍団の、勝つか負けるかというその戦いです。要するに、どっちが強い?というアクションが延々と描かれている。「そんな単純な話じゃねえ」と言われそうですが、少なくとも単純化して観る事が十分可能だ。そしてこのパワーバランスのシーソーゲームが、善だ悪だという能書きを逸脱してくれて、いっそ清々しいぐらい楽しい。

それと、ガーディアンズの流れもあって、物語の舞台が半分ぐらい宇宙(の他の星)だっていうのもいい。MCUに限らず、そもそもこのジャンルのヒーローモノっていうのは地球のどこぞの都市が襲われて、善良な市民の皆さんが逃げまどう中、ヒーローが正義の為に立ち上がる!てなお話が多くて食傷していたんですよ。ただし宇宙ばかりだと今度は逆に絵空事のように思えてしまう。地球と宇宙半々のバランスがいいんですね。

そしてもちろん、最高にメチャクチャ凄まじいと感じたのは、「アベンジャーズ全滅へのカウントダウン」というヤヴァい内容にあります。「情け容赦ない」と思ったのはそんな部分だった。この辺はネタバレになるから詳しくは書きませんが、心の準備していても「え!?ウソ!?ホントに!?いいのコレ!?」と驚愕しちゃうんですよー。

ヒーロー死なせてショッキングさで売る、というのはあざとく感じるかもしれませんが、原作のアメコミでも結構殺しちゃってる作品もあるみたいだし、そもそも、こういった物語の、「回を追うごとに敵がインフレーションを起こす」という定石を、一回リセットしちゃう、っていうのは賢い判断じゃないのかな。MCU作品が今後どうなっていくのかは知りませんが、次作『アベンジャーズ4』で綺麗な一区切りが着けようとするのは、作品的にも正しい事なんじゃないでしょうか。


「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」本予告

『スタートボタンを押してください ゲームSF傑作選』

スタートボタンを押してください (ゲームSF傑作選) (創元SF文庫)

『紙の動物園』のケン・リュウ、『All You Need Is Kill』の桜坂洋、『火星の人』のアンディ・ウィアーら、現代SFを牽引する豪華執筆陣が集結。ヒューゴー賞ネビュラ賞星雲賞受賞作家たちが、ビデオゲームと小説の新たな可能性に挑む。本邦初訳10編を含む全12編を厳選した、傑作オリジナルSFアンソロジー。

ビデオゲームは好きだ。好きなんだがやれてない。仕事が終わって家に帰り着くと大概疲れていてゲームをする気力が無くなっているからだ。映画みたいな受動的なメディアなら寝転がって気楽に観ていられるがゲームは能動的にアクションしなければならないので体力がいるのだ。あとまあ家帰ると酒飲んじゃうってのもあるなあ。

そんなゲームやれてないオレではあるが、「ビデオゲームをモチーフにした短編SFアンソロジー」がリリースされると聴いて実に心が躍った。ゲームにSF、オレの好きなものがカップリングされた夢のような企画ではないか。カレーライスにトンカツが乗っかって二倍お得なカツカレーの如き満足感ではないか(どういう比喩だ)。

今回紹介する『ゲームSF傑作選/スタートボタンを押してください』は2015年に出版された短編SFアンソロジー『Press Start To play』を元に、そこに収められた26編から12編の作品を翻訳収録している。執筆者はケン・リュウ、アンディ・ウィアーといった新時代SFの旗手から日本人作家・桜坂 洋、あとはエトセトラエトセトラといった感じだ。要するに名前に馴染の無い作家という事だが、本書のバイオを読むと「あの作品に関わったあの人か!」という作家も意外と多かった。

ビデオゲームがモチーフのSF」ということだが、一口にゲームといってもジャンルは様々、テキストアドベンチャーからFPSサバイバルホラー、シミュレーション、MMORPGなどなど、いろいろなビデオゲームが題材にされている。また、ゲームのもつある特徴を抜き出しそれを膨らませて物語にした作品もある。それは「1アップ」「NPC」「神モード」「キャラクター選択」といった作品タイトルからも伺えるだろう。特に桜坂 洋「リスポーン」にはゲーム自体は登場しないけれども、"リスポーン(何度も生まれ変わる)"といったゲーム特性のみを物語に抽出し優れた作品をものにしている。

個々の作品のクオリティを言うと、正直なところ特上から並まで玉石混交ではあるのだが、オレ的には「ビデオゲームがモチーフ」であるというだけで面白さや興味が一段底上げされる形となった。要するに、結果的にはどの作品も楽しめた。ゲームというテーマへのアプローチが多種多様なのもよかった。なんだろう、「ビデオゲーム」ってだけで、なんだかワクワクしてくるんですよ。最初に書いた「二倍お得な」じゃないけれど、SF小説を読みながら尚且つゲームのことも頭に思い浮かべられる、なぜだかこれがとても楽しいのですよ。

というわけでゲームという着眼点の面白かったアンソロジー『スタートボタンを押してください』だが、原著から抜粋ということを考えるなら、このアンソロジーが好評な場合は残りの作品もまた別の単行本で訳出される機会かあるかもしれないってことだな。まあクオリティのせいで選別されたってこともあるかもしれないが、そういうのでなければ残りも是非訳して欲しいな。 

 《収録作》

アーネスト・クライン 序文
桜坂 洋「リスポーン」
デヴィッド・バー・カートリー「救助よろ」
ホリー・ブラック「1アップ」
チャールズ・ユウ「NPC
チャーリー・ジェーン・アンダース「猫の王権」
ダニエル・H・ウィルソン「神モード」
ミッキー・ニールソン「リコイル!」
ショーナン・マグワイアサバイバルホラー
ヒュー・ハウイー「キャラクター選択」
アンディ・ウィアー「ツウォリア」
コリイ・ドクトロウ「アンダのゲーム」
ケン・リュウ「時計仕掛けの兵隊」
米光一成 解説 

スタートボタンを押してください (ゲームSF傑作選) (創元SF文庫)

スタートボタンを押してください (ゲームSF傑作選) (創元SF文庫)

 
スタートボタンを押してください ゲームSF傑作選 (創元SF文庫)

スタートボタンを押してください ゲームSF傑作選 (創元SF文庫)

 

サイバーギークと巨大システムとの戦い/映画『レディ・プレイヤー1』

レディ・プレイヤー1 (監督:スティーヴン・スピルバーグ 2018年アメリカ映画)

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■VRゲーム世界《オアシス》での攻防

「こんなのウソだろッ!?」と呆然とするほどゲームや映画やコミックのキャラクターが出まくりまくる今ソチラ関係では話題沸騰中のスピルバーグ映画『レディ・プレイヤー1』観てきました!

予告編でも相当にチラチラといろんなキャラが顔を出していましたが、実際映画を観始めるとこれがもうホントにとんでもない量です!アレや!?コレや!?アレとかコレとか!?えええええコレまで出て来ちゃうの?!と呆然としまくり!特にアレのシーンが突然始まった時なんか観客みんなが「お・お・お?!」と息を飲む声が聞こえた程です!ネタバレ嫌いな人は今すぐ観に行くんだ!!

とりあえずざっと粗筋を紹介すると、舞台となるのはいろいろあって荒廃しまくっちゃった2045年の未来が舞台。人々は暗い現実を逃れるため「オアシス」という仮想現実ゲームに入り浸っています。しかしそのオアシスの創設者ジェームズ・ハリデーが死に、遺言としてゲーム内に隠された謎と試練を潜り抜けた者にオアシスの所有権と5000億ドルの遺産を与えると告げるのです。主人公ウェイドは世界の人々と同様このゲームに挑みますが、オアシス掌握を狙う巨大企業IOIの冷酷な追手がウェイドを阻むのです!

■あんなキャラこんなキャラが総出演のお祭り映画

とまあそんな物語の、ヴァーチャルゲーム世界に登場するのがあんなキャラやこんなキャラなんですな!その数は膨大だし中にはネタバレになっちゃうものもあるのでここでは特にそれぞれを取り上げてアレコレ書いたりは致しません。しかしそんな煌びやかなゲームシーンやキャラクターばかりが話題になる『レディプレ1』ですが、同時に生身の人間同士のドラマやサスペンスもきちんと描かれてて、この辺やっぱスピはハンパない監督だよなあと思ったね。むしろ現実世界のドラマがきちんと描かれていたからこそゲーム世界の描写が生きていた、ということもできるでしょう。

これはジュマンジの時も思ったけど、レディプレ1でアバターとなってバーチャル世界を潜り抜けてきた者同士が現実世界で顔を合わせた時の一瞬で気心知れあっちゃう感じ、あれブログの知り合いと始めてオフ会した時の安定感とどこか似ていてなんだかスゴイ分かるですよね。それにしても、どんな映画でもそうなんですが『レディプレ1』は観た者同士だけで「アレがコレでソレだったしアレなんかコレだったよね?!」ととことん盛り上がりたくなる映画でしたね!

■『レディ・プレイヤー1』の幾つかの疑問点

とはいえ幾つか疑問点があったのも確かです。まず現実世界なんですが、ここに登場する主人公を始めとするスラム世界の住民たちが、ゲームやってる以外どんな生活をしているのかはっきり描かれないんですよ。どんな仕事をして生活費を稼いでるのかとか、政治は機能しているのかとか、主人公は学校に行ってるのか、とかですね。そういう、地に足の着いたリアリティがどうも見当たらないんですが、これは何か理由があっての意図的なものだったんでしょうか。

次に使われる楽曲が主に80年代の曲が多いんですね。ゲーム世界の登場キャラクターは年代に関わらず万遍無く登場しているようなんですが、それでも、若干古いものが多く感じる。これは原作においてオアシスの創設者ジェームズ・ハリデーがもともと80年代フリークだったから、という設定から来ているのでしょうが、ではなぜ80年代でなければならなかったんでしょう。

あとやはり、「ゲームしか喜びの無い世界」でのゲーム世界での勝利って、なんの意味があんのかなあとも思えるんですよ。主人公たちが勝利したとしても、それ以外のゲームプレイヤーの現実は、結局惨めなまま変わらない訳でしょう。

■サイバーギーク V.S. 巨大システム

しかしこの物語は単に「主人公がオアシスでナンバーワン・プレイヤーになる物語」では決してないんですね。物語における「戦い」はゲームAIとの知恵比べという側面だけではなく、オアシス占有を企む大企業と主人公との戦いでもあるんです。これは、「ゲーム世界」という最後の自由の牙城を、経済活動以外に興味の無い冷徹な大資本から守り抜こうという戦いでもあるんです。これはある種、管理や束縛を嫌い自由と風通しのいい世界を好んだサイバーカルチャーの中の人たち、サイバーギークたちを暗喩しているのではないか。

そう考えると物語内の現実世界が抽象的な背景しか持たないことも、初期サイバーカルチャー時代と重なる形で当時のサイバーギークたちが愛したポップカルチャーアイコンがつるべ打ちに登場することも理解できるんですよ。オアシスの創始者ジェームズ・ハリデーはこのサイバーギークそのものであり、サイバーカルチャーの思想を代表する存在でもあるんです。

即ち「ゲームしか喜びの無い救いようのない世界」とはこの現実の抑圧された状況のことで、その現実の中で自由を謳歌できるオアシスという名のサイバーカルチャーがある。その自由とは巨大企業IOIに代表される非人間的で抑圧的な社会システムと経済システムからの自由だ。それは決して現実逃避ではなくシステムからの逃走と言っていい。そしてそのシステムの束縛から逃れるための戦いがジェームズ・ハリデーの用意したゲームだったのではないか。煌びやかなVRゲーム世界での冒険を描く『レディ・プレイヤー1』は、サイバーギークたちのそんな戦いを描いた作品だったんじゃないかと思うんですね。


映画『レディ・プレイヤー1』予告

ゲームウォーズ(上) (SB文庫)

ゲームウォーズ(上) (SB文庫)

 
ゲームウォーズ(下) (SB文庫)

ゲームウォーズ(下) (SB文庫)

 
メイキング・オブ・レディ・プレイヤー1

メイキング・オブ・レディ・プレイヤー1

 
レディ・プレイヤー1 (オリジナル・サウンドトラック)

レディ・プレイヤー1 (オリジナル・サウンドトラック)

 
レディ・プレイヤー1(ソング・アルバム)

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  • アーティスト: サントラ,ブライアン・グエン
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
  • 発売日: 2018/05/09
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さらばTV Bros.、そしてポップなカルチャー

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TV Bros.」という雑誌があってだな。うわべはTV番組雑誌のようにみせかけてその実ポップカルチャーを大幅にフィーチャーした雑誌なのだよ。オレは新聞も雑誌もまるで読まない人間なのだが、このTV Bros.ファミ通だけは10数年以上律儀に購読していたのだよ(ファミ通はもう読んでないが)。50も半ばを過ぎる様なジジイのオレなのだが、「50過ぎて読む雑誌がTV Bros.ファミ通だなんてオレってロックだぜ……」と勝手に自己陶酔していた。まあ現実的には「なに言ってんだこのクソジジイ」と思われること必至だがな!

ポップカルチャーなんて言っちゃうとなにやらフワフワして足元のおぼつかない、理屈ばかり多くて現実には屁のつっかえにもならない戯言ばかりを躍起になって持ち上げる脳みそお花畑なナニカを連想しちゃうがな、しかしTV Bros.で取りあげられるそれら”カルチャー”は、オレにとってはどうでもいいものだけで溢れ返る世の中でどこか心にしっくりくるある種の「文化的態度」を感じさせて、オレは好きだったのだよ。

かつてはこのポップカルチャーなるものをサブカルチャーと呼んでいた時代もあったな。もちろんポップカルチャーサブカルチャーではないのだけれども、両者はどこかで重なりあるいはその発展形となり現代に存続しているのではないかな。とはいえサブカルなるものは既にこの現在には存在していないと考えた方がいいと思うな。ネットが発達しこれだけ価値観が多様化した時代にメインもサブもないからだよ。

サブカルチャーはかつてカウンターカルチャーの役割も負っていたけれども、価値観のメインが喪失してしまった以上カウンターである役割などもう誰にも求められていないんだ。だから今「サブカル」なんて言葉がどこかで呟かれたとしたら、それは単なる懐古趣味であり昔を懐かしむこと以外に生きる喜びの無い哀れ極まりないジジイババアのパンツに沁みた分泌物のように饐えた臭いのする慰みもの程度の事だと思えばよろしいのだよ。

ああくそう例によって思いっ切り話が逸れた。オレはTV Bros.の事を書きたかったんだ。

オレはTV Bros.で取りあげられる本や音楽や映画がとても好きだったんだ。好きだったし、しっくりきたんだ。そしてTV Bros.のコラムが、とても楽しくて好きだったんだ。オレはこのブログを2004年の2月から、場所をはてなダイアリーからはてなブログへと移しながらも14年間続けてきたのだけれども、オレがこのブログで目指したもの、それは実は、「TV Bros.みたいなブログにしたい」ってことだったんだ。

そこには本があり漫画がありゲームがあり音楽があり映画があり、そして日々の雑事を面白おかしく書いたコラム的な雑文がある。最近は映画のレビューばかり書いているが、決して「映画ブログ」を名乗りたくないしそうしていないのは、「なんだか種々雑多な寄せ集めみたいなブログ」でありたかったからだ。

とはいえ実の所そんな意気込みも10年目ぐらいまでで、あとは惰性と誰に頼まれているわけでもない虚無的な義務感のみでブログを続けているがな。ニヒリストなのだよ。だからブログタイトルは「メモリの藻屑 記憶領域のゴミ」なのだよ。あ、誰もそんなこと聞いてませんでしたか、すんませんすんませんみんなオレが至らないせいです監督不行き届きでしたもう檻から出しません(何をだ)。

で、ここまでダラダラとナメクジが這った後の粘液の跡みたいな文章を書いて何が言いたいかというとですね、そのTV Bros.が、これまで隔週刊だったものが月間化し、いろいろリニューアルするらしいということに思うことがあって、なんですけどね。いやあ、しかしここまで読んでくれてる人世の中に何人いるんだろうなあ、ま、続けちゃうけど、その「思うこと」っていうのは、「もういいや」ってことだったんですがね。

なんだよ、ここまで書いてその結論かよ、そんなの最初に書けよ、ブログは簡潔に要点をまとめることが重要なんだよ、目指せ月間PV100万だよ、SEO対策もばっちりだよ、アフィで稼いでプロブロガーだよ、とかああああうるせえお前に向かって書いてるんじゃねえ失せろ消えろ肛門にアナルビーズ10本ぐらい突っ込まれて取り出せなくなるがいい、と見えない誰かと戦いつつ、その「もういいや」ってのはどういうことかっていうと、もうTV Bros.を読まなくていいかな、ということと、もうポップカルチャーなるものは今のオレには関係ないし実の所よくよく考えるともともと関係無かったかもな、っていうことだったんだよな。

まあ煎じ詰めると年も取ったし新しいものは理解できなくなったしポップだあカルチャアだあなんぞ言ってるよりも残業しないで早く家帰って酒飲んで寝たい、実生活において考える事と言っちゃあそんなもんだし、老後だあ健康だあ貯金だあ年金だあと辛気臭くクソ面白くもねえ現実塗れの不安と心労をポップなカルチャーごときが決して贖いはしないしそれを求めるべきもんでもない、ってことなんだがな。そういった、「もういいや」なんだよ。オレはもう「今日も一日なんとか終わった」「身体がどこも痛まなくて薬がいらない」ということが一番の幸せでしかないんだよ。年取ったんだ。

一番身に沁みて思ったのは、「作業着着て一日平均1万歩以上歩き回りながら埃まみれ汗まみれになって仕事してそれほどでもない給金貰って小さなアパートでおっつかっつの生活するのがやっとのオレにとってアートだのゲージツだのなんていうものは所詮アブクやカスミみたいなもんでしかなかったな」という実感だったな。若い頃オレはアートスクールの脱落者だったものだから、イイ年になってもそんなものに色目を使っていたけれども、やっぱりもう、当然ながら、関係ないんだよ。

つまり今回TV Bros.月間化に際して「もういいや」と思ったのは、TV Bros.に代表されるポップなカルチャー的なもの全般に対して「もういいや」と思ったってことだったわけなんだけどな。つうわけでTV Bros.、今までありがとう。楽しかったよ。もう会うことも無いだろうが、オレの知らないどこかの町で、君を愛する誰かと君がいつまでも幸せに暮らしてくれることを、オレは願って止まないよ。♪るるるーらららー(音楽盛り上がる)。

蛇足になるけどTV Bros.で一番好きだったコラムは蒼井そら光浦靖子のコラムだった。蒼井そらは失礼ながらタレントとしても元の仕事のほうもまるで興味がないのだが、いつも頑張っててその成果もきちんと出せているところにとても清々しさを感じていた。光浦靖子は人生相談における洞察力と洞察力のみに留まらない話の膨らませ方、面白おかしく書いているようで決して言い過ぎない書き過ぎないバランス感覚に抜群の知性と感受性を感じた。あときゃりーぱみゅぱみゅも音楽は全く興味無いんだが文章は若くてスピードがあって読ませるんだよなあ。それとTV Bros.の映画評は他のどんな映画評よりも参考にしていた。短い字数でこれだけきちんと評価を述べられる、やっぱりプロの仕事は逆立ちしても真似できないくらい違うもんだよなあとひとりの泡沫ブロガーとしてしみじみ思っていた。