我が家にスーパーガールがやってきた

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なんと!我が家にスーパーガール様がいらしてくださったのです!

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おお!!

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おおお!!!

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おおおお!!!!

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おおおおお!!!!!

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おおおおおお!!!!!!

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うおおおおおおッ!!メッチャ可愛いいいいいいッ!!!!!

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イルファン・カーン主演による中年シングルカップルのロードムービー/映画『Qarib Qarib Singlle』

■Qarib Qarib Singlle (監督:タヌージャ・チャンドラ 2017年インド映画)

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2017年に公開されたインド映画『Qarib Qarib Singlle』は少々風変わりとも言える大人の恋を描くユニークなロマンチック・コメディだ。主演はイルファン・カーン、ヒンディー語映画初主演となる南インド女優パヴァシー。監督は『Dushman』(1998)、『Sangharsh』(1999)のタヌージャ・チャンドラ。

《物語》保険会社で辣腕を振るうジャヤ(パヴァシー)は私生活では35歳になる一人暮らしの未亡人だった。そんな生活に孤独感を覚えた彼女はある日出会い系サイトに登録し一人の男と会うことになる。待ち合わせのカフェにやってきたその男ヨギ(イルファン・カーン)は破天荒で掴み所のない性格をしており、最初苦手に感じていたジャヤだったが、ヨギのペースに乗せられるまま一緒に旅行に出掛けることになってしまう。しかもその旅行は、ヨギのかつてのガールフレンド3人の元を訪れる、というものだった。

この物語の風変わりさはなにしろこの発端にある。男と女が出会い系サイトで知り合うのはままあることだろう。しかし物語の主人公ジャヤはヨギがどんな男なのかよく知らないまま一緒に旅行に出掛けることを決めてしまう。しかもその旅行とはヨギの元カノを訪ね歩くというものだ。さらにその理由が「彼女らが自分と別れて悲しんでいないか確認したいから」だと言うではないか。まあ少なくとも、日本人の一般的な感覚だと旅行することも旅行の目的も、相当「ありえない」ことなのではないか。

しかしこの「ありえなさ」が物語を面白くしている。ボリウッド映画はなにしろロマンス作品が強いが、多作なばかりに物語のバリエーションが乏しくなりつつある。新奇で多彩な恋の在り方を描いたとしても、今度は共感するのが難しい物語であったりする。例えばカラン・ジョーハル監督の『心~君がくれた歌~(Ae Dil Hai Mushkil)』(2016)などは新しい恋の形を描きつつ、どこか居心地の悪い白々しさを覚えなかったか。そんな中、この『Qarib Qarib Singlle』は発端こそ奇異だが、その後の展開に十分感情移入可能な物語を持ってきている。それは最初に型にはまった常識や前提を飛び越えることで、その後のドラマにより瑞々しい感触を与えることができているからだ。

旅行に出掛けた二人だが最初から恋愛感情があるわけでもなく、ただ成り行きで二人で行動しているだけだ。成り行きで旅に出ることになった恋愛関係にない男女が次第に心を通わせて行く、というボリウッド作にSRK主演映画『私たちの予感(Jab Harry Met Sejal)』(2017)があるが、この『Qarib Qarib Singlle』はそういった定番の展開を微妙に回避する。まず破天荒な性格のヨギはその破天荒さが祟り旅先で常にドタバタを繰り返す(この辺りのコメディ・センスは実に秀逸)。そしてジャヤはそれに振り回されっぱなしで半ばうんざりしている。とはいえジャヤがそんなヨギを見限らないのは、「この人、なんなんだろう?」となぜだか興味が尽きないからなのだ。それは異性であるという以前に、他者としての興味を抱いているということだ。それだけヨギという男は、呆れさせられると同時に強い関心を抱かせるキャラクターとして登場するのだ。

これは多分に女性視点からの恋愛感情の芽生えを描いたものなのかもしれない。男性視点からのロマンス作品であると、相手をどう振り向かせるか、どのように誠実に振る舞うか、またはどのようにボロを出さないか、が中心となるのだろうが、この作品では主人公女性が相手の強力な男性性に魅惑を覚えるというよりも、その人間性にまず重点を置こうとする。信頼のできる存在であるかどうかを見極めようとする。こういった流れにあるロマンス作品であるという部分が新鮮だ。ある意味二人は、知り合ったから旅に出るのではなく、知り合うために旅に出た、ということなのだ。

そしてこの破天荒で興味の尽きない男ヨギを、イルファン・カーンが抜群の演技力で演じ切る。味わいが深いとはいえ決して二枚目という訳ではない、おまけに結構いいオッサンのイルファン・カーンだが、奇妙な男ヨギのキャラクターは非常に個性的で不思議な魅力に溢れている。ある意味イルファン・カーンだからこそこのような微妙なキャラクターを嫌味なく演じることが出来たとも言えるだろう。そしてこの男ヨギは、その生業や生活が殆ど描かれないといった点で観客にとってもどこか謎めいた男だ。一方、ヒロインを演じるパヴァシーは、中年に差し掛かった女性の夢と願望、迷いと孤独を生活感たっぷりに演じ、これも十分に魅了された。特に中盤、睡眠薬で酔っぱらった(?)ジャヤが、遂に己の思いの丈をぶちまけるシーンなどは圧巻だった。

それともうひとつ、この作品の魅力はロードムービーとしての楽しさだろう。主人公二人の旅はまずムンバイから始まり、ウッタラーカンド州デヘラードゥーン、同じくルールキー、ラジャスタン州ジャイプル、シッキム州ガントクへと続いてゆく。実は自分にとって殆どが初めて見聞きするインドの都市ではあるが、しかし映画の中に登場するこれらの都市はどれも美しく豊かな風景を提供し、主人公二人の旅情を鮮やかに盛り上げるのだ。もちろん、観客である我々も、これらの街への旅を疑似体験しながら、緩やかに育まれてゆく主人公二人の恋に思いを馳せることができるのである。そういった部分で映画『Qarib Qarib Singlle』は決して時間を無駄にした気分にさせることの無い優れた良作と言っていいだろう。


Qarib Qarib Singlle | Official Trailer | Irrfan Khan | Parvathy | In Cinemas 10 November 

最近読んだコミック

最近読んだ、というよりも去年の暮れあたりから読んでたコミックを並べてみた。要するに最近あんまりコミック読んでないのね。

■古本屋台/Q.B.B.

古本屋台 (書籍扱いコミック)

古本屋台 (書籍扱いコミック)

 

「古本」と「(一杯飲み屋の)屋台」というミスマッチを狙った作品なんだろうが、なかなか不思議な味わいだった。おまけに後半からどんどん『無能の人』時代のつげ義春テイストが混入してきてさらに奇妙さが倍加してゆく。

ダンジョン飯(6)/九井 諒子
ダンジョン飯 6巻 (ハルタコミックス)

ダンジョン飯 6巻 (ハルタコミックス)

 

ダンジョン探索の明確な目的が提示される今作、九井諒子はファンタジー描かせると本当に上手い漫画家だな。

岡崎に捧ぐ(4)/山本さほ 
岡崎に捧ぐ 4 (BIG SUPERIOR COMICS SPECIAL)

岡崎に捧ぐ 4 (BIG SUPERIOR COMICS SPECIAL)

 

岡崎に捧ぐ」はいよいよ暗黒の社会人篇。この辺りの苦さは身に憶えがあり過ぎて非常に感情移入して読んでしまった。アートスクール脱落組って、これオレのことじゃん……。

■いつもぼくをみてる(1)/山本さほ 
いつもぼくをみてる(1) (ヤンマガKCスペシャル)
 

 そんな山本さほの、実体験ではないオリジナル作品を読んでみたのだが、う~んこれも体験に依存しすぎていて想像力の限界を感じたなあ。

監獄学園(28)/平本 アキラ
監獄学園(28) (ヤンマガKCスペシャル)

監獄学園(28) (ヤンマガKCスペシャル)

 

えええええ!?「監獄学園」これが最終巻っすか!?最後にイイ話に持って行くと見せかけてこの展開は!?いやもう最後まで平本アキラストーリーテリングの絶妙さに脱帽。

ヴィンランド・サガ(20)/幸村 誠
ヴィンランド・サガ(20) (アフタヌーンKC)

ヴィンランド・サガ(20) (アフタヌーンKC)

 

 いかん、11月に読んだからどんな話だったか忘れてる……。

いとしのムーコ(12)/みずしな 孝之
いとしのムーコ(12) (イブニングKC)

いとしのムーコ(12) (イブニングKC)

 

 これも話は忘れたが、まあいつも通りやんちゃでかわいいムーコでした。

■レベレーション(啓示)(3)/山岸涼子
レベレーション(啓示)(3) (モーニング KC)

レベレーション(啓示)(3) (モーニング KC)

 

山岸涼子ジャンヌ・ダルク物語、"啓示"と”妄執”の境界がどこまでも破壊されてゆく展開には息を呑むばかり。 山岸涼子の冷徹な視線は毎回心胆寒からしめるものがあるな。

■終わった漫画家(1)/福満しげゆき
終わった漫画家(1) (ヤンマガKCスペシャル)
 

いつでもどこでも己のリビドーのみを信じそれに悶々とする主人公に相当うんざり。

♪だいにじすうぱあろぼっとたいせんだああ~~/映画『パシフィック・リム:アップライジング』

パシフィック・リム:アップライジング (監督:スティーヴン・S・デナイト 2018年アメリカ映画)

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ギレルモ・デル・トロが監督した『パシフィック・リム』1作目、実はオレあれのどこが面白いのかさっぱり分からんかったんどすわ。

「え……デル・トロで怪獣でロボットで、オレの好きな要素がみんな入ってる筈なのになんなのこの全く盛り上がらない気持ち……」。映画ファンの間ではあれだけ熱狂をもって受けいられた映画なのにオレ自身はまったく気持ちの動く場面が無くて逆に自分がどうにかしたんじゃないのかと思ったぐらい。だからブルーレイが出た時は今度こそはとわざわざ購入して鑑賞したけどやっぱりダメだった。で、その続編となる『パシフィック・リム:アップライジング』が公開されたわけなんだけど、予告編は割といい感じだった。なにしろ前作はつまんなかったけど、この続編ならイケるんじゃないか。そう感じて劇場に足を運んだんだけど、これが、最初の予感通り、1作目なんかより全然いい感じで楽しめる作品だった。

なんだろなあ、前作のうんざりさせられた部分が払拭させられていたからなんじゃないのかなあ。前作はイェーガーも怪獣も重量感たっぷりではあったけど、オレには鈍重にしか見えなかった。戦闘シーンは画面が暗すぎて鬱陶しかった。その他のシーンの映像もモヤモヤフヨフヨしてソリッドさに欠けた。デル・トロの特撮愛がアナクロなものにしか見えなかった。さらにデル・トロの内臓趣味な映像がハイテクロボットSFってな内容に水と油だった。主要登場人物にひとつも魅力が無かった。クセの強い脇役に胸焼けさせられた。

(あれ?要するにオレ、デル・トロが嫌いってこと?かの『シェイプ・オブ・ウォーター』も全然ダメだったしなあ。『パンズ・ラビリンス』や『クリムゾン・ピーク』は好きなんだけどなあ)

だけどこの2作目では十分にスピード感があり、イェーガーの動きも軽快で、さらに秘密兵器をしこたま披露してくれて戦闘シーンを大いに盛り上げてくれた。その戦闘シーンも夜間や荒天の中ではなく昼光で行われ、アクションそのもののみならずイェーガーや怪獣のディテールをつぶさに楽しむことができた。もちろん破壊され瓦礫と化してゆく高層ビル群の描写もクッキリだ!わはは壊れろ壊れろみんな壊れてしまえ!なにより、イェーガーが「稼働する二足歩行巨大戦闘機械」ではなく「スーパーロボット」ぽいのがよかった。イェーガーが空飛んだ時はマジンガーZが初めて空飛んだ時の感動を覚えたね!

ただし登場人物は前作に輪を掛けて魅力に欠けていた。キャラクターもその背景も果てしなくどうでもいい人物ばかりだったな。前作から引き続き登場したキャラもどこぞのホラー映画から間違って出演してしまったようにしか見えないような生気に欠けていた。強いて興味の湧いたキャラを一人挙げるなら『グレートウォール』(2016)、『キングコング: 髑髏島の巨神』(2017)にも出演なさってるジン・テイエン演じるシャオ博士ですかね。いやほらエロっぽかったし、登場の仕方がいかにもワルっぽかったじゃないですか。エロくて悪い女性科学者、いやもうサイコーじゃないっすか。それと他のキャラにオコチャマが多く見えたのは子供向けに製作されたからですかね?

(↓もうジン・テイエン眺めるためだけにこの映画観てもいいぐらいじゃない?)

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シナリオもまあ、頑張ってるっちゃあ頑張ってるが、実の所、新世紀エヴァンゲリオンのアレの話にアレを足して最後はアレの話をアレしたようなストーリーに見えたことも確かなんですがね。クライマックスは東京が舞台になるけど、実際の東京の街並みと全然違うことがどうこう言うよりも、オレには第3新東京市に見えて仕方なかったけどね!ただしかしロボット・ストーリーとしては今風になってるんじゃないかな。なによりイェーガーたちが横並びに揃い踏みになってるシーンなんて壮観だったし「オレはこういうの見たかったんだ!」と思えたけどね。

とまあ前作におけるデル・トロのオタク魂炸裂に心酔したファンには物足りない作品になっちゃってるのかもしれないけど、そーゆーのとか特にどーでもいーと思ってるけどロボットと怪獣がガシガシ戦ってるオハナシは観てみたい、なんて人には丁度いいぐらいの作品なんじゃないかな。あとジン・テイエンのエロさを眺めまわしてみたい人とかね!そんな『パシフィック・リム:アップライジング』でございやした!


『パシフィック・リム:アップライジング』日本版本予告

映画『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』があまりにも面白かったから原作バンドデシネ『ヴァレリアン』を読んでみた

■ヴァレリアン/ ピエール・クリスタン、ジャン=クロード・メジエール

ヴァレリアン (ShoPro Books)

時は28世紀――時空警察の捜査官ヴァレリアンとその相棒ローレリーヌは、星から星へと飛び回り、銀河の平和を守るための任務にあたっていた。今回彼らに課された任務は、宇宙ステーション“セントラル・ポイント"で行なわれる議会に大使を安全に送り届けること。だが、到着した瞬間、何者かに襲撃され、大使が連れ去られてしまった。はたしてヴァレリアンとローレリーヌは無事大使を連れ戻すことができるのか? そして、誘拐事件の裏に秘められた陰謀とは……!? 映画『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』の原作となったエピソード「千の惑星の帝国」「影の大使」の2編に加え、詳しい作品解説、映画公開を記念して行なわれたリュック・ベッソン監督と著者二人による特別対談を収録。

 『ヴァレリアン』の原作となったバンドデシネを読んだ

先ごろ公開された映画『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』は大傑作だった。心底心酔した。少なくとも今年上半期の映画ベスト10作の1つに入れていい。

そんな『ヴァレリアン』の原作本があるというので早速購入して読んでみた。形態はフランスのコミック、いわゆるバンドデシネである。

『ヴァレリアン』の第1作目は1967年11月9日、『ピロット』誌420号に「悪夢」という作品タイトルで登場することになる。作者二人、原作をピエール・クリスタン、作画をジャン=クロード・メジエールが担当した。舞台は28世紀の地球、主人公はもちろんヴァレリアンとローレリーヌ。二人は時空警察官とその相棒という設定だった。

連載は大人気で迎え入れられ、その後2010年、単行本第21巻において堂々完結。実に43年間も続いた長寿シリーズであった。単行本全体としては第0巻とシリーズガイドである第22巻を加え全23巻となるのらしい。累計販売部数は250万部、十数の言語に翻訳され、アニメ化もされている。

今回日本で発売されたコミック『ヴァレリアン』には数あるエピソードの中から2作が選ばれ収録されている。どちらも映画版『ヴァレリアン』の原作となった、あるいは関わりを持つ作品である。ひとつは「千の惑星の帝国」(1971)、もうひとつは「影の大使」(1975)。というわけでこの2作を紹介してみよう。 

「千の惑星の帝国」(1971)

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実は「千の惑星の帝国」 は映画化内容とはそれほど関係ない。しかし映画版の副題「千の惑星の救世主」はこの「千の惑星の帝国」にちなんでつけらている。物語はある銀河の中心にある千の惑星の帝国の首都惑星シルトを舞台に、主人公二人がこの帝国を支配する"賢者"たちの陰謀を暴く、というもの。

エキゾチズムに溢れた未知の惑星の描写が印象的な作品だ。作画はまだ伸びしろを感じさせる荒削りな部分もあるが、SFマインドに溢れた数々のグラフィックは十分魅力的と言っていい。ただしト書きが非常に多く、説明的な台詞も多々見受けられるので、日本の漫画の調子で読もうとすると少々読み難いかもしれない(「影の大使」ではそれは払拭されている)。

この作品で驚かされるのはかの名作SF映画スター・ウォーズ』との類似点の多さだろう。主人公たちの駆る宇宙船はミレニアム・ファルコン号似だし、カーボン冷凍されたハン・ソロのように固められたヴァレリアンは登場するし、厳めしい兜の下に焼けただれた顔を隠す"賢者"たちはダースベイダーそのものだ。巨大で虚ろな石造りの宮殿を守る異星人の姿はジャバ・ザ・ハットの宮殿シーンを思わせる。

この「千の惑星の帝国」 の刊行が1971年ということを考えるなら、1977年に最初のエピソードが公開された『スター・ウォーズ』の先を行っていたということになる。しかし自分はここで『スター・ウォーズ』が『ヴァレリアン』原作の剽窃であると言いたいわけではない。一切参考にはしていないとは思わないが、むしろ『ヴァレリアン』を始めとする様々なSFデザインの結実点に『スター・ウォーズ』があったということだろう。そう、『ヴァレリアン』は『スター・ウォーズ』の原点でもある、ということなのだ。

「影の大使」(1975)

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1975年に刊行されたこの「影の大使」こそが映画『ヴァレリアン』の原作となるものだ。舞台は様々な異星人たちの暮らす広大な宇宙ステーション、セントラル・ポイント(映画版では「アルファ宇宙ステーション」)。ここで議会を開催する地球大使の護衛として主人公たちはやって来るが、謎の異星人の襲撃により大使は連れ去られ、それを追ったヴァレリアンも行方不明となる。残されたローレリーヌは大使とヴァレリアンの救出に向かうが……というもの。ね、映画と一緒でしょ?

この原作を読むと映画版の数々の「余計なシーン」と批判を受けているシーンが、実は原作を忠実に再現しただけのものであることがわかる。それぞれ映画版と原作では名前が違うけれど、ミュール変換機や情報屋ドーガン=ダギーズ、ステーション深部の危険地帯、変幻自在の異星人グラムポッド、邪悪の種族ブーラン・バソール、あと頭に乗っけるデカいクラゲみたいなやつとそれを採取するため沼でデカいモンスターと追いかけっこするシーン、その他その他、みんな入っている。

 もちろん映画版はこの原作以上に話を膨らませていて、例えば映画冒頭の「砂漠の惑星キリアン」における大捕り物はこの原作にはまるまる存在しないし、キャラ説明としての最初の主人公二人のやりとりも存在しない。映画版では司令官として登場した大使のキャラやその背景もかなり違う。けれども、「まるでおもちゃ箱をひっくり返したような」と形容されるリュック・ベッソン映画『ヴァレリアン』は、そもそもその原作自体が「まるでおもちゃ箱をひっくり返したような」バンドデシネ作品だったことがこれを読むと分かるのだ。

例えば映画『ヴァレリアン』には今日的な多様性が描かれている、という批評をよく見かけるのだけれど、実はその"多様性"は既にこの原作で再現されている、という事もよく分かる。だってあのリュック・ベッソンが”多用性”なんか気に掛けるタマだとは思えないでしょ?これはコミック巻末のインタビューで書かれているのだけれど、原作者クリスタンはアメリカSF的な善悪二元論をこの『ヴァレリアン』に持ち込みたくなくて、むしろ真実を決めつけない曖昧なものにしたかった、と言っている。この「決めつけない事」が観る人によっては"多様性"にとれたのではないかと思う。

さて数ある「ヴァレリアン」作品の中でなぜこの「影の大使」が映画化されたのか?ということだ。ベッソンは「警察の捜査法なぞっていて謎を追う楽しみがある事」「主人公二人がお互いを助け合う物語であるという事」を挙げている。確かにその通りなのかもしれないけれど、この「影の大使」を読んでいると別の理由だったんじゃないかと思えてくる。

実はこの「影の大使」、ローレリーヌが大活躍する上に、非常に魅力に溢れたキャラに描かれているのですよ!もうホントに可愛いんです!そして可愛いだけじゃなくて表情豊かで行動力にも優れている。読んでいて惚れちゃう事必至!そう、ベッソンがこの「影の大使」を映画化しようとした本当の理由、それは美しくタフなローレリーヌの姿を、実写で再現したくてたまらなかったからじゃないのか、とオレは睨んでるんですけどね。そして原作とは全く違う映画のヴァレリアンのドンファンな気質は、あれは即ちローレリーヌを愛して止まないベッソンのキャラだったんじゃないか、とオレは邪推しているんですよ。

ヴァレリアン (ShoPro Books)

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