シンギュラリティ・スカイ / チャールズ・ストロス

シンギュラリティ・スカイ (ハヤカワ文庫SF)

シンギュラリティ・スカイ (ハヤカワ文庫SF)

特異点の空
この間読んだ『残虐行為記録保管所』が結構面白かったのでチャールズ・ストロスに再挑戦。この『シンギュラリティ・スカイ』はストロスの処女長編となるらしいが、いやあこれは実に面白かった。お話はこんな感じ:

【物語背景】
・21世紀中葉、”特異点(シンギュラリティ)”を突破し超知性体となったAI”エシャトン”は説明されていない理由から全人類の9割を銀河系中に強制移民。
・人類はその後、超光速航法と超光速通信を可能にし、離散していた文明同士の接触が可能になる。
・エシャトンは人類に”因果律侵犯(時間旅行)”を行う事を禁止。これを侵した文明は星系ごと破壊される事さえあった。
【物語】
・時代は23世紀後半。住民のテクノロジー使用を極端にまで禁止した封建主義社会”新共和国”星系の辺境”ロヒャルツ・ワールド”。ここに謎の存在”フェスティバル”が宇宙から来襲。空から携帯電話の雨を降らせ、それを取った人間の望みを全て叶えたが、それにより統制を失ったロヒャルツ・ワールドの社会体制は崩壊した。
・これを侵略ととった新共和国はフェスティバルに宣戦を布告、宙軍艦隊を編成しロヒャルツ・ワールドへと超光速航法により進撃。
・主人公はこの宙軍艦隊に乗り込む羽目となった技術者マーティン。しかし彼は別のもう一つの顔を持っているようだ。そのマーティンと絡むのが国連使節のレイチェル。彼女は新共和国が禁止されている因果律侵犯兵器を使用しないように監視する役目を負っていた。

謎の存在フェスティバルとは何か?彼らの目的は?フェスティバルと宙軍艦隊の戦闘の行方は?フェスティバルの何でも生み出す事のできるナノアセンブラマシンによりグロテスクに変容したロヒャルツ・ワールドはどうなってしまうのか?そして、マーティンとレイチェルの運命は?二人の真の目的とは?ブリティッシュ・ニュースペースオペラ、『シンギュラリティ・スカイ』の始まり始まり〜!

■ブリティッシュ・ニュースペースオペラ
さて例によってストロス、コンピュータ、科学、社会学などのあらゆる用語・造語を駆使してまたしてもヒプノティックな作品世界を生み出している。またしても、とは言ってもこれが処女作なんだから、デビュー当時からの”ストロス節”ということになるのだろう。飽和状態と化したサイバーガジェット用語が飛び交う文章はストロスが傾倒したというブルース・スターリングを髣髴させる。しかし往時のサイバーパンクと違うのは、舞台が比較的遠未来であり、ナノアセンブラ工場”コルヌコピア・マシン”により殆どの物体が魔法のように作られ、さらにシンギュラリティを起こしたAIエシャトンによる超科学が不可能な事など無いかのようなSF世界を可能にしている。文字通り何でもありの奔放さ、これがブリティッシュ・ニュースペースオペラの楽しさなのだろう。

ただ、何でもありのスペースオペラとはいえ、ストロスの主眼としたテーマは、エドモンド・ハミルトンの娯楽に満ちた冒険活劇とも、ラリイ・ニーブンの既知の科学技術を外挿した応用的で科学技術マンセーなSFとも違う。作家になる以前はコンピュータ科学を学びLINUXオープンソース・ソフトェア専門のライターとして活躍したというストロスがテーマにしたものは、宇宙的な規模に拡大解釈したネットワーク網と、それにより変容する世界ということだったのではないか。インターネットが社会をフラット化させ、情報中央集権的な旧弊なメディアが零落している現在の状況を、宇宙という広大な空間に当てはめたのが今作『シンギュラリティ・スカイ』なのではないだろうか。

■ネットワーク・ユニバース
これは、テクノロジー情報を統制し一般人の使用を禁止している封建主義社会・新共和国が、実はこの情報中央集権的な旧弊なメディアを揶揄しているものだと分かると見えてくる。フェスティバルに突っ込んでゆく新共和国の宙軍艦隊提督がすっかりボケた老人であるというのは単なるギャグではない。旧弊かつ頑迷で己の既得権益ばかり尊守しようとするヒエラルキーへの辛辣な皮肉がここには込められているのだ。これに対しフェスティバルがロヒャルツ・ワールドで行った事は、あらゆる情報を開示しそれを望むだけアクセス可能にした、ということなのである。この設定はインターネットそのものを思い起こさせないだろうか。その結果ロヒャルツ・ワールドは崩壊したが、それはただ単に欲望の赴くままに情報を汲み上げ、その有効な使用法も整理の仕方も分からぬまま、情報量に溺れるだけ溺れて自滅した、ということに他ならない。このような状況というのは現在インターネットを使用しているものならどこかで見たような節があるのではないか?そして意思なきロボットであるフェスティバルは、宇宙のノードからノードへと漂う検索エンジンということはできないか?

勿論そういった読み方以上にもSF娯楽作品としての要素は十分にある。マーティンとレイチェルのコミカルなやりとり、そしてラブロマンスとSFガジェットを駆使したスパイ活動の様子は、これだけでシリーズ化出来そうだし、実際この後も二人が登場する作品が書かれているようだ。人物造形がなんとなく『残虐行為記録保管所』の主人公二人と被るんだが、逆にそのせいでとっつきやすかった。マーティンのやっていることはなんだか現代のSEみたいで、その辺で共感を抱く方もいるかもしれない。また宇宙空間を舞台にした戦闘場面もよく練られていて読み応えがあった。英国SFならではの展開のしつこさ・遅さはあることはあるが(宙軍艦隊がロヒャルツ・ワールドに到達するのはなんと物語4分の3を過ぎてからである)、その間に書き込まれた膨大な情報量をじっくり楽しむことができた。