アメリカへの皮肉に塗れたスパイ・アクション映画『キングスマン:ゴールデン・サークル』

キングスマン:ゴールデン・サークル (監督:マシュー・ボーン 2017年イギリス映画)

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スパイ・アクション映画『キングスマン』の続編登場

2014年に公開された映画『キングスマン』は『007』や『ミッション・インポッシブル』を髣髴させるシリアスなスパイ・アクションに『ジョニー・イングリッシュ』や『ゲット・スマート』のコミカルなおとぼけスパイテイストを加味した娯楽作品だった。同時に、イギリス独特のスタイリッシュさをカリカチュアライズして描き、さらに新米スパイである主人公のビルドゥングス・ロマンとしても成立している作品だった。(この作品のレヴューはこちら ↓ で)

その続編となるのが今回紹介する『キングスマン:ゴールデン・サークル』である。今作では英国の諜報組織キングスマンが謎の組織ゴールデン・サークルに壊滅させられ、からくも生き残った主人公らがアメリカの諜報組織ステイツマンと手を組み、ゴールデン・サークルの謀略を暴く、というもの。イギリスとアメリカの微妙なカルチャー・ギャップを小ネタにしながら、前作譲りのスピーディーなハイパーアクション、監督マシュー・ボーン独特のエグ味たっぷりなブラックユーモア、さらに前作で死んだあの人がムムム!だったり、カメオ出演だと思ってたのに出ずっぱりなばかりか相当活躍しまくるあの超有名ロックシンガーに個人的に狂喜したりとか、見所満載で大いに楽しめた。

イギリス人エスタブリッシュメントへの皮肉

このように非常に優れた娯楽作品として完成している『キングスマン:ゴールデン・サークル』だが、よく注視して観るなら、その背景に細かな皮肉が散りばめられているのが透けて見える気はしないだろうか。 

映画『キングスマン』はそもそもがイギリスのエスタブリッシュメントへの皮肉で成り立っている。サヴィル・ロウのスーツをパリッと着こなしたキングスマンはエレガントでダンディーなのか。いや違う。あれは高級紳士服を着ているようなエスタブリッシュメント連中をカリカチュアし皮肉っているのだ。主人公エグジーはもともとが労働者階級であり、そんな彼がエスタブリッシュメント組織「キングスマン」に仲間入りし、上流階級を気取って活躍するのが可笑しい物語なのだ。例えばハリーのスーツの着こなしは堂に入っているが、背丈の低いエグジーのスーツ姿は借り着を着せられたオコチャマにしか見えない。その滑稽なスーツ姿がカリカチュアなのだ。

単純で能天気でガサツな田舎者のアメリカ人

そして今作における皮肉は舞台となるアメリカにも及ぶ。諜報組織ステイツマンの名称はキングスマンがユナイテッド・キングダム由来であるようにユナイテッド・ステイツ由来なのだろうが、キングとステイツでは格に差がある。ステイツマンはバーボン醸造所を隠れ蓑にしているが、同じウイスキーでもイギリスのスコッチとアメリカのバーボンとではどうしてもバーボンは落ちる酒だ。

そしてステイツマン・メンバーのあまりにベタなアメリカ人振り。チャニング・テイタムジェフ・ブリッジスといったいかにもアメリカンな配役(逆にキングスマンの配役は全員イギリス人)。黒人(ハーフ)俳優ハル・ベリーと南米出身のペドロ・パスカルが配役されている部分にも混成国家アメリカを象徴させている。ペドロ・パスカル演じるウイスキーの得意技が投げ縄に鞭。要するにカウボーイ。これらはあえて単純化したアメリカ人像ではあるが、そこに通底するのは単純で能天気でガサツな田舎者といったアメリカ人のイメージだ。

アメリカ人は"悪役"

さらに今回の最大の悪役はアメリカ人のポピー(ジュリアン・ムーア)。前作でも悪役は愚劣なアメリカ人リッチモンドであり、それをイギリス人諜報員が颯爽と退けるという物語だった。ポピーにしてもリッチモンドにしてもデカイ仕事で一山当てた成金長者だ。アメリカ人の成金が金持ったばかりに狂った計画を実行する、というのが『キングスマン』における悪役なのだ。

ポピーの組織ゴールデン・サークルのアジトは安っぽくけばけばしいアメリカン・ダイナーを模しているが、この趣味の悪さもアメリカへの皮肉だろう。そして今作に登場する合衆国大統領の蒙昧ぶりときたら、これはもう皮肉を通り越して悪意すら感じる。ちなみに前作における暗殺者ガゼルはイギリスが歴史を通して嫌っているフランスの出身だ。このガゼルは人格の欠落した異形として登場する。これも皮肉だ。

これらにはオレのこじつけも混じっているかもしれないが、しかし監督マシュー・ボーンが、これも英国出身者らしい皮肉に塗れた物語に成り立たせていることは間違いないのではないかと思う。というわけで前作においてエスタブリッシュメントを大量殺戮したマシュー・ボーンが、今度はイギリス人の目線からアメリカ人を虚仮にしまくっていた、というのが今作の構造なのではないだろうか。ああ、そういえば大活躍したあのロック・スターも、イギリス人なんだよね。


映画「キングスマン:ゴールデン・サークル」予告A

インド映画『バーフバリ 王の凱旋』は史上空前のとんでもねえ映画だったッ!!!

■バーフバリ 王の凱旋 (監督:S.S.ラージャマウリ 2017年インド映画)

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バーフバリ!バーフバリ!

バーフバリ!バーフバリ!

王を称えよ!! 

新年早々日本全国津々浦々で異様な盛り上がりを見せているインドの歴史ファンタジー大作、『バーフバリ 王の凱歌』です。

物語は古代インドにおける架空の王朝・マヒシュマティ王国を舞台にした3代に渡る王位継承権闘争を描くものなんですね。この作品は2部作になっており、『王の凱旋』はその完結編です。前作は『バーフバリ 伝説誕生』というタイトルで日本でも劇場公開&ソフト化されていますから、今からでも遅くない!これもまたとんでもない映画だから観るがいいさ!

バーフバリ 伝説誕生 [Blu-ray]

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とはいえ、映画『王の凱旋』冒頭では【前作のあらすじ】をざっと遡ってくれるので、『伝説誕生』を観ていなくてもそれほど問題ありません。前作の感想と監督であるS.S.ラージャマウリについては拙ブログのこちらのエントリにまとめてありますのでよろしければドウゾ。

という訳で完結編『王の凱旋』なんですが。

いやあ、全方位的にとんでもねえ映画だったなあ!!!! 

もうあれこれとことんとんでもなさすぎて、ちまちま言葉で言い表してゆくのが無意味のような気がするほどとんでない映画です。この『王の凱歌』を映画ファン的に評するならば「『ロード・オブ・ザ・リング』を『マッドマックス 怒りのデスロード』テイストで描いたインド映画」 と言い表すのが一番分かり易いかもしれません。『LOTR』の壮大なファンタジー世界を『MMFR』の暴発寸前の熱狂と興奮で描き、そこにスパイシーなガラムマサラをふんだんにぶち込んで芳醇な味と香りと脳天にキリキリ来る辛さを醸し出した映画だということです。

ですからLOTR』と『MMFR』どちらか、ないしは両方のファンであるなら、これは必見の作品であり、もちろん両方に興味の無い方ですら見逃したら一生後悔するであろう名作であることを肝に銘じるべきなのです。

しかし「とんでもねえとんでもねえ」ばっかり言ってても何がどうとんでもねえのか伝わらないと思うので、映画『バーフバリ 王の凱旋』の「とんでもねえポイント」を幾つか挙げてみようかと思います。

  1. 主人公バーフバリが剛力無双過ぎてとんでもねえ……インド叙事詩マハーバーラタ』を下敷きにしているだけあって殆ど神なんです。
  2. 基本、矢は3本で射るのがとんでもねえ……しかもそれぞれ別々の敵に当たるのが本当にとんでもねえ。バーフバリとヒロイン・デーヴァセーナがポージング決めながら次々に矢を射るシーンは相当ヤヴァイです。
  3. ヒロイン・デーヴァセーナがとんでもねえ……パキッと啖呵切る女丈夫なキャラがめっちゃGOOD
  4. 山羊(?)の角がとんでもねえ……観れば分かる。
  5. "炎の着替え"がとんでもねえ……観れば分かる。
  6. "白鳥の船"がとんでもねえ……観れば分かる。
  7. 奴隷剣士カッタッパがとんでもねえ……カッタッパのエピソードは号泣必至。
  8. 国母シヴァガミが目ん玉ひん剥き過ぎてとんでもねえ……多分一回も瞬きしてない。
  9. 「ヤシの木作戦」がとんでもねえ……観れば分かる。これも相当ヤヴァイ。
  10. 全篇かっちょいい「決め絵」で彩られた映像がとんでもねえ……まるで歌舞伎の”見得”みたいです。「いよッ、バーフバリ屋!」と掛け声掛けたくなるほど惚れ惚れしちゃいます。

他にも「とんでもねえポイント」は山ほどありますが、全部書くと映画全編書き出さなきゃならなるのでこの辺で。

あれこれ書きましたがこの作品、最も効果を上げているのは音楽の使われ方なんではないかと思いました。陰謀術策渦を巻き、復讐の情念が炎となって燃え上がり、鬼神の如き壮絶な戦いが繰り広げられるこの物語、それだけでも十分に強烈なドラマとして成立していますが、それをさらに心を揺さぶる張り裂けんばかりの情感豊かな物語として完成させたのは、常にヒーローを鼓舞しその心の襞と決意とを歌い上げる、物語の中で連綿と流れ続ける音楽にあったのではないでしょうか。という訳でサントラはこちら!

Bahubali 2 - The Conclusion (Original Motion Picture Soundtrack)

Bahubali 2 - The Conclusion (Original Motion Picture Soundtrack)

という塩梅で、公開間もないにもかかわらず既に日本全国津々浦々で異様な盛り上がりを見せている『バーフバリ王の凱旋』、もはや今年度のベスト1からベスト10は全てこの映画で構わないような気すらするのだが(どういう計算だ)、白状すると実は去年までオレはこの映画のタイトルをずっとパーフパリ」だと誤解しており、カッタッパに刺し殺されても文句が言えない状況なのである……。


「バーフバリ 王の凱旋」予告

 

新年明けましておめでとうございます

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新年明けましておめでとうございます。

今年も拙ブログ『メモリの藻屑 記憶領域のゴミ』をよろしくお願いします。 

・・・・・・

とまあ元日ということで平成30年というか西暦2018年も明けた訳ですが、まあ今日も適当にダラダラと過ごしております。

ここ何年か元旦には銀河暗黒皇帝ネタをやっておりましたが、これもそろそろ飽きてきたので今年は止めとくことにしました。ネット上の暗黒皇帝元ネタ写真(『フラッシュ・ゴードン』のミン皇帝)もあらかた使ってしまい、新しく使えるのもないんですよね。

なんとなく近況を。

オレの会社、仕事が12月30日までありましてね、30日の土曜日はさすがに掃除だけやって半ドンでしたが、それでも29日までは普通に仕事してました。年明けは5日から出社で、なんだか短いんですよねえ。正味休み5日間ですもんねえ。今日ももう一日終わっちゃいますからあと3日ですよねえ。短い休みを目一杯遊ぶのも疲れるし、のんべんだらりと過ごしていたらあっという間だし、なんかこう悩ましいですよねえ。

去年の暮れはさすがに仕事も忙しくて、怠け者のオレにしては真面目に仕事やりまくったもんですから膝悪くしちゃって(現場労働者なんでほぼ一日歩き回ってるんですよ)、終いに歩けなくなり一日休み貰った事もありましたね。年取ると無理利かなくなってくるんですよ。仕事納めだった30日は掃除に張り切りすぎちゃって、今度は肩を痛めちゃう体たらくです(ガンガンに拭き掃除してたんですよ)。実際たいしたことやっちゃいないんですが、ホント、寄る年並みには勝てませんよ・・・・・・(ショボショボ)。

で、仕事納めしてお昼から家で洗濯機回してました。いや別に染之助染太郎みたいに和傘の上で洗濯機回してたわけじゃないですよ。そもそも染之助染太郎が和傘の上で回していたのは毬であって洗濯機じゃないですよ。和傘の上で洗濯機回す人いたら見てみたいですよ。そうじゃなくて洗濯してたってことなんですが、「いやそんなことはもともと百も承知だ、ただ単にお前が文章引っ掻き回しているだけだ」と言われたら返す言葉もないから突っ込まないでくださいね。

まあ要するに洗濯してたわけですが、オレ実は洗濯が好きでね、洗濯好きって言っても洗濯槽に洗濯物と洗剤入れてスイッチ入れて終わったら洗濯物を干す、さらにしかるべき時間の後にそれが乾いたら取り込む、ってだけのたいした労力も時間も掛からない作業なんですけど、なんかこう、「やってやった、あれもこれも洗濯して綺麗になった」という充実感と満足感のある仕事でね、おまけにこの時期は空気が乾燥しているので洗濯物が乾くのも早いし、喜びもひとしおですよね。

かと言って清潔好きって訳でもなくて、じゃあ年末の大掃除はしたのかと問われると斜め目上の方向を向いて「うんにゃあ」と不貞腐れ気味に答える程度のいい加減な男なんですが、とはいえ昨日は靴磨きしてましたよ。オレ結構革靴が好きで、冬場なんかはハーフブーツを4足ぐらいとっかえひっかえして履いてるんですが(一方スニーカーは2足しか持ってなくて、しかも夏しか履かない)、これとスリッポン2足とを磨きまくっておりました。革靴好きって言っても安物ばかりで、しかもモノによっちゃあ20年は履いてるものもあるんですが(ハーフブーツは冬しか履かないからこのぐらいはもっちゃうんですよ)、これもやり終えてたっぷり充実感を味わえました。

昨日はこの後映画観に行って楽しんで、夜は家で相方さんとすき焼き食って盛り上がってました(ちなみに〆はうどん)。いや、すき焼きだなんて年一回年末年始ぐらいにしか食べませんけどね。でもなんだか疲れてたのか、缶ビール2個飲んだら酔っ払っちゃって、夜の9時ごろに寝ちゃったかなあ。なんだかそんな大晦日でしたよ。

今日元旦は「年越した蕎麦」を朝から食って(それにしても大晦日なんて割りと御馳走食べちゃうからその後にさらに蕎麦だなんて食べきれなくありません?)、お昼は元旦からやってるラーメン屋に行ってとんこつラーメン食ってましたよ。

まあそんな年末年始です。たいしたことやってないのにダラダラ書きましたが、なんかオレ書き始めると止まらなくなる癖があってね、いやあ退屈な話を長々とどうもすいませんでした。

という訳で(どういう訳だ)今年も宜しくおねがいします。宜しくったって別になんかしてもらうわけでもないんですが、また気が向いたら適当にブログ読みにきてください。オレも今年も適当にブログ更新します。でわでわ。

一月一日元旦 オレ記す

2017年を振り返るならまず引越しのことを書かねばならない

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今年2月に引っ越しをしたのだ

毎年年末には1年の総括をブログに書き出していたが(そしてそれらはたいていたいしたことのないことばかりだったが)、今年2017年に関しては、なによりも2月に決行した引越しのことを書かねばならないだろう(しかし引越しとは”決行”なのか?)。これを書かなければ今年を語ったことにならないからだ。

いや、引越しだなんて、たいていの方なら一つや二つ、あるいは三つも四つも経験されているだろうし、確かに大変だとはいえ、そんな大仰に騒ぐことじゃないんではないかと思われるかもしれない。だが、オレの場合はちょっと事情が違う。オレの今回の引越しというのは、以前のアパートに住み始めて以来実に37年振りの事だったからである。そしてその理由は「立ち退き」というものだったのだ。

大東京大四畳半生活

オレが上京したのは高校卒業後の18のときで、その時は新聞奨学制度で美術の専門学校に通いながら住み込みの新聞配達生活をしていた。最初は東京都江東区門前仲町。しかしここで店主と意見が対立して東京都葛飾区の新小岩に異動になる。オレはこの新小岩で精神的に病んでしまい、新聞配達も学校も辞めることになる。この間たった7ヶ月。その後渋谷区恵比寿に住む伯父のアパートに居候になり、その伯父の紹介で品川区のとある町のアパートに住むこととなった。つまりオレは上京して1年にも満たないうちに4回住処を変えていたのだ。

こうしてオレが一人住まいを始めたアパートは風呂なしトイレ共同の四畳半だった。今では骨董品めいているが当時(つまり40年近く前)には割りと当たり前によくあった。そして、恥ずかしながらここで白状するが、オレはこの風呂なしトイレ共同の四畳半に37年間、55歳のいい年したおっさんになるまで住んでいたのである。

何故か、というとこれはもう面倒だったから、というしかない。それと最初は、上京の理由だった就学が破綻した以上、とりあえず仮の宿としてここに住んでいるだけなのだ、という意識があった。東京に住む理由など何一つない以上、いつか実家に帰ろうと思っていたのだ。ところが性格の物ぐささと横着さが祟り(まあ両方同じ意味だが)、ずるずると驚異的な年月をここで過ごすことになったというわけだ。

その間中小企業に就職もし(29歳のときだ。それまでバイト生活だった。30になってまだバイトだとさすがに拙いだろうと就職した)、薄給ながらきちんとした固定給も貰い、微々たる額とはいえ貯蓄も試みたが、そうして生活がなんとなく安定してすら風呂なしトイレ共同の四畳半を引っ越すことをしなかった。さっき面倒だった、とは書いたが、その核心にあったのはいくら惨め臭かろうと生活を変えるのが怖かった、ということがあった。変えないことにより、望んでいなかった人生を歩んでしまうことになった自分の現実を直視するのを避け続けていたのだ。そしてその精神的逃避は、ひょっとしたらまだまだ数十年続いていたかもしれない。大家からアパートの立ち退きを要請されるまでは。

それは去年の暮れの事であった

立ち退きの理由、それはごく単純に、アパートの老朽化である。誰もが知るあの忌まわしい東北大震災の際、関東もまた甚大な震度の地震に見舞われたが、この時木造モルタル築56年の古アパートは歪んでしまい、あちこちで漏水やガス漏れ、床の陥没などが発見されたのだという。とはいえこれは立ち退き要請時に大家から聞いた話で、2階にあるオレの部屋には特にそれらしい影響は無かった。大家は1階の部屋に鉄骨の梁を張るなどして凌ごうとしたが、やはりガス水道の配管はいかんともしがたく、そもそも建物自体老朽化していたこともあって取り壊しを決め、それによりオレに立ち退きが要請されたのだ。

そのことが告げられたのが去年の暮れ。3月までに立ち退いて欲しいという。当然吃驚はしたが、それよりも、やっとここから引っ越す理由ができたな、とオレは思った。事情も事情であり、大家も大変恐縮していて、その時住んでいた部屋と同程度の部屋を見つけて斡旋もしてくれていた。ただまあ、なにしろ同程度(いや、大家も気を使ってくれたのだ)、その物件も多少広くはあったとはいえ風呂無し木造アパートであり、折角やっと引っ越すのだからと自分で人並みのアパートを探すことにして、大家の探してきた物件はお断りさせてもらった(ちなみに引越し時、大家は慰謝として10万円ほどの現金をよこしてくれて、これはなにかと入用だったので助かった)。

年の瀬に部屋探しなどしたくもなかったので、実際に行動を起こしたのは年が明け今年に入ってからだった。オレは引越し決行を2月に決めた。とはいえ、自分に住みたい町だの場所などはない。だからその時住んでいた近所で探してみた。実は旧アパートは通勤の便がよく、引っ越すことでその利便性を失いたくないというのがあった。数日間さらっと探し、これだと思えた2DKの物件があったので不動産屋に連絡を取り、部屋を見せてもらって2,3日後にそこに決定することを不動産屋に告げた。決めるのは早かったのである。家賃も一般的に言われている自分の月給の3割前後。最適の物件とはいえないにしても自分の給料ではこんなものだろうと妥協した。

段ボール箱40個だった

その後の引越し準備のどたばたは、まあ誰でも経験のあることだろうから、特に書かない。ただ、四畳半に住んでいたくせに、本とCDとDVDの数が半端ではなかった。相当捨てたにもかかわらず、それでも段ボール箱40個となり、さらにまだまだ増え続けた。それまで使っていた古びた家電製品や家財道具も殆ど捨てて(たいした量ではなかったが)、転居後にその殆どを買い直した。全部新しくして一からスタートしたかったのだ。引越しの準備から終了まではネットで調べるとたいていのことが載っていたのでそれほど苦労はなかった。

ただ、たったひとつだけ納得が出来なかったのはネットの移転・開通の遅さである。電気ガス水道転居届けなどは案外手続きが簡単だったが、それらを簡単にしてくれた(または簡単に情報を引き出せた)ネットだけが、申込みから開通までなんと50日掛かったのだ。先端である筈の業種が一番鈍重だったというのが皮肉に思えたが、ネット漬けの日々を送っていた者にとってスマホでしかネットを覗けない50日間はさすがにうんざりさせられた(後半慣れたが)。

そして新居だった

引越しをしたのが2月11日土曜日。そしてそれから数ヶ月間、週末になる毎に生活で使う細かな雑貨を買い揃え続け、ネットで(スマホで)家具を注文し、それらを組み立て続けた。慣れない大工仕事に肩を痛め夏になるまで肩が上がらなかった。そんな毎日が終わってやっと新居に馴染んでみると、これがもう、ひたすら居心地がいい。こんなに居心地がいいのならなぜ早く引っ越さなかったのかと思ったほどだ。なにか人生を無駄にしてしまったとすら思えた。まあ、オレの人生というのは、大概こんな具合に、無駄だらけではあるのだが。

これら引越しにまつわるあらゆる事は確かに大変ではあったが、最初に書いたように、社会で暮らす多くの方にとって、それらは粛々と行われるだけのことであって、大騒ぎすることでもないのだろう。ただ、50を過ぎてなお自分の現実を御座なりにしモラトリアムめいた生活を続けていたダメ人間のオレには一大事ではあったのだ。だが、オレはダメ人間ではあるが、それでも、やることはやったと思う。そういや引っ越して2ヶ月を過ぎた頃に大阪に住む長年付き合いのあるネット友達が東京に出張で来た際、家に泊めるなどしてもてなしたことがある。オレなりに頑張って整えた部屋に人を招くのはちょっと誇らしかった。その時オレは、そんなに自分はダメでもないな、となんとなく思えたのだ。

これらがオレの、今年の2月を前後して行われた引越しのあらましである。長々と書いたが、なにしろ今年は、この引越しが最大の出来事だった。そしてやっと引っ越したこの部屋で、来年一年目を迎えるというわけだ。来年も、そしてその後の年も、いい年にしてゆきたい。

というわけで皆さん今年もありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

2017年オレ的映画ベストテン!!!

2017年も押し迫り、今年も「オレ的映画ベストテン」の時期がやってまいりました。

とはいえ、……いやー、今年もあんまり映画観てません。去年のベストテンでも似たようなことほざいてましたが、今年前半はなにしろ引越しとその後の整理で映画館どころではなかったんです。さらに今年暮れからは仕事やらなにやらが忙しくなり話題作がまるで観られませんでした。

そんな訳ですので「2017年公開映画の厳選された10作」とかいうものではまるでなく「オレがぽつぽつ観た数少ない映画の中から適当に選んだ10作」程度のものだと思われてください。という訳でいつもながらの言い訳塗れの前フリはここまでにして行ってみよう!! 

第1位:ブレードランナー 2049 (監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ 2017年アメリカ映画)

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"「生の虚しさと儚さ」「生きる事の孤独」「自分が何者であるのかという不安」。これら『ブレードランナー』の孕むテーマは、人が生きる上で直面する普遍的な問い掛けであり、不安ではないか。そしてだからこそ、『ブレードランナー』の物語は我々の心を捉え、歴史を超えて語り継がれてきたのではないか。そして、監督を変え、35年の月日の末に完成した『2049』も、この根底となるテーマは全く変わっていない。それを活かせていたからこそ『2049』は1作目の世界観ときっちりリンクした正統な続編として完成したのだ。"(ブログ記事より)

第2位:T2 トレインスポッティング (監督:ダニー・ボイル 2017年イギリス映画)

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"無様なだけでしかなかった自分の人生に、年老いることにより、落とし所を見つけられるか見つけられないか、それがこの『T2』という物語だったのだ。物語では、クライマックスにおいて、その「落とし所」を、見つけられる者も、見つけられない者もいる。だが、人生が遣る瀬無く、そして、その遣る瀬無い人生を生きてきてしまったことに、誰もが変わりない。その遣る瀬無さが、映画を観ていたオレの胸に、まるでブーメランのように、深々と突き刺さってきたんだよ。人生を選べたか、選べなかったか、実はそんなことは重要じゃないんだ。ただ、何をしたとしても、何をしなかったとしても、それでもどうしても心に湧き起らざるを得ない遣る瀬無さが、オレには、堪らなく痛かったんだよ。"(ブログ記事より)

第3位:スター・ウォーズ/最後のジェダイ (監督:ライアン・ジョンソン 2017年アメリカ映画)

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"『最後のジェダイ』はその中で、ジェダイという名の【救世主】の喪われた世界と、そのジェダイを新たに継ぐべき者が生まれようとする過渡的な状況を描く作品だ。それは【救済】と【希望】がまだ手探りでしかない状況なのだ。だからこそ否応なく物語は熾烈であり過酷なのだ。それは、夜明け前の漆黒の暗闇を描く作品だからなのだ。そしてこの状況は、『最後のジェダイ』を新3部作の中盤の在り方として最も正しく、最も正統的なドラマとして成立させているのだ。善が悪の中に今まさに飲み込まれようという混沌と混乱の渦中にありながらも、【新たなる希望】を模索して止まない物語、これこそがスター・ウォーズではないか。こうして『最後のジェダイ』は、新3部作の中盤にありながらスター・ウォーズ・サーガの新たなる傑作として堂々と完成したのである。"(ブログ記事より)

第4位:トリプルX 再起動 (監督:D・J・カルーソ 2017年アメリカ映画)

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今回のベストテンも結構しょーもない映画を沢山挙げているんですが、この『トリプルX 再起動』はその中でも群を抜いてしょーもない映画でしたね。もうホント支離滅裂で荒唐無稽で馬鹿馬鹿しいアクション映画なんですが、でもねー、なんか好きなんっすよーこれー。映画の出来なんか全然たいしたことないんですが、ドニーさんとトニー・ジャーコレステロールハゲと並んで立ってるだけで嬉しくなっちゃうじゃないですか。ルビー・ローズさんも素敵でしたよねー。でもね、なにより、インドの宝石・ディーピカー・パドゥコーン様が出演なさっている、ただこれだけで30点ぐらいの映画が1億点ぐらいまで跳ね上がるわけですよ。ディーピカー様の御姿を日本の劇場で観られる。これだけでも僥倖と言わねばならないし、インド方向に五体投地したくなってしまうわけですよ。

第5位:オン・ザ・ミルキー・ロード (監督:エミール・クストリッツァ 2016年セルビア・イギリス・アメリカ映画)

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"『オン・ザ・ミルキー・ロード』はそれら戦争が終わり生き延びた人々が、その未来に何を負って生きるのか、を描こうとしたのではないか。戦争が終わり平和が訪れても、生き延びた人々が喪ってしまったものは決して還ることはない。その平和は、安寧なのではなく、喪われたものの記憶と過ごさざるを得ない、終わることの無い喪の時間であると言うこともできるのだ。しかし、人は過去にのみ生きることはできない。何がしかの未来へと自らを繋げなければならない。そしてそれは、生命の溢れる"ミルキー・ロード"へと至る道でなければならないのだ。あのラストには、そういった意味が込められていたのではないかとオレなどは思うのだ。"(ブログ記事より)第6位:エンドレス・ポエトリー (監督:アレハンドロ・ホドロフスキー 2016年フランス、チリ、日本映画)

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"『リアリティのダンス』がホドロフスキーの「胎動篇」だとすると、この『エンドレス・ポエトリー』は「躍動篇」だということができる。前作において中心的に描かれた父親との軋轢の物語は完結し、ここでは個人としてのアレハンドロがどのように人生と芸術に目覚めてゆくかが描かれるという訳だ。しかし、「父と子の軋轢」というある種普遍性を帯びた前作に比べ、この作品はより個人的であり、同時に「芸術とは何か」という抽象的な物語になっており、実の所”芸術”に興味が無ければ放埓の限りを尽くしたボヘミアンな群像描写に「この人たちナニやってるの?」という感想で終わってしまうきらいもある。とはいえ、それを抜きにすれば次々と表出するマジカルな映像の妙にとことん堪能できる作品だろう。"(ブログ記事より)

第7位:キングコング:髑髏島の巨神 (監督:ジョーダン・ヴォート=ロバーツ 2017年アメリカ映画

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"確かに見た目はドデカイ猿なんだけれども、なんかこう荒ぶる神みたいに獰猛かつ神々しいのよ!ストーリーでも実際そういう扱いだったが、「単にデカイ猿」以上の超自然的なものを醸し出してるのよ。だからこそ堂々と「モンスター」なわけなのよ。で、このコングが、映画始まってそうそうガンガン出てきやがるのさ!『ジョーズ』やギャレゴジみたいに気を持たせつつ徐々に姿を現したりなんかしないんだよ!「自分らコング映画観に来よったんやろ!思いっきり観しちゃるわ!とことん観るとええねん!(適当な関西弁)」てな感じで出し惜しみしないんである。まずここがいい!いやしかしコングだけなら飽きてしまうかもしれない。そこを「コングだけちゃいまっせ!おぜぜ貰った分ぎょうさんサービスしたるわ!(適当な関西弁)」とばかりに奇っ怪な巨大怪獣が総出演なのですよ!"(ブログ記事より)

第8位:ベイビー・ドライバー (監督:エドガー・ライト 2017年イギリス・アメリカ映画)

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"音楽が主人公のひとつのアイデンティティとなり、音楽が物語に豊かさを与え、そしてその音楽が物語をドライブさせてゆくといった展開はもともと監督エドガー・ライトの真骨頂だった。エドガー・ライトは自身のそういった資質と趣向を120%活かした映画を撮りたいとかねてから願っていたに違いない。この『ベイビー・ドライバー』は銀行強盗を中心に据えたクライム・サスペンスの形を取っているが、むしろ「最高のBGMに相応しい最高の映像と物語」を追及した時、それがクライム・サスペンスに行きついたという事ではないのだろうか。"(ブログ記事より)第9位:ワンダーウーマン (監督:パティ・ジェンキンス 2017年アメリカ映画)

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もうね。なんと言ってもガル・ガドット様ですよ。例え映画自体に賛否両論あったとしても、ガル・ガドット様がたまらなく美しい」という事実だけは、これはもう決して覆すことは出来ない事なんですよ。そのたまらなく美しいガル・ガドット様がですね。露出度の多いコスチュームを着てですよ。飛んだり跳ねたり、とてもとても激しい動きをしてみせるんですよ。殴ったり蹴ったり、それはもう、とてもとても激しい動きですよ。この、「たまらなく美しいガル・ガドット様」の「とてもとても激しい動き」を観ることができる、それ以上の、いったい何が必要だというのでしょう?

第10位:ドクター・ストレンジ (監督:スコット・デリクソン 2017年アメリカ映画)

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実はこの『ドクター・ストレンジ』、劇場で観て無いんですよ。物凄く観たかったんですが、公開時丁度引っ越し真っ盛りで、映画どころじゃなかったんですね。で、やっと落ち着いた頃ソフトが出たんで購入して観たんですが、いやー、楽しかったー。限りなくカルトめいた物語にもニヤニヤしてしまいましたが、巨大な万華鏡のようにクルクルと姿を変えてゆくビル群とかキラキラと宙に浮かぶ黄金の曼陀羅とか「なにがどうなってんだ」と驚嘆してしまうVFXが綺麗で綺麗で見とれてしまいましたね。これ3Dで観たかったなあ。それにしてもカンバーバッチさんがアメコミ・ヒーロー演じるなんて想像もできませんでしたが、これが意外とハマッていたのにもビックリさせられました。