トゥモロー・ワールド (監督:アルフォンソ・キュアロン 2006年 アメリカ/イギリス映画)

西暦2027年、子供の全く生まれなくなってしまった未来世界。絶望から引き起こされるテロ、戦争。世界は破滅へと向かいつつあった。その中で強力な監視国家となったイギリスは警察・軍事力で人民を押さえつけ、なんとか崩壊を免れていたが、テロリズムの火の手はすぐそこまで迫っていた。


初っ端から地球最後の子供の死んだニュースが流れ、陰鬱で荒んだ町並みでは突然爆弾テロでパブが吹き飛ばされる。電車の外から見えるのは武装した警官が非合法移民を逮捕し蹂躙する暴力的な光景。映像全体を覆うくすんだ色彩からは世界の絶望感がひしひしと伝わってくる。しかしイギリスが舞台ということで、前半のロケーションはロンドンの街からいきなり家畜のうろつく農村や緑成す田園、鬱蒼とした森の中の一軒家へと飛び、ハリウッドSF映画のキラキラした未来世界と一味も二味も違う所でまず興味を引いた。映画の舞台として何故イギリスなのか?という問いに監督は「島国である事がシチュエーション的に重要だった」と述べているが、しかしこの映画は舞台がイギリスだからこその描写が数多くある。監視カメラの張り巡らされた警察国家のイギリス、不法移民を排除するイギリス、暴動とデモ、IRAを思わせるテロリストと爆弾テロ。実はこの映画は、SFの皮を被りながら、現在のイギリスの政治的状況とその閉塞感を描いたものなのではないか。しかし監督アルフォンソ・キュアロンはイギリス人なのか?と思ったらメキシコの出身なのらしい。『ハリー・ポッター』の監督だと思って舐めて掛かっていたら今回の映画が硬派だったので驚いた。


「子供が生まれない世界」とはなにか。それは「未来の無い世界」のことである。つまりこの映画で描かれているのは現代のこの世界の閉塞感そのものなのだ。そしてたった一人生まれようとする新しい生命は、災厄が解き放たれたあとに唯一パンドラの箱に残された「希望」のことであろう。その子供を救う為に出航する船の名前が「トゥモロー号」、即ち「明日」。しかしその道程はあまりにも危険であり、死と破壊に満ち満ちている。クライマックスの6分間の長回しを使ったもはや戦争としか言いようの無い激しい銃撃シーンは『ブラックホーク・ダウン』と並んでオレ的映画史に残りそうな凄惨さだが、これも「明日」と「希望」を手に入れる事の困難さを映像に託しているのだろう。暗喩を読んでゆくと判りやすいメッセージの込められた映画だ。そして赤ん坊の泣き声でそれまで鳴り響いていた耳をつんざくような爆撃音と銃声がハタと止まり、静寂となった世界を生命の息吹のみが包むという描写はあまりにも感動的だ。この生と死の絶妙な対比がテーマとして見事に結実し、映画を傑作たらしめている。


主人公は徹底して”巻き込まれ型”の登場人物で、酒を飲み煙草を吸い空虚な顔つきをしている所などはヒーローでもなんでもない。かつての夢や理想はとっくに費え去り、事件さえなければ無為に過ごす日常がおそらく死ぬ日まで続いていたであろう。この草臥れた中年男のキャラクターが実に良い。演じるのはクライブ・オーウェン。『シン・シティ』『キング・アーサー』の出演があるらしい。一方主人公の元妻で過激派グループのリーダー役をジュリアン・ムーアがやはり好演している。しかし、役柄のあの幕引きは!山荘に引き篭もる元ジャーナリストだったヒッピー崩れがマイケル・ケイン、これがまた良い味を出していて映画を引き締めていた。原作はミステリ界の女王P・D・ジェイムスによる初SF『人類の子供たち』であるが、ロートルSFファンのオレはニュー・ウェーブSF作家、ブライアン・オールディスの『子供の消えた惑星』を思い出した。


面白いのは全体に散りばめられたブリティッシュ・ロックのBGMだろう(アメリカン・ロックもあったが)。ディープ・パープル(ハッシュ)、レイディオヘッド(サントラ未収録。曲目忘れた)、ジョン・レノン(ブリング・オン・ザ・ルーシー)、ローリング・ストーンズの「ルビー・チューズデイ」のカヴァー(フランコ・バッティアート)、そしてなんと、キング・クリムゾンの《クリムゾン・キングの宮殿》が、破滅へと向かう王都の政府中枢部での場面で使われる。頽廃的な歌詞内容を考えると説明的過ぎるぐらいであるがかつてのプログレ・ファンとしてはにんまりしてしまう。さらにさらに、政府官舎の窓から見えるのはピンク・フロイド《アニマルズ》のジャケットで使われていた気球の豚。ピンク・フロイドのあのアルバム自体も政治批判的な内容だったから、これは官僚主義への皮肉ということなのだろう。


トゥモロー・ワールド(原題:The Children of Men)トレーラー