最近ダラ観したDVDやら配信やら/『俺らのマブダチ リッキー・スタニッキー』『バーナデット ママは行方不明』『デシベル』

『俺らのマブダチ リッキー・スタニッキー』

俺らのマブダチ リッキー・スタニッキー(Amazon Prime Video) (監督:ピーター・ファレリー 2024年アメリカ映画)

3人の男たちが架空の友人「リッキー・スタニッキー」をでっち上げ、いつも言い訳の材料にしていたが、パートナーたちが会わせろと言い始めて大ピンチ。そこで男たちは落ちぶれ俳優のロック・ハード・ロッドにリッキー役を頼み込むが!?というコメディ作品。ピーター・ファレリーが監督だというので興味が湧いて観てみた。

ファレリー監督と言うとファレリー兄弟作『愛しのローズマリー』、『メリーに首ったけ』などで毒のあるコメディ映画を披露していたが、単独監督作『グリーン・ブック』では非常に卓越した腕前を見せつけていた。今作ではかつての毒気こそ減少したものの、要所要所で癖が強く下ネタも含めた内容となっていて十分楽しめる。

今作の最大の貢献者は俳優ロック・ハード・ロッドを演じたジョン・シナだ。最初はどうにも情けない男として笑いを取るが、次第に俳優魂を燃え上がらせ、「嘘から出たまこと」とも言える八面六臂の活躍を見せて観る者を唸らせるのだ。そんなロック・ハードを演じるジョン・シナを眺めているだけで楽しいのだ。シナは最近あちこちの映画で見かけるが、まさに今が旬の俳優だと感じる。

しかしロック・ハード・ロッドがリッキーを迫真的に演じれば演じるほど、逆に3人の男たちが窮地に至ってしまう。嘘に嘘を重ね続けてどんどんと首が回らなくなってゆくのだ。こういった自縄自縛から生まれる笑いが実に質が高く、またまた良作ぶりを見せつけてくれたファレリー監督だった。

バーナデット ママは行方不明 (監督:リチャード・リンクレイター 2019年アメリカ映画)

かつては新進建築家として名を挙げていたバーナデットだが、今は専業主婦として一流企業に勤める夫や可愛い娘の世話をしていた。だがもとから人間嫌いのバーナデットは近所付き合いに嫌気が差し遂に大爆発、なんと南極に逃避行!?というヒューマン・コメディ。主演がケイト・ブランシェットだというからこれは観なきゃ、と視聴。監督は「6才のボクが、大人になるまで。」のリチャード・リンクレイター

家族構成がハイソな主人公と夫と利発な娘、テーマが自分探し、その出奔先が南極!?といった部分で少々リアリティを感じない物語運びではあったが、ケイト・ブランシェットの演技と存在感が安定の素晴らしさで、これはこれで見せる作品になっていた。バーナデットの人間嫌い振りや不器用さが可笑しさを生むと同時に、そういった性格に共感できるものを感じさせるのだ。夫の無理解や専業主婦の孤独といった内容はありふれているが、ケイトの醸し出すエキセントリックさが強い訴求力を生み、個性的なドラマとして成り立っていた。それにしても南極ツアーって本当にあるのか!? 

デシベル (監督:ファン・イノ 2022年韓国映画

大音量に反応する特殊爆弾を仕掛けるテロリストと元潜水艦副長との息詰まる攻防を描いたクライムアクション。テロリストがなぜ元潜水艦副長に絡んでくるのか?というのが物語のポイントで、その痛ましい理由が徐々に明らかにされてゆく。でも確かにそれは悲惨なお話なんだけど、だからといってこれで狂った無差別連続テロ起こすかなあ?そもそも何かを告発したいというなら最初に声明を出すものだろう。しかも本来のターゲットは元潜水艦副長なのだから無差別テロを起こす理由がない。結局犯人のやってることがちぐはぐなんだ。こんな具合にシナリオがザルなうえに、実のところ「大音量に反応する」特殊爆弾というのも設定が面白い以外に意味がなく、普通に時限爆弾でも一緒なのだ。なんだか思い付きと勢いだけで作った映画に思えちゃったな。

ホラーアドベンチャーゲーム『サイレントヒル ショートメッセージ』をクリアした

サイレントヒル ショートメッセージ (PS5)

《物語》友だちのマヤに呼び出されたのは、自殺の名所と噂される廃墟のマンション。 誘われるように廃墟を進むと、怪奇現象が次々と起こりはじめる。 変貌していく空間。徘徊する不気味な怪物。 「見つけるまで、ここから出られない」 マヤからのメッセージが意味するものとは。

SILENT HILL: The Short Message

サイレントヒル』はアメリカの架空のゴーストタウン「サイレントヒル」を舞台にしたホラーアドベンチャーゲーム。1999年発売の第1作目から何作もシリーズ展開しており、映画化もされた人気作だが、2013年PS Vitaで発売された『SILENT HILL: BOOK OF MEMORIES』から新作発表が途絶えていた。それが最近新作開発中との発表があり、完成が大いに待たれている作品である。

さてこの『サイレントヒル ショートメッセージ』はその”新作”ではなく、新作発表までのウォーミングアップとして開発され、無料で配布された作品である。クリア時間2時間程度の短いデモ的な内容で、最新コンシューマー機でどこまでのポテンシャルが引き出されるか実験的に製作されたもののようだ。

物語は友人から呼び出され廃墟マンションに足を踏み入れた少女が様々な怪異に遭うというもの。この『ショートメッセージ』には戦闘は存在せず、姿なき恐怖にただただ逃げ惑い、同時に”友人”の秘密を解き明かしてゆくことになる。

実写も取り入れられた映像は非常に美麗であり、なおかつ恐怖演出もしっかりとしたもので、無料デモとしては十分の出来だろう。ただ、10代の少女の悩みや希望、イジメや自殺願望など、とてもセンシティヴな内容で、その辺り60過ぎのジジイのオレには少々ノレない部分があった。それとクライマックス、化け物から延々逃げ続けるシークエンスは、視認性の悪さとマップ存在の無さ、セーブポイントンの無さから、プレイにはちょっと根性が必要。

 

「文学史上もっとも恐ろしい小説」と呼ばれるヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』を読んだ

ねじの回転/ヘンリー・ジェイムズ (著), 土屋 政雄 (翻訳)

ねじの回転 (光文社古典新訳文庫)

両親を亡くし、英国エセックスの伯父の屋敷に身を寄せる美しい兄妹。奇妙な条件のもと、その家庭教師として雇われた「わたし」は、邪悪な亡霊を目撃する。子供たちを守るべく勇気を振り絞ってその正体を探ろうとするが――登場人物の複雑な心理描写、巧緻きわまる構造から紡ぎ出される戦慄の物語。ラストの怖さに息を呑む、文学史上もっとも恐ろしい小説、新訳で登場。

1898年に発表されたヘンリー・ジェイムズによる中編小説『ねじの回転』は、恐怖小説の名作中の名作と評されることもある有名な作品である。ヘンリー・ジェイムズ(1843 - 1916)はアメリカで生まれイギリスで活躍した作家であり、英米心理主義小説、モダニズム文学小説の先駆者としても知られている。彼は物語を観察的な視点から描くという、それまでの小説にはなかった新しい手法を開発し、代表作である『デイジー・ミラー』『ある婦人の肖像』『使者たち』といった作品は19世紀から20世紀の英米文学を代表するものとされている。

物語はとある屋敷の家庭教師として赴任してきた女性が、この屋敷であり得べからざるものを見てしまう、といったもの。こうして書いてしまうと単純な幽霊屋敷ホラーのようだが、実際は幾重にも暗喩と隠喩が張り巡らされ、物語それ自体も複雑な入れ子構造を成し、読む者によって多様な解釈ができ、多様な結論を導き出せるという一種難解な小説となっている。この難解さにより多数の論文が書かれ、推理小説家までがその解題に乗り出している、という小説なのだ。

この難解さの大元となるのは、ひとえに「主人公女性は本当に幽霊を見たのか?幽霊でないとすればこれは主人公の異常心理の物語なのか?」ということであり、同時に当時の社会背景にあるなにがしかの要素が、この物語を描かせることになった大きな要因となっているのではないか、と考察されるからなのらしい。そしてその異常心理の根幹となるのは、作品の書かれた19世紀イギリス社会の抑圧された性的欲求であり、当時では語ることの許されない小児性欲、性的虐待が行間からうっすらと滲み出ている、といった部分にあるのだという。

そういった部分で、予め複数の読み解き方を想定して書かれた小説であり、ここで単純に「幽霊はいた/いなかった」と個人的な解釈を書くのはどうにも座りが悪い。むしろこのモヤモヤ感こそがこの物語の真骨頂なのだろう。怪奇小説として素直に楽しめる作品では決してないのだが、文学的迷宮の怪奇さを求めて読むのなら、なかなかに歯応えのある作品だと言えるだろう。

 

ヤマザキマリの『続 テルマエ・ロマエ』を読んだ

テルマエ・ロマエ (1) / ヤマザキマリ

続テルマエ・ロマエ 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

紀元158年、ローマ帝国アントニヌス・ピウス帝の統治下20年目、ローマの浴場設計技師ルシウスは還暦を控えて腰痛持ち、妻さつきは謎の失踪、息子マリウスとは親子不和、さらに彼を悩ませるのはローマの風呂の仕事であったが…。解決のカギは日本の温泉にあった…!?

あの『テルマエ・ロマエ』の続編と聞いて、こりゃあ読まなきゃ!とは思ったが、あの作品にまだ描くことがあるのか?とか安易な続編じゃないといいがなあ、といった不安はあるといえばあったんだけどね。しかし実際読んでみたら単なる杞憂だった。まずとにかく面白い、そしてただ面白いんじゃなくて、前作からパワーアップしてるんじゃないのか!?と思わせる面白さなんだよな。

実はヤマザキマリのコミックは『テルマエ・ロマエ』の後、とりみきとの合作『プリニウス』しか読んでなくて、『スティーブ・ジョブズ』や『オリンピア・キュクロス』あたりはテーマに興味が湧かなくて読んでなかった。で、『プリニウス』も、悪くはなかったけどちょっと窮屈だったかな、という感想があった。

その後に久々にこの『続・テルマエ・ロマエ』を読んでみたら、なんだかヤマザキマリがノリノリかつ伸び伸びと描いているのが手に取るように伝わってきて、それはヤマザキマリお得意のローマが題材という点よりも、その独特のギャクセンスが、とてもいい具合にハッチャケていて、あーこれだよ、こういうのが読みたかったんだよ!と思わせてくれたのだよ。

物語は前作から20年が経ったことになっていて、当然主人公ルシウスは20年歳をとっており、今やすっかりお年寄り、温泉でも治せない腰の痛みに悩まされていたりする。そういえば前作ラストで結ばれた日本人女性さつきはどうなったの?と思ったらなんと謎の失踪をしていて、その代わり二人の息子マリウスが登場する。

20年の間にローマの治世も変わり、現在の皇帝はアントニウス・ピウス帝。平和な時代だったようだが、それでも問題はないことはない。こういった点で、前作とはいろいろ様変わりしてる部分があり、その中でどうルシウスが老体を鞭打ち奮闘してくれるのか、という楽しさがある。あと温泉オタクの日本人キャラが新登場するんだが、面白いからこれからも登場させて欲しい。というわけでも今後も楽しみです。

 

 

ピーター・ディンクレイジとアン・ハサウェイ共演のロマンチック・コメディ『ブルックリンでオペラを』を観た

ブルックリンでオペラを (監督:レベッカ・ミラー 2023年アメリカ映画)

ピーター・ディンクレイジが好きだ。小人症というハンディキャップを背負いながら、逆にそれを類稀な個性として生かし、威風堂々と役柄を演じ切るディンクレイジにはいつも惚れ惚れとさせられる。アン・ハサウェイも好きな女優だ。アン・ハサウェイは美人過ぎて逆に非現実的な存在に見えてしまうという変な女優で、だから普通に美人役をやらせるよりも変な役をやらせた方が面白い。

そのピーター・ディンクレイジアン・ハサウェイが共演したロマンチックコメディが公開されると知って興味が湧き、観てみることにした。タイトルは『ブルックリンでオペラを』、ディンクレイジとハサウェイは夫婦役で、ちょっとエキセントリックなこの二人がなにやらエキセントリックな災難に遭うのらしい。共演にマリサ・トメイ、監督は「50歳の恋愛白書」のレベッカ・ミラー。

《物語》ニューヨーク、ブルックリンに暮らす精神科医のパトリシアと、現代オペラ作曲家のスティーブンの夫婦。人生最大のスランプに陥っていたスティーブンは、愛犬との散歩先のとあるバーで、風変わりな船長のカトリーナと出会う。カトリーナに誘われて船に乗り込んだスティーブンを襲ったある事態により、夫婦の人生は劇的に変化していく。

ブルックリンでオペラを : 作品情報 - 映画.com

ディンクレイジは哲学的な相貌が魅力的な俳優だが、この映画でもいつも今日が世界の終りの日みたいな深刻な表情を浮かべていて、それがコミカルな味わいをもたらしている。一方ハサウェイは一見まともな役なのにもかかわらず、いつも周りから浮き上がって見えるのは、やはり美人過ぎる女優だからだろう。このちょっと現実離れした二人が夫婦役だというのが妙にハマっていて、別の映画でも共演してみせて欲しいと思ったほどだ。なにしろディンクレイジとハサウェイを眺めているだけでも楽しいのだ。

この映画の登場人物たちは誰もがなにがしかの形で病んでいるか、問題を抱えている。まずスティーブンは人間嫌いで鬱病。パトリシアは病的な潔癖症。カトレーナはストーカーと化すほどの恋愛依存症。こんな登場人物ばかりなので破綻を起こすのは待ったなし、そしてその破綻の中でどう自分の人生と向き合うのか、というのが物語の主題となる。その中でハサウェイ演じるパトリシアの扱いだけが妙にブラックなのだが、ハサウェイはこの映画のプロデューサーも務めているので、多分セルフジョークなのだろう。

心を病んだり問題を抱えている人々の物語、おまけに舞台がブルックリン、というのはそれほど珍しくないが、オペラ作曲家と精神科医のセレブ夫婦という設定が物語を目新しいものにしている。しかも演じるのがディンクレイジとハサウェイだ。この二人、もともとコメディのセンスがあり、一歩間違うと重くなりがちなテーマを軽やかにし、セレブ夫婦という役柄を嫌味なく演じていた。作中、主人公が作ったオペラ作品も2作演じられるが、これがなかなか見せるものになっていた。物語の出来はまあまあだが、ディンクレイジとハサウェイの出演により魅力的な作品に仕上がっていた。