今更ながらジョージ・オーウェルの『一九八四年』を読んだ

■一九八四年 / ジョージ・オーウェル

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

“ビッグ・ブラザー”率いる党が支配する全体主義的近未来。ウィンストン・スミスは真理省記録局に勤務する党員で、歴史の改竄が仕事だった。彼は、完璧な屈従を強いる体制に以前より不満を抱いていた。ある時、奔放な美女ジュリアと恋に落ちたことを契機に、彼は伝説的な裏切り者が組織したと噂される反政府地下活動に惹かれるようになるが…。二十世紀世界文学の最高傑作が新訳版で登場。

 今頃、今更、やっと『一九八四年』(以下1984年)を読んだ。そう、ジョージ・オーウェルによるディストピア小説の金字塔、村上春樹の『1Q84』の土台となり、「英国人が読んだふりをしている小説No.1」と言われる問題作『1984年』である。これでオレも遂に「読んだふりをしている」状況から抜け出せたという訳である。オレ、オライ。

この『1984年』、SF好きだった10代の頃「なにやら最高にオソロシイディストピア小説」という噂を聞いて文庫本を入手していたのだが、出だしから晦渋過ぎてガキンチョのオレには読み通せなかった。それを60に近い今読み終えたわけだから、いわば「40年に渡る積読の消化」ということもできる。我ながらスゲエ。それと、オレの大好きなロック・アーチスト、デヴィッド・ボウイが『1984年』を題材にした『ダイヤモンドの犬』というアルバムを大昔に製作しており、その辺の絡みにおいてもようやく溜飲を下げる事が出来た。

1984年』の物語は(1949年の刊行当時からは39年後の近未来である)1984年、核戦争終了後に3つの巨大陣営に分割統治された世界が舞台となり、その徹底的に非人間的で不合理な全体主義国家を描くものとなる。主人公はその国家のうちの一つ「オセアニア」に暮らす男ウィンストン・スミス。彼は冷徹な監視社会と謎の国家首領「ビッグブラザー」の眼に怯えながら極貧の配給生活体制の中で生きていた。ある日彼はジュリアという若い娘に出会い、禁止されている自由恋愛をしてしまう。さらに反政府組織が彼に接触を試み始める、といった内容だ。

1984年』はどこまでもひたすら陰鬱な物語である。窮乏にうちひしがれ密告に怯え、誰一人信じることの出来ないパラノイアックな社会の中で生きなければならない絶望と恐怖が延々と描かれてゆく。フィクションの色添えとしてロマンスや反抗組織の存在が描かれはするが、基本は一切の救いも無い限りなくペシミスティックな物語だ。主人公ウィンストン・スミスはヒーローでもなんでもなくただただ運命に翻弄されてゆく市井の市民の一人でしかない。この物語は究極まで推し進められた全体主義社会の恐怖それ自体を主題としているからだ。

こんな陰鬱なだけの物語ではあるが、しかしグロテスクなまでにカリカチュアされた全体主義国家体制の在り方そのものが限りなく面白い。なにより全体に用いられる「特殊用語」にいちいち黒い笑みを浮かべてしまう。それは「ビッグブラザー」「二重思考ダブルシンク)」「ニュースピーク」「イングソック」「二分間憎悪」といった用語であり、「戦争は平和である、自由は屈辱である、無知は力である」「2+2は5である」といった皮肉なスローガンであり、「ビクトリー・ジン」「ビクトリー・コーヒー」といった日用品の命名であったりする。

これらはただ単に物語世界の補完なのではなく、主題と構成そのものに大きく関わっている。そもそもこの『1984年』の構成はおそろしく綿密であり、例えば人工言語「ニュースピーク」はこの世界の言語である英語を、思想統制の目的によりその単語から文法までを改竄・廃棄する様が描かれ、なおかつ巻末に作者不詳の「ニュースピークの諸原理」なる解説文まで付記されている程だ。(同時にこの「ニュースピークの諸原理」が普通の英文体で記されていることが『1984年』の真の結末を表わしているという)。こういった細かな設定とその妥当性が『1984年』を歴史に残る傑作たらしめているように思う(ところでちょっと気になったのだが、原書自体は「ニュースピーク」で書かれているのだろうか?)。

さて『1984年』はこの現代においても「全体主義社会への警鐘」として称賛されているが、その点はどうだろうか。まずオレ自身はこの『1984年』を最初「反共小説じゃないか」というふうに捉えた。『1984年』執筆時にはまだソビエト連邦とその衛星国が存在し、その全体主義歴史修正主義の在り方などはまさに『1984年』そのものだったと言える。中華人民共和国の成立は1949年、『1984年』刊行のその年であり、その後の文化大革命の悲惨は『1984年』の予言するままとなった。原始共産制をしくカンボジアクメール・ルージュ政権は『1984年』以上の惨劇を生み出した。歴史は既に『1984年』の想像力さえ凌駕してしまっており、今読むとまだ大人しいのではとすら思わせる。

とはいえ、オーウェルは決して「反共」を標榜するために『1984年』を生み出したのではなく、ファシズムまで含めた全体主義批判をその根底として作品を生み出したのだという。ナショナリズムを胎芽としたファシズムの傾向は民主主義国家である筈の日本やアメリカですら感じるものがあるが、いずれにせよ、『1984年』の世界はいついかなる時代と国家であっても生み出される危険性がある、ということなのだろう。ただファシズムというものは、一人の狂った為政者が突然おっ始めることで成立するのではなく、フロム的に言うならば、孤独な個人が自らの不安を払拭する為に、権威や権力など外的な絆に帰属しようとして成り立つものなのではないか。すなわちファシズムとは人々の心の反映とも言えるのだ。

というわけでジョージ・オーウェルの『1984年』、まとめるなら設定は最高、物語は平凡、イデオロギー的には時代に追い越されたかな、というのがオレの端的な感想である。ちなみに映画化作品もあるが、あれはつまらないから観なくてもいいと思う。ユーリズミックスのサントラはなかなかいい出来だったんだけどね。

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 
一九八四年

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1984 HDニューマスター版 [Blu-ray]

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息子を亡くしたおじさんの話

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これはオレがいまの仕事に就いた20代終わりの頃の話だ。入社したばかりの会社の事務所には、嘱託で来ているおじさんが一人いた。

オレの会社は輸出入貨物の通関や保税蔵置を行う会社なのだが、この中で輸出貨物については「検量」というものが必要だった。20フィートや40フィートのコンテナに貨物を積む際、その貨物がどれだけの重量でどれだけの容積なのか検量し書類として作成する必要があるのだ。数件の顧客の小口貨物を主に取り扱っているため、それらを一つのコンテナにまとめて積もうとするとき、重量容積が積載可能な数字になっているのかも知らなければならなかった。嘱託のおじさんは、その「検量」を専門にやっている業種の方だった。

そのおじさんの年齢は60ちょっと前、とても小柄で眼鏡を掛け総白髪だった。いつもパリッとした背広を着ていたのが印象的だった。その頃オレの職場は割と暇で、特に仕事が無い時は現場でそのおじさんとよく世間話をしていた。オレとは結構年が離れていたが、人懐っこく話し好きのそのおじさんとオレは早速意気投合した。おじさんがオレと同じ北海道出身だったのも話が合った理由だった。

酒が好きだというから、同じく呑兵衛だったオレも、しょっちゅう一緒に飲みに出掛けるようになった。週に2回は行ってただろうか。たいていはおじさんのおごりで、給料の安かったオレは毎回図々しくおじさんに御馳走してもらっていた。なにしろ図々しいオレは、飲み屋でも何の遠慮会釈もなくおじさんと馬鹿話ばかりしていたし、おじさんのほうも、とても楽しそうにオレと飲んでくれていた。

実は周りからもなんとなく聞かされていたのだが、そのおじさんには一人息子がいたのだけれど、若くして亡くなっていたのらしかった。おじさんともその話をしたけれども、何の持病を持っていたわけでもないのに、ある朝なかなか起きてこないから寝室に呼びに行ったら、既に冷たくなっていたのだという。いわゆる突然死ということだろうか。おじさんはそんな話を、飲み屋のテーブルに目を落としながら、淡々と語ってくれた。

そんなおじさんからある日、「君、礼服なんて持っているか」と聞かれたのだ。なんでも、息子の持っていた礼服があるのだけれども、オレと体型的に合いそうだから、欲しかったら貰ってくれ、ということらしかった。その頃オレは礼服なんて持ってなかったし、例によって図々しい性格だったから、貰えるもんならなんでも!と答えた。とはいえ2,3日経ってから、「やっぱり形見として持っていたいと思うんだあ、申し訳ないなあ」とおじさんから告げられた。もともとおじさんの好意だったし、全然構いませんよ、オレは答えてあげた。

おじさんとは1,2年ほど飲み歩いていたが、そのおじさんも定年退職の時期がやってきて、オレの職場を後にすることになる。特に連絡先を交換する訳でもなかったし、それからおじさんはオレの人生から消えることになる。

とまあそんな、30年近く前のことを、この間オレはなんとなく思い出していたのだ。おじさん今でも元気かなあ、でも今生きてたら90近くだよなあ、なんて思いながら。そして30年近く経って、オレは突然あることに気が付いたのだ。いや、突然もなにも、やっと今頃気付いたのかよ、って感じなのだが。

あのおじさんの息子さんは、亡くなった時、あの頃のオレと同じぐらいの年齢だったのだという。そして礼服のことも考えると、背格好も一緒だったのだろう。つまりオレは、亡くなったおじさんの息子と、それほど違わない年と背格好だった。おじさんはそんなオレと、毎週毎週、あちこちに飲みに出掛けていた。つまりおじさんは、もういない息子さんをオレに重ね合わせて、オレをその息子さんのように思いながら、毎回酒を酌み交わしていたのではないか。

そんなことを思いついたのがなんだか自分には衝撃的で、なぜ衝撃的だったかというと、そんなおじさんの気持ちなど、あの頃オレは全く想像した事がなかったからなのだ。ただ、想像できていたとして、オレはただ単に居心地が悪くなっていただけだろうけれど。ただまあ、それであの時のおじさんが、何がしかの慰めを感じてくれていたのなら、それでよかったじゃないか、としか言いようがない。オレみたいな益体も無い人間でも、人の役に立つことはあるということだ。まあそれにしたって、数十年も前の話ではあるが。

バルテュスの画集を購入した

バルテュス

「ああ、この絵、なんだろう、変だなあ、でも好きだなあ」と思っていた画家がいて、でも名前をずっと思い出せなくて、何年間も「あれって誰なんだろう?」と頭の片隅で気にしていた。その名前がこの間、何かの拍子で判明し、また忘れないうちに画集を買っておこうと思ったのだ。画家の名はバルテュス

バルテュスはフランス生まれの画家で、ピカソに「20世紀最後の巨匠」と称えられたという逸話がある。故人。最も有名なのは奇妙に不安定な構図とフォルムで描かれた少女画の数々だろう。シュルレアリズムの風味はあるがシュルレアリズムや近代絵画とは距離を置いた制作活動を送っていたらしい。若かりし頃から画家を目指すも両親に反対されたため、ほぼ独学で絵を学んだという。そういった部分でバルテュスの作品の微妙な不安定さにはアウトサイダーアートの風味も多少あるのではないかと思っている。

「この絵、なんだろう」と気になっていたバルティスの作品はこの「街路」というタイトルの作品だ。

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街角に様々な人々が闊歩しあるいは佇んでいるのだけれども、そこに配された人々の様子や仕草がどことなく奇妙であり、パースも微妙に狂い、デッサンすら歪められている。そもそも、これらの人たちが何をしているのか分からない。何か変だ。変だからこそ、なんなんだろうこれは、とついつい見入ってしまう。

この絵を見て思いだすのはドアーズのアルバム『幻の世界』のジャケット写真だ。取り立てておかしなものが写っているわけでもないのに、どこか不安にさせられるものがある。

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「美しい日々」と名付けられたこの作品もやはりどことなく異様なものを感じてしまう。鏡を見つめる少女は自分の世界以外興味が無いように見え、その姿勢はだらしなく弛緩し、もう現実には戻ってこないようにすら思える。それにしても奥に見える暖炉に薪をくべている半裸の男はなんだ。火はあまりに赤々と燃えすぎているが、男はその火をさらに燃え立たせようとしているように見える。これはなんだ。何をしているんだ。異様だし、不安になる。

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見ていて不安になってしまうような絵をなぜ見てしまうのだろう。どこかでバランスを欠いているような絵になぜ惹き付けられるのだろう。それは例えばロールシャッハ・テストのインク染みの絵の様に、自分の深層心理に埋もれている、自分でもはっきり認識していない何がしかの感情を呼び起こすからなのではないか。その感情が何で、どういうものなのかということは実は重要ではなくて、絵を見ることにより自らの深層心理に手を触れる事ができる、それがバルテュスの絵の魅力なのではないだろうか。

 

最近聴いたエレクトリック・ミュージック/Anjunadeepレーベルがエモ過ぎる件について

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「最近こればっかり聴いている」というのがAnjunadeepレーベルからリリースされている様々なアルバムだ。ジャンルとしてはプログレッシヴ・ハウスの範疇に入るのだが、プログレッシヴ・ハウスという言葉から連想する大箱中心の産業ダンス・ミュージックとは一味も二味も違うのだ。Anjunadeepのトラックは、どれもとてつもなくメロディアスであり、繊細で美しく、さらに【エモい】のである。

Anjunadeepはロンドンを拠点とするインディペンデント・レコード・レーベルである。Anjunabeatsレーベルから派生する形で2005年にAbove&BeyondとJames Grantによって設立され、これまで300作にのぼるトラックをリリースしている。Moon Boots, Way Out West, Dusky and Michael Cassetteといったアーチストを擁し、James Grant & Jody WisternoffによるMixはiTunesチャートのトップ・コンピレーションシリーズとして注目を浴びている。Anjunadeepがリリースするトラックはどれもタイムレスでソウルフルでメロディックなエレクトロニック・ミュージックだと言っていい。ちなみにレーベル名にある「Anjuna」とはインド:ゴアにあるビーチの名に由来するという。

■Anjunadeep 11 / Jody Wisternoff & James Grant 

Anjunadeep 11 - Mixed By Jody Wisternoff & James Grant

Anjunadeep 11 - Mixed By Jody Wisternoff & James Grant

 

最初に聴いたAnjunadeepのMixアルバムはこの作品だった。憂いを帯びたメロディはどこまでも美しく包み込むようなエモーショナルさに満ち、一曲一曲が単にDJ Mixのパーツではなくそれぞれに完成度の高い楽曲なのである。まるでよく出来たエレクトリック・ミュージックのコンピレーションを聴かされているようだ。BPMも抑え気味で、リスニングに非常に適している。この曲なんか実にいいじゃないか。


Leaving Laurel - Through And Through

■Anjunadeep 10 / James Grant & Jody Wisternoff  

Anjunadeep 10

Anjunadeep 10

  • 発売日: 2019/02/22
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

それから遡ってAnjunadeepのDJ Mixアルバムを漁ってみるようになった。これは2019年リリースの「Anjunadeep 10」。D/LだとMixとは別に全曲のUnmixトラックが収録されている。ここではそのMini-Mixを紹介。


Anjunadeep 10 Mini-Mix (Mixed by James Grant & Jody Wisternoff)

■Anjunadeep 09 / Jody Wisternoff & James Grant 

Anjunadeep 09

Anjunadeep 09

  • 発売日: 2017/10/27
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

さらに遡り2017年リリースの「Anjunadeep 09」 。DJ Mixアルバムなのに静謐な音に満ち溢れているのが特徴だ。この曲なんかは少々ソウルフルだったな。


Dusky - Square Miso (Anjunadeep 09 mix)

■Anjunadeep 8 / James Grant & Jody Wisternoff    

Anjunadeep 08

Anjunadeep 08

  • 発売日: 2016/12/09
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

もっと遡り2016年リリースの「Anjunadeep 08」。これもダンスミュージック・アルバムというよりはコンテンポラリー・ミュージック集と言っていいぐらい穏やかな音に溢れていた。この曲なんかいいぞ。


Way Out West - Oceans feat. Liu Bei

■Hardly A Day Hardly A Night / Cubicolor 

Hardly A Day, Hardly A Night

Hardly A Day, Hardly A Night

  • アーティスト:Cubicolor
  • 発売日: 2020/02/21
  • メディア: CD
 

ここからAnjunadeepからリリースされているアーチストのアルバムを紹介。このCubicolorはアムステルダム/ロンドンを拠点に活躍するエレクトロニックバンド。なにしろセンチメンタルかつメランコリックな曲調が最高に素晴らしい。特にこの曲「Hardly A Day Hardly A Night」はオレがAnjunadeepにどっぷりのめりこむようになった決定的な1曲。ああ……いいわあ……。


Cubicolor - Points Beyond (Official Lyric Video)

■Into Clouds / Luttrell

Into Clouds

Into Clouds

  • 発売日: 2019/01/31
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

サンフランシスコ在住のメロディック・ハウス・プロデユーサー、Luttrellが2019年にリリースしたアルバム。特にこの曲「Out Of Me」の美しくドラマティックな展開には徹底的にヤラレた。


Luttrell - Out Of Me

■Lucky Ones /  Luttrell

Lucky Ones

Lucky Ones

  • アーティスト:Luttrell
  • 発売日: 2020/03/13
  • メディア: CD
 

そのLuttrellが2020年3月にリリースしたニューアルバム。 どの曲もグレードアップしており、同時に力強いポジティビティを感じさせる。


Luttrell - Lucky Ones (Official Music Video)

■Bimini Road / Moon Boots

Bimini Road

Bimini Road

  • アーティスト:Moon Boots
  • 発売日: 2019/09/06
  • メディア: CD
 

N.Y.ブルックリン生まれのニューディスコ・プロデユーサー、Moon Bootsが2019年にリリースしたアルバム。全体的にポップで非常に親しみやすい曲調なのが特徴。
Moon Boots - Tied Up feat. Steven Klavier (Official Music Video)

映画『地獄の黙示録』の原案にもなったジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』を読んだ

■闇の奥 / ジョゼフ・コンラッド

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船乗りマーロウはかつて、象牙交易で絶大な権力を握る人物クルツを救出するため、アフリカの奥地へ河を遡る旅に出た。募るクルツへの興味、森に潜む黒人たちとの遭遇、底知れぬ力を秘め沈黙する密林。ついに対面したクルツの最期の言葉と、そこでマーロウが発見した真実とは。

 オレが戦争映画で最も好きな作品は『地獄の黙示録』である。完成度云々というより、あのグダグダな混乱ぶりも含めて好きなのだ。そして『地獄の黙示録』といえば原案となった小説『闇の奥』だ。しかし『地獄の黙示録』のことを語る時必ず『闇の奥』を引き合いに出していたにもかかわらず、オレはこの小説を読んだ事がなかった。これは「ヒッチコック的手法」とか言いつつヒッチコック作品を一本も観ていないような不誠実さである。で、これじゃあイカンと思い、やっと今回読んでみることにしたわけだ。

『闇の奥』は英国人作家ジョゼフ・コンラッドが1899年に発表した小説である。物語は船乗りである主人公マーロウが商用船でアフリカのコンゴ川を遡り、その奥地で原住民たちに権勢を振るうというクルツという男を見つけ出そうとする物語となる。ランダム・ハウス、モダン・ライブラリーが選んだ「英語で書かれた20世紀の小説ベスト100」に選出され、村上春樹の『羊を巡る冒険』『IQ84』にも影響を与えたとされる文学作品だ。

でまあ、読んでみたわけなのだが、最初暗鬱かつ晦渋そうなイメージの作品だったにも関わらず、読んでみるとスルスルと結構呆気ないくらいに読み終えた。作品の長さ自体が中編程度のボリュームだったのと、光文社の新訳で読んだせいもあったかもしれないが、とにかく最初のイメージとは逆に軽快なぐらいの語り口調の作品だった。内容はなにしろアフリカ大陸の「闇の奥」へと分け入ってゆく物語なのだが、そこで鬱蒼としたジャングルやら得体の知れない原住民と出会いつつも、主人公マーロウが一貫して内省に至らず「19世紀的なタフな船乗り」としてそれらをやり過ごしてゆくのだ。

物語の構成からこの作品が欧州による当時の帝国主義植民地主義、黒人人種差別の様子を炙り出したものだと捉えられがちだが、むしろオレにはもともと船乗りであった作者が描いた暗黒大陸冒険譚にすぎないように思えた。もちろんこれは「あえて薄っぺらく読むならば」という但し書きが付くが、それではなぜこの物語が文学的に重要な作品と呼ばれるのか、ということを考えるならば、それは帝国主義やら差別やらの問題提起ではなく、「訳の分からない土地に行って容易くアイデンティティ・クライシスを起こしてしまう欧州人の心理的脆弱さ」を暴いてしまったからではないかと思えるのだ。

映画『地獄の黙示録』において謎なのは、クライマックス、瀕死となったカーツ大佐が呟く「恐怖だ、恐怖だ」という言葉の意味だ。ジャングルもベトナム戦争もそりゃあ恐怖に違いないが、ベトナムの奥地で専制的な王国まで築いた男が、いまわの際に今更のように「こわいようこわいよう」などと泣き言を言うだろうか。そして原作であるこの『闇の奥』でも、カーツ大佐の如く原住民たちに祀り上げられたクルツという白人が、死に瀕しながらやはり「怖ろしい!怖ろしい!」と呟いて息絶える。原作でもここが唐突であり、この「恐怖の本質」とは何だったのか、という解釈の多様さが『闇の奥』を問題作たらしめているように思う。

この「恐怖の本質」が何かということは、今作に登場する欧州人たちが基本的にキリスト教的伝統の中にある存在だと考えることで導き出すことができる。キリスト教的伝統の中にある欧州人にとって、原生自然(wilderness)とは楽園の対極である呪われた大地であり、それに対するキリスト教的態度は「征服」「支配」なのだ。自然とはそもそもが「野蛮」であり「徹底した不法の状態(ヘーゲル『歴史哲学講義』)」であり、それは人間によって支配されるべき対象なのだ。同様に黒人とは「野蛮」の状態にあるがゆえにそれも支配されるべき対象となるのだ。

すなわち『闇の奥』における「恐怖の本質」とは、「征服も支配もできない”原生自然”に飲み込まれてしまうことへのキリスト教徒的な恐怖」と、「そこに飲み込まれ”原住民=黒人”と同化することへのキリスト教徒的な恐怖」だったのではないか。すなわちそれはキリスト教徒的なアイデンティティを喪失・譲渡してしまうことの恐怖なのではないのか。硬直的なアイデンティティは、それが硬直的であるからこそ逆に脆いものだ。『闇の奥』、そして『地獄の黙示録』における「恐怖の本質」とは、「教化され文明化している筈の自己(欧米白人)が異文化の中であっけなく自己崩壊すること」の恐怖だったのではないだろうか。 

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

 
闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)

闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)

 
闇の奥

闇の奥

 
闇の奥

闇の奥