息子を亡くしたおじさんの話

f:id:globalhead:20200505180303j:plain

unsplash-logo mnm.all 

これはオレがいまの仕事に就いた20代終わりの頃の話だ。入社したばかりの会社の事務所には、嘱託で来ているおじさんが一人いた。

オレの会社は輸出入貨物の通関や保税蔵置を行う会社なのだが、この中で輸出貨物については「検量」というものが必要だった。20フィートや40フィートのコンテナに貨物を積む際、その貨物がどれだけの重量でどれだけの容積なのか検量し書類として作成する必要があるのだ。数件の顧客の小口貨物を主に取り扱っているため、それらを一つのコンテナにまとめて積もうとするとき、重量容積が積載可能な数字になっているのかも知らなければならなかった。嘱託のおじさんは、その「検量」を専門にやっている業種の方だった。

そのおじさんの年齢は60ちょっと前、とても小柄で眼鏡を掛け総白髪だった。いつもパリッとした背広を着ていたのが印象的だった。その頃オレの職場は割と暇で、特に仕事が無い時は現場でそのおじさんとよく世間話をしていた。オレとは結構年が離れていたが、人懐っこく話し好きのそのおじさんとオレは早速意気投合した。おじさんがオレと同じ北海道出身だったのも話が合った理由だった。

酒が好きだというから、同じく呑兵衛だったオレも、しょっちゅう一緒に飲みに出掛けるようになった。週に2回は行ってただろうか。たいていはおじさんのおごりで、給料の安かったオレは毎回図々しくおじさんに御馳走してもらっていた。なにしろ図々しいオレは、飲み屋でも何の遠慮会釈もなくおじさんと馬鹿話ばかりしていたし、おじさんのほうも、とても楽しそうにオレと飲んでくれていた。

実は周りからもなんとなく聞かされていたのだが、そのおじさんには一人息子がいたのだけれど、若くして亡くなっていたのらしかった。おじさんともその話をしたけれども、何の持病を持っていたわけでもないのに、ある朝なかなか起きてこないから寝室に呼びに行ったら、既に冷たくなっていたのだという。いわゆる突然死ということだろうか。おじさんはそんな話を、飲み屋のテーブルに目を落としながら、淡々と語ってくれた。

そんなおじさんからある日、「君、礼服なんて持っているか」と聞かれたのだ。なんでも、息子の持っていた礼服があるのだけれども、オレと体型的に合いそうだから、欲しかったら貰ってくれ、ということらしかった。その頃オレは礼服なんて持ってなかったし、例によって図々しい性格だったから、貰えるもんならなんでも!と答えた。とはいえ2,3日経ってから、「やっぱり形見として持っていたいと思うんだあ、申し訳ないなあ」とおじさんから告げられた。もともとおじさんの好意だったし、全然構いませんよ、オレは答えてあげた。

おじさんとは1,2年ほど飲み歩いていたが、そのおじさんも定年退職の時期がやってきて、オレの職場を後にすることになる。特に連絡先を交換する訳でもなかったし、それからおじさんはオレの人生から消えることになる。

とまあそんな、30年近く前のことを、この間オレはなんとなく思い出していたのだ。おじさん今でも元気かなあ、でも今生きてたら90近くだよなあ、なんて思いながら。そして30年近く経って、オレは突然あることに気が付いたのだ。いや、突然もなにも、やっと今頃気付いたのかよ、って感じなのだが。

あのおじさんの息子さんは、亡くなった時、あの頃のオレと同じぐらいの年齢だったのだという。そして礼服のことも考えると、背格好も一緒だったのだろう。つまりオレは、亡くなったおじさんの息子と、それほど違わない年と背格好だった。おじさんはそんなオレと、毎週毎週、あちこちに飲みに出掛けていた。つまりおじさんは、もういない息子さんをオレに重ね合わせて、オレをその息子さんのように思いながら、毎回酒を酌み交わしていたのではないか。

そんなことを思いついたのがなんだか自分には衝撃的で、なぜ衝撃的だったかというと、そんなおじさんの気持ちなど、あの頃オレは全く想像した事がなかったからなのだ。ただ、想像できていたとして、オレはただ単に居心地が悪くなっていただけだろうけれど。ただまあ、それであの時のおじさんが、何がしかの慰めを感じてくれていたのなら、それでよかったじゃないか、としか言いようがない。オレみたいな益体も無い人間でも、人の役に立つことはあるということだ。まあそれにしたって、数十年も前の話ではあるが。