ポーランド製作による狂気の未完SF映画『シルバー・グローブ』

シルバー・グローブ (監督:アンジェイ・ズラウスキー 1987年ポーランド映画

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「1987年ポーランドで製作されたが政府による製作中止命令により未完のままお蔵入りになっていたSF映画作品が遂に劇場公開/Blu-ray化」 といういわくに満ちた映画『シルバー・グローブ』を観た。監督は『ポゼッション』(1981)『狂気の愛』(1985)を撮ったアンジェイ・ズラウスキー。ただしこの監督の作品を観るのは初めてである。

作品は莫大な予算を描け2年に渡り撮影されていたが、予算超過を理由に国側から強制的に製作中止が言い渡される。国側から、というのは当時ポーランド共産主義国家であり、そもそも映画製作は官製のものしか存在しない時代であったということだ。10年後、ズラウスキーはあえて未完成で公開することを決め、未撮影の部分をワルシャワの街並みを写した情景とズラウスキー自身による欠損部分ストーリーの説明で埋めて体裁を整えた。これが現在観る事のできる『シルバー・グローブ』である。

さてこの『シルバー・グローブ』、未完成作ということも相まって相当に難解な作品である。一度観ただけではそのストーリーすらも理解不能だ。しかしだ。「未完成」「難解」「理解不能」という足枷がありつつも、この作品が、とてつもない熱量とありえない美術で作られた、とんでもなく凄まじい作品であるということは、膚にビンビンと伝わってくるのである。

一応あらすじを書いてみると、荒廃した地球から居住可能な惑星「シルバー・グローブ」へと飛び立った宇宙飛行士たちが、その星の原住民たちに宗教的存在としてあがめられ、または同化し、敵対する異形の生物を撃退しながらも、最後には原住民たちの期待を裏切ったとして虐殺されてしまう、といった内容だ。多分。本当はもっと違うのかもしれない。

この作品で表出するSFイメージの異様さは他に類を見ない。例えるならアンドレイ・タルコフスキーLSDをキメてバッドトリップしながら撮ったSFと言うこともできるし、アレハンドロ・ホドロフスキーがギーガーの代わりにベクシンスキーを使って『デューン』を7割がた完成させていたらこうなっていただろうとも思えるし、さらにアレクセイ・ゲルマンがカラーで『神々のたそがれ』を完成させていたらこの作品になっていただろうとも言える。

それは未来的なSFイメージなどというものではなく、廃墟と荒廃と汚濁に満ちた荒涼たる世界に、石器時代かと見紛うばかりの土俗的な部族衣装を身につけた原住民が、原始的な生活と退化したかのような文明の中で、おぞましい祭祀に溺れながら理解不能の妄言を延々と繰り延べている世界なのである。それは不気味で、異様で、にもかかわらず、精神病患者の描く絵画を見せられているかのような、醜さと紙一重の美に満ちているのだ。

物語をさらに難解で異様なものにしているのは、俳優たちが機関銃のように喚きまわる抽象的で宗教的な台詞の数々だ。ここから意味を汲み取ることは相当に困難だが、そもそもが狂気に侵され錯乱した脳髄の発する繰り言であるのかもしれない。そしてそれら俳優たちの台詞は、録画記録中であるという設定であるがゆえに、いわゆるPOV的なカメラ目線で延々と成され、その暑苦しさと奇怪さはなお一層増すことになるのだ。撮影自体も多くのシーンで手持ちカメラを使用しており、常に揺れ、ぶれ、視点の変わる映像は息苦しいばかりだ。そしてそれが上映時間160分間延々と続くのである。

予算超過が理由とされている政府からの製作中止命令を、製作者らは共産主義政権の批判が込められていたとされた為だ、はたまた宗教的冒涜があったとされたからだ、と憶測しているらしいのだが、いや、オレはこの映画を観て、その理由が、この作品がとてつもなく狂っていたからなのではないかと思えて仕方が無かった。

確かに、神と崇められた主人公が倒されるのは為政者打倒ととれないこともないし、聖書の創世記を汚濁に満ちたものに改変した内容は冒涜的と言えないことも無いのだが、そもそもが意味を拒否したこの物語に、それらは枝葉でしかない。それよりも、監督アンジェイ・ズラウスキーの、とめどもなく吐き出される狂気の在り方のほうに、果てしなく驚異を覚える作品なのである。この『シルバー・グローブ』は、カルト映画の世界に新たな一章を書き記した、恐るべき作品ということができるだろう。

参考記事 

『シルバー・グローブ』スチール&オリジナル・ポスター

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『シルバー・グローブ』予告編 (とんでもないことになってるので是非観て欲しい)

DVDなどなど
シルバー・グローブ [Blu-ray]

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アンジェイ・ズラウスキー Blu-ray BOX

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ホドロフスキーのDUNE [Blu-ray]

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ストーカー [Blu-ray]
 

ステファン・グラビンスキ『不気味な物語』を読んだ

■不気味な物語/ステファン・グラビンスキ

不気味な物語

死と官能が纏繞するポーランドの奇譚12篇―― 生誕130年を迎え、中欧幻想文学を代表する作家として近年大きく評価が高まっているステファン・グラビンスキ。ポーランド随一の狂気的恐怖小説作家による単行本『不気味な物語』(1922)『情熱』(1930)の中から、本邦初訳の11篇と代表作の鮮やかな新訳1篇を収録する、傑作短篇集。

ポーランド随一の狂気的恐怖小説作家」と謳われるステファン・グラビンスキの短編集『不気味な物語』を読んだ。ステファン・グラビンスキは1887年生まれ、要するに19世紀末に生まれ20世紀初頭に活躍した作家だ。
グラビンスキは近年において再評価が進み、「ポーランドのポー」「ポーランドラヴクラフト」なんて呼ばれたりもしているらしい(この辺Wikipediaのコピーね)。ポーランド作家ということからか、あのスタニスワフ・レムもイチオシしていたという。
日本でも国書刊行会から『火の書』『狂気の巡礼』『動きの悪魔』といった短編集が出されているが、オレ自身はこの『不気味な物語』が初めて手にした作品集となる。なんで手を出したかっていうとまあ、タイトルが直接的でいいし、表紙も怪しげでカッコよかったからなんだけどね。
この翻訳版『不気味な物語』はグラビンスキが1922年に刊行した短編集『不気味な物語』と1930年に刊行した短編集『情熱』の合本といった体裁になる。そして収録された12編の物語はどれも妖しく奇怪な”不気味な物語”を描いているのだ。
英語ならホラーとかテラー、日本語なら怪談とか奇談なんて言葉があるが、この『不気味な物語』に限って言うなら怪異譚といった言葉がしっくりくるかもしれない。ホラーと言うほど徹底的に恐怖を煽る訳ではないし、怪談と言うほどぞくぞくした怖さを描くものでもない。
何か世の常と違う、説明のつかない事が起こるけれども、それがなんなのか分からない、しかしそれは十分に不気味な事だ、といった物語を、朧げに、そして格調高くさらに幻想的に描くのがこのグラビンスキの短編だ。なんといっても20世紀初頭のポーランドだから格調高いんだ。そして怪異そのものの描写よりも格調の高さのほうが勝っている物語なのだ。
確かに前半「不気味な物語」篇は今読むならアイディア的に既視感を覚える作品もあるが、それは21世紀の今読むからそう感じるだけのことであって、20世紀初頭のヨーロッパの空気感を想像しながら読むなら、非常に雰囲気のある作品ばかりだという事が出来る。
特筆すべきは後半「情熱」篇だ。特に『情熱(ヴェネツィア物語)』では水の都ヴェニスで逢瀬を重ねる男女のやりとりが冒頭続くが、ここでの「ヴェニス観光小説」とも思える数々の描写はロマンに溢れ「不気味な物語」を読んでいることを忘れそうになる。
しかし「情熱」篇の特色はそこではない。ここからの数編は、男女の性愛にまつわる「官能」を主軸として描かれているのだ。多くは不倫であったり失われた愛の記憶であったり、若者たちの熱情であったりするが、こういった愛に焦がれる者たちの物語が最後に薄暗い陥穽に堕ちてしまうのがこれら物語の特色となる。要するに性愛と死との対比だ。
こういった展開を迎える作品が幾つか収録されているという点で予想外だったし、その予想外な部分が魅力的であり楽しめた短編集だった。しかし、国書の本は高いな……。
不気味な物語

不気味な物語

 
火の書

火の書

 
狂気の巡礼

狂気の巡礼

 
動きの悪魔

動きの悪魔

 

最近読んだコミック

■オリオンラジオの夜 / 諸星大二郎 

諸星さんの新刊、オール新作。一言で言うと「(洋楽や映画にまつわる)昭和ファンタジー」てことなんだろうけど、 かつての濃厚な伝奇モノではない「枯れた諸星さん」の作品ってことでこれはこれでいいんじゃないかな。諸星さんもイイ年だろうし、同じことばかりやりたくないって気概もあるんだろう。しかし諸星さんが『ホテル・カルフォルニア』をテーマにした作品描くなんて誰が想像したろう……。

 

■風水ペット(1) / 花輪和一

風水ペット 1 (1) (ビッグコミックススペシャル)
 

花輪さんってのはもともと狂った人だったけど、妄想とオカルトと陰謀論塗れのこの作品はいよいよ本格化していて、実にイイ、素晴らしい。風水をテーマにしながら大東亜共和圏信者や毛沢東信者や中国人富豪やFXトレーダーらの濃すぎるキャラが大挙登場し、オカルトと陰謀論に目を煌々とさせながらあらん限りの妄言を吐きまくるというとんでもない話なんだが、にもかかわらず田舎を舞台にしたのんびりした空気といたいけな動物たちがあちこちでゴロゴロしているというカオス。こんな漫画花輪さん以外描けないよ。

 

■アンダーニンジャ(1) / 花沢健吾

アンダーニンジャ(1) (ヤンマガKCスペシャル)

アンダーニンジャ(1) (ヤンマガKCスペシャル)

 

アイアムアヒーロー』で一世を風靡しなおかつあのラストで壮大なブーイングをかまされた花沢健吾の新テーマはニンジャ。今の所四畳半暮らしの若年忍者がセコセコやってるだけだけど、なにやら相当キナ臭い伏線も貼ってあるので、『アイアム~』1巻読んだだけじゃまだお話分かんなかったようにまだ評価は未知数。

 

■たかが黄昏れ(1) / 花沢健吾

たかが黄昏れ (1) (ビッグコミックススペシャル)

たかが黄昏れ (1) (ビッグコミックススペシャル)

 

これもまた花沢健吾の新作。「男が滅んで女だけになった世界で発見されたたった一人の男」ってお話、なんかどっかで見たことあるけど。花沢が『アイアム~』でゾンビに新解釈持ち込んだように、今後いろいろ展開するんだろうな。1巻目だけなら今一部で流行ってる「百合SF」って感じだけど、ただこれだけじゃまだつまらないよ。

 

■食の軍師(7) / 泉昌之

食の軍師 7

食の軍師 7

 

あ、いつの間にか出てたんだ『食の軍師』7巻。アマゾンレビュー読んだら「マンネリ」だの「力石の登場理由が分からない」だの散々だが、そもそも泉の食レポ漫画は大いなるマンネリだし、力石の登場は訳が分からないから面白いのに、今までいったい何を読んでたんだろうな。 とか思いつつ読んでみたら実は意外と「偉大なるマンネリズム」を脱しようとしているみたいで、多分それは今まで通りなのが飽きてきたからなだけだと思うが、まず今までより「軍師」が出張って命令してきているし、力石はあんまり登場しない。そして酒ばっかり飲んでる主人公の今回のテーマは「朝食」だ。夜が明ける前から起き出しどこぞの町に朝食食べに行くこと自体既に倒錯しているが、「朝食」がテーマなのにやっぱりいつも通り酒のアテ注文して一杯やっている、というやはり倒錯した展開を迎えている。正直楽しいぞ。オレも早起きして朝食食いに行きつつやっぱ一杯ひっかける、というのやってみたいもんな。 

 

■ラストマン(5) / バラック, ヴィヴェス, サンラヴィル

ラストマン 第5巻 (EURO MANGA COLLECTION)

ラストマン 第5巻 (EURO MANGA COLLECTION)

 

うおおおお待ってたよ「異世界格闘ファンタジーバンドデシネ」『ラストマン』新刊!もう出ないのかと思ってやきもきしてたよ! 十分手広く広げた世界観だったのにこの5巻で「5人の騎士」なる危険な新キャラが加わって話は広がる一方じゃないかよ!今後の展開が気になる一方だから早く新刊出してくれよ!

 

今日の早川さん(4) / coco

今日の早川さん4

今日の早川さん4

 
今日の早川さん4〔限定版〕

今日の早川さん4〔限定版〕

 

本好き少女たちがまったり読書愛を披露するcocoさんの4コマ漫画『今日の早川さん』がようやく新刊発売。オレは謎の風呂敷付の限定版で買ったよ!今回は書きおろしのショートストーリーが加わって新機軸だったけど、ハイライトはなんと言っても「OL!暗闇の自撮りスキャナー」と岩波さんの「あ・・・あん・・・」だろうな!

 

■きょうのカプセル / 黒田硫黄

きょうのカプセル (ワイドKC)

きょうのカプセル (ワイドKC)

 

黒田硫黄ってあんまり読まないんだけどこの作品集はなんかSFぽかったので読んでみたんだよな。異様な状況の中でギンギラギンに前向きな登場人物って黒田さん得意だよな。あと黒田さん原作のアニメやらなにやらの私的なよもやま話が漫画で描かれた小品がこちょこちょ入ってるけどまあこれはファンサービスの落ち穂拾いってことかな。

 

 ■レベレーション-啓示-(4) / 山岸涼子

レベレーション(啓示)(4) (モーニング KC)

レベレーション(啓示)(4) (モーニング KC)

 

ジャンヌ・ダルクの狂信の行方を描く山岸さんお得意のとてもドライでオソロシイ歴史モノ第4巻、連戦連勝のジャンヌにいよいよ暗雲が垂れ込めこれからの陰惨な展開を予感させるけど、ジャンヌ・ダルクってのは当時の戦争のセオリーを全無視したからあんなに破竹の勢いで連勝したってことが伝わってきて今回もとても面白い。

 

アオイホノオ(20) / 島本和彦

なんと今回は恋の煩悩に翻弄されるモテモテのホノオくんが登場だ!まあこの年齢の頃に色恋に興味がなかったり描かれなかったりするのは逆におかしいから、やっとこの辺を描けるようになるまでにホノオくんが成長したって事か。

 

 

映画『移動都市/モータル・エンジン』は宮崎駿でスチーム・パンクなSFファンタジーだった!

■移動都市/モータル・エンジン (監督:クリスチャン・リヴァーズ 2018年アメリカ映画)

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映画『移動都市/モータル・エンジン』は邦題の通り「移動する都市」を巡って描かれるSFファンタジー作品である。脚本・製作にピ-ター・ジャクソン、監督にPJ映画のストーリーボード・アーチストだったクリスチャン・リヴァーズ。

まずね。「”移動する都市”ってなんすかソレ?なんで都市が移動しなきゃいけないんですか?」って思うじゃないですか。なぜ都市は移動するのか。それは他の移動都市を食って成長するためなんです。「ちょっと待ってください。他の都市を食べるってなおさら判んないんですけど」とあなたは言うだろう。いや、確かに何言ってのか判らないと思うけど、オレにもさっぱり判らないんだよ……。

《物語》舞台は最終戦争で文明が滅び去ってから千年後の地球。その世界では都市が巨大な駆動装置に乗って地上を這い回り、他の移動都市を探し当て貪り食うことで資源を得ていた。その中で最も強大かつ巨大な移動都市ロンドンで、今、世界を再び滅ぼさんとする最終兵器が開発されようとしていた。これを阻止するべく、「反移動都市同盟」が反旗を翻したのだった。

……いやあ、粗筋書いてすらさっぱり判らない話だ……。しかしですね。「訳が判らない」にもかかわらず、荒廃しきった大地と、そこを這い回る移動都市の圧倒的なまでに禍々しい姿と、世界のあちこちで蠢きまわる怪物のような姿に進化した異形のテクノロジーのヴィジュアルがとことん異界感をあおってゆく、そんな異様さ奇想天外さを楽しむ作品であるわけなんですよこの『移動都市/モータル・エンジン』は!

いってみれば「SFファンタジー」における”ファンタジー”の側面が強いと思われるこの作品、決して魔法や魔物が登場するわけではないのですが、世界全体を覆うスチーム・パンクなビジュアルとそのテクノロジーの在り方が既にして非科学的で、にもかかわらず一つの世界観として確立され完成しているという部分で、まさにこの作品は「(SFな)ファンタジー」ということが出来ましょう。

なんたってアナタ、映画に登場する最大移動都市ロンドンは、幅約1500m、奥行き約2500m、高さ約860mもありまして、これが超巨大キャタピラにより時速160kmで走行するとかいうんですよ。そもそもこんなもんどうやって作ったの?自重で壊れちまうんじゃないの?動力源は何でどうやって動かしてんの?とかなんとかいろいろ思いはしますが、「いやそういうものだから」と言われたら返す言葉もありゃしません。この辺りがファンタジーのファンタジーたる所以ですが、納得ずくで見るならこれはこれでアリな世界なんですよ。

オレ的に「移動都市」の概念を合理的に考えてみようとするなら、かつて他国を侵略・植民地化することで版図を広げ、生き物のように成長していった帝国主義国家のあり方を、そのまま「生き物のように移動し続け成長する都市」という形に暗喩したものがこの「移動都市」という存在なんではないかと思いましたね。そしてその最強の移動都市というのが古き時代に世界を我が物にせんと版図を広げていった大英帝国の首都ロンドンであるという部分に如実にそれを感じますね。

で、なにしろ世界観ありきの作品なんですが、お話それ自体はどんなかというと、まず悪役が移動都市ロンドンの邪悪な指導者ヴァレンタイン(ヒューゴ・ウィーヴィング)。こいつは世界征服のための最終兵器を開発しています。そして主人公となるのがヴァレンタインに母を殺され復讐を誓う少女へスター(ヘラ・ヒルマー)と彼女に協力し恋心の芽生える青年トム(ロバート・シーアン)。この二人が「反移動都市同盟」と結託してヴァレンタインの野望を打ち砕こうとする、という冒険譚ということになるんですね。

そしてこのお話というのがですね、見事に宮崎駿作品してるんですよ!

まず移動都市ってぇのがハウルの動く城じゃないですか。移動都市の最終兵器は古代科学の遺物を利用していてさらにその威力が風の谷のナウシカ巨神兵天空の城ラピュタの空中都市そのもの!世界大戦の後の世界ってのも両作品を思わせます。反移動都市同盟は空に都市を築いてますがこれがまたラピュタっぽく、同盟の女性空賊アナとその仲間たちが飛行船や戦闘機を駆って戦う様はラピュタのドーラとその一味を思わせます!戦いの鍵を握るアイテムが実はアレだったとかもラピュタっぽい!へスターにしつこく付きまとうサイボーグ「シュライク」はラピュタに出てくるロボット並みの強力さを兼ね備えています。

お話それ自体はちょっと古臭く感じる、というか大昔の冒険小説みたいで洗練さには欠ける。主人公の青年トムがひょろひょろした優男で魅力が無い、ヴァレンタインの令嬢キャサリンやその他の登場人物もいてもいなくてもお話が変わらないなど、配役に交通整理が必要に感じましたね。とまあ他にもあちこち難を感じる部分はあるんですが、なにしろスチーム・パンクした異形なテクノロジーの描き方はとてつもなく凄い。この圧倒的な映像効果だけでも「もう一度見たい」と思わされてしまう作品で、そういった部分においてはオレ的に「アリ」な作品でしたね。

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移動都市 (創元SF文庫)

移動都市 (創元SF文庫)

 

『グリーンブック』は【限界中年】の心の旅路を描く映画だった・・・・・・ッ!?

■グリーンブック (監督:ピーター・ファレリー 2018年アメリカ映画)

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映画『グリーンブック』、黒人差別が今よりずっとあからさまだった60年代アメリカを舞台にして、イタリア系チンピラ白人が天才黒人ピアニストのツアードライバーをしちゃう、てなお話でアリマス。

チンピラ白人トニー(ビゴ・モーテンセン)は「黒人?ナニソレ」な差別的な人間でしたが、賃金目当てで黒人ジャズピアニストであるドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)のアメリカ南部を巡るツアーの運転手として雇われます。粗野な俗物でしかないトニーでしたが、しかし旅の途中で出遭う様々な事件からドクター・シャーリーへ心を通わせてゆく、というのがこの物語。

ま、テーマは「黒人差別」と「それを乗り越え理解し合える心」という実に判りやすいもの。要するに「イイ話」で、実のところ「イイ話」以上のものでは無いし、予告編で想像できる以上のことも描かれないんですが、下手に斜に構えず素直に観るなら、これはこれで安心して楽しめる人間ドラマでありロードムービーなんじゃないですか。オレ個人は「いいんじゃないこれで?」と思って観終わりましたけど。

興味を抱いたのはトニーが黒人差別的な行動をするにもかかわらず黒人音楽が好きでとても詳しかった、という部分ですね。そしてその黒人音楽好きが端緒となってドクター・シャーリーへの理解へと繋がってゆく、という粗筋でもあるんですよ。黒人音楽が黒人それ自体へのリスペクトを高めたということはあると思うんですが、トニーの場合それがないんですよ。60年代アメリカ白人の黒人忌避の在り方をオレは全て把握しているわけではないんですが、少なくともこの映画におけるトニーの描かれ方は「なんかまわりも”エンガチョ”って言ってるから俺も”エンガチョ”って言っとこ」といった無邪気な残酷さを持ち合わせた程度の人物像なんですね。

でも彼は仕事となれば「黒人嫌い!」なんて言ってらんないことは知ってるし、実際無理解ではあるにせよドクター・シャーリーに差別的だったり失礼だったりはしないんですよ。丁寧にはしているけど心の中では蔑んだり下に見ている、なんてぇ心理描写もありません。ここから考えられるのはまず一つ、トニーはビジネスについてはきっちりやる頭の切り替えの早い男だったこと、二つ目、差別的な男だったけど差別のことばかりで頭が凝り固まってしまうような無体な人間ではなかったということですね。

ですから、これはあくまでストーリーテリングの話だけで言いますと、「相反する主義主張を持ち対立する二人が旅を続けるうちにお互いへの理解と尊敬を深めてゆく」というバディであったりロードムービーであったりするドラマとしてみるとちょっと弱い、ということになってしまうんですよ。それはトニーが特に憎ったらしい奴に描かれてないからなんですね。

「お前の事ホント嫌い死ね死ねこのクソ野郎!」だったのが「俺が間違ってた。あんた最高。惚れた。クリスマスには絶対カード贈る」に至る落差のカタルシスがこういったドラマのテーゼとは思いますが、実話というくびきもあってか、「差別よくない。ダメ絶対」という意識の高いマイルドさが足を引っ張ったのか、結局前述の「実のところ「イイ話」以上のものでは無い」ということになっちゃったんじゃないかな、とは思えましたね。とはいえ、実話ならではのよさというのもあり、そのプラマイゼロという部分で「(でも)いいんじゃないこれで?」という感想だったんですけどね。

まあしかしですね。いろいろデリケートでムツカシイテーマを扱っていることもあり、ある方面ではなにかとすっきり評価し難い側面を持つ作品とはいえ、そんな部分よりも、「ゴリゴリの【限界中年】なおっさんと、世界に対してヤマアラシみたいにツンツンしているもう一人のおっさん」の、心の旅路を描く物語として、あえてシンプルに観たほうがこの作品は素直に楽しめるんじゃないかなあ。

「そんなのは皮相的な矮小化だ!総括だ!自己批判しろ!」とどこかの方面からはイロイロ怒られそうですが、オレが言いたいのは、差別とか社会問題とかそういう「大きな物語」として捉えるんじゃなく、一個人対一個人の「小さな物語」として捉えるほうがこの作品のチャーミングさが伝わるんじゃないかな、ということですね。そしてそんな「小さな物語」の積み重ねが、いつか「大きな物語」へと成長してゆくことのほうが、オレには健全なことなんじゃないかと思うんですけどね。

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※ジャズ・ピアニスト、ドクター・ドナルド・シャーリーことドン・シャーリーのことは全然知らなかったのですが、この映画を観てちょっとどんな音楽をやっていたのか聴きたくなってきますよね。劇中言及されていた『Orpheus in the Underworld』の音源もありました。 

Don Shirley's Point of View

Don Shirley's Point of View

 
Orpheus in the Underworld / Im

Orpheus in the Underworld / Im

 
Golden Classics

Golden Classics

 
グリーンブック~オリジナル・サウンドトラック

グリーンブック~オリジナル・サウンドトラック