宇宙の彼方からやってくる謎の通信の正体とは /『へびつかい座ホットライン』

へびつかい座ホットライン / ジョン・ヴァーリイ

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外宇宙から侵入した謎の物体によって地球を破壊された人類は、水星、金星、月、火星など八つの植民地で、ふたたび独自の文明を築きあげていた。その発展は、へびつかい座70番星の方向から超タイトビームで送られてくるメッセージなしには不可能だった。だがこの〈へびつかい座ホットライン〉の真の目的は……? クローニング、性転換、臓器移植、サイボーグ化が日常茶飯事となった世界を洗練された筆致で描いた本格SF

SF作家ジョン・ヴァーリイはデビューの頃からなんとなく気にはしていたが、まだ10代だった当時の自分には物語の内容が取っ付きにくくて殆ど読んでいなかった(ヴァーリイ小説で頻繁に描かれるクローンや性転換を繰り返す登場人物、というのがあの頃は異様に思えたのだ)。

だが最近(2015~2016年)東京創元社から出版された《八世界シリーズ全短編》2冊『汝、コンピューターの夢』『さようなら、ロビンソン・クルーソー』を読んで「ああこれはなかなかの作家だったのだな」とようやく認知し、その《八世界シリーズ》の長編小説『へびつかい座ホットライン』を読んでみようかと思ったのである。 

とはいえ《八世界シリーズ全短編》を読み終わってからすぐ購入したのに2年ほど積読にしてあって読んだのはついこの間。しかもこの『へびつかい座ホットライン』、1979年にハードカバーで出版されたものをまだ10代の自分がその時購入していたのだが、最初に書いたような理由でまるで読むことなく実家で行方不明になってしまっていた。それをもう一度買い直し(しかもハードカバーの古本で購入)やっと読んだわけだから、考えようによっては「40年間積読にした本をやっと読んだ」ということができる。

( ↓ こちらがハードカバーの書影。当時は定価1300円!)

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ではサクッと内容に触れてみよう。舞台はなにしろ《八世界》、これは「インベイダー」と呼ばれる異星人侵略者により地球に住めなくなった人類が太陽系の8つの惑星・衛星に移り住み、数世紀が経った世界の事である。そこで人類はへびつかい座方面からやってくる謎の通信を傍受、そこに含まれるデータを解析し超科学技術の恩恵を受け発展していたのだ。この超科学技術により異様に変貌した人類の姿を描くのが《八世界シリーズ》の中心的な要素であり、そしてこの長編『へびつかい座ホットライン』では「そもそも"へびつかい座ホットライン"の正体は何か?」をいよいよ描くことになるのだ。

例によって主人公は何度も死とクローンを繰り返し、さらに複数のクローン生成により主人公が複数登場するという異様な展開を迎える本書である。物語では3人の主人公がそれぞれ別の場所で行動し物語が進んでゆくのだ。そこで明らかになってゆくのは、”ホットライン”を送信していたへびつかい座人(?)が、なんとこれまで送信していた情報の料金を請求してきた、という笑っちゃうような、いや笑うに笑えない事実だったのだ。果たして人類は請求料金を払えるのか!?

ヴァーリイ初の長編作品だったということからか、筆致はぎこちなくプロットは錯綜し、読み難くはないにしろ話がなかなか見えてこない。中盤からやっと安定してくるものの、クライマックスで『地球幼年期の終り』みたいに壮大にぶち上げようとするが今度は書き込むべきところで書き込んでおらず、物足りないことはないが微妙に拍子抜けする。それと《八世界シリーズ》の集大成という意味合いが大きいため、他の短編作をきちんと読んでいないと物語への没入度は低いかもしれない。

しかし逆に、《八世界シリーズ》を読んできたからこそ味わえる「この世界の核心」に触れる事が出来た楽しさは確かにあり、ひとつのエピックとして堂々と完結していたと思う。この後も続編があり、決して大団円という訳ではなさそうだが、これはこれで《八世界シリーズ》のまとめ作品となっていた。

ところで、読んでいて思ったのは「改変され”人間”の意味をどんどん失ってゆく先にはなにがあるのだろう」ということだ。《八世界》における人類は環境適応や個人的嗜好のために様々な肉体改造を施し、クローンへの意識移植はある意味”不死”を可能にし、簡単に行われる性転換は”男女の意味”を喪失させる。

そしてこれらを経た後の人類は、果たして”人間”と呼べるのか、という疑問を感じさせながら、翻って”人間”の定義とは何か、ということに行きつくのだ。この”揺さぶり”こそがまさにヴァーリイの真骨頂であり、《八世界》の真のテーマだったのだろう。この辺りの究極まで変容してゆく人類、というテーマはスターリングの『スキズマトリックス』に受け継がれているように思う。

しかしこのように変容してゆく人類であるにもかかわらず、ヴァーリイの物語には「愛」と「セックス」はきちんと残されていることが奇妙に微笑ましくもまた奇異ではあった。「愛」も「セックス」も、生殖や快楽の為だけではなく動物(哺乳類)としての人間が"生物的安心”を得るための行為であると思う。また、これらを物語に持ち込むことで読む者に一応の感情移入をもたらすことが容易だ。とはいえ、動物/人間であることを喪失し超越した人類にはもはや愛もセックスも必要ないだろう。ではその時、”人間”とはなんなのか?そんなことをふと考えさせるヴァーリイ作品だった。

へびつかい座ホットライン (ハヤカワ文庫 SF (647))

へびつかい座ホットライン (ハヤカワ文庫 SF (647))

 
スキズマトリックス (ハヤカワ文庫SF)

スキズマトリックス (ハヤカワ文庫SF)

 

今年は日本料理であった

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先日は相方さんのお誕生日会ということで恒例のお食事会を催すことになりました。誕生日から一週間ほど遅れたお食事会です。ちなみに相方さんの誕生日はルチオ・フルチと一緒です。

相方さんとも10数年の付き合いとなり、お誕生日の食事もいろんなお店に行きましたが、「今年はどんなものが食べたい?」と聞いたら相方さんしばらく考え、「蛤食べたい」とか言うじゃないですか。

蛤……ありそうで無いというか、蛤だけで探すと普通の居酒屋になっちゃうじゃないですか。あと、「わんこ蛤の店」なんてのもありましたが(わんこ蕎麦の如く延々蛤を食べさせるのです!)、どちらもお誕生日会にしては色気が無い。

そんなわけで今回は日本料理のお店ってことにしたんですよ。これまでお誕生日会で鰻や河豚やすっぽんや天婦羅、日本料理の範疇のものはあれこれ食べに行ったことはあるんですが、今回は「なんかあれこれ出てくる日本料理店」ということにしたんですね。それとオレが最近日本酒に目覚めたということもあり、もともと日本酒好きの相方さんと日本酒を酌み交わしつつ日本料理食べたいなあ、と思ったのもありました。

ということで今回選んだのは横浜にある日本料理店「空海」。弘法大師とは関係はなく、「美味しいもの食うかい?」みたいな意味で付けられた名前なんだとか。

この日はデパートで二人でプレゼントを物色してからお店に行くことにしました。当日は生憎の雨で、君のお誕生日会って割と雨降ってるよなあ、でも6月なんてだいたい雨降りなんだよね、なんて二人で話しながらお店に向かいました。

というわけでお店に到着。コースで注文しましたが、最初に出てきた大吟醸酒がもう悶絶しちゃうほど美味くてねえ!いや日本酒ヤヴァイわ!

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相方さん御所望の蛤はコースには入っていないので別途注文しました。そしたらもうこれが大きい大きい!貝殻からはみ出てるんじゃないのか、こいついったいどんな育ち方したんだ?と心配になっちゃうほど大きな蛤で、相方さんも大喜びです。いやーよかったよかった。

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とりあえず目的の蛤はクリアしたので、あとは相方さんとお酒を飲みながらゆっくり他の料理を楽しみました。伊勢海老や和牛ステーキや中トロのお寿司や毛ガニや鮑なども出されてなかなか豪華なお誕生日会になりましたね。日本料理とは謳ってましたが意外と和洋折衷で、逆に変化があって楽しめました。相方さんもたっぷり食べてたっぷり飲んで、満足してくれたようです。また一年、一緒に楽しく過ごしましょう。

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d.hatena.ne.jp

太陽超新星化兵器による宇宙規模のジェノサイドを描くスパイSF作品 / 『アイアン・サンライズ』

■アイアン・サンライズチャールズ・ストロス

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ウェンズデイ、16歳、オールド・ニューファンドランド・フォーの住人。彼女は暗い廊下を必死で逃げていた、執拗に追う怖るべき魔犬をふりきり、避難船にたどり着くために。あんな死体や謎の書類なんて見つけなければよかったのに。時間はもうほとんどない。約4年前、鉄爆弾が太陽を超新星化させ、モスコウで暮らす2億人を焼きつくした。その恐怖の衝撃波面―鉄の夜明けが、まさに今ここに到達しようとしていたのだ。

「そういやチャールズ・ストロスって今どうなってるんだ?」と思ったのである。『シンギュラリティ・スカイ』とか『残虐行為記録保管所』とか『アッチェレランド』とか面白い長編を書いてたけど、最近は全然話を聞かないんだよな。英語版のWikipedia見ると本国では今でもコンスタントに作品が出版されているようだが、日本では全く訳出されなくなってしまったようで、結構寂しい。

そんなストロスの、ずーっと積読にしたあった長編SFがあったので、積読消化の意味合いも込めて読んでみることにした。タイトルは『アイアン・サンライズ』、日本では2006年に発行されており、『シンギュラリティ・スカイ』の続編となる作品だ。 この2作品はいわゆる「ポスト・シンギュラリティ」をその物語背景としていて、この設定がなかなか面白い。

【物語背景】
・21世紀中葉、”特異点(シンギュラリティ)”を突破し超知性体となったAI”エシャトン”は説明されていない理由から全人類の9割を銀河系中に強制移民。
・人類はその後、超光速航法と超光速通信を可能にし、離散していた文明同士の接触が可能になる。
・エシャトンは人類に”因果律侵犯(時間旅行)”を行う事を禁止。これを侵した文明は星系ごと破壊される事さえあった。

というわけで超知性のせいで銀河系中に散らばることになった人類が、これも超知性の恩恵で手に入れた超科学により繁栄を手に入れつつ、その星間同士できな臭い紛争が進行し……というのがこのシリーズとなる。

今作ではまず「太陽の中心に撃ち込まれた”鉄核融合兵器”により超新星化した太陽」の影響で瞬時に滅んだとある星系と、その近隣星系に迫る巨大な衝撃波の危機とが描かれることになる。この冒頭の宇宙的大カタストロフで掴みはばっちり、といったところか。そして物語は「誰がこの兵器を使用したのか?」という謎に迫ると同時に、星系滅亡の際に自動的に発動した、これも大破壊をもたらす報復兵器を阻止するため、前作の主人公たちが急行する、というものだ。

とはいえ前作の主人公であるマーティンとレイチェルは今作では裏方に回り、今作で中心となって活躍するのは16歳のパンク少女ウェンズディと、彼女とたまたま知り合った戦争ブロガーの中年男フランクとが物語を牽引することになる。さらにシンギュラリティ知性エシャトンのエージェント(?)、ハーマンも所々で介入してくる、という内容になっている。

いやーそれにしても分厚い。この作品、なんと650ページもありやがる。今のハヤカワなら上下巻の2分冊か、ひょっとしたら上中下で3分冊ぐらいにしているかもしれない。そしてトータルで購入すると3000円ぐらいになっちゃうという仕組みだ。これが2006年刊行だと定価1000円なのである。おまけにアマゾンの古本なら送料別でたった1円だ。こんな所にも時代を感じるよなあ。

しかし650ページもある今作、分厚い割には物語展開が遅い。鈍重な物語展開だともいえる。実は前作の『シンギュラリティ・スカイ』もこんな感じで展開が鈍重だった。今作でもあれこれ登場人物やお膳立てが整っていわゆる”アクション”に入るのは物語も中盤を過ぎてからである。この辺は作者の初期作の手癖だったのだろう。その後の『残虐行為記録保管所』や『アッチェレランド』では改善されていた。

それと、前作が目くるめくような超テクノロジーの躍る「ポスト・シンギュラリティ・テーマ」のブリティッシュ・ニュースペースオペラ作品として書かれているのに比べると、今作はもっとおとなしめだ。物語も星系間のきな臭い権謀術数が進行するエスピオナージュ作品、スパイSFといった内容だ。『残虐行為記録保管所』もスパイSFといった趣だったから、作者は意外とこっちのほうの資質が強いのかもしれない。

実の所描かれる風俗は現代のイギリスとさして変わりないように思えるし、中盤で明らかになる敵の正体もナチスドイツを彷彿させるし、戦争ブロガーのフランクが過去に遭遇した虐殺事件も現実にアジアのどこかで起こった政変事件を想起させてしまう。この辺りにSF的な瞬発力の弱さを感じる。とはいえようやく勢揃いした登場人物たちが動き出す後半ではようやくSF的な醍醐味を味合わせてくれる。敵役の残虐さは歯応えたっぷり、これに相対する主人公ウエンズディ、前作からの主要人物レイチェルたち女性陣の活躍ぶりが目覚ましい。前作よりも地味目ではあったが、分厚さが気にならないほどするすると読めた。

アイアン・サンライズ (ハヤカワ文庫SF)

アイアン・サンライズ (ハヤカワ文庫SF)

 
シンギュラリティ・スカイ (ハヤカワ文庫SF)

シンギュラリティ・スカイ (ハヤカワ文庫SF)

 

サイバーパンク+ハードボイルド+近未来イスラーム世界SF『重力が衰えるとき』

■重力が衰えるとき/ジョージ・アレック・エフィンジャー

重力が衰えるとき (ハヤカワ文庫SF)

おれの名はマリード。アラブの犯罪都市ブーダイーンの一匹狼。小づかい稼ぎに探偵仕事も引きうける。今日もロシア人の男から、行方不明の息子を捜せという依頼。それなのに、依頼人が目の前で撃ち殺されちまった!おまけになじみの性転換娼婦の失踪をきっかけに、血まなぐさい風が吹いてきた。街の秩序を脅かす犯人をつかまえなければ、おれも死人の仲間入りか。顔役に命じられて調査に乗りだしたものの、脳みそを改造した敵は、あっさりしっぽを出しちゃくれない。…実力派作家が近未来イスラーム世界を舞台に描く電脳ハードボイルドSF。

オレは「サイバーパンク」と聞くとなぜか敏感に反応して舌なめずりしてしまうサイバーパンク信者の一人ではある。好きだったなあウィリアム・ギブソンブルース・スターリング。そもそもオレのはてなIDである"globalhead"はブルース・スターリングの短編集から採ったぐらいだ。

とはいえサイバーパンクというのは80年代に流行ったSFサブジャンルで、今やそのまんまサイバーパンクSF小説なんで書かれていないんだろうな。むしろポスト・サイバーパンクなんてジャンルまであるのらしい。要するに既に流行から40年近く経っちゃってる古いジャンルであるということだ。

ジョージ・アレック・エフィンジャーによるサイバーパンクSF小説『重力が衰えるとき』は1987年に書かれ、1989年に早川書房から訳出されている。だからやはりちょっと古いSF本だ。刊行された当時は読もうか読むまいか迷ったが結局本を買うことを無かった。でもなんとなく気になっていて、今回やっと古本で入手し読んでみた。古いんで実は表紙もブログTOPの書影と違ったりする。

この小説のウリというかポイントになるのはサイバーパンクSFであるのと同時に近未来イスラーム世界を舞台にしているという部分だ。近未来イスラーム世界が舞台のSF小説というとイアン・マクドナルドの『旋舞の千年都市』、G・ウィロー・ウィルソン 『無限の書』あたりを思い出すが、実はこれらもサイバーパンク的な電脳小説なんだよね。イスラームと電脳、この組み合わせってちょっとワクワクするものがありません?そういう部分もあって読んでみようと思ったんですよ。

物語はというとなにしろ架空の近未来イスラーム国を舞台に一匹狼探偵マリードがヤヴァイ仕事を請け負っちゃう、というものだ。マリードの目の前には次々に死体の山が築かれ、自らも生命を脅かされ、それによりマリードは自らの電脳化を決意する、というもの。物語はたいてい怪しげな飲み屋や風俗店が中心となり、水商売の女や娼婦、ポンビキや裏世界のドンが跋扈する世界がこの物語だ。

サイバーパンクなんて単なる風俗小説だ」と喝破したのは日本のSF作家高千穂遥だが、確かにこの『重力が衰えるとき』は物語のほぼ半分ぐらいが怪しげな裏世界の風俗描写で費やされているように思う。風俗描写が5割だとすると探偵物語が3割、あとの2割がイスラーム世界描写と電脳描写だ。だからハードボイルドな味わいの裏社会描写は長々と描かれるのだけれど、サイバーパンク小説以前にSF小説味が薄いし、イスラーム世界描写もなんだか付け足しのようにも感じる。主人公が電脳化しやっとSFぽくなるのは物語が半分も過ぎたあたりくらいだ。

とはいえ退屈したのかというとむしろ逆で、汚濁に塗れた街とそこをうろつき回るちょっとだらしない主人公の行動にずっと魅了させられていた。負け犬ばかりがひしめく裏世界、饐えた臭いの漂うエキセントリックな登場人物たち、金と暴力であらゆるものの上に君臨する裏世界のドンなど、雰囲気がたっぷりなのだ。

主人公はその中で、事件を解決したいのかしたくないのかはっきりしないまま酒と麻薬に溺れ続け、思い出した頃にやっとこさ行動する。しょーもないっちゃあしょーもないんだが、この薄汚れた世界とセコい主人公の描写が何故か心地いい。そしてやっとサイバーパンクSFらしくなる後半ではあれやこれやで満身創痍になった主人公がようやく事件の真相に肉薄し、異様な真実にぶち当たるというわけだ。

というわけでこの『重力が衰えるとき』、最先端のとんがったSF小説を読みたいと思ってる人には退屈かもしれないが、サイバーパンクとハードボイルドのダルい雰囲気をまったり味わいたいと思う方にはそこそこ楽しめるんじゃないかな。この作品はこの後シリーズ化され、『太陽の炎』『電脳砂漠』と続く3部作になっているのらしい。ちなみに今作のタイトル「重力が衰えるとき」というのは常ならぬことが起こるといった意味合いだそうで、重力が使命を持ったりムカデ型異星人が登場したりはしないし当然ハードSF展開など微塵も無いので念のため。

重力が衰えるとき (ハヤカワ文庫SF)

重力が衰えるとき (ハヤカワ文庫SF)

 

サルマーン兄ィの新作インド映画『Race 3』が思いっきりしょーもなかった件について

■Race 3 (監督:レモ・デスーザ 2018年 インド映画)

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本国インドとほぼ同時に日本でインド映画を上映する恒例のインド映画上映会、今回の作品はなんとサルマーン・カーン主演のアクション映画『Race 3』だ!うおおおうこれは大いに盛り上がるね!……とばかりに勇んで劇場に足を運んだんだが、観終ってみるとこれがもう相当しょーーーもない作品で目が点になったまま帰ってきた……。

一応説明するとこの『Race 3』、ナンバリングされている通り「Race」シリーズの3作目という事になっている。1作目『Race』(2008)は監督アッバース&ムスタン、アニル・カプール、サイフ・アリ・カーン主演。続編となる2作目『Race 2』(2013)は監督・主演とも一緒だがさらにディーピカー・パードゥコーン、ジョン・エイブラハムが出演者に加わりこちらは大ヒットした。オレは2作目しか観ていないないんだが「ご都合主義大爆発なお話だったな」程度の感想だった。

そしてこの3作目では監督をレモ・デスーザに変え、サルマーン・カーン、アニル・カプール、ボビー・デーオール、ジャクリーン・フェルナンデスを主演に迎え、前2作とは物語的に繋がっていない作品として作られている。監督であるレモ・デスーザは『ABCD: Any Body Can Dance』(2013)、『ABCD 2』(2015)、『A Flying Jatt』(2016)といった監督作品がありオレ個人はどの作品も嫌いじゃない。

で、今作『Race 3』だが、お話はというと世界を股にかけ武器や麻薬を売買する犯罪帝国を仕切る一家の、陰謀と疑惑と裏切りと愛憎に満ちた、虚々実々の駆け引きを描くところとなる。なにしろアクションはとことんド派手!ダンス・シーンは盛り沢山!物語はどんでん返しに次ぐどんでん返し!といった感じで、こってりたっぷりサービス満点!な作りにはとりあえずなっている。予告編だけ観るなら結構面白そうなのだ。

ところがその満点なサービスのクオリティが低いので目も当てられないのである。アクション・シーンは確かに派手だが演出が一本調子で次第に飽きてくる上、見栄えの良さばかり追求した挙句物語の内容と齟齬をきたしているのだ。ダンス・シーンは監督自身がコレオグラファーでありダンサーであるせいかたっぷり力が入っているのだが、その力み過ぎが仇となり「今時これなの?」と思ってしまうぐらい古臭い演出だ。どんでん返しに次ぐどんでん返しが連続する物語は、どんでん返しそれ自体を目的化してしまったがゆえに人間関係の描き方がどんどん破綻してゆき、だんだんもうどうでもよくなってくる。もはやクライマックスなんてギャグレベルだった。

あとこれは個人的な趣味になってしまうが、悪党ばかりが登場し、その悪党たちがどれだけ悪党なのか描きまくっちゃう物語、というのにあまり食指が動かなかった。悪党同士のロマンチックなダンスシーン見せられても「ほえ?」って思っちゃうよ。サルマーン兄ィに関しても『Bajrangi Bhaijaan』(2015)、『Prem Ratan Dhan Payo 』(2015)、『Sultan』(2016)、『Tiger Zinda Hai』(2017)と立て続けに名作・快作に出演してきただけに、『Jai Ho』(2014)や『Kick』(2014)レベルにしょーもないこの作品への主演はどうにも残念だなあ。とはいえそこは大スター、存在感は確かにあって、決して「観て損した」とまで思わせないのは流石かな。まあ次作に期待、ということで。

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