インドのお受験狂想曲~『Hindi Medium』

■Hindi Medium (監督:サーケート・チョウドゥリー 2017年インド映画)

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娘を有名校に入学させたいばかりに悪戦苦闘アーンド七転八倒を繰り広げちゃう!という夫婦を描くコメディ作品です。

舞台は大都会デリーの下町チャンドニー・チョーク。ここで洋裁店を営むラージ(イルファーン・カーン)は娘のピヤーをなんとか名門校で学ばせたいと妻のミーター(サバー・カマル)ともども頭を悩ませていました。ラージ夫妻はデリーのトップ校デリー・グラマー・スクールに娘を入学させるため、遂に学区内である高級住宅街バサント・ビハールに引っ越します。ところが教育の低いラージ夫妻はそれが理由で娘の入学が困難と知り、早くも暗礁に乗り上げます。しかし二人は学校に「貧困者優遇入学」という措置があり事を知り、今度は貧乏人に成り済まそうと貧民街に引っ越すのです!さてさて二人の目論見は成功しますか否か!?

「インドのお受験事情?ナニソレ?」と最初は思ってたんですが、これが観てみると無類に面白い作品で、ひょっとしたら2017年で最も重要な作品の一つなんじゃないかな、とすら思わせてくれました。

まずインドならではのお受験事情ですが、なにしろ子供の頃から英語ができなきゃ始まらない!なにしろ英語ができることがエリートコース!ってことらしいんですね。とはいえ子供だけじゃなくて親も教育が高く無きゃいけない!なんてハードルまであってさあ大変。さらに入学時に親の面接をするってのは日本でもありますが、この面接専門のカウンセラー業ってェのがインドにはあるらしく、映画ではそのカウンセラーにあれこれアドバイスされながらも、全くエリートらしく振る舞えないお父さんラージのダメダメぶりと開き直りぶりが可笑しくて仕方がない。この辺、イルファーン・カーンがメッチャとぼけた演技をかましてくれて大いに笑わせてくれるんですよ。

そんなダメダメな旦那に半分切れ気味なのが妻のミーター。娘の将来の為に眼尻上げ気味に奮闘しまくってるのに、暢気すぎる旦那が歯痒くてしょうがない。そんな旦那に檄を飛ばすもたいてい「うんにゃあ?」ってな態度で返されさらに怒り倍増。なんか日本でも見かけそうな光景ですねえ……。こんな妻を演じるサバー・カマルが美人ながら生活感のある演技を見せてくれて冴えていました。

こういった「お受験事情」以上に個人的に興味深かったのはインドで暮らす様々な人々の社会階級(カーストのことではない)が詳らかにされていたことでしょうか。当然映画ならではの誇張した脚色もあるのでしょうが、上流・中流下流の人たちの生活をそれぞれに並べて描いて見せているんですよ。

まず中流、というのは主人公夫妻の最初の生活の様子でしょう。可笑しかったのは高級住宅街に越して上流階級の人々を招いてのホームパーティーのシーン。初めてキャビアを食べたラージが「なんじゃあこりゃあ?」と顔をしかめるのも可笑しかったし、客にウイスキーばかり勧めようとするラージに「お里が知れるからヤメテ!」と顔をしかめる奥さんの気苦労ぶりがまた可笑しい。おまけにボリウッドダンスソングで踊り出したラージに上流の人たちが面食らうんですね。インド人も上流になるとボリウッドダンスなんてはしたないと思ってんのかよ!?

さて貧民街に越してきてからも受難が待っています。住民を前につい英語が出てしまうと「なにその英語!?」と怪訝な顔をされるんです。部屋にはネズミは出るわ逆に今度は水が出ないわで大騒ぎ。ペットボトルの水を飲んでいたら「ホントにあんた貧乏なの?」と疑われるしこっそりATMでお金を下ろそうとしたら近所のおっさんに見とがめられ「いくらビンボだからってATM強盗はやめろぉ~~~!」と止められる始末。こういった、上流にも下流にも馴染めないラージ夫妻を面白おかしく描きながら、インドの様々な階級の人々の生活を浮かび上がらせてゆくんです。

とはいえ、いくらなんでも「貧乏人に成り済まして入学枠を貰っちゃえ!」というのは短絡的で犯罪的な行為。映画ではこういった人道性もきちんと描き、では、ラージ夫妻はいったいどうするのか?という部分で鮮やかなクライマックスを迎えます。嘘に嘘を塗り固めてどんどん苦しくなってゆく、というのはインド・コメディの基本形でもあるんですが、お受験に頭を悩ませ奔走する親や経済格差という現実的な社会問題を交え、それをさらりとコメディにまとめた手腕はさすがです。そしてそんな大騒ぎする両親を尻目に、いつも屈託なく笑顔を浮かべている娘ピヤーの姿に「どんな環境であろうと、親の愛情さえあれば子供はきちんと育つもの」とちょっと思わされました。


Official Trailer: Hindi Medium | Irrfan Khan | Saba Qamar & Deepak Dobriyal | In Cinemas 19th May

 

 

スタニスワフ・レムのデビュー作収録『主の変容病院・挑発』を読んだ

主の変容病院・挑発/スタニスワフ・レム

主の変容病院・挑発 (スタニスワフ・レムコレクション)

友人との再会から、青年医師ステファンは、煉瓦塀に周囲をかこまれ、丘の頂に屹立する、ビェジーニェツのとある病院に勤務することになる。そこ、「主の変容病院」では、奇怪な精神と嗜好を有する医師と患者たちが日々を営んでいた。彼らに翻弄されるステファンだったが、やがて病院は突如姿を現したナチスによって占拠されてしまう。次々と連行される患者たちを前にステファンの懊悩はなおいっそう深まっていき……レムの処女長篇『主の変容病院』のほか、ナチスによるユダヤ人大虐殺を扱った架空の歴史書の書評『挑発』や『二一世紀叢書』など、メタフィクショナルな中短篇5篇を収録。

 ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムの中短編集『主の変容病院・挑発』は国書刊行会からリリースされている「スタニスワフ・レム コレクション 全6巻」の最終巻となる。その収録作『主の変容病院』はレムの処女長編として貴重な作品だ。

この『主の変容病院』、なにやら意味ありげなタイトルだが、実は非SF作品である。「主の変容」とは新約聖書に登場する言葉なのらしく、なにがしかの暗喩はあるとしても字面的には「聖○○病院」ぐらいの意味なのだろう。そしてその物語とは、精神病院に赴任してきた青年医師がそこで出会う様々な人々との体験、そして次第に色濃くなるナチスドイツによるポーランド侵攻の災禍を描いたものとなる。

非常に鮮やかで緻密な自然描写、まるで手術台で検分されているかの如く鋭利に切り分けられ描き出される人間心理、確かにその後SF作家として大成するレムの文体とは違うものの、ここには作家として十二分の才能を兼ね備えた新進作家の、鋭い観察眼と巧みな筆力に裏打ちされた高い完成度の作品を見ることができる。

特徴的なのはやはり、どこか突き放したような冷徹な文体の在り方だろう。レムにとって文学は、深い情動なのではなくいかに高い論理性のもとに描くかだったのだろう。しかしこれはある意味純文学とは相容れないもののように感じる。その後のレムがSFへと移行した理由は、彼の持つ高い論理性と思考力の為だったように思う。そういった意味では、非SF作品ではありながら、SF的な論理性の中で書かれた文学といった趣がある。

個人的には、この作品における登場人物たちの幾人かが、レム個人の性格を反映しているのではないかと邪推しながら読むのが面白かった。主人公である若き医師はもとより、病院の入院患者であり主人公と懇意となる作家のキャラクターの中に、レムのキャラクターの一面が存在しているのではないか。特にこの作家の饒舌な衒学性は、レムのメタフィクショナルな作品の口調と瓜二つではないか。

「処女作にはその作家の全てが詰まっている」という俗説があるが、その線で言うなら、この『主の変容病院』はレム理解のための重要な作品ということもでき、ファンなら必読の作品という事が出来るだろう。

この『主の変容病院』以外の収録作はレムお得意の”架空の書物の書評”『挑発』と、シニカルな仮定を積み重ねてゆくこれもある意味架空の評論『二一世紀叢書』といった短編が収められている。これらに通底するのは思考実験であり遊戯としての論理展開だろう。これらは、それだけで小説のアイディアとして使えるようなテーマを、物語化するのもまだるっこしいからあえて要点と結論だけを並べたものなのだろうと思う。レムはきっとせっかちだったのだ。

主の変容病院・挑発 (スタニスワフ・レムコレクション)

主の変容病院・挑発 (スタニスワフ・レムコレクション)

 

ゲームコミカライズ『ウィッチャー』を読んだ&最近読んだコミック

■ウィッチャー 1: HOUSE OF GLASS/ポール・トビン、ジョー・ケリオ

ウィッチャー 1: HOUSE OF GLASS (GーNOVELS)

全世界で600万本以上売り上げたという超人気MMORPG『ウィッチャー』のコミカライズ『HOUSE OF GLASS』である。 さてそんな超人気ゲームをオレがプレイしたことあるのかというと、……実はやってない。

じゃあなんでこのコミカライズを読んだのかというと「表紙がマイク・ミニョーラだったから」、ただそれだけである。いやー、カックイイ表紙っすよねえ。じゃあ中身は?というと実はこれがゲームの事はまるで知らないにも関わらずなかなか楽しめた。

物語はモンスタースレイヤーである主人公ゲラルトが、旅の途中知り合った男と共に怪しげな森の奥の不気味な館に閉じ込められてしまう、というものだ。じっとりと薄暗い世界には常に魑魅魍魎が跋扈し、森は死の臭いを放ち、館には呪われた”何か”が息を潜めている。その中で主人公は化け物たちを倒しながら呪いの秘密を解き明かしてゆく。

読んですぐ、相当しっかり形作られた世界の中の一つの物語、というのがはっきり伝わってくる。これはそもそもゲームそれ自体の世界観が奥深いものだからなのだろう。コミックの構成自体は多少のもたつきを感じるが、淫靡かつ陰惨な雰囲気は縦横に漂っており、『ウィッチャー』の世界にすっぽりハマって楽しむことが出来た。

なにより、このコミックを読んだ後、ゲーム『ウィッチャー』をやりたくなってしまった、というのがこのコミックへの最大の賛辞となるかもしれない。それだけ主人公や世界観が魅力的だったのだ。というわけでゲーム『ウィッチャー3 ワイルドハント ゲームオブザイヤーエディション』をついつい購入してしまったよ!クリア時間100時間以上だってよ!ヤバイよブログなんか書いてる場合じゃ無いよ!

ウィッチャー 1:HOUSE OF GLASS (G-NOVELS)

ウィッチャー 1:HOUSE OF GLASS (G-NOVELS)

 
アオイホノオ(18)/島本和彦
アオイホノオ 18 (ゲッサン少年サンデーコミックス)

アオイホノオ 18 (ゲッサン少年サンデーコミックス)

 

いよいよ連載の始まったホノオ君なわけだ。例によってドタバタジタバタしているように見えはするが、よく観察すると確実にプロとしてやってゆく気構えが固まってきていて、同時に言い訳かませつつも「自分のやり方」を押し通すのが正解という事にきちんと気付いていて、 あーやっぱり少しづつ成長してるんだなあ、いいなあ若者が悪戦苦闘しながら成長するのを見るのは、とオジサンちょっと思った。

■BOX~箱の中に何かいる(3)/諸星大二郎
BOX~箱の中に何かいる~(3)<完> (モーニング KC)

BOX~箱の中に何かいる~(3)<完> (モーニング KC)

 

 諸星大二郎の超現実ダークファンタジー最終巻。所々苦しい部分はあったけど、作者楽しんで描いてるなあというのが伝わってきてこれはこれで面白かった。物語が、とか仕掛けが、というよりも諸星を読む、というのがなにしろ重要なことだからな。

■レイリ(4)/岩明均(作)・室井大資(画)

影武者少女の凄惨な生き様を描く作品なんだが、この4巻では影武者テーマから離れ、武田VS徳川の「高天神城の戦い」 を中心に描かれることになる、歴史的に有名な戦いではあるが、この戦いの背後に少女レイリの活躍があった、とフィクションが挿入されてゆく様が楽しい。とか言いつつ実はオレ日本の歴史チンプンカンプンなんだけど、この戦いに関しては「水曜どうでしょう」で扱ってたので知っていた!!

■食の軍師(6)/泉昌之
食の軍師(6) (ニチブンコミックス)

食の軍師(6) (ニチブンコミックス)

 

 今回は「大衆食堂編」ということであちこちの大衆食堂を舞台としながら例によって東郷と力石がどうでもいいようなメニュー対決してゆくという流れ。まあしかし、大衆食堂、作者の趣味として分かんないでもないけど華が無いというか実の所フツー過ぎるんだよな。行って食ってみたいとあんまり思わないんだよな。とはいえ小技に走る東郷が力石の大技に常に撃沈させられる予定調和はやっぱり楽しい。

監獄学園(プリズンスクール)(26)(27)/平本アキラ

 前回までの長い長い「騎馬戦」ネタがやっと終わり、なにしろネタ引っ張り過ぎて飽きてきていた『監獄学園』なんだけど、通常運転に戻ってみるとこれが以前の調子を取り戻してきていて最高に笑わされた。しかもここからは超絶エロギャグだったのが超絶エロラブコメに発展し、これまでの登場人物たちがどんどん三角関係に陥ってゆく様にストーリーテリングの巧さが垣間見え、才能があってエロだと無敵だな、としみじみと思わされたのであった。

聖☆おにいさん(13)(14)/中村光
聖☆おにいさん(13) (モーニング KC)

聖☆おにいさん(13) (モーニング KC)

 
聖☆おにいさん(14) (モーニング KC)

聖☆おにいさん(14) (モーニング KC)

 

 『聖☆おにいさん』も12巻まで読んで「そろそろネタ切れかなあ」と思ってコミック買ってなかったんだけど、なんとなく久しぶりに買ってみたら意外や意外、ネタ切れだなんて失礼極まりの無い、まだまだそれがあったか!?と思わせる大ネタがかまされていて実に楽しかったな!作者ホントよくこれだけネタ尽きないよなあ。おみそれしました。

■呪いの都市伝説モンスター(アンソロジー)
呪いの都市伝説モンスター (KCデラックス)

呪いの都市伝説モンスター (KCデラックス)

 

呪いの都市伝説モンスター!!このアンソロジーは「口裂け女」や「赤マント」や「人面犬」など日本でお馴染みの都市伝説、「ゴートマン」や「バネ足ジャック」や「モスマン」など海外の都市伝説を題にしてそれぞれ10作品10漫画家で綴られたアンソロジーなんだね。強烈に企画モノ臭しかしないんだけどさにあらず、あまり馴染の無いホラー漫画家の作品が読めて、それらのイビツな味わいが楽しめて結構みっけもんだったな。何よりこのアンソロジー、花輪和一逆柱いみりの新作が読めるってだけで価値あると思うよ。

水曜どうでしょうDVD第27弾『釣りバカ&未公開VTR・NG集』観た

■『水曜どうでしょうDVD第27弾「釣りバカグランドチャンピオン大会 屋久島24時間耐久魚取り対決/一挙公開!!未公開VTR&NG集!

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水曜どうでしょうのこれまでの歴史の中で行われた「釣りバカチャンピオン決定戦」において栄誉を勝ちえた4人の釣りバカ、というかバカが一堂に会し、真の釣りバカを決定せんと行われたのが今回の「釣りバカグランドチャンピオン大会」である。

とはいえ既に誰もがお気づきのように、要するに今回もいつものメンバーが集まりダラダラと釣れない釣りに興じ、その後ニエニエになってなし崩し的に勝負を決めてしまう、といういつものあの行き当たりばったりな企画であることは言うまでもない。

しかし今回はなんと24時間耐久釣りレースという無謀な試みを決行し、案の定全員ゲロゲロに疲労困憊した挙句グダグダの醜い争いになったことは目に涙を禁じ得ない。まあそれでこそ「水曜どうでしょう」の面目躍如というものでもある。

それにしても屋久島の風光明媚な景色が実にいい。未公開VTR集のほうに収められていた、どうでしょうメンバー集っての野外での食事シーンでは、屋久島の豊富な食材に舌鼓を討つメンバーの楽しげな様子がとても和やかで微笑ましく、なんだか自分も彼らの一員になってその場にいたかのような奇妙な幸福感を感じた。この、まるで気の置けない雰囲気がどうでしょうのいい所でもあり、大きな魅力なんだな、と思わされた。

Disc2ではこれら未公開VTR集とNG集が収められている。しかしそれら映像よりもミスターと大泉君の何がしたいのかまるで分からないアホメイクの数々がひたすら強烈で、それもまた見所であろう。また、このDisc2では今後のどうでしょうの行方を伝える重大発表が収められている。

購入はこちらで。 

【死】についての物語~映画『IT イット “それ”が見えたら、終わり。』

■IT イット “それ”が見えたら、終わり。 (監督:アンドレス・ムシェッティ 2017年アメリカ映画)

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■子供の頃に初めて意識した【死】の概念

オレが【死】というものを初めて意識したのは4歳か5歳ぐらいの時だったろうか。

当時、まだ小さかったオレは近所の保育園に通っていた。ある日、園の門の外で、大人が何かのチラシを配っていた。友達の一人がそれを受け取り、あとでオレに見せる。それはキリスト教会の日曜礼拝のチラシだった。きっと布教の一環だったのだろう。

キリスト教。子供の頃のオレには外国の神様、程度の事しか知らなかった。当時オレの田舎にはアメリカ軍基地があり、近所にも幾人かのアメリカ人家族が住んでいた。キリスト教会はその基地近くにあった。そのキリスト教会の入り口の窓にはキリストの肖像画が貼られていた。子供の自分には、日本の神様というのも気味の悪いものだったが、外国の神様も、やはり気味の悪いものだった。

キリスト教会のチラシをオレに見せた友達は、これをオレに破ってみろという。オレは子供ならではの負けん気から、そのチラシを破ってみせる。すると友達はしたり顔でオレにこう言った。「このチラシを破ると、呪われて、死ぬんだぜ」。

もちろん子供独特の、他人を怖がらせて喜ぶための他愛のない嘘だった。だが、その時のオレは、友達の言葉にとてつもないショックを受けた。

呪われて、死ぬ。キリスト教とかいう、得体の知れないものの為に、自分が、理不尽にも、呪われて、死ぬ。

怖かった。とてつもなく怖かった。(子供の自分が勝手に曲解している)キリスト教それ自体ではない。その時、【死】が、唐突に、目の前に立ち現れてしまったことが怖かったのだ。

自分がいつか死ぬ存在であるということに、人間はいつ気づくものなのだろう。その時の、4歳か5歳の頃の自分は、どこまで、【死】というものを理解していたのか、それは記憶に無い。だが、「いつか」ではなく、「今まさに唐突に」、自分が【死】を迎えるかもしれない、と想像したのは初めてだったように思う。

そして【呪いによる死】という他愛もない嘘から始まった不安は、呪いがあろうがなかろうが、自分という存在が、いつか必ず、逃れようもなく【死ぬ】のだという事実に行き当たる。【自分はいつか死ぬ】。その発見は、まだ生まれて4,5年程度しかたっていない子供には、最強最悪の恐怖だった。そしてそれは、生まれて初めて直面した、【生の理不尽さ】という名の現実だった。この日オレは、恐怖で一睡もできなかったことを今だに覚えている。

【自分はいつか死ぬ】。この事実は誰しもが否応なしに知ることになる事柄ではあるけれど、しかし同時に自分なりに受け流して忘れたふりをしようとする事実でもある。結局、キリスト教のチラシを破ったオレは神様の呪いを受けて死ぬことは無かった。だが、いつか死ぬことは確かなのだろう。死ぬのは怖い。とてもとても怖い。だがしかし、とりあえず今すぐ死ぬことはなさそうだし、【いつか死ぬ】その「いつか」も、まだまだ遠い日の事のように感じる。だからきっと、その日までは生きていられるのだろう。子供なりのもやもやとした理屈で、その時は【自分はいつか死ぬ】という事実をなんとなくやり過ごしたんじゃなかったかな、と思う。

■映画『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』

映画『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』はホラー小説の帝王、スティーブン・キングの長編小説『IT』を原作にしたホラー映画である。ちなみに自分はキング・ファンなので当然原作小説はとっくの昔に読んでるし、TVシリーズのビデオも視聴済みだった。そしてこのアンドレス・ムシェッティ監督による2017年版の映画作品も楽しみにして観に行ったのだが、前評判の高さも頷ける傑作として完成していた。外連味たっぷりの恐怖描写もさることながら、同じキング原作による『スタンド・バイ・ミー』のホラー版とでもいえそうな、子供時代の甘酸っぱい記憶や子供時代独特の遣る瀬無さがとても情感豊かに表現された作品だと感じた。

アメリカの地方都市を舞台に、児童失踪事件の背後に存在する恐怖の権化、「IT=それ」と戦う子供たちの姿を描くこの物語は、同時に、幼い弟を死なせてしまった主人公の後悔とその克服の物語であり、学校や家庭の”負け犬”たちが友情を育み、自己存在を肯定できるようになるまでを描いた作品でもある。ホラー作品ではあるが、ひとつのビルドゥングスロマンとして観ることもできる作品なのだ。

さて、この作品において、ピエロの姿として登場する「IT=それ」とはなんだったのか。子供たちの「恐怖」を好み、それを食料として生き永らえてきたあの超自然の存在は、何を意味しているのか。それは【死】そのものである。そしてそれは、子供たちが初めて直面する【死】という概念を、その【恐怖】を象徴した存在だったのではないか。

大人たちはなぜ「IT=それ」を感知できないのか。それは、【死】という不条理に対し、なにがしかの結論を見出したか、あるいは無視するなり鈍感になる事でやり過ごしているからである。しかし子供たちにとって、【死】はまだまだ知ったばかりの未知の概念であり、生々しい【恐怖】そのものなのだ。事件の発端はそもそも主人公少年が弟の【死】に直面することから始まる。それにより、主人公少年が【死】という概念に憑りつかれることになる、というのがこの物語の核なのだ。確かに彼らの住む街には「呪われた歴史」が存在するとはいえ、アメリカ開拓時代から連綿と続く歴史の中には「呪われたかのような」【死】の横溢する土地は幾らでもある筈なのだ。

こうして、物語の中心となる少年少女たちは、「IT」=【死】の存在を知り、その【死】と直面し対峙し、そしてその【死】を乗り越えることでこの物語は終わる。それは子供の頃のオレのように、「人はいつか死ぬもの」と悟らざるを得ない事でもあるのかもしれない。そしてそれを納得しきったうえで、今日を生きる事を知る事なのなのかもしれない。少なくとも、物語に中の少年少女には、まだまだ未来が続いてゆくのだ。

だがしかしだ。実はこの映画は、原作小説の半分しか映画化していないのだ。つまり、主人公たちの子供時代の部分だ。原作ではこの続きは、子供時代の物語の27年後、彼らが大人になりさらに中年に差し掛かった頃を舞台設定としている。そして、映画はこの後半を『第2部』として映画化する予定だという。子供時代の【死】への恐怖を乗り越えた彼らは、大人になり、現実的に【死】を意識するような年代になった時に、もう一度「IT=それ」と対峙することになるのである。子供と大人の、【死】への概念が異なる者たちが再び相見える【死】は、今度はどんな姿をして彼らの前に立ちふさがるのか。続編公開が楽しみである。

IT〈1〉 (文春文庫)

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IT〈2〉 (文春文庫)

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IT〈3〉 (文春文庫)

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IT〈4〉 (文春文庫)

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