オレ的インド映画2015年度作品《暫定》ベストテン!!

というわけで昨日の『オレ的インド映画2014年度作品ベストテン!!』に引き続き、『オレ的インド映画2015年度作品《暫定》ベストテン!!』をお送りしたいと思います。
タイトルに《暫定》と入れたのは、これも昨日書いた事情と一緒なのですが、インドで今年2015年に公開された作品の全てはまだDVDソフト化されていないために、日本で輸入DVDでしかインド映画を観られない者としては、とりあえず今ん所ソフトで発売されてる2015年度作品だけで《暫定》でベストテン作っちゃえ、ということなんですね。だからなにしろインドで年末公開された話題作、『Dilwale』とか『Bajirao Mastani』とかは当然観てないし入ってません。じゃあ別に全部観てからやりゃあいいじゃん、と誰もが思ってるでしょうが、いや、なんか、年末って、ベストテン!ってやってみたくなるじゃないですか!あ、なりませんか…どうもすいません…。
まあなにしろ《暫定》なので2015年の話題作をあらかた観ることができたら改めてまた記事を作ってみようかと思います。その時は幾つかの作品が別のものと変わっていることでしょう。また、今回も前回と同じく、10作は選びましたが特にランク付けはしていません。ではいってみよう!

■Masaan (監督:ニーラジ・ゲーワーン 2015年インド/フランス映画)


二人の男女がそれぞれに出遭う、インドの宿弊が引き起こした悲痛な出来事を描く物語です。舞台となる聖地ワラーナシーは悠久のインドを感じさせると同時に、物語のテーマに非常に沿った情景でもありました。

そんな若者たちが古い因習に足をすくわれ、がんじがらめになる。インド映画ではよくテーマにされる事柄だが、映画『Masaan』におけるそのドラマは、より困難であり、身を切る様に切なく、逃げ場すらないように見える。そしてそれにより、新しい価値観と古い価値観との拮抗を、より鮮烈に浮かび上がらせることに成功している。だがこの物語は、ただただ若者たちが因襲の犠牲になるだけの陰々滅々とした物語では決してない。暗く遣り切れない事件がありながらも、古い因習にがんじがらめにされながらも、なんとかそこから飛び立とうとする若者たちの明日についてのドラマでもあるのだ。そこがいい。
新しい価値観と古い因習の狭間で引き裂かれてゆく若者たちの物語〜映画『Masaan』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

■Bangistan (監督:カラン・アンシュマーン 2015年インド映画)


これ、インドじゃ大コケしたしレビューも散々だったんですが、非常に分かり易いアイロニーとストレートなブラック・ユーモアがヒネクレ者のオレにはピピッときましたね。それと併せ画面つくりのその色彩がとてもヴィヴィッドで楽しいんですよ。リテーシュ・デーシュムクとプルキト・サームラートが主演。

映画『Bangistan』はヒンドゥー/ムスリムの宗教的紛争が絶えない現実のパキスタンとインドを、架空の国南北バンギスタンという形に変え、そこにテロ計画の進行というきな臭い物語を展開した作品です。現実の国際社会でもテロの危機やその恐怖が目の当たりとなっていますが、この作品の製作国であるインドでもテロ事件が多発しており、2008年のムンバイ同時多発テロでは先のフランスにおけるテロと同程度の痛ましい被害が出ています。インドではこうしたテロを題材にした映画作品も多く作られていますが、しかしこの作品ではそうした現実から一歩引き、架空の国家同士の宗教対立としてカリカチュアライズすることで、価値観を相対化し、さらにそれをナンセンスなものとして描き出し、そこから黒い笑いに満ちたスラップスティック・ギャグを生み出しているんです。
鏡の国のテロ戦争〜映画『Bangistan』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

■Brothers (監督:カラン・マルホートラ 2015年インド映画)


アクシャイ・クマールとシッダールト・マルホートラが主演を演じ、兄弟同士の熱くそして悲しい戦いの行方を描く格闘ドラマ。いやあこれには燃えましたね。ハリウッド作品『ウォリアー』のボリウッド・リメイク作品です。

このように、この作品に登場する男たちは皆が皆ボロボロなのだ。それは彼らの人生の中心にあるのが苦痛に満ちた思い出だからだ。その苦痛に父ガリーは成すすべもなく苛まれ、兄ダヴィドは苦痛そのものが存在しなかったと思いこもうとし、ただ弟モンティだけが苦痛と向かい合いそれを乗り越えようとしている。ただどちらにしろ、彼らは、一人ではその苦痛をどうしようもできないでいる。なぜなら、バラバラのままなら相手も自分も赦されず、そして赦さないからなのだ。こうして、どちらが勝とうが負けようが何も解決されない戦いだけが刻一刻と近付いてゆくのである。
兄弟同士の因縁が炸裂する格闘競技ドラマ『Brothers』! - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

■Drishyam (監督:ニシカント・カマト 2015年インド映画)


家族のために完全犯罪に挑む男の薄氷を踏むような怖い怖いサスペンスです。インド映画でもここまで欧米的な個人主義を描くようになってきたのか、と慄然とさせられた作品でもありました。主演のアジャイ・デーヴガンがはまり役でした。

もはやここには、善も無く、悪も無い。自らの行為を正当化する神の存在すら描かれない。倫理にも、規範にも、宗教にも、何一つ頼ることなく、主人公ヴィジャイはただただ家族を守るために熾烈な戦いを続けることになる。ここには国家、宗教、近隣コミニュティから分断され、それを欺き、"家族"という最小ユニットのみしか信用しない男の姿がある。もはや自らの寄る辺となるものが、自分と家族のみ、という孤独な男の姿がある。しかもこの物語をたったひとつ正当化する"愛する家族の為"という理由すら、"ミーラーの家族を踏みにじる"という行為によって成立するがゆえに、結局は相対化され、無効になってしまうのだ。この冷え冷えとした虚無こそがこの物語であり、そしてそれは現在のインド都市部の住民が抱える心情のひとつの形であると見ることもできるのだ。
善も無く悪も無く神すらもいない世界〜アジャイ・デーヴガン主演のサスペンス作品『Drishyam』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

■Tanu Weds Manu Returns (監督:アーナンド・L・ラーイ 2015年インド映画)


離婚を巡る夫婦間の確執をコメディ・タッチで描いた作品です。とはいえ、そこに「妻によく似た新たな恋人」というフィクショナルなシチュエーションを盛り込み、同時に夫婦れぞれの感情の機微を細やかに描くことで非常に見所のある優れた物語でした。主演のカンガナー・ラーナーウトの一人二役とその演技の素晴らしさには唸らされました。なお続編作品なので1作目から鑑賞することをお勧めします。

物語は、「新しい恋人」と出会うことで人生をもう一度やり直そうとしている男マンヌーが、それを知り逆に夫への愛に気づいてしまったタンヌーとの愁嘆場へとなだれこんでゆきます。まあいわゆる腐れ縁と三角関係・四角関係の物語となるのですが、実のところ映画の流れを見ていても、「新しい恋人」ダットーのほうが全然いいんですよ。オレだったらもうどう考えたってダットー一択ですよ!なにしろねえ、ショートカットのカンガナーがキュート過ぎるんですよ!ぶっちゃけ惚れましたよ!映画ではマンヌーの心に揺らぎがあるのか?ないのか?といった具合に描かれてゆき、結構じれったさを覚えるのですが、意外とこのじれったさがまた物語を面白くしているんです。細かい部分での感情の動きが絶妙なんですね。まあくどいようですがオレだったら揺らがないけどね!こんな具合に最後までハラハラさせられるこの物語、有り得ないような状況の中で愛の不思議さを複雑な妙味で描き出し、2015年前半のインド映画とインド映画主演女優の最大の収穫となっているのは鉄板で間違いないでしょう。
カンガナー・ラーナーウトが一人二役を演じる"軽やかに描かれた泥沼の結婚生活"〜映画『Tanu Weds Manu Returns』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

■Baahubali: The Beginning (監督:S・S・ラージャマウリ 2015年インド映画)


『マッキー』のラージャマウリ監督による歴史ファンタジー大作第1部。テルグ映画ですがヒンディー語吹き替えDVDで観ました。前半はちょっとヌルくて退屈だったんですが、後半期待通りの大戦闘シーンを展開して大いに盛り上がりを見せてくれましたね。

そしてここで活躍するアマレンドラ、バッララデーヴァの王子二人の戦いは、もはや人間の能力を超えた鬼神の如き無敵の無双っぷりを見せつけるんです。そうそうこれだよ!この無敵無双こそがインド映画だよ!鬼神なのは当たり前、彼らには破壊の神シヴァがついているんだからね!重力も力学も関係ない!彼らは神の理によって戦っているんだもの!こうして物語はあたかもインド神話の一ページを見せられているかのような光景へとなだれ込み、大いに盛り上がってゆくのですよ!そして!『LOTR』が3部作の映画だったように、この『Baahubali: The Beginning』も前後編2部作の前編だったのですね!シバドゥは見事王になることができるのか!?戦乱のマヒーシュマティ王国がどのようにして暗黒面に落ちたのか!?次回完結編である来年2016年公開予定の『Baahubali: The Conclusion』を待つのですよ!
甲冑大戦!歴史ファンタジー大作『Baahubali: The Beginning』はインドの『ロード・オブ・ザ・リング』だ! - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

■Piku (監督:ショージート・サルカール 2015年インド映画)


ディーピカー・パードゥコーンアミターブ・バッチャンイルファーン・カーン主演による、性格のてんでバラバラな3人組の道中を描いたロードムービー。いつもどうにも喧々諤々としている3人に笑い、しかしいつしか心通わせる3人にほっこりさせられる。素敵な作品でした。

そんな3人だが、いつも一つ車の中に押し込められているせいか、道中少しづつお互いの心に変化が訪れてくる。特にラーナーはバシュコルから微妙ながら信頼され、ピクーとはほのかな思いが芽生え始める。この微妙さ、ほのかさが、この作品の本当に素晴らしいところだ。突然改心したり物分りが良くなったり、炎のように恋が燃え上がったりはしないのだ。少しづつ手探りで、相手と自分との距離を確かめ、自分の心の中に受け入れる余地を見つけてゆく。3人はお互いが変わり者ではあるが、その受け入れる、あるいは受け入れられる中で、それぞれの中にあるバイアスが少しづつ氷解してゆく、この緩やかな心の動き方が観ていて実にリアルに感じるのだ。この物語では取り立てて特別な事件が起こったりとか事態が急変したりなどということは殆どない。だが、移り変わってゆく風景と共に移り変わってゆく3人の感情の行方が心に響くのだ。
不機嫌な娘と偏屈な父、それに巻き込まれた男とのロードムービー〜映画『Piku』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

■I (監督:シャンカール 2015年インド映画)


『ロボット』のシャンカール監督による、美しくて醜くてロマンチックで猟奇的で…というひたすら摩訶不思議な娯楽作品。タミル映画です。今回いろんなインド映画を紹介していますが、この1作だけはインド映画に全く興味が無い方が観られても「なんだこれは!?」と唖然呆然すること請け合い。日本でやらないかなあ。

物語はこうして、リンゲーサンとディヤーの出会いとロマンスがどこまでもひたすら美しく描かれるのと並行して、怪しいせむしの男がディヤーを監禁しさらに惨たらしい方法で人々を傷付けてゆくホラー展開とが描かれてゆきます。そしてこの二つがどのように関わってくるのか?が徐々に描かれてゆき、血を吐く様な残酷な運命と恐ろしい復讐の情念が明らかにされてゆくのです。まあ観ていればこの二つの流れがどういう関わりを持つのかすぐ気付かされますが、とりあえずここは書かないでおくことにしましょう。物語の全体的な印象は、「美女と野獣」「オペラ座の怪人」「ノートルダムのせむし男」などフランスの古典文学を翻案としながら、それをインドならではの美しい歌と踊りのロマンス展開で見せ、さらにその上タミル風味の強烈なアクションと残酷さで味付けしたという作品だということができると思います。さらにその全てが過剰なまでにテンコ盛りになって一丁上り!となっているという安定のタミル映画クオリティとなっているわけなんですね。
『ロボット』の監督シャンカールが描く美と醜の饗宴〜映画『I』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

■NH10 (監督:ナヴディープ・シン 2015年インド映画)


インド都市部在住の男女が出遭うインド辺地の忌まわしい悪風。それは「名誉の殺人」と呼ばれるものだった。これが実際に起こっていることでもある、というのがまた恐ろしいんです。アヌシュカー・シャルマー主演。

物語は前半、主人公らが迂闊に暴漢どもに接近してゆく描写、どことなく愚鈍そうなその暴漢、典型的すぎるスラッシャー・ホラー展開など、このジャンルが好きなすれっからしのホラー・ファンだったら凡庸に感じるかもしれない。実際オレもそうだったが、しかし一般の方ならインド映画らしからぬ異様な雰囲気に固唾を飲んで見守ることになるだろう。そしてどんどんと追い詰められてゆく主人公、警官すら手を出せない治外法権の中にある村落、そしてインドのある種の現実がそもそもの発端であることが明るみになるにつれ、単なるスラッシャー作品にはない重さと凄みが増してくるのだ。クライマックスの凄惨さはホラー映画ファンでも溜飲が下がるだろう。まあホラーではなくサスペンスなのだが、ホラーと言ってしまいたくなるような暗闇がこの物語にはある。
辺境の地を訪れた男女を襲う暴力の恐怖〜映画『NH10』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ

■Dum Laga Ke Haisha (監督:シャラト・カタリヤー 2015年インド映画)


おデブの嫁を貰って不貞腐れるイケてない男、二人の結婚生活はいかに?というちょっと変わったシチュエーションの人間ドラマ。あえて華の無いロマンスを持ち込みながら最後に愛ってなんだろう考えさせるシナリオは結構なワザモノと見ました。

そしてこの物語は【凡庸さ】についての物語でもあります。インドの娯楽映画といえば綺羅星のように輝く絶世の美女や鍛え上げられた筋肉でパンパンになった男優が登場して甘い恋愛や派手なアクションを決め、目も彩なダンスと心の踊る歌を披露しますけれども、でも実際自分を含めたそれを眺める観客の殆どはそんなものとはまるで関わりの無い生活を送る凡庸な一般市民でしかありません。そう、それはこの物語の主人公二人も同じです。不貞腐れ屋の旦那も、おデブの嫁も、さらにその周りにいる人々も、実のところ何が特別という訳でもないどこにでもいるような凡庸な人々です。しかし物語は、そんなどこにでもいるような凡庸な人々のささやかな希望や哀歓を共感を持って描き出そうとしているんです。そして、どんな凡庸であろうとも、しかしそれぞれが個々に抱く愛情は、実はそれぞれの中にしかない特別なものであるということも、この物語は描き出しているんです。そんな凡庸の中の愛にこそ、真の幸福があるのだと。
おデブの嫁なんか絶対嫌だ!〜映画『Dum Laga Ke Haisha』 - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ