バンドデシネ・アーチスト、バスティアン・ヴィヴェス特集:その2『ポリーナ』

■ポリーナ/バスティアン・ヴィヴェス

ポリーナ (ShoPro Books)

日本では2014年に刊行された『ポリーナ』はバレエ・コミックである。幼少よりバレエの才能に恵まれたロシア生まれの少女ポリーナが、厳格なバレエ教師との間で悩み葛藤し対立しながら、あるいは友人や恋人や協力者との人間関係の中で成長を遂げ、自分にとってのバレエを見つけてゆくという物語である。

この作品において注意したいのは、これは成長の物語であり、バレリーナとして大成する一人の女性の物語ではあるけれども、いわゆる「サクセス・ストーリー」とはきっぱり袂を分かつものであるといった点だ。彼女の目指すのは喝采や賞賛ではなく、彼女自身が納得できる形での芸術としてのバレエの完成であり、それを追い求めるためのバレエとの対話なのだ。

バレエや芸術などというと庶民的感覚ではリアリティの稀薄な縁遠いもののように感じてしまうが、これを「自己表現の在り方を模索する表現者の物語」と捉えるなら理解度も高まるだろう。類稀なスキルを持ちながらそれでも苦悩し葛藤するポリーナが請い求めていたもの、それは「自分が何をどのように表現したいのか」という確固たるビジョンであったに違いない。そして煎じ詰めるならそれは、「自分とは何であり、何でありたいのか」という自己観念の物語でもあるのだ。

この作品においても注目すべきなのはそのグラフィックだろう。「バレエ・コミック」というと華美であり格調高いものを想像してしまいそうだが、この作品においては竹ペンを思わせる朴訥な描線を使用し(実際にはCG描画)、柔らかさや温かみを感じさせるグラフィックを表出させているのだ。そしてこの描線は、バレエの動きの柔らかさを表現するのと同時に、それを踊る者の心の柔軟さ、伸びやかさまでも表現することを可能にしているように思う。 

 なおこのコミックはバレリー・ミュラー、アンジェラン・プレルジョカージュ監督により『ポリーナ、私を踊る』というタイトルで2016年に映画化公開されている。

ポリーナ (ShoPro Books)

ポリーナ (ShoPro Books)

 

 

バンドデシネ・アーチスト、バスティアン・ヴィヴェス特集:その1『年上のひと』

■年上のひと/バスティアン・ヴィヴェス

年上のひと (トーチコミックス)

バスティアン・ヴィヴェスといえば新進バンドデシネ・アーチストとしてかねてから注目を浴びる作家だが、オレは格闘ファンタジーコミック『ラストマン』でしか名前を知らなかった。で、それ以外の作品にも触れてみようということで日本で刊行されている彼の作品をまとめて読んだ。という訳で当ブログでは今日から4日間、バスティアン・ヴィヴェスの作品を集中して紹介する。まず最初は最近刊行された『年上のひと』。

物語はフランスの避暑地を舞台に、ヴァカンスでそこに滞在することになった13歳の少年アントワーヌと16歳の少女エレーナとのひと夏の恋を描いた作品だ。まだ少年でしかないアントワーヌにとって、ちょっと大人びた少女エレーナは最初姉のような存在であり、それが次第に友人となってゆき、後に恋人のような関係へと発展してゆく。この「ちょっと甘酸っぱく、そしてほろ苦い」ティーンの初恋を、優しく暖かな空気感に満ちた風光明媚なロケーションの中、瑞々しい筆致で描いたのが本作である。

まあしかしこう書くと実も蓋もないのだが、これはフランスと言うお国柄なのか10代の少年少女とはいえ想像以上にセクシャルな面において進んでいて、その辺実に「青い体験」な描写が後半に進むほど描かれることになるのだが、これがいやらしく感じさせること無く、むしろそれによって強烈な精神的結びつきを得てしまった二人の、いわく言いがたい切ない想いが物語全体を染め上げてことになるのだ。

こういった作品性を可能にしているのはなんといっても作者スティアン・ヴィヴェスの描くグラフィックの、力の抜けた流れるような描線と、省略が多い淡白とすら感じさせる画面構成の在り方によるものが大だろう。要は、「描かれるもの(物語)」ではなく「描き方(見せ方)」なのだ。そのグラフィックの軽やかさにより、この物語は切なくもあると同時に美しい余韻を残した作品として完成している。シンプルなテーマゆえに掌編といった風情ではあるが、 スティアン・ヴィヴェスの力量を確かめることのできる作品である。

 

少年少女の夏休み/映画『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』

スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム (監督:ジョン・ワッツ 2019年アメリカ映画)

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マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)作品『アベンジャーズ/エンドゲーム』、凄まじい作品でしたねえ。『インフィニティ・ウォー』のあのとんでもないラストをどう収拾させるのか!?と固唾を呑んで観させていただきました。ああしかしこれでマーベル・ヒーロー達の活躍も見納めなのか・・・・・・と思ってたらやっぱり続いてました!タイトルは『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』、あのお茶目なヒーロー、スパイダーマンが主演となる作品です。今回はネタバレ無しでお送りしようかと思います。

物語は『エンドゲーム』のラストで救済された後の世界が舞台となります。スパイダーマンことピーター・パーカーも心に傷を負いつつ、なんとか日常を取り戻し始めていました。そんな彼の通う学校が夏休みとなり、ピーター君と友人たちは学校の企画したヨーロッパ旅行に発つ事になります。ピーターはそのヨーロッパで、かねてから心を寄せていたクラスメイトのミシェルに告白しようと考えていましたが、なんとその旅先で謎のモンスターが登場し大暴れ!「夏休みぐらい満喫させてよ!」涙目のピーターの前にミステリオという名のヒーローが登場し、モンスターを打ち負かします。さらに元S.H.I.E.L.D.長官ニック・フューリーが登場し「今後ともよろしく頼むわ」とか勝手なことをぬかしてる!?果たしてピーターの告白は成功するのか!?

この作品の特色となるのはなんといってもヨーロッパの世界各地を舞台としながら展開するスパイダーマンの戦いと、中の人であるピーター・パーカー君の「スーパーヒーローなのに中味はとってもシャイなボクのウキウキ☆ドキドキ☆夏休みヨーロッパ旅行告白大作戦!?」の行方です。夏休み旅行の開放感の中、大好きなあのコに恋の告白をしたい!でもなんだかモンスターやらニック・フューリーやらが邪魔だてしてにっちもさっちも行きはしない!恋か!?地球の平和か!?究極の選択を迫られるピーター君の悶絶した表情と魂の雄たけびをニマニマしながら楽しむ、というのがこの作品なんですね!?

まあなんといいますかティーンが主人公でティーンが中心となりそのティーンの揺れる心を描く、実に青春ストーリーした物語で、オレの如き死んだ鯖みたいな目つきをした薄汚いメタボ中年にとっては遥か3000光年ぐらい彼方の宇宙を描いた物語ではあるんですが、にもかかわらず大変楽しんで観る事が出来ました。それは次々に移り変わるヨーロッパのロケーションが、観ているこちらも一緒に旅行を楽しんでいるかのような気にさせてくれたのと、ピーター君を演じるトム・ホランドの屈託の無い魅力、ミシェルを演じるゼンデイヤのキュートさにあるでしょう。全体的に溌剌として爽やかで、青春ストーリーとしてとても好感が持てるんですよ。

物語の構成もいいですね。大好きな彼女と過ごせるせっかくのタイミングをモンスター襲来で次々に踏み潰されてゆき「あ゛ーも゛ー!!」とかいいながらスパイダーマンに変身しなきゃいけないというコメディ風味、「彼女に自分がスパイダーマンだって知られちゃいけない!」というお約束ルールを固守するためのあれやこれやのドタバタ、そういった部分の可笑しさでくすぐってくれる。しかし変身したらしたできっちり敵の相手をし、その能力を最大限に生かして大活躍する、という格好良さもあって、この緩急・強弱のタイミング・バランスがいい。

とまあここまで褒めちぎっておいてなんなんですが、今作は、敵が、敵がねー。う~んなんなんでしょう、どうしたらいいんでしょうアレ。ネタバレしたくないので詳しくは書きませんが、なんか無理がありすぎるよなー、という気にはさせられましたね。ちょっと捻りすぎちゃって逆に捻挫起こしちゃいましたーてな感じといいますか。まあこの辺は実際に観て判断していただきたい、としか言いようがありません。でまあ、例によってこのスパイダーマン・シリーズも、当然MCUもこれから連綿と続けてゆくようです。

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クトゥルー神!陰陽師!蘇った超絶剣士!明治天皇暗殺計画!伝奇小説『大東亜忍法帖【完全版】』がとてつもなく面白かった!

■大東亜忍法帖【完全版】/荒山 徹 

大東亜忍法帖【完全版】

幕末維新の騒乱期。命を落とした超絶剣士達が次々と蘇った。千葉周作、男谷精一郎、伊庭軍兵衛近藤勇土方歳三沖田総司など総勢十二人! そして彼らを率いるのは、山田一風斎と名乗る謎の陰陽師。邪神“くとぅるー”の威光を負った彼らの目的は…? 発足したばかりの明治政府に《恐るべき超絶の集団》が襲いかかる! 稀代の名作『魔界転生』(山田風太郎・著)を“明治忍法帖”として転生させ、伝奇時代小説ファンを唸らせた『大東亜忍法帖』が、上下巻を一冊にまとめた完全版としてついに復活!

唐突に「伝奇小説」が読みたくなったのである。伝奇小説。それはボルタやファラデーやエジソンの偉大なる軌跡を記したものである。いやそれは電気小説。そうじゃなくて史実の隙間にあれやこれやの怪しげな脚色を施し決して有り得なかったもう一つの妄想の歴史を作り上げる小説の謂いである。オレの中で代表的な伝奇といえばまずは半村良荒俣宏、そして諸星大二郎だ!(そしてそれ以外は知らない)

という訳で『大東亜忍法帖』なんだが、なぜこの伝奇小説を手にしたのかまるで思い出せない。そもそも作者の荒山徹という方を全く知らず、「大東亜」にも「忍法」にもそれほど興味が無かったからだ。しかもこの作品、Kindleオンリーなのだ(深い理由があるのだがそれは後述)。多分きっと酔っ払ってる時に購入したんだと思う。酔っ払ってAmazonをうろつくのは危険だ。本物のアマゾン熱帯雨林を酔っ払ってうろつくのとはまた別の危険さがある。

さて無駄口はここまでにしよう。なんにせよオレは荒山徹著による伝奇小説『大東亜忍法帖【完全版】』を購入し、そして読んだ。で、その感想は・・・・・・・

おいおいメチャクチャおもしれえじゃねえかよこの小説!?

えーっと、どういうお話かと言うとですね、

時代は明治初期、クトゥルー神に帰依する陰陽師が伝説の剣豪12人を黄泉から蘇らせ、明治天皇暗殺を画策する!?というお話なんですよ!!

・・・・・・いやあもう、凄まじい盛り込み方じゃああーりませんか。陰陽師はまだ分かりますよ。死から蘇った剣豪12人ってぇのも良いわさ。明治天皇暗殺、って部分で勝負掛けてんな、と思いましたね。でもさ、クトゥルー神ってなんなんだよッ!?

勘の良い方はここらで気付かれたと思いますが、実はこの物語、山田風太郎の伝奇小説『魔界転生』を下敷きにしています。『魔界転生』の物語を幕末~明治初期を舞台に描いたら?というのが作者のそもそもの着想だったようです。作中には『魔界~』から引用された文章も度々出てきます。まあしかし実はオレ『魔界~』って石川賢の漫画しか読んでないんだけど(あとジュリー主演の映画も観たな)。だから比較することはできないんですが、作者である荒山徹氏はオリジナルへの相当の愛情と敬意を込めてこの作品を書き上げたようなんですね。

蘇った”超絶剣士”は千葉周作、男谷精一郎、伊庭軍兵衛近藤勇土方歳三沖田総司など総勢12人。彼らは生前、旧幕府側と明治政府側とに主義主張の分かれた者達でしたが、それぞれの死に際し「もう一度生き返って生前なし得なかったことをやり遂げたい」という強烈な妄念から陰陽師山田一風斎の陰謀に加担することとなったのです。そしてその「蘇り」の条件が明治天皇暗殺計画の実行だったんですな!

物語は前半後半に綺麗に分かれて描かれます。前半は12人の剣士達がそれぞれどのような死に様を経て山田一風斎の計画に賛同することになったのかを一人一人描いてゆくわけです。ここの部分、どうしても繰り返しになっちゃうんですが、そこを巧みに描写を書き分けて飽きさせないよう工夫している。同時に、ここをきちんと描くことでそれぞれの剣士のキャラクターや来歴をつぶさに描くことに成功している。正直自分は12人の剣豪のうち4人ぐらいしか名前を知りませんでしたが、これを読んで「うっわあ幕末の時代の剣豪ってスゲエ」と素朴に感嘆していました。

しかーし!この恐るべき陰謀を阻むべく立ち上がった一人の男がいるんです!その名は板垣退助(オイ!)。後半は山田一風斎の計画を知った板垣退助が参謀となり、北辰一刀流小太刀免許皆伝であると同時に類まれな美貌を持つ女剣士、千葉佐那が超絶剣士たちと対峙するのです。この千葉佐那、実は超絶剣士の一人である千葉周作の姪であり、さらに坂本龍馬の恋人でもあった女性なんですね(全て史実)。このような因縁に塗れた対決に佐那はどう挑むのかが見所ともなりますが、それよりも、美貌の女剣士という部分で壮絶に燃え(萌え)上がるじゃありませんか!?

とはいえ、あやかしの術を使う山田一風斎と対決するためには剣の技だけではどうしようもありません。そこでさらに助っ人登場、その名は土御門菊之丞!彼は安倍晴明の流れをくむ土御門家の若き陰陽師であり、同時に、女人と見紛うばかりの美しさを兼ね備えた貴人であったのです。

いやーもうね。美貌の女剣士とアンドロギュヌス陰陽師のコンビがクトゥルー神帰依者と対決する、この設定だけでメシ10杯行けるわ!

こういった遥か斜め上を突き進む設定の面白さだけではありません。やはりこの作品を面白くさせているのは作者の持つ博覧強記な歴史知識であり、 そこここに乱れ飛ぶ語彙の豊富さにもあるのです。こういった屋台骨にあたる部分がしっかりしているからこそ「有り得なかったもう一つの歴史」を描く伝奇小説の面白さが活きてくるというもの。

しかしそれだけでは「非常によく出来た伝奇小説」でしかありません。いや、それだけでも十分なんですが、この作品をさらにさらに面白くさせているもう一つの要素があります。それは実は作者が物語のあちこちでダジャレやギャグをぶちかましてくる、という飛び道具だらけの文章の面白さなんですよ!だってアナタ、クトゥルー陰陽師明治天皇暗殺で甦った超絶剣士で、それだけでもお腹いっぱいなのに、なおかつギャグ展開かよ!?もーこの作者ナニモノなの!?と思っちゃいますよね。もちろん物語自体はコメディでも何でもなくシリアスなものなんですが、作者が時折繰り出すギャグがあたかも手塚治虫の漫画に登場する「ヒョウタンツギ」みたいに物語を風通しのいいものにしてくれるんですね。

これらの構成を見るに、こりゃもう作者が楽しみに楽しみ、乗りに乗ってこの物語を書き上げたであろうことが伝わってくるというものです。ギャグもクトゥルー神云々も、作者の遊びの一つだと思えば頷けます。そしてそれが手前みそで終わっておらず、きちんと物語を活かしているのですよ。こりゃあ生半可な作家じゃないな、とオレには思えてすっかりファンになってしまいました。だからこの作品を読み終わった後にまた何冊か作者の著作を買っちゃったぐらいですよ!もう好き好き荒山徹センセ!

ところでこの『大東亜忍法帖』、最初は紙の本で上下巻の刊行予定だったのですが、上巻が刊行された後に出版社からの一方的な物言いが入り下巻が発売中止になったという経緯があるんですね。どうも出版社社長がクライマックスの展開を気に入らなかったという事らしいんですが、どうにも酷い話です。詳しいことは検索すれば出てきますので興味の湧いた方は調べてみてください。とはいえ一時は頓挫した作品完結に、別の電子出版社が手を差し伸べ、電子書籍という形で上下巻合本の【完全版】として刊行されたのが本作、ということなんですね。そして出版されたこの作品はとんでもなく面白いものでした。皆さんも宜しければお手に取ってみてください。

大東亜忍法帖【完全版】

大東亜忍法帖【完全版】

 

ロッセリーニ、ゴダール、パゾリーニ、グレゴレッティ、合わせてロゴパグ。/映画『ロゴパグ』

■ロゴパグ (監督:ロベルト・ロッセリーニジャン=リュック・ゴダールピエル・パオロ・パゾリーニ、ウーゴ・グレゴレッティ 1963年フランス・イタリア映画)

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オレたちロゴパグ族!

「ロゴパグ」。それはパグ犬でもなく口パクのことでもなくバグったロゴのことでもない。ロベルト・ロッセリーニジャン=リュック・ゴダールピエル・パオロ・パゾリーニ、ウーゴ・グレゴレッティといったヨーロッパを代表する4人の監督・脚本により1963年に製作・公開された短編映画オムニバスである。タイトルの『ロゴパグ』とはこの4人の監督の頭文字を繋げたものなのだ(なんて安直なタイトル……)。

それにしても、ヨーロッパ映画監督作品など殆ど観ないオレがなんでまたこんな作品を観ることにしたのか。それはまーなんとゆーか、ヨーロッパ映画監督オムニバス観たぜ!っていうのカッコよくね?」と思ったからである。「いやこないだちょっとロッセリーニゴダールパゾリーニとグレゴレッティが監督したオムニバスってェの観たんですがね」なんてシレッと言ってみたかったのである。

とはいえ、実はこの4人の監督作品自体、殆ど観たことがない。ウーゴ・グレゴレッティに関しては今まで名前すら知らなかった。そして一応全部観たことは観たんだが、まーそのー、えーっとー、なんかよく分かりませんでした……。

そんなもう初っ端から情けなさ過ぎる状況で文章を書き出しているのだが、とりあえずどんな作品だったかは書いておきたいと思う。映画知識の無さを晒すようなもんだが、構うもんか!だって……ブログのネタが無いんだよ!というわけで恥の上塗りをするべくそれぞれの作品を紹介してみよう!

第一話:純潔 Illibatezza 監督・脚本ロベルト・ロッセリーニ

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「殆ど観たことがない」とは言いつつ、このロッセリーニに関してはこれまで幾つかの作品を観たことがある。『無防備都市』『ドイツ零年』『戦火の彼方』『神の道化師、フランセスコ』がそれだ。いわゆるイタリアの「ネオレアリズモ」と呼ばれる作品のことを知りたくてヴィットリオ・デ・シーカルキノ・ヴィスコンティらの作品とまとめて観たのである。 で、分かったことは「ネオレアリズモって辛気臭くてビンボ臭い」ということだけであった……。

さてこの作品『純潔』だが、女性キャビン・アテンダントが主人公である。彼女がその仕事で立ち寄ったバンコクの街で、旅客機の客であったダサいハゲ親父に付きまとわれ迷惑しまくるというお話だ。今で言う「ストーカー怖い!ストーカーキモい!」というヤツである。こんなお話ではあるがスリラーやコメディというわけではなく、じゃあなんなんだろうなあ、というと煎じ詰めるならやはり「ストーカーのダサいハゲ親父がキモい」ということ以外特にテーマはなさそうな気がしてならないのである。

無理矢理こじつけるなら「銀幕に映る美貌の女優」を「映画を観る」という形で「覗き見ている」という「観客側の倒錯」を暗喩したもの、と言えないことも無いがもちろんこれはこじつけであるし、まあやはりダサいハゲ親父がキモいというリアルさをとことん追求した、これはこれでネオレアリズモ的な作品という事なのだろうと思う(違う)。

第二話:新世界 Il Nuovo mondo 監督・脚本ジャン=リュック・ゴダール

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ゴダールである。そのココロは「もう無理」である。いやーなんかもーゴダールの映画ってオレ駄目なんっすわー。『気狂いピエロ』がもう駄目であった。 よっくわっかんない。降参。その後もナントカいうタイトルさえ覚えていない映画に再チャレンジしてみたものの、これも見事に玉砕。無理。降参。退散。すいません。もう許してください。ゴダールも理解できないオレを汚い言葉で縦横無尽に罵ってください。私はあなたの犬です!踵で踏んで!踵で踏んで!……とまあここまで卑屈になってしまうほどにゴダールはオレにとって鬼門なのである。

そんなゴダールの短編『新世界』。なんとSFである。ゴダールのSFというと『アルファビル』が有名だが、もちろん観ていない。まあオレもSFファンの端くれなのでこれはいつか観る。というか実はブルーレイで既に買ってしまった。だから観るとは思うが多分また卑屈になり下がった負け犬根性剥き出しの感想を抱くであろうことは今から予想できる。踵で踏んで!踵で踏んで!!

で、この『新世界』、どういう風なSFかというと、「パリ上空での核爆発が引き起こした世界の終焉を描いた」作品なのだ。とはいえ、「上空で核爆発」があったにしてはパリ市民の皆さんはいつも通りの生活を営んでいる。パニックも死者も放射能の恐怖も無く、昨日と同じ今日が続いているだけだ。しかし細かく注視するならば、人々の行動に微妙な違和感を感じる。感じるけれども、それは些細な差異でしかない。

主人公はこのような状況の中で世界の終りを記録する、と独白するが、なにしろ世界は特に終わっていない。しかし、彼の恋人である女性の行動がいつもと違う。よそよそしく、かと思えば親密で、言う事もやることもちぐはぐだ。この物語は、こうした男女の愛の終りを世界の終りに暗喩したものであろうと大概すぐ気付かされるのではあるが、しかし暗喩の在り方としては安直で、実はなんかもっとちゃうこと言いたいんやないか!?そうやろ!?そうなんやろ!?と怪しい関西弁でゴダールさんに詰め寄りたくもなりはするのである。

もうちょっと冷静になって考えよう。そもそも「パリ上空での核爆発とはなにか?」ということだ。単純に考えるなら米ソ冷戦体制における核開発競争の恐怖ともとれるが、それよりも、フランスで1960年から始まった核実験を指したものである、ととるのが順当だろう。この映画は1963年公開だが、この段階でフランスは5回の核実験を行っており、うち2回は大気圏実験である。原子爆弾という人類の脅威以外何ものでもない大量破壊・大量殺戮兵器の実験が自国の力で行われているにもかかわらず、パリ市民はいつものような日常を生き、生活している。その無関心さと同時に、核爆弾という野蛮を内包しつつ存在しなければならない社会の異様さが、「人々の行動に微妙な違和感を感じる」こととして描かれているのだろう。

世界は確かに終わってはいない、だが、既にスイッチ一つで簡単に終わらせられる手段は手にしている。このような異常さが新たにもたらされた世界、それがタイトル『新世界』ということなのだろう。そして、こういった状況の中でのゴダール自身による「世界の終りの記録」なのだろう。

それとは別に主演の女優アレクサンドル・シュツワルト(『鬼火』『アメリカの夜』『愛と哀しみのボレロ』『フランティック』といった錚々たる出演作のあるカナダ人女優)がなかなかにエロくて、いやあ世界の終りにはこんな女子と過ごしたいですなあグフフ、などとしょーもないことで喜んでいたオレであった。

第三話:リコッタ(意志薄弱な男) La Ricotta 監督・脚本ピエル・パオロ・パゾリーニ

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出ました。ピエル・パオロ・パゾリーニパゾリーニと聞くだけでオレはなにか暗く深く重い溜息を「ふうう……」と漏らしてしまうのである。 パゾリーニの監督作品というのはタイトルだけで既に暗く深く重い。アポロンの地獄』。『豚小屋』。『デカメロン』。『ソドムの市』。どれも観たことは無いがタイトルだけで、そしてちょっと見てしまったスチール写真だけで、「どうもすいません許してください許してください」とヤクザに睨まれた小市民の如く萎縮してしまうのである。きっと人間の暗く汚く醜く爛れきった本性をこれでもかこれでもかと映像に叩き付けるタイプの映画の人なんじゃないか、と観たことも無いくせに勝手に思い込んでいる。惨殺されたという謎の死も怖い。怖い。パゾリーニ怖い。

そんなパゾリーニの短編『リコッタ(意志薄弱な男)』であるが、これがあにはからんや、ちょっとしたコメディなのだ。まずなんといっても主演がオーソン・ウェルズってェ段階で「おお」と思わせる。彼が演じる映画監督が、キリストの磔刑シーンを描く、というのが物語のあらましとなるが、配役のある男というのが貧乏こじらせ過ぎた奴でいつも腹を空かせており、撮影の合間にあの手この手で食べ物を確保しようと奔走するのだ。そのドタバタの果てにある事件が……というのがこのお話なのだが、この物語自体よりも、映画内映画の俳優たちが、撮影の合間に古代ローマの服装でダラダラとダルそうに自堕落の限りを尽くす様が、じわりじわりと異様さを醸し出す作品なのである。この古代ローマな人たちの自堕落ぶりは、どこかフェリーニの『サテリコン』を思わす頽廃性に満ちており、やっぱしイタリア人、蛇の道は蛇どすなあ!ぶぶ漬け食べていきなはれ!などと怪しい京都弁で思ったりもするのである。

そういった頽廃性のみならず、高い芸術性も加味された作品でもある。作品では要所要所でキリストにまつわる宗教画を活人画(実際の人間が絵画と同じ衣装とポーズで絵画的な情景を演じる事)として、その部分だけパートカラーで描かれており(『ロゴパグ』自体はモノクロ映画)、観ていて思わずハッとしてしまうばかりか、ハッとしてグーとまでしてしまう有様なのである(byトシちゃん)。

ところでこの短編作品は「宗教を侮辱した」という理由でイタリア当局から没収・上映禁止、さらに裁判ざたにまでなった曰く付きの作品でもあり、これにより映画『ロゴバグ』は当初本国ではパゾリーニ作品抜きの3作品のみのオムニバスとしてタイトルも変え上演されたという。 

第四話:にわとり Il Pollo ruspante 監督・脚本ウーゴ・グレゴレッティ

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ロッセリーニゴダールパゾリーニと有名監督の名が連なるオムニバス『ロゴパグ』ではあるが、ラストを飾るウーゴ・グレゴレッティ監督に関してはいかなシネフィルの方であってもピンと来ないかもしれない。実はこのウーゴ・グレゴレッティ、略してウーゴっち、イタリアのTV畑の方なのらしい。日本公開作を探してみたが、『世界詐欺物語』というタイトルの1964年公開のオムニバス作品がある程度だった。ちなみにこの『世界詐欺物語』、ジャパニーズ・ボンドガールで名を馳せたあの浜美枝さんも出演している。

そんなウーゴっちによる監督作品のタイトルは『にわとり』。世界的有名監督の中でTV畑のウーゴっちがどんな健闘を見せてくれるのかが見どころだ。頑張れウーゴっち!ゴダールパゾリーニも怖くないぞ!……いややっぱりあいつら相当怖いけど!

短編『にわとり』はとある平凡なイタリア人夫婦が主人公となる。二人の子供がいるこの夫婦は果てしなく凡俗などこにでも転がっていそうな小市民であり、物語ではこの夫婦がTVを眺めドライブし買い物や食事をし、手の届きそうにない不動産物件に溜息を付く様が描かれてゆく。彼らの行動と生活と興味の中心にあるのはただただ大量消費であり、浪費であり蕩尽である。物語内で彼らの子供が「ブロイラーってなに?」と聞くシーンがあるが、これを通して資本主義社会における一般庶民のブロイラー的な飼い慣らされ方を揶揄したものがこの作品という事なのだろう。物語はこれらをコミカルにシニカルに描くこととなるのだ。

こうした内容は『ロゴパグ』作品内でも最も分かり易く単純に楽しめるものではあるが、メタファーの在り方が直接過ぎて深みに乏しいきらいがあり、やはり巨匠たちの作品と比べると含みの薄さが見えてしまう部分が残念ではある。とはいえテンポの良い軽快さはこってりした作風の重鎮の続いた後の軽いデザートとして及第点ではないだろうか。

とまあそんな『ロゴパグ』4作品でありました!これにて失礼!

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