ロッセリーニ、ゴダール、パゾリーニ、グレゴレッティ、合わせてロゴパグ。/映画『ロゴパグ』

■ロゴパグ (監督:ロベルト・ロッセリーニジャン=リュック・ゴダールピエル・パオロ・パゾリーニ、ウーゴ・グレゴレッティ 1963年フランス・イタリア映画)

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オレたちロゴパグ族!

「ロゴパグ」。それはパグ犬でもなく口パクのことでもなくバグったロゴのことでもない。ロベルト・ロッセリーニジャン=リュック・ゴダールピエル・パオロ・パゾリーニ、ウーゴ・グレゴレッティといったヨーロッパを代表する4人の監督・脚本により1963年に製作・公開された短編映画オムニバスである。タイトルの『ロゴパグ』とはこの4人の監督の頭文字を繋げたものなのだ(なんて安直なタイトル……)。

それにしても、ヨーロッパ映画監督作品など殆ど観ないオレがなんでまたこんな作品を観ることにしたのか。それはまーなんとゆーか、ヨーロッパ映画監督オムニバス観たぜ!っていうのカッコよくね?」と思ったからである。「いやこないだちょっとロッセリーニゴダールパゾリーニとグレゴレッティが監督したオムニバスってェの観たんですがね」なんてシレッと言ってみたかったのである。

とはいえ、実はこの4人の監督作品自体、殆ど観たことがない。ウーゴ・グレゴレッティに関しては今まで名前すら知らなかった。そして一応全部観たことは観たんだが、まーそのー、えーっとー、なんかよく分かりませんでした……。

そんなもう初っ端から情けなさ過ぎる状況で文章を書き出しているのだが、とりあえずどんな作品だったかは書いておきたいと思う。映画知識の無さを晒すようなもんだが、構うもんか!だって……ブログのネタが無いんだよ!というわけで恥の上塗りをするべくそれぞれの作品を紹介してみよう!

第一話:純潔 Illibatezza 監督・脚本ロベルト・ロッセリーニ

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「殆ど観たことがない」とは言いつつ、このロッセリーニに関してはこれまで幾つかの作品を観たことがある。『無防備都市』『ドイツ零年』『戦火の彼方』『神の道化師、フランセスコ』がそれだ。いわゆるイタリアの「ネオレアリズモ」と呼ばれる作品のことを知りたくてヴィットリオ・デ・シーカルキノ・ヴィスコンティらの作品とまとめて観たのである。 で、分かったことは「ネオレアリズモって辛気臭くてビンボ臭い」ということだけであった……。

さてこの作品『純潔』だが、女性キャビン・アテンダントが主人公である。彼女がその仕事で立ち寄ったバンコクの街で、旅客機の客であったダサいハゲ親父に付きまとわれ迷惑しまくるというお話だ。今で言う「ストーカー怖い!ストーカーキモい!」というヤツである。こんなお話ではあるがスリラーやコメディというわけではなく、じゃあなんなんだろうなあ、というと煎じ詰めるならやはり「ストーカーのダサいハゲ親父がキモい」ということ以外特にテーマはなさそうな気がしてならないのである。

無理矢理こじつけるなら「銀幕に映る美貌の女優」を「映画を観る」という形で「覗き見ている」という「観客側の倒錯」を暗喩したもの、と言えないことも無いがもちろんこれはこじつけであるし、まあやはりダサいハゲ親父がキモいというリアルさをとことん追求した、これはこれでネオレアリズモ的な作品という事なのだろうと思う(違う)。

第二話:新世界 Il Nuovo mondo 監督・脚本ジャン=リュック・ゴダール

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ゴダールである。そのココロは「もう無理」である。いやーなんかもーゴダールの映画ってオレ駄目なんっすわー。『気狂いピエロ』がもう駄目であった。 よっくわっかんない。降参。その後もナントカいうタイトルさえ覚えていない映画に再チャレンジしてみたものの、これも見事に玉砕。無理。降参。退散。すいません。もう許してください。ゴダールも理解できないオレを汚い言葉で縦横無尽に罵ってください。私はあなたの犬です!踵で踏んで!踵で踏んで!……とまあここまで卑屈になってしまうほどにゴダールはオレにとって鬼門なのである。

そんなゴダールの短編『新世界』。なんとSFである。ゴダールのSFというと『アルファビル』が有名だが、もちろん観ていない。まあオレもSFファンの端くれなのでこれはいつか観る。というか実はブルーレイで既に買ってしまった。だから観るとは思うが多分また卑屈になり下がった負け犬根性剥き出しの感想を抱くであろうことは今から予想できる。踵で踏んで!踵で踏んで!!

で、この『新世界』、どういう風なSFかというと、「パリ上空での核爆発が引き起こした世界の終焉を描いた」作品なのだ。とはいえ、「上空で核爆発」があったにしてはパリ市民の皆さんはいつも通りの生活を営んでいる。パニックも死者も放射能の恐怖も無く、昨日と同じ今日が続いているだけだ。しかし細かく注視するならば、人々の行動に微妙な違和感を感じる。感じるけれども、それは些細な差異でしかない。

主人公はこのような状況の中で世界の終りを記録する、と独白するが、なにしろ世界は特に終わっていない。しかし、彼の恋人である女性の行動がいつもと違う。よそよそしく、かと思えば親密で、言う事もやることもちぐはぐだ。この物語は、こうした男女の愛の終りを世界の終りに暗喩したものであろうと大概すぐ気付かされるのではあるが、しかし暗喩の在り方としては安直で、実はなんかもっとちゃうこと言いたいんやないか!?そうやろ!?そうなんやろ!?と怪しい関西弁でゴダールさんに詰め寄りたくもなりはするのである。

もうちょっと冷静になって考えよう。そもそも「パリ上空での核爆発とはなにか?」ということだ。単純に考えるなら米ソ冷戦体制における核開発競争の恐怖ともとれるが、それよりも、フランスで1960年から始まった核実験を指したものである、ととるのが順当だろう。この映画は1963年公開だが、この段階でフランスは5回の核実験を行っており、うち2回は大気圏実験である。原子爆弾という人類の脅威以外何ものでもない大量破壊・大量殺戮兵器の実験が自国の力で行われているにもかかわらず、パリ市民はいつものような日常を生き、生活している。その無関心さと同時に、核爆弾という野蛮を内包しつつ存在しなければならない社会の異様さが、「人々の行動に微妙な違和感を感じる」こととして描かれているのだろう。

世界は確かに終わってはいない、だが、既にスイッチ一つで簡単に終わらせられる手段は手にしている。このような異常さが新たにもたらされた世界、それがタイトル『新世界』ということなのだろう。そして、こういった状況の中でのゴダール自身による「世界の終りの記録」なのだろう。

それとは別に主演の女優アレクサンドル・シュツワルト(『鬼火』『アメリカの夜』『愛と哀しみのボレロ』『フランティック』といった錚々たる出演作のあるカナダ人女優)がなかなかにエロくて、いやあ世界の終りにはこんな女子と過ごしたいですなあグフフ、などとしょーもないことで喜んでいたオレであった。

第三話:リコッタ(意志薄弱な男) La Ricotta 監督・脚本ピエル・パオロ・パゾリーニ

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出ました。ピエル・パオロ・パゾリーニパゾリーニと聞くだけでオレはなにか暗く深く重い溜息を「ふうう……」と漏らしてしまうのである。 パゾリーニの監督作品というのはタイトルだけで既に暗く深く重い。アポロンの地獄』。『豚小屋』。『デカメロン』。『ソドムの市』。どれも観たことは無いがタイトルだけで、そしてちょっと見てしまったスチール写真だけで、「どうもすいません許してください許してください」とヤクザに睨まれた小市民の如く萎縮してしまうのである。きっと人間の暗く汚く醜く爛れきった本性をこれでもかこれでもかと映像に叩き付けるタイプの映画の人なんじゃないか、と観たことも無いくせに勝手に思い込んでいる。惨殺されたという謎の死も怖い。怖い。パゾリーニ怖い。

そんなパゾリーニの短編『リコッタ(意志薄弱な男)』であるが、これがあにはからんや、ちょっとしたコメディなのだ。まずなんといっても主演がオーソン・ウェルズってェ段階で「おお」と思わせる。彼が演じる映画監督が、キリストの磔刑シーンを描く、というのが物語のあらましとなるが、配役のある男というのが貧乏こじらせ過ぎた奴でいつも腹を空かせており、撮影の合間にあの手この手で食べ物を確保しようと奔走するのだ。そのドタバタの果てにある事件が……というのがこのお話なのだが、この物語自体よりも、映画内映画の俳優たちが、撮影の合間に古代ローマの服装でダラダラとダルそうに自堕落の限りを尽くす様が、じわりじわりと異様さを醸し出す作品なのである。この古代ローマな人たちの自堕落ぶりは、どこかフェリーニの『サテリコン』を思わす頽廃性に満ちており、やっぱしイタリア人、蛇の道は蛇どすなあ!ぶぶ漬け食べていきなはれ!などと怪しい京都弁で思ったりもするのである。

そういった頽廃性のみならず、高い芸術性も加味された作品でもある。作品では要所要所でキリストにまつわる宗教画を活人画(実際の人間が絵画と同じ衣装とポーズで絵画的な情景を演じる事)として、その部分だけパートカラーで描かれており(『ロゴパグ』自体はモノクロ映画)、観ていて思わずハッとしてしまうばかりか、ハッとしてグーとまでしてしまう有様なのである(byトシちゃん)。

ところでこの短編作品は「宗教を侮辱した」という理由でイタリア当局から没収・上映禁止、さらに裁判ざたにまでなった曰く付きの作品でもあり、これにより映画『ロゴバグ』は当初本国ではパゾリーニ作品抜きの3作品のみのオムニバスとしてタイトルも変え上演されたという。 

第四話:にわとり Il Pollo ruspante 監督・脚本ウーゴ・グレゴレッティ

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ロッセリーニゴダールパゾリーニと有名監督の名が連なるオムニバス『ロゴパグ』ではあるが、ラストを飾るウーゴ・グレゴレッティ監督に関してはいかなシネフィルの方であってもピンと来ないかもしれない。実はこのウーゴ・グレゴレッティ、略してウーゴっち、イタリアのTV畑の方なのらしい。日本公開作を探してみたが、『世界詐欺物語』というタイトルの1964年公開のオムニバス作品がある程度だった。ちなみにこの『世界詐欺物語』、ジャパニーズ・ボンドガールで名を馳せたあの浜美枝さんも出演している。

そんなウーゴっちによる監督作品のタイトルは『にわとり』。世界的有名監督の中でTV畑のウーゴっちがどんな健闘を見せてくれるのかが見どころだ。頑張れウーゴっち!ゴダールパゾリーニも怖くないぞ!……いややっぱりあいつら相当怖いけど!

短編『にわとり』はとある平凡なイタリア人夫婦が主人公となる。二人の子供がいるこの夫婦は果てしなく凡俗などこにでも転がっていそうな小市民であり、物語ではこの夫婦がTVを眺めドライブし買い物や食事をし、手の届きそうにない不動産物件に溜息を付く様が描かれてゆく。彼らの行動と生活と興味の中心にあるのはただただ大量消費であり、浪費であり蕩尽である。物語内で彼らの子供が「ブロイラーってなに?」と聞くシーンがあるが、これを通して資本主義社会における一般庶民のブロイラー的な飼い慣らされ方を揶揄したものがこの作品という事なのだろう。物語はこれらをコミカルにシニカルに描くこととなるのだ。

こうした内容は『ロゴパグ』作品内でも最も分かり易く単純に楽しめるものではあるが、メタファーの在り方が直接過ぎて深みに乏しいきらいがあり、やはり巨匠たちの作品と比べると含みの薄さが見えてしまう部分が残念ではある。とはいえテンポの良い軽快さはこってりした作風の重鎮の続いた後の軽いデザートとして及第点ではないだろうか。

とまあそんな『ロゴパグ』4作品でありました!これにて失礼!

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崩壊したアメリカの大地を少女とロボットが往くグラフィック・ノベル『エレクトリック・ステイト』

■エレクトリック・ステイト/シモン・ストーレンハーグ

エレクトリック・ステイト  THE ELECTRIC STATE

1997年、無人機ドローンによる戦争で荒廃し、ニューロキャスターで接続された人びとの脳間意識によって未知なる段階に到達した世界が広がるアメリカ。10代の少女ミシェルと、おもちゃの黄色いロボット「スキップ」は、サンフランシスコ記念市の北、ポイント・リンデンのある家を目指し、西へとドライブする。  

アメリカの広大な原野と峡谷、そしてそれを切り裂く州間道路、その合間合間に点在する町々、モテル、電信柱。アメリカのどこの土地にでも遍在するこれら日常的な風景の中に、圧倒的なまでの非現実感を持って威容を見せる巨大で厳めしい謎の建造物、その建造物から触手の様に延びる無数のケーブル、そして二足歩行する畸形生物を思わせる巨大ドローン。さらによく目を凝らすと、地面にはヘッドアップディスプレイを被った無数の人々がゾンビの様に彷徨っている。

スウェーデンストックホルム出身のデジタルアーティスト、シモン・ストーレンハーグのグラフィック・ノベル『エレクトリック・ステイト』は、これら異形化したアメリカの光景を、フォトリアルな精緻なグラフィックでもって描き切る。

『エレクトリック・ステイト』の描くもう一つのアメリカはどことも知れぬ国家と行われたドローン戦争により荒廃し尽くされた世界だ。さらにヘッドアップディスプレイの形をした「ニューロキャスター」と呼ばれる精神接合マシーンに多くの人々が耽溺し、そこから抜け出せないまま生ける屍と化していた。アメリカの大地のそこここに置かれた巨大建造物とそこから延びたケーブルは、この「ニューロキャスター」のクライアントサーバシステムを構成するものなのだろう。そしてこの「ニューロキャスター」によって精神接合された人々の意識は、ひとつの集合意識と化そうとしていた。

物語は、この荒廃したアメリカを旅する一人の少女と一体のロボットとの道行きを描いたものとなる。少女はなぜ、どこに向かおうとしているのか、そしてこのロボットとはなんなのかが物語の鍵となる。描かれる物語はどこか断片的で抽象的であり、この世界で何が起こったのか、何が起こっているのかを具体的に説明するものではない。しかし具体性の無さは逆に謎めいた雰囲気を生み、それはテキストとグラフィックの双方から読者の想像力を持って補う形となるのだ。

ちなみにアマゾンのレビューで書かれているのだが訳文の在り方に明らかな間違いがあり、実はこのテキストは少女と謎の追跡者の二者の独白を交互に書き出してるものを少女一人の独白の形で訳出してしまっているのらしい。それは白地に黒のテキストと黒字に白抜きのテキストによって人物が別なのらしい。これから購入される方は注意されるといい。(訳者の山形浩生さんからコメントにてご指摘を頂き、自分としても迂闊な書き方だったと判断したのでこの部分は削除いたします。山形さんありがとうございました)

とはいえ、実の所これら物語よりも、グラフィックの圧倒的な説得力と不気味で禍々しい雰囲気とが牽引する作品であることは間違いない。見慣れた日常の光景の中に暴力的に挿入され全てを非現実化させる異質で異様な”何か”。この異様さこそがこの作品の魅力だ。

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エレクトリック・ステイト  THE ELECTRIC STATE

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映画『メン・イン・ブラック:インターナショナル 』はやっぱりひたすらお気楽なB級SF作品だった

メン・イン・ブラック:インターナショナル (監督:F・ゲイリー・グレイ 2019年アメリカ映画)

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『M.I.B.(メン・イン・ブラック)』シリーズ第4弾『M.I.B.:インターナショナル』が公開されたというので観に行ったのだ。

シリーズは1作目が1997年公開(もう20年以上前じゃないか)、2作目が2002年公開、3作目が2012年公開。3作通してウィル・スミスとトミー・リー・ジョーンズが主演していたけどこの4作目ではこれを刷新し『マイティ・ソー』を始めとするMCUシリーズや『ゴースト・バスターズ(2016)』出演のクリス・ヘムズワースと、『クリード』シリーズや『アベンジャーズ/エンドゲーム』出演のテッサ・トンプソンの二人が主演を勤めている。あとリーアム・ニーソンやエマ・トンプソンも出演してるよ。

監督は『ストレイト・アウタ・コンプトン』『ワイルド・スピード ICE BRAKE』のF・ゲイリー・グレイ、脚本は『アイアンマン』『トランスフォーマー 最後の騎士王』のウォルター・F・パークス&ローリー・マクドナルドだ。まあ「揃えてきたな」って感じはするよね。

物語は特に改めて書くようなもんじゃない。異星人の地球侵略と戦うM.I.B.の皆さんの活躍をとぼけた雰囲気で描くといったいつものヤツだ。ユルいノリもいっしょ、M.I.B.基地やSFガジェットのレトロフューチャーなビジュアルもいっしょ、エイリアンの皆さんのふざけた容姿もいっしょ。

違うのは主演が「男女二人コンビの新キャラ」といった部分と多様なロケーション。今作ではこれまでアメリカが主要舞台だったものをイギリス・フランス・モロッコと世界各地を経巡ることになり、それでタイトルが「インターナショナル」ってことなんだろうね。それ以外に新しいものは何もない。永遠のマンネリズム。要するに「いつものM.I.B.です。安心して楽しんでください」と言ってるようなもんだ。だから「いつもと変わんないじゃないか」とクサすんじゃなくて「いつもといっしょで安心だー」とリラックスして観るべき作品なんだ。

だいたいこのシリーズには1作目からそれほど愛着は無いのだが、かといって悪し様に批評やら批判やらするようなシリーズでもなく、まあお気楽に作られている映画なんだから観るほうもお気楽に観りゃあいいんじゃないかと思うんだ。

なんていうか豪華料理のフルコースみたいな映画じゃなくちょっと小腹の空いた時に食べるファーストフードみたいな映画ね。しかし小腹の空いた時はファーストフードでもそれはそれで大切だし充分に役割を果たしていると思うんだよ。とはいえ作品的にギャラの高そうな有名俳優が出てたり制作費も結構な金額が掛かってたり世界興行成績ウン億!とか喧伝されたりするから一瞬豪華料理かと思わされ期待値も上がってしまうかもしれないけどそうじゃないんだ、これはちょっと宣伝費の掛かった誰もが目にしやすく手にしやすいファーストフードには変わりないんだ。

とはいえ、そんなこんなで特に期待せずに観に行ったわけなんだが、実はあろうことか、オレはこれまでのシリーズで一番楽しんで観てしまった。

例のいつもの「M.I.B.基地やSFガジェットのレトロフューチャーなビジュアル」や「エイリアンの皆さんのふざけた容姿」も、お馴染みの「判で押したような黒眼鏡黒スーツ」も、一周回ってとても楽しかったんだ。久しぶりのシリーズ作だったんで、前作までのノリを忘れていた、だからなんだか新鮮に目に映った、というのもあるかもしれない(オレもトシなんで忘れっぽいんだよ)。

それとやっぱり、クリス・ヘムズワーステッサ・トンプソンの新キャラ男女コンビが普通に新鮮だった。実のところこれまでの『M.I.B.』って、良くも悪くもウィル・スミスの「俺様映画」で、そんなウィル・スミスのキャラでなんだかゴージャスな作品と勘違いさせられていたけど、結構なハリボテ感もしていたんだよね。しかしそのウィル・スミスがいなくなったお陰で「チープな古典B級SF映画設定を逆手に取って現代風にアレンジしたお気楽B級SF映画」といった物語本来の味わいが生かされていたんじゃないかとオレなんかは思うんだよね。

それと併せ、オレはクリヘムの「バカっぽいイイ男」っぷりが好きで、それは例のMCU諸作や『ゴーストバスターズ(2016)』で存分に生かされてたけど、本作でもその辺が踏襲されていて、しみじみとクリヘムの「バカっぽいイイ男」っぷりを堪能出来たんだよな。そしてそんなクリヘムのバカをきちんとフォローするテッサ・トンプソンの几帳面さやチャーミングさがオレには心地よかったんだよ。物語もさあ、「いつも通り」とは言いつつ、「インターナショナル」にすることによって、ちょっとしたスパイ娯楽作品の雰囲気を出せていたんじゃないかな。

そんな訳で、オレはこの作品、好きだね。まあ3日もしたら忘れてしまいそうなセンスの映画ではあるけど、「観終わった後に何も残らない」程度の面白さのあり方ってェのも、実は逆に娯楽作品としては重要なものなんじゃないかと思えるんだけどね。


映画『メン・イン・ブラック:インターナショナル』予告編

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地獄で生きるということ/映画『暁に祈れ』

■暁に祈れ (監督:ジャン=ステファーヌ・ソヴェール 2018年アメリカ・イギリス・フランス・中国映画)

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なんだかとんでもなく物凄い映画を観てしまったのでざっくり紹介したい。タイトルは『暁に祈れ』、米英中仏合作のドラマだ。

どんなとっかかりでこの作品のDVDをレンタルしたのかがまるで思い出せない。なにやらシリアスなボクシング映画のようなのだが、そもそもオレはボクシング映画には興味がない(ただし正確にはこの映画はムエタイの映画)。でもまあ借りたので一応観とくべえか、と再生し始めたら、うわわわわ、なんだこの世界は!?と度肝を抜かれ腰を抜かしおしっこもちょびっと洩らしたオレがそこにいたのである。

舞台はタイの刑務所。麻薬所持により逮捕されたイギリス人ボクサー、ビリーはこの刑務所に収監されることとなる。そしてそこでビリーが目にする事になったのは、右を見ても左を見ても誰も彼もが全身にも顔にも刺青をしたタイ人囚人の群れだったのだ!

そう、この映画、出て来る囚人がほぼ全員「絵人間」という、とんでもないビジュアルの作品だったのだ!おまけに、顔付や行動がもう、全然真っ当な人間じゃない。アブナイ。限りなくアブナイ雰囲気満載の皆さんではないか。で、後で調べたら、この「絵人間」の皆さん、全員本物の元罪人で、当然「刺青」も全部モノホン、さらに舞台の刑務所までがホンモノだった!?という凄まじくリアルの塊の映画だったんですね!?

いやもうなにしろ刑務所なもんだから常に50人から100人にのぼる囚人たちが画面に映し出されるのだが、くどいようだがこの全員が全身刺青、というビジュアルは、もう異様過ぎて異質過ぎて、こんな世界がこの世にある、という事実に怖気立ってしまったのである。

おまけに刑務所あるあるの新参者いじめ、さらに集団アナル強姦、突発的に起こる暴力行為、威嚇と脅迫がビリーを襲う訳だが、これだけでも嫌になるぐらい怖いのに、さらに怖いのは、ここが異国で、言葉がまるで通じない、相手が何を考えてるのか分からない、おまけに果てしなく暗く不潔な刑務所で、いつまでの刑期なのか全く描かれる事がないという、もう恐怖と絶望しかない【地獄】が口を開けている、ということなのだ。

刑務所を舞台にした映画は多いが、異国で刑務所に入れられる恐怖、というとアラン・パーカー監督の『ミッドナイト・エクスプレス』が印象深かったし、絶望的な刑務所生活を描く作品としてはマヌエル・プイグ原作の『蜘蛛女のキス』という大傑作が存在する。『暁に祈れ』を観てまず連想したのはこの2作品だが、『暁に祈れ』がこれらの作品と全く違うのは、主人公の内省が全く描かれない、という部分、出所やら脱獄やらの形で外の世界に出たい、という主人公の願望すら描かれない、という部分だ。脱獄映画『パピヨン』のように自由を求めて戦い抜く物語では決して無いのだ。即ち、この作品は、地獄にいて、地獄で生きる事、そこのみに焦点を当てた物語なのだ。

この物語は実話であり、後に出所することになったビリー・ムーアの自伝小説を映画化したものなのだそうだが、ここまで徹底的に「地獄での生」のみを切り取ったこの映画は、それによりどこか抽象的な寓話にすら思えてくる。それは、「地獄でしかない逃れられない生をどう生きるのか」ということだ。

絶望の底にまで落とされたビリーはある日ボクサーのキャリアを生かし刑務所のムエタイクラブに入ることになる。厳しいトレーニングを経て強くなってゆくビリーは周囲の囚人たちから信望を得、次第に受け入れられてゆく。この映画の中盤にあたる部分で、ビリーはやっと笑顔を見せる。また、同じ受刑者であるレディーボーイ(タイでは割とお馴染みの性転換者)とのロマンスも描かれはする。ムエタイ試合への挑戦は希望の糧となり、ロマンスは心を癒してくれる。だがしかしだ、ここで注意したいのは、だからといってここが地獄であることには変わりないのである。

「地獄も住み処」という諺があって、これは「地獄のようなひどい所でも慣れれば住み心地がよくなるということ、住めば都」という意味なのだが、逆に言うなら、地獄すらも住み処にしてしまうということ、地獄しか生きる場所が無いのならそこで生きる術を探すしかない、ということでもあるのだろう。

幸いにしてオレは今地獄の中にいるような人生を生きてはいないが、その昔ちょっとかすってしまったことがあるのは確かだ。将来だって分かりゃあしないしな。そして実際今地獄の様な人生を歩んでいる人がこの世には幾人もいるのだろうとは思う。映画『暁に祈れ』はそのような人生を生きる人になんら希望をもたらすものではない。なぜならこれは希望についての物語ではないからだ。しかし、人は時として、地獄でも絶望の中でも生きてしまえること、「地獄も住み処」になってしまうことがある。映画『暁に祈れ』は、その得体の知れない生命力の在り方を描いた部分で、異様な感慨を抱かせる作品であった。

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アストリアス『大統領閣下/グアテマラ伝説集』を読んだ(ラテンアメリカ文学)

■大統領閣下 グアテマラ伝説集/アストリアス

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先日読んだイサベル・アジェンデの『精霊たちの家』がたいそう面白かったのでもう少しラテンアメリカ文学を読んでみるべえかと思い手にしたのがグアテマラの作家、ミゲル・アンヘル・アストリアスによる『大統領閣下/グアテマラ伝説集』。集英社ラテンアメリカの文学」第2巻として刊行されたもので長編『大統領閣下』と短編集『グアテマラ伝説集』の二つが収録されている。

ちなみに集英社ラテンアメリカの文学」は1975~1983年に全18巻で販売された全集で、結構な名作が集められている。オレが読んだこのアストリアス作品は8年ほど前に古本で購入し、例によって永らく積読していたものだ。どうやら『精霊たちの家』と同じ時期に購入したらしく、あの当時何かの理由でラテンアメリカ文学フィーバーがオレの中に訪れていたのだろう。この作品自体はどこからも復刊されておらず、現在古本は結構な高値で取引されてるようだ。

物語はラテンアメリカのある国の恐怖政治を描いたものだ。物語冒頭で、ある大佐が狂犬病の乞食に殺害される事件が起き、大統領がこの事件を利用して自らと政治的対立にある軍人、カナレス将軍に罪をなすりつけ抹殺しようとするのが最初のあらましである。そんな中主人公である大統領側近ミゲル・カラ・デ・アンヘルは人間的良心からカナレス将軍を救うことを決意し、さらに将軍の娘カミラに恋してしまう。しかし秘密警察はカナレス将軍亡命計画を察知し、次第にアンヘルへの包囲網が狭まってゆくのだ。

作品内では言及されないがこの「ある国」とはアストリアスが生まれたグアテマラのことであり、作中の恐怖政治とは1898年から1920年まで22年間続いたマヌエル・エストラーダ・カブレーラ大統領独裁政権を指したものだ。アストリアスはこの作品をカブレーラ大統領失脚後10年の歳月を掛けて書き上げたという。しかし大統領失脚後も政情不安と社会的荒廃は続き、グアテマラにようやく春が訪れるのは1944年のことになる。

というのが長編『大統領閣下』の粗筋と背景なのだが、実際のところ、読んでいて少々キツかった。まず訳文のせいなのか10年に渡る推敲が裏目に出たのか、文書のトーンが一致せず、読んでいて戸惑わされるのだ。

独裁政権がもたらす不条理な逮捕・投獄・拷問の生々しい恐怖、将軍亡命の為に命を掛けた綱渡りを演じるアンヘルの緊張感、これらは「ラテンアメリカ独裁政権小説」とも呼ぶべき政治小説的な側面として迫真的だ。他方、要所要所で挿入されるマジックリアリズム的な幻惑性に満ちた文章は登場人物たちの揺れ動く感情の様を描き出す。同時に、貧困と無知に塗れた庶民たちの肥溜めのような生活振りを描く場面はどうにもグロテスクで嫌悪感を催させる。

これらが渾然一体となりラテンアメリカの熾烈な現実とそこに陰鬱な幻想性を持ち込んだことが小説『大統領閣下』をラテンアメリカ十大小説とまで呼ばせるまでにしたのだろう。とはいえオレ個人としてはそれぞれの描写が水と油のようにちぐはぐに感じてしまい、読んでいてリズムというかテンポを乱されてしまうのだ。ガチガチなリアリズムに固められた描写の後にポエティックで非現実的な文章が入り、その後下品な連中が馬鹿騒ぎを始め、どうもこういう断章化された構成が煩雑で落ち着かない読書にさせてしまう。

それと併せ、物語の息苦しいばかりの救いの無さと絶望感もちょっと苦手に感じた。もちろん恐怖政治を描いたからにはそこに恐怖と絶望しかないのも理解は出来るが、「それだけ」ってぇのもちょっとキツかあないか。そして物語だけ取り出すなら「それだけ」の小説だしな。あとあまりにも下劣な登場人物ばかりなのもげんなりさせられたなあ。それが当時のありのままの社会の様子だったって言われりゃそれまでなんだがな。

なお同時収録の『グアテマラ伝説集』については以前個別にまとめられた書籍を読んでたので割愛。感想はこちら。こっちの短編集のほうも読んでて戸惑ったみたい。 

大統領閣下 (ラテンアメリカの文学 (2))

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