最近読んだコミックなどなど

■映像研には手を出すな!(1)~(4)/大童澄瞳

映像研には手を出すな!(1) (ビッグコミックス) 映像研には手を出すな! (2) (ビッグコミックス) 映像研には手を出すな! (3) (ビッグコミックス) 映像研には手を出すな! (4) (ビッグコミックス)

アニメーション制作に打ち込む3人の女子高生を主人公としたコミック、ついこの間4巻が出たのを期に今回意を決してまとめ読みしたのだが、いやあ評判にたがわず実に楽しい作品だった。

3人の主人公はそれぞれ「設定厨」「キャラデザ」「マネージャー」と役割分担されその性格も実に鮮やかに区分けされている。彼女らが目指すのは「所謂アニメ」ではなく、「絵の動きに命をもたらす行為=アニメーション」であり、その理想は遥かに高い。現実の情景の中に主人公少女の創作物の妄想が入り込みそれが混然一体となってゆくという描写も「想像力」というものの在り方を実に巧みにグラフィック化していて画期的だ。そこには「創造すること」の喜びと労苦があり、それにひたむきに突き進んでゆく主人公らの姿がある。そしてこの作品自体も現実とはどこか違う架空の現実世界を舞台にしておりそれ自体が設定の中の設定とでもいうようなメタな趣がある。

あとひとつ面白いのは「女子高生が主人公」とはいえ3人ともどこか中性的であり、男性性や女性性が予め省かれていると言った部分だ。これは「高校生」という年代のドラマにありがちな思春期なアレコレを持ち込むことを排除しているという事だ。要するに性的な生臭さや生活感などのつまらないリアリティを持ち込まず、「創造することの喜び」と「想像力の発露」のみを純粋に描こうとしている。だから、「創作行為」というものに少しでも触れたことのある者なら、実にすんなり主人公の心情に共感できてしまう。そこが素晴らしい。

 

プリニウス(8)/ヤマザキマリとり・みき

プリニウス 8 (バンチコミックス45プレミアム)

プリニウス 8 (バンチコミックス45プレミアム)

 

次第にドロドロと面白くなってゆく『プリニウス』、側近たちの姦計により皇帝ネロが狂い始め悲嘆と虚無の中で煩悶する。この辺りの史実知らなかったのでフムフム言いつつ読んでた。一方プリニウス様一行はクレタ島ミノタウロスと出遭い大騒ぎ。クライマックスではいよいよ大きな転換点が訪れそう。「世界七不思議」を盛り込みながら展開する物語がまた楽しい。

 

ダンジョン飯(7)/久井諒子

ダンジョン飯 7巻 (ハルタコミックス)

ダンジョン飯 7巻 (ハルタコミックス)

 

新キャラ猫娘が物語を引っ掻き回しているが、このキャラ、ダンジョンRPGウィザードリィ」で言うところの「職業:忍者」なんだよな。こういう形で盛り込む部分が面白い。相変わらずファンタジィ設定は細かいしこなれているなこの作者。で、「飯」要素もおざなりになっていない。

 

■レイリ(6)/岩明均室井大資

戦国時代を舞台に影武者となった少女を描く『レイリ』第6巻、なんだかいつもより構成が淡白な上に話の流れが妙に早いなあと思ってたらこの巻が最終巻だったのかよ。ちょっと打ち切り臭いなあ。このクライマックスもホントはもっと話詰め込まれてたんじゃないかなあ。実は岩明の『ヒストリエ』よりも好きだったので少々残念。

とっても素朴なカピバラ絵本『カピバラのせいかつ』ミケーラ・ファブリ著

カピバラのせいかつ/ミケーラ・ファブリ

カピバラのせいかつ

オレはカピバラ好きである。カピバラのいる動物園は関東なら殆ど行き尽くしあまつさえリピートし、さらにカピバラ見たさに関西、四国まで出掛けたほどだ。次のターゲットは九州、ゆくゆくは台湾のカピバラ動物園を目指している。ついこの間も那須にある動物園にカピバラを観に行ったばかりだ。

動物園に出掛けるだけではない。カピバラに関する様々なものを収集している。それはカピバラ写真集であったりカピバラDVDであったりカピバラカレンダーであったりする。カピバラフィギュアはもちろんのこと、カピバラシールやカピバラ植木鉢、カピバラ指輪なんてのもある。ただしぬいぐるみだけは購入していない。ぬいぐるみのもふもふ感は、毛の硬いカピバラとイメージが違うからだ。いろいろうるさいのである。

今回紹介するのはそんなカピバラを主人公とした絵本である。作者のミケーラ・ファブリ氏というのはこの作品により2018年ボローニャ国際絵本原画展において入選なされたのだという。非常に素朴で優しくたおやかな作風であり、同時にカピバラ愛に満ちた作品となっている。カピバラ好きなら是非お手に取ってみるといいだろう。

ところでこの絵本を読んで思い出したのがオレの相方が続けていた「おひまや」というタイトルのお絵かきブログである。カピバラを主人公とした1枚画の連作となっていて、身びいきながらなかなか楽しかった。現在更新が途絶えているのが残念だが、よかったらまた再開してほしい。ついでに絵本にしてしまえばいいのに。

ちなみにカピバラ絵本というといしいひさし作『食べてみたい!』という作品もあり、以前紹介したことがあるが、こちらも楽しい作品だった。

この『カピバラのせいかつ』に関してはこちらにも紹介ブログがあるのでよろしければどうぞ。

カピバラのせいかつ

カピバラのせいかつ

  • 作者: ミケーラ・ファブリ,訳文構成ナムーラミチヨ,書肆まひまひ,荒川はるか
  • 出版社/メーカー: 山烋
  • 発売日: 2018/07/01
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログを見る
 

ヘルボーイ最終章『ヘルボーイ・イン・ヘル:誰が為に鐘は鳴る』

ヘルボーイ・イン・ヘル:誰が為に鐘は鳴る/マイク・ミニョーラ

ヘルボーイ・イン・ヘル:誰が為に鐘は鳴る (DARK HORSE BOOKS)

血の女王との死闘の果てに地獄へと堕ちたヘルボーイは、忌まわしき血の絆を断ち切りながら煉獄に足を進める。だがその旅は、間もなく終焉を迎えようとしていた。その行き着く先とは…。1994年にスタートしたヘルボーイの物語を締めくくる「ヘルボーイ・イン・ヘル」シリーズ最終章。巻末には、ヘルボーイシリーズ全カバーギャラリー、原作者マイク・ミニョーラが日本の読者に向けて描き下ろしたメッセージを収録。

ヘルボーイが遂に最終章を迎える。 マイク・ミニョーラによるオカルト・ヒーロー・コミック『ヘルボーイ』シリーズは、この『ヘルボーイ・イン・ヘル:誰が為に鐘は鳴る』によって22年の歴史に幕を閉じるのだ。

ヘルボーイは『闇が呼ぶ』『百鬼夜行』『疾風怒濤』と続く”世界最終決戦3部作”において闇の軍団との壮絶な戦いを繰り広げ、その最期に命を落とす。その後の地獄に堕ちたヘルボーイを描く新シリーズは『ヘルボーイ・イン・ヘル』というタイトルのものだ。「地獄の子の地獄巡り」を描く新シリーズ作品『死出三途』で、ヘルボーイは自らが背負おう呪われた運命の糸を断ち切り、そしてこの『誰が為に鐘は鳴る』では、地獄における彼の最期の日々が描かれることになる。

漆黒の闇と虚無とが覆う地獄でヘルボーイはかつて彼が屠ったさまざまな魔物と出会う。それはあたかも走馬灯の如きエピソードの数々だ。そしてそれは彼の入滅の儀式でもある。現世に於いて魔族との凄まじい戦いを掻い潜ってきたヘルボーイだが、この『誰が為に鐘は鳴る』ではただ静寂があるのみであり、ここで彼が歩む一歩一歩が鎮魂と浄化へと向かわせるものなのだ。変な話だが、このクライマックス章『誰が為に鐘は鳴る』は、水木しげる大本尊の描く『河童の三平』のラスト、死んで魂だけになった主人王三平の死出の旅にも似たもの悲しさに満ちている。

とはいえ、ここまで「最期最期」と書き連ねておいてなんなんだが、実はこの後、新たなヘルボーイの活躍を描く『B.P.R.D.:ザ・デビル・ユー・ノウ』という作品が登場しているのらしい。なーんだよまだまだ続くんじゃんかよ心配させやがって!というわけでヘルボーイの戦いはまだ終わっていない。リブート映画作品も近々公開されることだし、またしばらくはヘルボーイの雄姿を拝むことができそうだ。

ヘルボーイ・イン・ヘル:誰が為に鐘は鳴る (DARK HORSE BOOKS)

ヘルボーイ・イン・ヘル:誰が為に鐘は鳴る (DARK HORSE BOOKS)

 
ヘルボーイ・イン・ヘル:死出三途 (DARK HORSE BOOKS)

ヘルボーイ・イン・ヘル:死出三途 (DARK HORSE BOOKS)

 

中国SF作家による短編集『郝景芳(ハオ・ジンファン)短篇集』を読んだ

■郝景芳(ハオ・ジンファン)短篇集/郝景芳

郝景芳短篇集 (エクス・リブリス)

SFと詩的な視覚表現の融合。中国社会と現代都市の奇想天外な投影。ヒューゴー賞受賞「北京―折りたたみの都市」ほか、社会格差や高齢化、エネルギー資源、医療問題、都市生活者のストレスなど、中国社会を映しだす全7篇。

 「中国SF」と言えばやはりまず頭に浮かぶのはアメリカ系中国人SF作家ケン・リュウであろうし、そのケン・リュウが編纂した現代中国アンソロジー『折りたたみ北京』だろう。ケン・リュウの諸作がどれもSF小説の敷居を押し広げた斬新さを持っているのと同様に、アンソロジー『折りたたみ北京』も中国SFの持つ強力なポテンシャルを感じさせる斬新さに溢れた作品が並んでいた。

その『折りたたみ北京』に収録されていた作家の一人、郝景芳(ハオ・ジンファン)の単独短編集がこの度邦訳された。郝景芳はアンソロジーのタイトルともなった『折りたたみ北京』の作者で、この『郝景芳短編集』にも『北京 折りたたみの都市』とタイトルを変え新訳されている。訳出作品の少ない中国SFの一端に触れたくて読んでみることにした。

収録作は7編、まず『弦の調べ』の調べを紹介しよう。これは侵略SFだが、面白いのは地球を侵略する強力無比な異星人がなぜか地球の芸術を愛しており、クラシックコンサート会場は襲わない、という設定だ。これにより人類はあちこちでクラシックコンサートを行っているのだ。そして劣勢の人類はある反撃方法を思いつく、という作品なのだが、侵略SFとクラシック音楽という珍しい組み合わせで読ませる作品となっている。しかしなあ、音波は宇宙空間を伝播しないはずだがその辺どうなってるんだろ。

『繁華を慕って』は『弦の調べ』のもう一つの別の側面、いわゆる「Bサイド」を描く作品になっていてこういった構成がまた面白い。内容は音楽家を目指しながら才能に限界を感じるある女性の陥穽を描くものだが、この作品の辺りから「中国人生え抜きエリートの苦悩」といったテーマが作品の中に見え隠れするようになる。

『生死のはざま』はいわゆるSFプロパーな作品から離れ、夢とも現実とも付かない死後の世界を描くことになる。しかしその中に「時間と空間」の概念を持ち込むことによりSF的なまとめ方となっている部分に独特さがある。

『山奥の療養院』も同様に夢とも現実とも付かない朦朧とした世界を描き、どこかつげ義春作品の様な不安を感じさせさえするが、やはりこの作品にもSF的解法が用意されている。そしてこの作品からうっすら滲むのも「中国人生え抜きエリートの苦悩」だ。

『孤独な病室』SNSが中心となった社会への諧謔的な小作品、『先延ばし症候群』は論文作成に汲々とする学生を描くショートショート。この2作は習作といった趣の印象の薄さがあるが、創作における発想の一端に触れる事が出来ると言った点で作者の全容を掴む手助けとなる。

 さて巻頭作『北京 折りたたみの都市』に戻るが、やはりこの作品が最もSF作品としての奇想と批評性に溢れていて最も完成度が高くバランスのいい作品という事ができるだろう。社会格差を時間割で折りたたまれる階層都市といった形で可視化しそれぞれの社会に生きる人々の心情を鮮やかに描き切っている。これをして中国格差社会と見る事はできるが、同時に今現在世界に広がる社会格差を描いたものとして普遍性を獲得している。それにしてもこれ『新世紀エヴァンゲリオン』の折りたたまれる第三新東京市から着想を得たのかな、とちょっと思えない事もない。この作品はヒューゴー賞を受賞し映画化も企画されているという。

「中国人生え抜きエリートの苦悩」と書いたが作者である郝景芳自身もSF作家のみに留まらない多彩な才能を持って社会で活躍する人物なのらしく、その経歴を見てもこの「中国人エリート」が作者自身でありその心情吐露であることは想像できる。こういった、なかなか触れることの無い「中国人エリート」の心情とその苦悩、彼らの生きる世界を垣間見せると言った点で面白さのある作品群でもある。

それと、これはケン・リュウ作品を読んでも思う事だが、中国人作家による作品からは非常に透き通った、清流の如きエモーションを感じる事が出来る。それは「アジア的な」と言ってもいいと思うのだが、例えば中国映画などを見ても同様の事を多く感じるので、ある意味「中国的に抜きんでた」感性と言い換えられるかもしれない。古き歴史を持つ超大国なりの衒いの無さ、揺るぎない大らかさをそこに見て取ることができるのだ。そしてこの感性の在り方が同じアジア人として実に心にフィットする。この短編集は先端SFといったものではないが、中国SF独特の在り方を知る事が出来ると言った点で貴重な作品集だろう。

郝景芳短篇集 (エクス・リブリス)

郝景芳短篇集 (エクス・リブリス)

 
折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ 5036)

折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ 5036)

 

地球を宇宙の彼方に飛ばしちゃう!?ネトフリで中国SF『流浪の地球』を観た!

■流浪の地球 (監督:フラント・グォ 2019年中国映画)

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この『流浪の地球』、今年公開されたばかりの中国製作によるSF映画なんですが、なんと製作費に50億円にのぼる巨費を掛け、公開されるやいなや大ヒットを記録、興行収入がひと月で760億円を突破した、という作品なんですね。こんな作品がナント、ついこの間日本でもNetflixで観られるようになったというから凄いじゃありませんか!

で、いったいどんなお話かというとですね。

地球にロケットを山ほど付けて、宇宙の彼方に飛ばしちゃおう!というお話です。

 ……あ、いや、今一瞬、脳がフリーズしませんでしたかそこのあなた?「えーっと、ちきゅうをとばしてどうするの?」とあなたは思った事でしょう。あまりにもあまりな話にびっくりしますよね。

ある遠くない未来、太陽が赤色巨星化し地球を焼き尽くすことが分かってしまいます。この地球滅亡の危機を回避するため、世界は一致協力して巨大かつ遠大な計画を遂行します。それは地球上のあらゆる場所にロケット推進器を設置し、それにより地球ごと太陽系を離脱し4.3光年彼方の恒星系アルファケンタウリまで2500年掛けて飛ぼう、という計画だったのです。

 ……あ、いや、粗筋を読んだ後も脳がフリーズしませんでしたかそこのあなた?「え?え?ちきゅうのききだからちきゅうからだっしゅつするんじゃなくて、ちきゅうごとだっしゅつしてしまう、ってことなの?」そうです!そうなんです!SFってのは基本、大風呂敷拡げたホラ話のことなんですが、ここまで大風呂敷広げられると、あまりのスケール感で思考が一瞬ストップしちゃいそうですよね。

地球が軌道から離れる訳ですから地表は氷河期以上の寒波に襲われます。また、自転が止まる訳ですから慣性の法則により地表では大嵐と大津波が巻き起こり全てのものがなぎ倒されるでしょう。それを見越し、一部の選ばれた人間だけが地下都市に移り住みアルファケンタウリ到達まで生き永らえることになるのです。即ち、計画発動の段階で数十億人が死ぬことが既に想定されているという凄まじい計画でもあるんです。

まあしかしそれにしてもですね……地球を軌道から離脱させさらに一定の方向に推進させるためには、いったいどんだけの推力と、その推力を得るための装置と燃料が必要になるんでしょうか?そもそもその推進エンジンはどんなものなのでしょうか?地球ないし近隣の惑星・衛星の中から燃料等の原料となる資源は必要量得られるのでしょうか?さらに4.3光年=約40兆キロを2500年掛けて飛ぶ、というのは、どれだけの速度を出さねばならないということなんでしょうか?時速何キロになるの!?教えて計算の得意な人!

とまあ科学的に考えようとすると疑問だらけの設定なんですが、とりあえずそこんところはクリアしたと無理矢理思い込みましょう。で、家族がどうとかこうとかあれこれ生臭いドラマを盛り込みつつお話は進んでゆくんですが、中盤である危機的状況が訪れてしまうんです。それは、木星重力に地球が引き摺りこまれ、ロシュ限界を超えて地球が粉微塵になってしまうかもしれない!ということなんです!(ロシュ限界=主星の潮汐力によって衛星などが破壊される限界地点/潮汐力による破壊=ある物体が別の物体から重力の作用を受ける時、その重力加速度は、重力源となる物体に近い側と遠い側とで大きく異なる。これによって、重力を受ける物体は体積を変えずに形を歪めようとする*

えっとですね……この「木星引力による地球の捕獲」という危機的状況がこの物語の大きなハイライトでありドラマとなるんですが、それにしてもですね……地球を他の恒星系まで飛ばしちゃうような科学力を持ってるくせになんで木星重力に捕獲されないような軌道計算もできなかったんだ?そもそも相当の推力であろうから木星重力程度に捕獲されえるのか?と思っちゃうんですけどね。まあしかし地球ってデカイから簡単に軌道計算って言っても難しいのかなあ……というかそもそも話に無理がありすぎるんだよ!

それともう一つ。太陽が赤色巨星化したとしたら今より170倍ぐらいの大きさになり、金星軌道辺りまで飲み込んじゃいます。でも地球を動かす科学力があるんなら、生存に適する温度が得られる軌道まで動かせばいいだけなんじゃないでしょうか?あと火星移住でもいんじゃね?まあ何をやるにしても地球上の生命が殆ど死に絶える事だけは確かですけどね(あと木星軌道近辺まで太陽から離れているのになぜ地球の地表があんなに明るいんだ?それと推進の段階で地球の大気は全て失われてしまうんじゃないかな)。

さらにもうひとつ、もっと決定的な話なんですが、数十億人が最初の段階で死ぬことが確定しており一部の選ばれた人間だけが生き残るというのであれば、別に地球動かさなくても地球動かせる科学力と資源で恒星間宇宙船作ってそれに生き残りの人間乗せて飛ばしたほうが早くね?

まあゴチャゴチャ書きましたが、オレは理系とかそういうのでは全く無く、SF小説で得た貧弱な科学知識だけしか持ち合わせていないので、相当間違ったことを言ってるとは思います。とはいえ、この映画のトンデモな科学設定よりはましじゃないかと思うんですけどねえ。誰か科学に強い人もっときちんとしたツッコミをしてください!(原作者の劉慈欣は中国国内外でも有名なSF作家で、オレも一篇だけハードSFな短編を読んだことがありますが、科学設定はしっかりしており、映画のほうが話を膨らませるために設定をおざなりにしてしまったのではないかと思われます)

とはいえですね。ここまで文句を言っといてなんなんですが、映画『流浪の地球』の醍醐味は、やはりとんでもない(あまりに馬鹿馬鹿しい)大風呂敷をヴィジュアルで見せてしまった、という事にあります。ある意味やったもん勝ちということでもあります。細かい事を言ってちゃあこんなとんでもない映画作れませんよ!特撮もCGIもハリウッド作品と比べて何の遜色もありません。SFファンならこのヴィジュアルに大いに燃える事でしょう。人間ドラマは湿っぽくてベタベタだし若者のキャラクターは軽くて辟易しましたが『ドラゴン×マッハ!』『ウルフ・オブ・ウォー』のウー・ジンが出演していたのでよしとしましょう!そういった部分で一見の価値のある映画だし、こんなトンデモさも含めて楽しむことができる作品なんじゃないでしょうか(とりあえず最後はフォロー)。