ナンバー23 (監督:ジョエル・シューマッカー 2007年 アメリカ映画)

まあ要するに「あれも23、これも23!オデは23に呪われているんだぁああぁぁ〜」という基地外の話だというだけのことである。しまいには何が何でも23という数字にしなければ済まないような強引な計算もあったりするのだが、基地外のやることだから仕方ないのである。数字や文字に有り得ない理屈をこじ付け、さも深い意味があるように妄想するのは数秘術だのカバラだのの歴史があるし、買い物メモを歴史の裏に隠された世界的な陰謀と誤読して大騒ぎする『フーコーの振り子』なんていう小説もあったりするが、これは言葉には神のワザが宿っているとするキリスト教史観があるからなのかもしれない。なんて分析もしてみたが、だからといってこの映画がしょうもない映画であることは動かしようが無いのも確かである。クライマックスの謎解きは穴だらけで白けたなー。ただ作品の感触は、訳の分からない不安が時系列を超えながら延々と描かれる『ジェイコブズ・ラダー』あたりを思わせて、実はそれほど嫌いではなかった。

多重人格探偵サイコ(12) 田島昭宇/大塚英志

このコミックも大型船にジェット機が突っ込む7巻目あたりまでは面白かったんだが、ここで終わらせておけばよかったのものを連載コミックの悲しさか無理無理に引っ張りすぎて、この12巻ではもう何がなんだかさっぱり訳が分からない。そもそも「多重人格」だの「猟奇殺人」だの「国際秘密結社の陰謀」だの、連載当初は旬であったのだろうが今やすっかり古臭くなってしまったテーマで続けていることが苦しいんだよな。ここ数巻でのテーマはロックミュージックに埋め込まれたサブリミナルメッセージ殺人とか、あああ、もういいよそういうのは。ただ絵だけは抜群に上手いんだよなあ。

毎度お騒がせの

昨日はお騒がせして申し訳ない。書けないなあ、と思ったのは以前より仕事が忙しくなってきたのがあるんだが、しかし仕事が忙しかろうが残業で10時過ぎに帰って来ていようが、モリモリと文章を書いていた時代があったのも確かで、だからひとくくりで”忙しいから”とは言い切れないんだが、どうも最近、ストレス対策の為に仕事中自分の感情をシャットダウンしてなるべく何も感じないようにしているせいか、いざ文章なんぞを書こうとすると、モノを書くのに必要な思考や情動が一切働かないことに慄然としてしまったのだよ。
そうは言いながら今日のような休みの日ともなるとなんとなく情動も思考も動いて来て、2週間ほど前に読み終わって「あーレビュー書かなきゃダメなのかー書きたくねー」とグズグズしていた本のカンソー文を書き始めたら、やっぱりいつも通り長くてややこしい文章になっていて、何故だ!何故なんだ!と自分が分からなくなっているという有様。
オレは文章を書くときはメモ書きではなく、他所様でもなるべく大体のアウトラインが分かるように説明的に書くようにしているのだけれども、この時「これとこれとこれを入れておかないと説明になってないし何も包括して無いだろ」と自分で添削してしまうんだよなあ。”削”よりも”添”のほうが多いけれども。だから実は”短くする”というのは構造上不可能であるわけなのですよ。それは単に”中途半端”にしかなっていないわけで。だったらさらっと”紹介”でお茶を濁すしかなかったりするんだよな。あーめんどくせえええ。
そして今朝からそんなことを始めてしまったから掃除も片付けも朝から全然やってないんです。もう2時だというのに朝から日記しか書いていません。こういうのをもう止めよう、と思ったんだよなー。