キンキーブーツ

キンキーブーツ [DVD]

キンキーブーツ [DVD]

イギリス、ノーザンプトン。傾きかけた靴工場を立て直す為に新社長が目をつけたのは、ゲイたちがドラッグクイーンとしてショウで履く為のブーツだった。靴工場の再生、そしてゲイとノーマルの心の交流を描いたイギリス映画。冒頭、デビッド・ボウイの『プリティエスト・スター』の調べに乗って赤い靴を履いたドレッドヘアの少女が踊るシーンでボウイ・ファンのオレなんかはにんまりさせられる。そしてこの少女が実は…という所から映画が始まる。ちなみに「キンキーブーツ」とは”お下劣ブーツ”とでも訳せば良いか。
ゲイとはいえ肉体は男であるから、大きな体躯でダンスをすると女性用のブーツでは体重を支えきれない。だからゲイ達、それもドラッグクイーン達が履くブーツを作ろう、ということなのだが、会社を経営するものが利益の見込まれるニッチな製品に目をつけるというのは、ゲイ理解がどうこうということなどではなくビジネスである。だから、新社長とゲイ青年は最初から友好的であってしかるべきだし、それは打算でもなんでもない。映画もそのようなさばさばした雰囲気でトランスジェンダーを扱う。勿論ドラマとして無理解や衝突はあるにせよ、やはり映画的に丸く収まることになる。そんな中で、映画クライマックスでの新社長とゲイ青年の諍いは、新社長のものの言い方に対し「お前今まで何を見て来たの?」という気がして違和感があった。ある意味ここが盛り上げ所だというのは判るが、この段階で気弱になる新社長を人間的と見るか煮え切らないヤツと見るかは観客の判断に委ねられるだろう。
工場で働く労働者の人々の生き生きとした様がいい。工場であると同時にこれは工房でもあるから、単なる工業製品を作っているのとは違うクラフツマン的な柔らかさを感じる。勿論そこにはこの手の映画では定石とでもいえるような力自慢なだけの粗野な男もいたりはするが、それはそれで何故か憎めなかったりする。イギリス映画というとこのような労働者階級の生活を中心に描かれるものが多いような印象を受けるがどうだろう。かの国ではこのような作品の作りのほうがウケがいいということだろうか。新社長のほうの人間関係でも別れや出会いがあったりと、ある意味お約束な演出や配役が成され、安心して観られるそつなく作られた映画として仕上がっている。逆に突出した部分や強い主張があるというわけでもないので娯楽映画以上の感動は無いかもしれない。そしてラストのドラッグクイーン達の晴れ舞台は「まってました!」と言わんばかりにやはり楽しいものであった。

グエムル -漢江の怪物-

韓流モンスタームービー『グエムル』であります。えーっと川からオタマジャクシのでかくなったような怪獣が現れて人々を襲ってゆくわけですな。で、その怪獣に連れ去られた女の子を家族が力を合わせて救おうとする、という物語です。特筆すべき点は長女ナムジュを演じるペ・ドゥナのジャージ姿と中学生のヒョンソの濡れて体に張り付いた制服と、次男のナミルのぶちきれそうな目つきと家長であるヒボンの爺さんぶりと、そしてなによりソン・ガンホ演じる長男カンドゥのブヨブヨの体格にイケテナイ染めた金髪、といったところでしょうか。この長男カンドゥのドン臭さがちょっと笑えなかったんですが、要するにダメダメ父ちゃんが娘の危機に一念発起して最後に生まれ変わったような大活躍をする、ということを描きたかったのでしょうか。韓国映画ってこういった強烈な家族主義の描かれ方が一般的なのかどうか判りませんが、なんとなく「あー韓国といえばこういう激情なんだろうねえ」などと妙に納得して見ておりました。韓国映画のイメージってどうもこのオーバーな激情ぶりって感じがして、オレはこれがどうも苦手なんです。悲劇的な体験に対して床を這いずりながらワアワアと泣けるのは実は素直で健康な事なのだとは思いますが、そのストレートさが苦手なんでしょう。
さて今回の『グエムル』ですが細部のツメが微妙に甘いような気がする。何故あんな立派な牙を持ちながら人間を食っちゃうときに「飲み込む」ことしかしないのか?などと考え始めるともう駄目です。お陰で、結構人は襲われますがスプラッタシーンはそれほどありません。人体破壊も臓物もありません。人を襲って食うくらいならやっぱりここはバリバリと獰猛に肉体に喰らい付き、手足バラバラ首チョンパ、ハラワタドッカーンッ!血飛沫ドッバーッ!と来てくれなければ納得がいきません。え?そんなものを期待するのはお前だけだ?…やっぱりそうでしたか…。どうもオレがこの『グエムル』をフツーに観てしまったのはそこに原因があったのだと思えてなりません…。