ここまでセージに興味が無いのは如何なものかと

今日は朝ラジオつけた時から同じ名前が連呼されていて煩いのであった。
なんでも痔眠糖の葬祭に安倍監房朝刊が腺出されたとかどうとか。
どこもその話題でイパーイである。
ラジオもTVもその安倍氏の話でもちきりだ。
あまりに安倍氏安倍氏言うので、何故かその名前を聞くたびにオレも同語反復症患者みたいにその名前を繰り返すのだった。


ラジオ『圧勝で真葬祭となった安倍氏は…』
オレ「安倍氏。」
ラジオ『安倍氏の盗泉が発表されると…』
オレ「安倍氏。」
ラジオ『安倍氏は若狭と開花区をアピールし…』
オレ「安倍氏。」
ラジオ『安倍氏の痔元、耶麻愚痴犬では…』
オレ「安倍氏。」
ラジオ『鯉墨酒商は安倍氏の盗泉に…』


オレ「あべし。」


ラジオ『気になる安倍氏の性圏仁慈は…』


オレ「ひでぶ。」

今日のゲンバ

オレの職場は倉庫で輸出入の荷物を扱う”ゲンバ”である。日記によく登場するフィリピン人勤労労働者諸君の仕事は海外から来たコンテナーから荷物を積み下ろす事だ。青空の下皆さん額に汗して労働に勤しんでおられるのである。
最近この作業場にラジカセが持ち込まれ、洋楽やらJ-POPやらが軽快に鳴り響く中で作業が行われている。高度経済成長の昔からゲンバに音楽は欠かせない。土木作業現場では季節労働者のトーチャンカーチャンが「よいとまけの唄」を歌いながら基礎工事なんぞをしていた。♪トーチャンのたーめなーら エーンヤコーラ、である。オレの田舎の水産加工場でもいつも演歌が流れていた。三波春夫の歌に乗って労働者の皆さんは軽快に魚の頭をちょん切ったり三枚に下ろしたりしていたのである。辛い肉体労働のさなかに精神と肉体を高揚させるために音楽は必須だったのだ。
オレのゲンバでもロックやR&Bがガンガンにかけられる中、皆さん仕事をなさっているのである。ただ、或る日の事だが、このラジオからクラシック音楽が流れてきたのである。弦楽四重奏が優雅に奏でられる中での肉体労働…。汗と埃ですっかり汚れたTシャツを着た皆さんがソナタだかノクターンだかが流れる中で黒く日に焼けた筋肉質の体を律動させているのである。あまりのミスマッチさが逆にシュールである。映画『時計仕掛けのオレンジ』のベートーベンが流れる中での暴力行為並みにシュールである。いくらクラシックが流れたって現場はお上品にならないということであろう。
そういえばこの間はガンガンの大音量でグランジロックがかかってたが、あれはとことん肉体労働現場にあってたなあ。

きょういちにち

職場のトイレに入ると小さな虫が目の前を飛んでいたので 「ああそうだ虫は煙草の煙が嫌いだったんじゃなかったっけ」と思い出し その時吸っていた煙草の煙を虫に ふう と吹きかけたら 虫があちらの方向へと逃げてゆくのでそれを追いかけてもう一度煙草の煙を ふう。
そうしたらまた逃げるので それを追いかけてまたまた煙草の煙を ふう。
そして逃げた虫にまたまた ふう。
ふうふうふう。
そうしてワタシは トイレの中を 小さな虫に煙草の煙を吹きかけながら いつまでもいつまでも ぐるぐるとぐるぐると回っていましたとさ。

虫達との日々

トイレと言えばあれだ、以前さしわたし10cmはあろうかという巨大蜘蛛を目撃して以来、トイレに入るときはいつも壁中をチェックする癖がついてしまったな。始終巨大蜘蛛の脅威に怯えながらトイレに行くオレなんである。まるで共産圏の核の脅威に怯える冷戦時のアメリカ国民並みである。トイレに行くのも命懸け、なのである。全くどういう職場環境なのか、としみじみ思う今日この頃である。