……の続き。

f:id:globalhead:20190912205810j:plain

unsplash-logo Maksym Kaharlytskyi

……というわけで続きである。なんの続きかと言うと一昨日更新した「タイフーンバースデー!」の続きだ。あれほど益体もない垂れ流し文章の後にまだ続きがあるのか、とあなたは呆れているかもしれないが、実は書いているこのオレも呆れている。そもそも「あなた」などと書いてしまったがあんな記事ないしこんな記事を読む人間がこの世界に、地球に、宇宙にいるのかどうかすら定かではないが、まあいい、なにしろ続きなのだ。

この間の「タイフーンなんちゃら」で「1時間半かけて職場まで歩いた。ちょっと足が攣った。テヘッ」などというようなことを書いたのだが、実はこれは正確ではなく、攣ったのは実は「尻」なのである。尻。ヒップ、御居処、どんけつ、尻臀、臀部、おいど、のあの「尻」である。なんというか、尻が攣って痛いのだ。オレは今年57歳になろうともいう禄でもないジジイではあるが、実は幸運なことに今まで肩こりや腰痛には縁が無かった。まあ普通、肩こりや腰痛は過重な労働をすることによって引き起こされるものであるが、オレの場合労働に対する真面目さというものが恐ろしく希薄でいつもインチキの限りを尽くした仕事しかしていないために、肩こりにも腰痛にもならない、というあまり堂々と言えない理由があるのだが、どちらにしろ、ある年齢に達すると悩みの種になるこれら疾病とは縁が無いのである。それが今回、よりによって「尻」に現れるとは、オレもとことん油断していた。何かこう、今まで怠慢ぶっこいていた仕事のツケがこういう形で回ってきたのかと思うと深い後悔と反省を覚えてならない。もしも今後、なにかの理由でオレと悶着のあった方が、オレの事を「この尻攣り野郎!」などと口汚く罵ったとしても、オレには返す言葉がない。一人の悲しい尻攣り野郎として己が運命を甘んじて受け止め生きることしかできないのだ。そうさ、オレは尻攣り野郎さ……悲しい尻攣り野郎なのさ……。

この日は「尻攣り野郎」になるほど歩き回ったのと台風ですっかり散かってしまった事務所前を片付けたりと普段の仕事以上に疲れてしまい、それと併せて前日に台風接近で興奮したせいか(小学生かよ)結構深酒をしすっかり胃が痛くなってしまったのもあり、家に帰ったら簡単なものを食べてさっさと寝てしまおうと思っていた。というわけでこの日、誕生日の夕食は、なんとうどん。でも誕生日だから奮発して2玉食べたよ!奮発っていうかセブンイレブンで買った2玉入り98円の冷凍うどんだがな!どっちにしろ寂しい夕食ではあるな!ただしうどんとは言っても作ったのは「ざるうどん」。暖かいツユに冷ましたうどんをつけて食べるのだが、オレは結構これが好きでな。ツユは温めためんつゆに刻んだ長葱・茗荷・大葉といった薬味と、豚肉と細切りの油揚げが入っている。ざるうどんのいい所は熱々のうどんと違って適度に温度が低いから夏場でもイケるってことかな。薬味の香りも暑さで衰えた食欲を蘇らせてくれる効果がある。と思う。この食べ方だと2玉ぐらいは余裕で行けるぞ。……ってそんなに食べるのは流石にオレだけなのか!?

f:id:globalhead:20190913003003j:plain 

ところで今回57歳などというオソロシイ年齢に差し掛かってしまったオレであるが、今の所なんとか元気である。朝起きると体のあちこちがミシミシ言ってるし前より疲れやすくなったが、これは年齢なりだと思っている。ただちょっと消化器官が弱ってるかもな。夏場と言えばキンキンに冷えたビールが大変美味い季節で、オレも毎年これでもかこれでもかと飲みまくっていたものだが、おかげで大概酷い胃痛に悩まされていた。ビールの炭酸が胃壁に悪いみたいなんですよねえ。それなんでビールを飲む量が自分にしては結構減ってしまった。往事は一日1.5リットルのビールを飲むことを日課にしていたオレだが、近頃では350ミリリットル缶が十分な日もある。その分別の酒飲んでるんだけどね……。まあなにしろビールの量が減ったのがオレ的には年取ったなあ、という実感の表れの一つである。ただしどうやらオレは肝臓が結構丈夫なのらしく、これだけ毎日飲んでるのに人間ドックに行っても肝臓機能の数値がいつも平均値で、この辺りも有難いなあ、と思っている。

それとこの間4,5年ぶりに新しい眼鏡を新調したのだが、前回と同じ店に行って検眼してもらった所、視力や目の筋力が以前と変わっていない、という結果が出てちょっと嬉しかった。毎日毎日ブルーレイ観たり本読んだりゲームしたりと結構目は酷使してるような気がしてたんだけどね。ちなみにこの写真はその時購入した眼鏡。あーはい、GUCCIですGUCCI。オレ服はいつもGAPのバーゲン品だししている時計はTIMEXSUUNTOといった程度の人間なんだが、眼鏡は毎日つけている上に顔の上にあるもんだからちょっとだけキバってみたかったんだよ!許してくれよ!

f:id:globalhead:20190912202514j:plain

あれこれ書いたが、最近オレが最も懸念していることがひとつある。それは「社会の窓」が全開になっていることが多い、ということだ(......)。年取ると体にもガタがくるし頭も弱ってくるものだろうとは思っていたが、まさかピンポイントで「ここ」にくるとは予想だにしなかった。怖い、これは相当に怖い……。そして今日も今日とて「ああ!また開いてる!?」と慌てふためき「チャック上げ音頭」を踊っているオレなのである。もしもオレが「社会の窓」全開でのほほんとしているのを見かけることがあったなら「ああ、もうこの人お爺ちゃんなんだね……」と生温かく見守ってもらいたい。というかそっとしておいてくれ……。

年取った、といえば、オレの会社では今度、定年が62歳まで引き上げられた。定年まであと3年かあ、と思っていたのが5年後である。年金貰えるまでは働かにゃならんよなあ、貯金ないし、と思っていたのでちょっとした朗報であった。まあ年金に関しては巷でもいろいろ問題が噴出してるのは知っているが、受給年齢が変わらなければあと8年後の話なんだよねえ。どちらにしろ働かなきゃ埒が明かないので、無理せずボチボチやって行こうと思っています。

それと最後だが、いつもこんなお気楽かつしょうもない文章をのほほんと書いていられるのは相方がいてくれるお陰で、ヤツがいるので日々心穏やかに安心して過ごしていられる、というのがやはりデカイよなあ。身近に気兼ねなくできる相手がいるというのはとても有難いことだと思う。そんな相方に感謝してこの文章の〆ということにしておきたい。

タイフーンバースデー!

f:id:globalhead:20190910195438j:plain

unsplash-logo Joyce Adams

9月9日月曜日はオレの誕生日であった。しかしそれ以上に関東に台風直撃の日であった。前日の夜半から雨が降り始めそれは次第に激しくなりやがて暴風を伴ってあれやこれやに甚大な被害を出したのである。「持っていかれた……」とオレは思ったのである。オレの晴れがましい誕生日の日があちらこちらで阿鼻叫喚の大災害を巻き起こした日になったのである。もうこれでは誕生日どころではない。「オレに恨みでもあるのか」とちょっとこめかみのあたりがヒクヒクと脈打ったオレである。しかし、ちょっと冷静になって考えてみたのだ。いや、台風はオレに恨みがあったわけではない。むしろ台風さんはオレのバースデーを祝おうとわざわざ東シナ海辺りからグオングオン言いつつやってきたのではないかと。なんとまあ長旅ではないか。遂にオレも台風さんからお祝いされるほどの人間になったのか。やはり幼少の頃から風雲児と呼ばれ続けていたオレの面目約如といった所ではないか。そしてバースデープレゼントとして強大な台風パワーを大盤振る舞いしてくれたのだ。つまるところあの甚大な台風被害はオレの責任であるという事なのだ。今回の台風であんな目やこんな目に遭った多数の皆さんにはお詫びのしようがない。とはいえ、オレという人間のバースデーというのはあの位派手なものである、と大自然が太鼓判を押してくれたとも言えるのだ。もはや森羅万象がオレを祝い風を呼び雨を降らせ嵐が巻き起こり海は咆哮を上げ雲は渦を巻いたという訳なのだ。大気を動かし大地を揺らせる程のこの力、もうこれはオレが神懸りという事だと言っても構わないのではないか。確かにオレは天の申し子ではないかと思う事がよくあるのだがこれはもう確信に近い。今回の誕生日は天がオレにそれを知らしめた日であったという訳なのである。まあしかし神懸りでも天の申し子でもなんでもいいがもうちょっと給料上がんないかなー貯金溜まんないんだよなーやっぱアマゾンで毎回毎回CDだのブルーレイだのゲームだの後先考えずにボコスカ買ってるからなんだよなーなどと神懸りの割には所帯じみたしょっぱいことをうだうだと書き殴っているオレなのである。

とまあこんな頭になんか湧いてるような戯言の数々は全て冗談である。戯言の数々、というかオレの人生そのものが既に何かの冗談のような気もするしオレの存在それ自体すらも何かの冗談ではないかという疑念が常にもやもやと頭の片隅を侵しているのだが、これについて深く追及するとゆくゆくは緩衝材の張り巡らされた白い部屋に拘束衣を着せられて幽閉され天井を眺めながら「ボクは神武天皇の生まれ変わりだぞう」とか言いつつエシャエシャ笑っているような人になってしまいかねないのでなるべく考えないようにするのが正解なのだ。世界とか宇宙とかあるいは人の頭のナカミにはあまり深く関わってはいけない部分があるのだ。それは深淵と呼ばれるものなのだ。お前が深淵を覗く時深淵もまたお前を覗いているのだというニーチェの格言にあるように突き詰めるとヤベエしアブナイっすよってことなのだ。だから深淵がどーとかこーとか頭をグルグルさせる前にまず相手にしないってことが大事なのだ。一言で言うなら「スルー力」ということですよ。いや「するーか」じゃなくて「するーりょく」ね。「力」は「か」じゃなくて「りょく」って読んでよ。そこん所頼みますよ。でね、このスルー力がね、オレは大事だと思ってるんだ。いやだから「するーか」じゃないって「するーりょく」だっての。でさ、オレは現実とか呼ばれるこの世界で物事をわざわざヤヤコシクすることをあえて避けてもっとお気楽にテキトーにすることを選んだんだ。日々の生活やインターネットの文章の隙間から「ヤヤコシイ」が顔を覗かせタラタラと能書きを垂れ始めたら必殺の呪文を唱えて退散させるんだ。その呪文はこうだ、「MENDOKUSEEEEE!!」だ。関西では「SIRANGANA!!」というのもあるらしい。もう一つの呪文も教えてあげよう、これはちょっと長い、それは「りくつとこ・うやくはど・こにで・もひっつく」だ。この二つの呪文を駆使して太古の昔から宇宙に存在する大悪霊「夜弥弧死威」と戦い抜くんだ。

いかんまたしょーもない冗談を書いてしまった。今回はこんなことを書きたくて晩飯も食わずにパソコンの前に座ってるんじゃないんだ(注:この文章は10日の夜に書いている)。あ、晩飯はまだですがシャワーは浴びましたよ、今日も暑かったから汗だくでしたね、しかし汗だくとツユだくって似てますね、唯々諾々もちょっと似てますよね。…...だーかーら、脱線は止めろとアレほど。

9日に関東に上陸した台風は朝方まで猛威を振るい、出勤時には各交通機関がストップし多数の通勤客に被害を与えた。かく言うこのオレもその一人であったが、実はオレの職場はオレのアパートからそんなに遠くないんだな。スマホのナビで見ると歩いて1時間24分。いや、歩いて1時間半程度の距離が近いか遠いかというとまあ遠いんだろうが、歩けない距離ではない。そもそもオレは歩くのが好きな人間でもうちょっと若い頃は暇になると「散歩」と称して1時間2時間とどこかへ歩いて行っていた。正直に書くと「暇」というのではなく「頭が煮詰まった時」だ。オレは基本的にとことんお家大好きのインドア人間で、おんもに出るのが大嫌いな性分なのだ。だけどずっと部屋にいると段々頭がニエニエになってきちゃってさ。そんな時歩きに出てクールダウンしていたんだ。それと、オレの今の仕事というのが基本現場仕事で、一日に1万5千歩から多い時には2万歩程歩いているのだ(スマホのヘルスアプリ調べ)。だから歩くというのはそれほど苦にならない。そんなわけでこの日は徒歩通勤を決行したという訳だ。それに、一度歩いて行ってみたかったんだ。職場に。あ、一言言っとくと、なにしろオレは「歩き好き」というある種のモノ好きであるだけの話で、「歩いてでも職場まで行こうとする仕事大好きなオレ」を強調したいわけでもそれを誇りたいわけでも人様に推奨したいわけでも全く無い。

そんな訳で職場にテクテク歩き始めたオレであるが、ひとつ誤算があったのがこの日が台風後という事で朝から大変蒸し暑かった、ということだ。歩いて10分20分ぐらいで汗だくですわ。なにしろ職場はゲンバなので出勤の服装は自由なのだが、一応いつもは襟のあるシャツを着ていくようにしていた。だけどこの日はTシャツで行ったほうがが良かったよなーと思ったけど後の祭りだ。まあこれはもうしょうがない。しかし歩いていると更なる障害が出て来た。まず倒木だ。強風になぎ倒された樹木が歩道のあちこちに横たわっているのだ。こんなに木が倒れたのか、と台風の強大さをやっと思い知った。そして次の障害が冠水である。歩道の窪みに雨水が溜まりプールと化しているのだ。ここでもオレは長靴履いてくりゃあ良かった……と後悔し始める。だがここで止めるわけにはいかない。もうしょうがないだろ、とジャブジャブとプール状になった歩道を渡る。勿論靴も靴下もズボンの裾もずぶ濡れだ。まあ事務所行くと靴下の替えがあったよな、とちょっと自分を安心させる。

こうしてさらにテクテク歩いていくオレなのだが、実はオレの職場というのは市街地から離れた相当の僻地にあり(なにしろゲンバなので)、段々と人気のない場所に差し掛かってくる。するとどうだ、今度は巨大落石が往く手を阻むではないか。大きさは大人の背丈ほどもある。それが人一人通るのがやっとの山道を塞いでいるのだ。迂回するにも道のもう片方は断崖絶壁であり、その下には荒れ狂う海がゴウゴウと渦を巻いているのだ。これは落石をよじ登るしかない。丁度登山ザイルを携帯していたのでそれを利用しなんとか落石を乗り越える。すると落石の向こうになにやら怪しげな風体をした男が下卑た笑みを浮かべながらこちらを見ているではないか。「金を置いてけ!」匕首を片手にきらめかせながら男は詰め寄る。追剥だ!オレはとっさに男を突き飛ばし、走りながら懐からマキビシを取り出してばら撒き、男の追跡を阻止した。辻角の赤い涎掛けをした地蔵のある辺りで一息つくと男はもう追ってきていないようだ。間一髪であった。その場所で暫く呼吸を整えていると今度はどこからともなく不気味な笑い声が響く。なんだ!?と辺りを見回すと、なんと石地蔵がゆらゆらと揺れながら笑い声を発している!「妖怪か!?」オレはそこで師匠から譲り受けた護符を取り出し妖怪石地蔵へと投げつける。すると石地蔵は悪臭のする黒い煙となって消え失せてしまった。

その後も霧の懸かった湖のほとりで巨大爬虫類の咆哮を聞いたりとか暗い森の奥で目が眩むほど光り輝く着陸したUFOに遭遇したりとか氷の祠で人外の者としか思えない長い髪の妖しい美女が眠気のする吐息を吐きかけてきたりとか遺跡だらけの砂漠では太古の超文明によって作られた巨大ロボットが目から赤いビームを発射しながら迫ってきたりとか様々な恐ろしい出来事がオレを襲ったが、なんとかオレは職場に辿り着いたのであった。いやー、台風だったとはいえ、本当に散々な誕生日だったよ(しかもちょっと足が攣った)。

……だから!冗談だってば(落石の辺りから)!

という訳で9月9日でオレも57歳になってしまいました。いやー57歳になっても今日みたいなバカなことしか書けないってのもある意味スゴイことですよねえ。ブログのほうは(予定通り)段々更新が減ってきてますが、例によってテケトーに続けていよいよ飽きて来たらテケトーに止めようかと思っております。いややっぱパソコンの前に座って時間掛けてなんか書いてるのって結構キツクなってきてねえ。いつまで続くか分かんないですがそれまでは皆さん、またオレのブログとお付き合いくだされば嬉しいです。でわでわ!最後に、ハッピーバースデー、オレ!

『犬の力』3部作堂々の完結編、『ザ・ボーダー』

■ザ・ボーダー(上)(下)/ドン・ウィンズロウ

ザ・ボーダー 上 (ハーパーBOOKS) ザ・ボーダー 下 (ハーパーBOOKS)

グアテマラの殺戮から1年。メキシコの麻薬王アダン・バレーラの死は、麻薬戦争の終結をもたらすどころか、新たな混沌と破壊を解き放っただけだった。後継者を指名する遺言が火種となり、カルテル玉座をかけた血で血を洗う抗争が勃発。一方、ヘロイン流入が止まらぬアメリカでは、DEA局長に就任したアート・ケラーがニューヨーク市警麻薬捜査課とある極秘作戦に着手していた――。

地獄の如きメキシコ麻薬戦争を描く『犬の力』3部作が遂に完結である。

1作目となる『犬の力』はオレがこれまで読んだ犯罪小説の中でも最高に凄まじくそして最高に素晴らしい作品だった。それは麻薬捜査官アート・ケラーと麻薬王アダン・バレーラとの、正義や善悪すら飛び越えた怨念と憎悪と復讐の物語だった。2作目となる『ザ・カルテル』は1作目を遥かに超える殺戮を描く文字通りの「戦争」小説と化していた。夥しくばら撒かれる死と死体と血の量は恐怖の感覚すら麻痺するほどの凄惨さに満ち満ちていた。 

そして3部作完結編『ザ・ボーダー』である。正直、読む前は「あれほどの血が流れ草木も生えぬほどに灰燼と化した世界の後でまだ描くものがあるのか?」 と思えた。しかしそれは杞憂だった。この『ザ・ボーダー』では、これまでの作品世界に新たな切り口を設け、それを深化し、これまで以上に問題点を掘り下げ、そして真の完結編に相応しい堂々たるクライマックスへとひた走る作者渾身の名作として完結していた。ウィンズロウはこのサーガを書きあげるのに20年を費やしたというが、まさに執念の3部作と言わざるを得ない。

物語は前作『ザ・カルテル』のすぐ後から始まる。麻薬王アダン・バレーラの死は麻薬戦争を終結させること無く、結局群雄割拠する後継者たちがその王座を狙う血塗れの抗争へと発展する。一方、麻薬戦争の前線から退いたアート・ケラーはDEA局長に就任するが、巨大カルテルを壊滅までに追い込んだにもかかわらず結局は新たな密売グループが台頭しアメリカに麻薬が広まる現実が変わらないことに虚無感を覚えていた。そこでケラーが目を付けたのは、アメリカにおけるドラッグ・マネーの流れを断つことであった。おりしもアメリカでは国境に柵(ザ・ボーダー)を設けろ!と豪語する男が大統領に就任しようとしていた。

今作での新たな流れは、まずひとつに主人公ケラーがアメリカに拠点を移し、不正なマネーロンダリングの流れを追及するパートと、もうひとつに、南アメリカにおける麻薬業者たちによるお互いがお互いを潰し合う覇権争いのパートに分かれていることである。二つは同時進行しながら時に混じり合い、物語が進むにつれ大量の死と血をばら撒きながら終局へとなだれ込んでゆくのだ。そして物語は、アメリカの心臓部とも呼べる部分に新たな麻薬王国の覇権がなだれ込みつつある危機までも描いてゆく。

これら大きな二つのパートとは別に、幾つかの小さなエピソードが挿入され、物語世界を膨らませることに成功している。それは囮捜査官ボビー・シレロの過酷な囮捜査の行方であったり、グアテマラから密入国するニコの物語であったり、ヘロイン中毒女性ジャッキーの物語であったりする。特にニコとジャッキーの物語は本筋と一見関係が無いように見えながら、麻薬禍に翻弄される市井の人々の悲惨さを浮き彫りにし、より立体的な作品世界を形作るのだ。それとは別にケラーと妻マリソルとの信望と悲痛さに満ちた愛の形は、主人公ケラーの人間性を一層浮き立たせる。

1作目『犬の力』では情念に塗れた復讐譚を、2作目『ザ・カルテル』では野火の様に広がる戦争状態を描いたこのサーガは、3作目にして「人間的要素」に辿り着く。それは人として生きる為に重要な愛であり同情であり信頼という事だ。そしてそれらを守り抜くための「正義」という事だ。それらは1作目2作目の仁義も無く正義も無くいつ終わるとも知れない非情な戦いを経たこの第3作でようやく語られるからこそより美しく尊いものとして輝き渡る。スローガンでもお題目でもない、血を流し苦痛に塗れた心から振り絞られる最後の切り札としての「正義」。虚無と絶望から始まった物語は物語世界で50年という時を費やし遂に希望について言及しながら終わる。犯罪小説の括りを超え「善と悪」「正義と不義」を巡る壮大な人間ドラマを描き切った小説『ザ・ボーダー』、完結編に相応しいまさに畢生の傑作であった。

ザ・ボーダー 上 (ハーパーBOOKS)

ザ・ボーダー 上 (ハーパーBOOKS)

 
ザ・ボーダー 下 (ハーパーBOOKS)

ザ・ボーダー 下 (ハーパーBOOKS)

 
ザ・カルテル 上 (角川文庫)

ザ・カルテル 上 (角川文庫)

 
ザ・カルテル 下 (角川文庫)

ザ・カルテル 下 (角川文庫)

 
犬の力 上 (角川文庫)

犬の力 上 (角川文庫)

 
犬の力 下 (角川文庫)

犬の力 下 (角川文庫)

 

 

 

 

インドのお受験狂想曲/映画『ヒンディー・ミディアム』

■ヒンディー・ミディアム(監督:サーケート・チョウドゥリー 2017年インド映画)

f:id:globalhead:20190902133140j:plain
(※この記事は2017年11月17日に更新された「インドのお受験狂想曲~『Hindi Medium』」を作品の日本公開に合わせ一部内容を変更してお送りするものです)

娘を有名校に入学させたいばかりに悪戦苦闘アーンド七転八倒を繰り広げちゃう!という夫婦を描くインドのコメディ作品がこの『ヒンディー・ミディアム』です。

舞台は大都会デリーの下町チャンドニー・チョーク。ここで洋裁店を営むラージ(イルファーン・カーン)は娘のピヤーをなんとか名門校で学ばせたいと妻のミーター(サバー・カマル)ともども頭を悩ませていました。ラージ夫妻はデリーのトップ校デリー・グラマー・スクールに娘を入学させるため、遂に学区内である高級住宅街バサント・ビハールに引っ越します。ところが教育の低いラージ夫妻はそれが理由で娘の入学が困難と知り、早くも暗礁に乗り上げます。しかし二人は学校に「貧困者優遇入学」という措置があり事を知り、今度は貧乏人に成り済まそうと貧民街に引っ越すのです!さてさて二人の目論見は成功しますか否か!?

「インドのお受験事情?ナニソレ?」と最初は思ってたんですが、これが観てみると無類に面白く、今年公開のインド映画の中でも結構重要な作品の一つなんじゃないかと思わされましたね。

まずインドならではのお受験事情ですが、なにしろ子供の頃から英語ができなきゃ始まらない!なにしろ英語ができることがエリートコース!ってことらしいんですね。とはいえ子供だけじゃなくて親も教育が高く無きゃいけない!なんてハードルまであってさあ大変。さらに入学時に親の面接をするってのは日本でもありますが、この面接専門のカウンセラー業ってェのがインドにはあるらしく、映画ではそのカウンセラーにあれこれアドバイスされながらも、全くエリートらしく振る舞えないお父さんラージのダメダメぶりと開き直りぶりが可笑しくて仕方がない。この辺、イルファーン・カーンがメッチャとぼけた演技をかましてくれて大いに笑わせてくれるんですよ。

そんなダメダメな旦那に半分切れ気味なのが妻のミーター。娘の将来の為に眼尻上げ気味に奮闘しまくってるのに、暢気すぎる旦那が歯痒くてしょうがない。そんな旦那に檄を飛ばすもたいてい「うんにゃあ?」ってな態度で返されさらに怒り倍増。なんか日本でも見かけそうな光景ですねえ……。こんな妻を演じるサバー・カマルが美人ながら生活感のある演技を見せてくれて冴えていました。

こういった「お受験事情」以上に個人的に興味深かったのはインドで暮らす様々な人々の社会階級(カーストのことではない)が詳らかにされていたことでしょうか。当然映画ならではの誇張した脚色もあるのでしょうが、上流・中流貧困層の人たちの生活をそれぞれに並べて描いて見せているんですよ。

まず中流、というのは主人公夫妻の最初の生活の様子でしょう。可笑しかったのは高級住宅街に越して上流階級の人々を招いてのホームパーティーのシーン。初めてキャビアを食べたラージが「なんじゃあこりゃあ?」と顔をしかめるのも可笑しかったし、客にウイスキーばかり勧めようとするラージに「お里が知れるからヤメテ!」と顔をしかめる奥さんの気苦労ぶりがまた可笑しい。おまけにボリウッドダンスソングで踊り出したラージに上流の人たちが面食らうんですね。インド人も上流になるとボリウッドダンスなんてはしたないと思ってんのかよ!?

さて貧民街に越してきてからも受難が待っています。住民を前につい英語が出てしまうと「なにその英語!?」と怪訝な顔をされるんです。部屋にはネズミは出るわ逆に今度は水が出ないわで大騒ぎ。ペットボトルの水を飲んでいたら「ホントにあんた貧乏なの?」と疑われるしこっそりATMでお金を下ろそうとしたら近所のおっさんに見とがめられ「いくらビンボだからってATM強盗はやめろぉ~~~!」と止められる始末。こういった、上流にも下流にも馴染めないラージ夫妻を面白おかしく描きながら、インドの様々な階級の人々の生活を浮かび上がらせてゆくんです。

とはいえ、いくらなんでも「貧乏人に成り済まして入学枠を貰っちゃえ!」というのは短絡的で犯罪的な行為。映画ではこういった人道性もきちんと描き、では、ラージ夫妻はいったいどうするのか?という部分で鮮やかなクライマックスを迎えます。嘘に嘘を塗り固めてどんどん苦しくなってゆく、というのはインド・コメディの基本形でもあるんですが、お受験に頭を悩ませ奔走する親や経済格差という現実的な社会問題を交え、それをさらりとコメディにまとめた手腕はさすがです。そしてそんな大騒ぎする両親を尻目に、いつも屈託なく笑顔を浮かべている娘ピヤーの姿に「どんな環境であろうと、親の愛情さえあれば子供はきちんと育つもの」とちょっと思わされました。


映画「ヒンディー・ミディアム」日本版予告編 9月6日(金)公開!

 

ミッシェル・オスロ監督のアニメーション作品『ディリリとパリの時間旅行』を観た

■ディリリとパリの時間旅行 (監督:ミッシェル・オスロ 2018年フランス・ドイツ・ベルギー映画

f:id:globalhead:20190825143859j:plain

アニメ作品『ディリリとパリの時間旅行』は19世紀末のパリを舞台にした少年少女の冒険譚である。ちなみに日本版タイトルには「時間旅行」とあるが、これは「19世紀末パリに時間旅行したかのような物語」程度の意味で、物語内で時間旅行する訳ではない。

監督は「フランスアニメーション界の巨匠」と呼ばれるミッシェル・オスロ。オレはこの監督のアニメ作品がとても好きで、多分だいたい全部観てるんじゃないかな。オスロ監督作品の特徴は寓話的な物語と優れた色彩・フォルムを兼ね備えたアニメ映像の美しさだ。それはアート的といってもいい。オスロ監督作品に登場するキャラクターにはフラットな色使いが成され、あるいは影絵のように塗りつぶされ、逆に背景画は素晴らしい映像美を誇る、といった形になっている。

そんなオスロ監督の映像美は今回さらに深化している。キャラクターは3D造形だが顔は横から光が当たった程度の最低限のモデリングで、服はフラットで光も影も付けていない。この辺りはこれまでのオスロ監督に見られる様式美を踏襲するが、今作の新機軸はその背景にある。背景の殆ど全てに実際のパリの街並みを写真で撮った映像が使われているのだ。簡単で安易に思われるかもしれないが、これらの写真はパリの朝方に撮られたものばかりらしく、その光線の在り方のせいか奇妙な陰影を漂わせているのだ。それに3Dキャラクターを合成した映像はシュルレアリズム作品におけるコラージュ作品の如き非現実感と美しさとを表出させている。ロケーションはパリ全域におよび、映画を観る事で19世紀パリ観光を楽しむことができるだろう。

物語の在り方も独特だ。まず特筆すべきは「ベル・エポック」と呼ばれた当時のパリに関わりのあったあるとあらゆる文化人、画家や作家や音楽家を始めとする有名人が大挙して登場する事だ。その数は100人を優に数え、ピカソ、モネ、マティスドビュッシー、サティ、オスカー・ワイルドマルセル・プルーストパスツール、マリ・キュリー、リュミエール兄弟ローザ・ルクセンブルグ、と書き出していくときりがない。彼らは物語に直接関わることはないにせよ、当時のパリがいかに文化と芸術の街であったかを高らかに誇示するのだ。全ての登場人物を把握することは出来ないかもしれないが、後でパンフレットを読み「あの人が!この人が!」と驚愕するのもまた楽しみだろう。

物語それ自体はニューカレドニアから来た黒人ハーフの少女ディリリがパリで知り合った好青年オレルと共に街を震撼させる「少女連続誘拐事件」の謎を追う、というもの。これら少年少女冒険譚は低年齢層の視聴に合わせたシナリオで成り立つが、作品に横溢するテーマは現代的な社会性を持ちそれは大人が観ても十分な問題提起を示唆するものであることが出来るだろう。そのテーマの中心はパリの国旗よろしく自由・平等・博愛を謳ったものであり、それは物語で描かれる人種差別や男尊女卑を通して浮き上がってくるものなのだ。

まずディリリは「人間博物館」なる場所で「原始的な生活を営む黒人」を演じる少女として登場する。今考えるなら非常に侮蔑的な見世物でしかないが、実際のディリリが知的で文化的な少女であることがすぐに描かれることになる。ここで人種差別をさらりと否定するのだ。その後ディリリとオレルが追う誘拐団の名は「男性支配団」。その名の通り女性の権利を否定し男性優位をとことん主張する悪逆どもだ。まあ分かり易過ぎてあまりといえばあまりなネーミングだが、このぐらいマヌケなネーミングのほうが団員たちの愚劣さを彷彿させて正しいのかもしれない。しかし、誘拐した女性たちを家畜の如く調教し使役する彼らの姿はマヌケなネーミングどころではないおぞましさを醸し出す。

他にも一見豊かなパリの裏町に住む住民たちの貧しさを描くことにより格差社会を浮かび上がらせるなど、明示される社会問題の在り方からは画像の美麗さやパリの高い文化を誇示するだけの作品にはなっていない。これら「政治的に正しい」描写の数々は最初こそ一瞬シラケさせられたことは確かなのだが、これは別に昨今のいわゆる「PC」に則ったものであるというよりは、実の所「文化と芸術の街パリ」を擁する当時のフランスにあってさえ確固として存在した人種差別や男尊女卑、社会的格差を描いたものであるにすぎないことに気付かされるのだ。

しかし物語は、それら困難な問題を根底に据えながら、あくまでもファンタジーとして明るく美しい夢を描くことに尽力する。それは、夢は望むことによって叶えられるのだ、ということでもあるのだ。オスロ監督がこの作品を書き上げた後にナイジェリアのボコ・ハラムによる女子高生集団拉致事件が起き、フランスでもテロが続出し、さらに大規模な反政府デモも起こっている。これら暗い現実の問題はもちろんアニメのファンタジーで解決できるものである筈はない。しかしアニメのファンタジーは、いつかその暗い現実を乗り越え、明るい未来があるはずだと夢想させることはできるのだ。だからこそ、確固として夢を観続けよう、理想を心に持とう、というのがこの作品のメッセージであるような気がしてならない。 


映画『ディリリとパリの時間旅行』予告編 

ミッシェル・オスロ監督作品レビュー ミッシェル・オスロ監督作DVD・ブルーレイ
アズールとアスマール [Blu-ray]

アズールとアスマール [Blu-ray]

 
キリクと魔女 [DVD]

キリクと魔女 [DVD]

 
プリンス & プリンセス [DVD]

プリンス & プリンセス [DVD]