『犬の力』3部作堂々の完結編、『ザ・ボーダー』

■ザ・ボーダー(上)(下)/ドン・ウィンズロウ

ザ・ボーダー 上 (ハーパーBOOKS) ザ・ボーダー 下 (ハーパーBOOKS)

グアテマラの殺戮から1年。メキシコの麻薬王アダン・バレーラの死は、麻薬戦争の終結をもたらすどころか、新たな混沌と破壊を解き放っただけだった。後継者を指名する遺言が火種となり、カルテル玉座をかけた血で血を洗う抗争が勃発。一方、ヘロイン流入が止まらぬアメリカでは、DEA局長に就任したアート・ケラーがニューヨーク市警麻薬捜査課とある極秘作戦に着手していた――。

地獄の如きメキシコ麻薬戦争を描く『犬の力』3部作が遂に完結である。

1作目となる『犬の力』はオレがこれまで読んだ犯罪小説の中でも最高に凄まじくそして最高に素晴らしい作品だった。それは麻薬捜査官アート・ケラーと麻薬王アダン・バレーラとの、正義や善悪すら飛び越えた怨念と憎悪と復讐の物語だった。2作目となる『ザ・カルテル』は1作目を遥かに超える殺戮を描く文字通りの「戦争」小説と化していた。夥しくばら撒かれる死と死体と血の量は恐怖の感覚すら麻痺するほどの凄惨さに満ち満ちていた。 

そして3部作完結編『ザ・ボーダー』である。正直、読む前は「あれほどの血が流れ草木も生えぬほどに灰燼と化した世界の後でまだ描くものがあるのか?」 と思えた。しかしそれは杞憂だった。この『ザ・ボーダー』では、これまでの作品世界に新たな切り口を設け、それを深化し、これまで以上に問題点を掘り下げ、そして真の完結編に相応しい堂々たるクライマックスへとひた走る作者渾身の名作として完結していた。ウィンズロウはこのサーガを書きあげるのに20年を費やしたというが、まさに執念の3部作と言わざるを得ない。

物語は前作『ザ・カルテル』のすぐ後から始まる。麻薬王アダン・バレーラの死は麻薬戦争を終結させること無く、結局群雄割拠する後継者たちがその王座を狙う血塗れの抗争へと発展する。一方、麻薬戦争の前線から退いたアート・ケラーはDEA局長に就任するが、巨大カルテルを壊滅までに追い込んだにもかかわらず結局は新たな密売グループが台頭しアメリカに麻薬が広まる現実が変わらないことに虚無感を覚えていた。そこでケラーが目を付けたのは、アメリカにおけるドラッグ・マネーの流れを断つことであった。おりしもアメリカでは国境に柵(ザ・ボーダー)を設けろ!と豪語する男が大統領に就任しようとしていた。

今作での新たな流れは、まずひとつに主人公ケラーがアメリカに拠点を移し、不正なマネーロンダリングの流れを追及するパートと、もうひとつに、南アメリカにおける麻薬業者たちによるお互いがお互いを潰し合う覇権争いのパートに分かれていることである。二つは同時進行しながら時に混じり合い、物語が進むにつれ大量の死と血をばら撒きながら終局へとなだれ込んでゆくのだ。そして物語は、アメリカの心臓部とも呼べる部分に新たな麻薬王国の覇権がなだれ込みつつある危機までも描いてゆく。

これら大きな二つのパートとは別に、幾つかの小さなエピソードが挿入され、物語世界を膨らませることに成功している。それは囮捜査官ボビー・シレロの過酷な囮捜査の行方であったり、グアテマラから密入国するニコの物語であったり、ヘロイン中毒女性ジャッキーの物語であったりする。特にニコとジャッキーの物語は本筋と一見関係が無いように見えながら、麻薬禍に翻弄される市井の人々の悲惨さを浮き彫りにし、より立体的な作品世界を形作るのだ。それとは別にケラーと妻マリソルとの信望と悲痛さに満ちた愛の形は、主人公ケラーの人間性を一層浮き立たせる。

1作目『犬の力』では情念に塗れた復讐譚を、2作目『ザ・カルテル』では野火の様に広がる戦争状態を描いたこのサーガは、3作目にして「人間的要素」に辿り着く。それは人として生きる為に重要な愛であり同情であり信頼という事だ。そしてそれらを守り抜くための「正義」という事だ。それらは1作目2作目の仁義も無く正義も無くいつ終わるとも知れない非情な戦いを経たこの第3作でようやく語られるからこそより美しく尊いものとして輝き渡る。スローガンでもお題目でもない、血を流し苦痛に塗れた心から振り絞られる最後の切り札としての「正義」。虚無と絶望から始まった物語は物語世界で50年という時を費やし遂に希望について言及しながら終わる。犯罪小説の括りを超え「善と悪」「正義と不義」を巡る壮大な人間ドラマを描き切った小説『ザ・ボーダー』、完結編に相応しいまさに畢生の傑作であった。

ザ・ボーダー 上 (ハーパーBOOKS)

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