『ブレードランナー』『エイリアン2』に参加したシド・ミードのSF映画コンセプトアートの数々~『シド・ミード ムービーアート』

シド・ミード ムービーアート THE MOVIE ART OF SYD MEAD

シド・ミードといえばなんといっても『ブレードランナー』のコンセプト・アートを描いた男として名を馳せるが、彼は他にも『スタートレック』『2010年』『エイリアン2』など数々のSF映画作品においてそのアイディアを提供している。さらに、ついこの間公開された『ブレードランナー 2049』にも参加しているのだ。

シド・ミード

世界のデザイン界で今最も注目を集めている未来工学デザイナー。フォード、USスティール、ボルボクライスラーNASAなどのデザインコンサルタントとして活躍する一方、『ブレードランナー』『2010年』などのSF映画の近未来的デザインでも有名。(シド・ミード『Oblagon』(1985年刊)より)

 この『シド・ミード ムービーアート』は、『ブレードランナー 2049』公開に合わせて発売されたのらしく、巻頭には『2049』監督のドゥニ・ヴィルヌーヴによる胸熱な序文まで添えられている。ただし『2049』の為の作品は数点のみであり(廃墟のラスベガスのシーンだったかな)、今回の参加はここのみにとどまったのかもしれない。

とはいえ、『シド・ミード ムービーアート』は見所満載な作品集であることは変わりない。実際目を通してみると、あるわあるわ、あんなSF映画こんなSF映画、「ええ?これにも参加していたの!?」というコンセプトアートが目白押しなのだ。

シド・ミード ムービーアート』掲載作一覧

スタートレック』(1979)
ストレンジ・デイズ/1999年12月31日』(1995)
ザ・コア』(2003)
『TOPEKA(トピカ)』(未製作プロジェクト)
エイリアン2』(1986)
『2010年』(1984)
『BELITTLED(ビリトルド)』(未製作プロジェクト)
ブレードランナー』(1982)
『EKTOPIA(エクトピア)』(未製作プロジェクト)
『ESCORT(エスコート)』(未製作プロジェクト)
エリジウム』(2013)
『THE JETSONS(宇宙家族ジェットソン)』(未製作プロジェクト)
『JM』(1995)
『LUNAR SCOUT COMMANDOS(ルナ・スカウト・コマンドーズ)』(未製作プロジェクト)
『トロン』(1982)
『グランオデッセイ(壮大な冒険の旅)』(2005)
M:i:III』(2006)
ミッション・トゥ・マーズ』(2000)
『ショート・サーキット』(1986)
サウンド・オブ・サンダー』(2005)
SCHIZOID(スキゾイド)』(未製作プロジェクト)
『SANDBLAST(サンドブラスト)』(未製作プロジェクト)
『FORBIDDEN PLANET(禁断の惑星)』(未製作プロジェクト)
『YAMATO2520』(1994)
ブレードランナー2049』(2017)

 個人的には『M:i:III』(2006)の「変装用顔面皮膚製造機」もシド・ミードの作だったと知ってびっくりした。『JM』(1995)のバイオメカニカル・ドルフィンや、『エリジウム』(2013)のスペースコロニーのデザインもシド・ミードだったとは!?日本のアニメ『YAMATO2520』(1994)にも参加していたんですねー。『サウンド・オブ・サンダー』(2005)は実は観ていないんだけど、シド・ミード参加と知って突然観る気になった!

他にも様々な「未製作プロジェクト」のコンセプトアートがあり、これらの映画がもし製作されていたらどんなものになったんだろう……と想像するのもまた楽しい。

シド・ミードのデザインは彼の出自がそもそもインダストリアルデザインから来ているから、シャープで未来的でキラキラしていてそしてゴツい。シャープとゴツいは語義矛盾かもしれないが、線がはっきりしていてさらに重量感があるって感じかな。そしてデザインの背景には例え架空のものだとしても実用性の在り方やそれが使用される環境まで考えられている(まあ『スタートレック』の宇宙物体「ヴィージャー」ぐらいになるとまた違ってくるが)。要するに"ホンモノっぽい"のだ。そんな部分でミードのデザインは一歩抜きんでているという事なのだろう。

そしてやはり作品集中最大の60ページものページを割いた『ブレードランナー』のコンセプトアートの数々が兎に角もう圧巻だ!実はシド・ミード作品集は既に1985年に『Oblagon―Concepts of Syd Mead』が発売されていて(日本語版は絶版)、こちらでも『ブレードランナー』アートは紹介されていたが、紹介点数は『シド・ミード ムービーアート』のほうが遥かに凌駕する!『Oblagon』を持ってたオレがびっくりしたぐらいだから、『ブレードランナー』好きはもう書店に走るかアマゾンでポチるか2つの選択肢しか残されていないぞ!

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シド・ミード ムービーアート THE MOVIE ART OF SYD MEAD

シド・ミード ムービーアート THE MOVIE ART OF SYD MEAD

 
Oblagon―Concepts of Syd Mead

Oblagon―Concepts of Syd Mead

 

 

孤独と自己存在についての物語~映画『ブレードランナー 2049』

ブレードランナー 2049 (監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ 2017年アメリカ映画)

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《目次》

 35年振りの続編『ブレードランナー 2049』

1982年に公開されたSF映画ブレードランナー』の続編、『ブレードランナー 2049』が遂に公開された。そしてIMAX3Dで観ることになったその作品は、予想をはるかに上回る、とてつもない傑作だった。これは伝説化した1作目を超える新たな伝説となる作品なのではないか。原作と1作目の両方のファンである自分にとって非常に感無量である。1作目から35年か。あれから35年、生きていて本当に良かった。

さてここでは1作目『ブレードランナー』を踏まえ、『2049』とはなんだったのか、その根幹的なテーマの在り方を探ってみたい。ネタバレは避け、物語には一切触れていないつもりだ。

生の虚しさと儚さ

ブレードランナー』ほどの物語ともなると幾つもの研究や考察や言及があるだろう。それは物語が様々な要素を孕んでいて、そのどれもがひとつの問い掛けであったり現実の諸相のカリカチュアであったりするからだ。『2049』にしても、どこか哲学的である意味煙に巻くようなセリフが登場し、それらの意味はいかようにでも解釈することができる。

だが、ここでは『ブレードランナー』の物語をもう少し卑近に考えたいのだ。例えば1作目の物語とはなんだったのか。それは「神殺し」の物語である。造物主である人間に対する被造物であるレプリカントが叛逆を起こす。そこには神話的な意味合いもあるだろう。だが「神殺し」がテーマ、では抽象的過ぎないか。だからこう考えてはどうだろう。限られた寿命を持つ存在、それはレプリカントではなく我々人間の事なのだ、と。

人間は生まれ、限られた寿命の間になにがしかの体験をし、そして死ぬことによって消え去ってしまう儚い存在だ。では消え去ってしまうだけのこの短い人生に、いったい何の意味があるのだろう?『ブレードランナー』1作目のラストで反逆レプリカントのリーダー、ロイ・バッティが呟いた言葉にはそんな意味が含まれていたのではないか。「生の虚しさと儚さ」、『ブレードランナー』1作目が描いたのはそんなことだったのではないか。

孤独と自己存在への不安

さらに、『ブレードランナー』が描いていたのは「大勢の人の住む都会で自分は一人ぼっちで孤独だ」という事と、「こんな自分ってなんなんだろう、何者なんだろう」という事だった。『ブレードランナー』に登場する街並みはあんなにごみごみと人で溢れているのに、登場人物たちは誰もが孤独で誰とも繋がりを持たない。誰もが広々としたフラットにたった一人で生活する。「人間かレプリカントか」という不安、「レプリカント処理」という徒労に塗れた虚無的な仕事の遣り切れなさも、自己存在の不安定さをあからさまにする。

「生の虚しさと儚さ」「生きる事の孤独」「自分が何者であるのかという不安」。これら『ブレードランナー』の孕むテーマは、人が生きる上で直面する普遍的な問い掛けであり、不安ではないか。そしてだからこそ、『ブレードランナー』の物語は我々の心を捉え、歴史を超えて語り継がれてきたのではないか。

格差社会

そして、監督を変え、35年の月日の末に完成した『2049』も、この根底となるテーマは全く変わっていない。それを活かせていたからこそ『2049』は1作目の世界観ときっちりリンクした正統な続編として完成したのだ。なおかつ、マッチョなリック・デッカードよりも線が細くナイーヴな捜査官Kを主役に据えることで、根幹となるテーマがより深化されさらに鮮やかに浮き上がってくることになる。

さらに『2049』の物語に加味された新たなテーマは「格差社会」だ。一つは地球を逃れ新天地の植民惑星で暮らす者たちと、汚濁と衰退に塗れた地球に暮らさざるをえない者たちという格差。そして汚濁の地球の都市における、人間と"まがいもの"であるレプリカントとの格差。さらに、都市部と遺棄された廃墟の中で暮らす者たちとの格差。「格差社会」は日本を含む今日の現実社会でも問題となっている現象であり、この部分に『2049』の今日性がある。

迫真のSF世界

こうしてみると、『2049』は1作目の続編である以上に、1作目のアップグレード版でありアップコンバート版であり、更に今日的な視点を挿入したアップトゥデイト版ということができるではないか。

それは物語だけではない。スクリーンに映し出されるありとあらゆるSFイメージが、そのSF的世界観が、圧倒的な迫真性で眼前に迫ってくるのだ。これらはもはや2017年の現在において観ることのできる最高のSFイメージに他ならない。さらにそのSFイメージは、原作者である60年代SF作家P・K・ディックのものというよりも、サイバーパンクSF作家ウィリアム・ギブソンの小説すら思わせるよりリアリティの増した汚濁に満ち暗澹とした未来世界なのだ。だが「生きることの惨めさ」という点では紛れもなくディックの遺伝子が受け継がれているといっていい。

163分の上映時間は長いと思われるかもしれない。しかし観終った時、オレは、もっともっと、この世界に耽溺していたいと思った。それほど、強固に、完璧に近く作り上げられた世界だったのだ。監督ドゥニ・ヴィルヌーヴはその名前をSF映画史にきっちりと刻み付けたことは間違いない。

ブレードランナー 2049』予告編


映画『ブレードランナー 2049』予告


映画『ブレードランナー 2049』予告2

ブレードランナー 2049』前日譚

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インドの前近代、近代、現代を内包する物語~映画『Dangal』

■Dangal (監督:ニテーシュ・ティワーリー  2016年インド映画)

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《目次》

 歴代ボリウッド映画興行成績を塗り替えた大ヒット作『Dangal』

インドのスポーツ映画はガチである。傑作が多いのだ。最近IFFJで公開された『M.S.ドーニー ~語られざる物語~』(クリケット)もよかったが、思い出すだけでも『ラガーン』(クリケット)『ミルカ』(長距離マラソン)『Chak De! India』(女子フィールドホッケー)『Brothers』(プロボクシング)と数限りない。そもそもスポーツをやりもしなければ観もしないオレが「インドのスポーツ映画面白い」と言っているのだからこれはもう映画としてのクオリティが高いからとしか言いようがない。

そんなインド・スポーツ映画の新たなる傑作がこの『Dangal』である。2016年暮れにインドで公開され、歴代ボリウッド映画興行成績を塗り替える大ヒットを飛ばし、さらに世界各国でもとんでもなくヒットしているという(でも日本公開がされないのは何故?)。主演が『きっと、うまくいく』『チェイス!』『pk』のアーミル・カーンとなればこれまた期待値は嫌でも高まるというもの。

その内容はというと、レスリング競技を巡る父と子の物語だ。これは実在するレスリング選手マハヴィール・シン・フォガートとその娘たちとのサクセスストーリーを題材にしているのらしい。そう、レスリングをするのは女性なのである。

娘に修羅の道を歩ませる父

舞台となるのは北インドハリヤーナー州。かつてレスリングチャンピオンを目指しながら遂に果たせなかった男マハヴィール(アーミル・カーン)は、自らの夢を継ぐ男児の誕生を渇望していたが、生まれて来る子供はどれも女児ばかりだった。しかしある日、成長した娘たちが男の子をぶちのめしたことを知ったマハヴィールは二人の娘にレスリングをやらせることを思いつく。嫌がる娘たちにスパルタ的ともいえる特訓を課し、そして遂に長女ギーター(ザイラー・ワーシム)は世界大会に出場できるほどの実力を兼ね備えるまでになる。しかしナショナルチームのコーチにとってマハヴィールのこれまでの訓練は時代遅れのものでしかなかった。

女子レスリングというとサルマーン・カーンが主演した『スルターン』があり、こちらは女子レスリングはあくまでサブテーマではあったけれども、それでも題材が被っているように思えて、大ヒットしたとは知りつつこの『Dangal』を観るのに結構二の足を踏んでいた。『スルターン』は個人的にもとても好きな作品だし、いくらアーミル・カーン主演とはいえ、期待が高すぎてがっかりしたくない、という不安があったのだ。世界的大ヒットという話題も、観るのに身構えてしまった理由だった。

しかし観終ってみると、『スルターン』とは別個のアプローチで女子レスリングを描いた作品であり、また外連味たっぷりの、そしていかにもサルマーン兄ィ出演作といった大衆娯楽作『スルターン』と比べると、実に正攻法のスポーツドラマとして完成していたと思う。そしてやはり、評判通り、目くるめくほどに面白い傑作であった。しかしこの作品を一般的に傑作たらめている要素、封建的な父親とその娘との葛藤と和睦、そして当然スポーツドラマとしての高揚感は確かに一般向けするものであると認めつつ、ここではもう少し違う観点でこの『Dangal』のことを考えてみたい。

インドの前近代、近代、現代を内包する物語

まずこの作品に底流するのはインドの前近代~近代~現代の流れのように思えたのだ。「自らの跡取りとして男児出生を希望する父親」というのは現実でもインドで問題になっていることだが、そういった封建的、あるいは「前近代的な存在」としての父マハヴィールがまず登場する。その生まれた娘に望みもしないのにレスリング訓練を強要することもまた前近代的な行為だ。

しかしここであるエピソードが挟まれる。それは長女ギーターと二女バビターの友達で、14歳で結婚させられることになるある少女の話だ。少女の結婚、というのもインドの前近代性だ。しかしこの少女はギーターとバビターに、「単なる女中扱いで結婚させられる自分と比べるなら、あなたたちの父はまだあなたたちを人間扱いしている」と告げるのだ。

確かに、望まぬこととはいえギーターとバビターへのレスリング特訓は、はからずして女性でありながら自らの道を切り開く切っ掛けとなるものと考えることもできるのだ。勿論それはマハヴィールの独善的な強要ではあったが、結果的に女性に道すらも無い世界に道を敷いたのである。ここで「父の敷いた道」を「自らの進む道」と認識したギーターとバビターは、父の過酷な特訓を受け入れるようになるのだ。ここには前近代から一歩進んだ近代性が孕まれているのだ。

さてナショナルリーグチームに編入されたギーターは、ここで科学的で合理的なメソッドに基づくトレーニング法を学び、同時に父のトレーニング法が時代遅れのものであることを知る。科学性と合理性を学び知る事、これは即ち「現代」性である。それにより、ギーターは「父親」という「近代」を克服するのである。多少その存在が弱まっているとはいえ、「絶対的な父親」像が未だ残るインドにおいて、「父親の克服」というのは実に現代的なテーマであるように思う。

合理性と人間の情

しかし、「現代的」なスポーツ科学の適用があるにもかかわらず、ギーターの成績は伸び悩む。そしてここで父親のアドバイスが復活する、というのがこの『Dangal』の流れとなる。つまり現代から前時代に揺れ戻ってしまうのである。揺れ戻ったその「前時代性」とは何か。それは父親との「愛」であり「信頼」である。スポーツ科学やスポ―ツ心理学ではその辺もケアしているような気もするのだが、物語ではここで「スポーツ協会への不信」という形でうまく説明されている。

こういった形で、『Dangal』の物語は「前近代~近代~現代」といったインドの精神史の中を揺れ動いてゆく。これは広大な国土と膨大な国民数、さらに悠久から続く歴史性により同時代に前近代〜現代まで内包しているインドならではのドラマ性だと思う。歴史はインドに現代的であれ、そして科学的で合理的であれ、と鼓舞するだろう。しかし人の心とはそう簡単に合理性のみに馴染むものではない。『Dangal』の物語はその中に差し込む「人間の情」についての物語だ。それは新しくも古くも無くあくまで普遍のものであるかのように。しかしその未来に何があるのかは、これはまた別の話なのだろう。

『Dangal』予告編


Dangal | Official Trailer | Aamir Khan | In Cinemas Dec 23, 2016

参考記事

最近聴いたエレクトロニック・ミュージックだのジャズだのソウルだの

■Fabric 94 / Steffi/Various

STEFFI

DJMIXの老舗シリーズ「Fabric」は常にその時々の最新の人気DJを起用し、オレもちょくちょく購入して聴いているが、今回のDJ、Stiffiによる『Fabric94』はこれまでのシリーズの最高傑作なのではないかと思っちゃうほど素晴らしい。

基本はテクノ・エレクトロニカなのだが、アルバム全体の統一感が段違いなのだ。アゲ過ぎずサゲ過ぎず、一定のテンションとムードをラストまで淀みなくキープし続け、全15曲のMIXながらあたかもトータル1曲の組曲のように完成している。DJMIXの醍醐味はまさにそこにあるのだが、ここまで高いクオリティを維持しつつMIXしている作品も珍しい。

今作は全作新作のエクスクルーシブトラックで構成されているが、調べたところStiffiがあらかじめアルバム全体のイメージを各プロデューサーに伝え、それによりこのトータル感が生まれたのらしい。そしてその「全体のイメージ」となるものがWarpのクラシックCDシリーズ『Artificial Intelligence』だったのだという。

おお、『Artificial Intelligence』!フロア向けハードコアテクノのカウンターとして生み出されたIDMの草分けとなったシリーズであり、美しく繊細で静謐で、強力に内省的な作品が数多く並ぶ画期的なシリーズだった。特にオレはカーク・ディジョージオの各名義の作品の多くに心奪われていた忘れられないシリーズである。

この『Fabric94』はその正統な血筋を持ったアルバムであり、『Artificial Intelligence』のハート&ソウルを現代に蘇らそうとした傑作なのだ。個人的には今年リリースされたエレクトロニック・ミュージック・アルバムの中でもベスト中のベストと言っても過言ではない名盤の誕生だと思う。 《試聴》

STEFFI

STEFFI

 

■ De-Lite Dance Delights / DJ Spinna/Various

DE-LITE DANCE DELIGHTS (日本独自企画)

DE-LITE DANCE DELIGHTS (日本独自企画)

 

クール&ギャングを見出したことでも知られる70~80年代の名門ファンク/ディスコ・レーベルDe-Liteの珠玉作をNYで活躍するDJ SpinnaがMix!いやなにしろディスコなんだけれども、これがもう一周回って素晴らしい!伸びやかなヴォーカル、カリッとクリスプなギター、エモーショナルなストリングス&ホーン、キャッチ―なメロディ、ファンキーなリズムはひたすら歯切れよく、そしてどことなくお茶目。どれもこれも音のクオリティが非常に高い。この心地よさはまさに極上。いやあ、ディスコ、侮りがたし!今回の強力お勧め盤。《試聴》

■Late Night Tales / Badbadnotgood/Various

Late Night Tales - BADBADNOTGOOD - [帯解説 / アンミックス音源DLコード / 国内仕様輸入盤CD] (BRALN46)

Late Night Tales - BADBADNOTGOOD - [帯解説 / アンミックス音源DLコード / 国内仕様輸入盤CD] (BRALN46)

  • アーティスト: BADBADNOTGOOD,バッドバッドノットグッド
  • 出版社/メーカー: Beat Records / Late Night Tales
  • 発売日: 2017/07/28
  • メディア: CD
  • この商品を含むブログを見る
 

様々なアーティストがダウンテンポ曲中心のMIXをアルバムにまとめた人気シリーズ「Late Night Tales」の最新作キュレーターはヒップホップ・ジャズ・ファンク・カルテットBadbadnotgood。というかこの「Late Night Tales」ってシリーズもBadbadnotgood自体も全く知らなかったんだけど、いいわ、これ。サイコーに和むわ。よくもまあここまで和みまくる曲ばかり集めたものだなあ。これも今回の大プッシュお勧め盤。 《試聴》

■Late Night Tales / Bonobo/Various 

Late Night Tales - Bonobo - [帯解説 / 収録各曲DLコード付 / 国内仕様輸入盤] (BRALN34)

Late Night Tales - Bonobo - [帯解説 / 収録各曲DLコード付 / 国内仕様輸入盤] (BRALN34)

 

で、「Late Night Tales」が相当によかったので、オレのお気にいりのアーティストBonoboによる「Late Night Tales」も聴いてみた。そしてこっちも和んだ! 《試聴》 

■Balance Presents: Natura Sonoris / Henry Saiz 

SAIZ, HENRY

SAIZ, HENRY

 

人気DJMIXシリーズBalanceの今回のDJはスペインのHenry Saiz。ドラマチックなプログレッシヴ&テックハウスが並ぶ2枚組。 《試聴》 

■Heavenly Revisited / Kevin aka E DANCER Saunderson

Heavenly Revisited

Heavenly Revisited

 

デトロイト・テクノ創始者の一人ケヴィン・サンダースが、1998年にリリースしたアルバム『Heavenly』をリマスターしさらに新曲を追加したバック・トゥ・オリジンともいえる2枚組。ゴツゴツにハードでミニマルなデトロイト・サウンドが展開。さらに彼のレーベルKMS RECORDSの30周年記念版でもあるのらしい。 《試聴》

■Ariwo / Ariwo 

Ariwo

Ariwo

 

これはテクノ?それともジャズ? ロンドンのキューバ/イラン人によるグループARIWOのデビュー作はアフロなエレクトロニック・リズムにトランペットが絶叫するおもしろアルバム。 《試聴》

■Figure / Tears Of Change

イタリアのテクノデュオTears Of Changeの2ndアルバム。ズブズブとダブテクノ。

《試聴》 

■Superlongevity Six / Various

ベルリンのレーベルPerlonからリリースされたコンピレーション。 Ricardo VillalobosFumiya Tanaka、Margaret Dygas、Binh、Melchior Productions Ltd、Spacetravel、Maayan Nidam参加で、メンツからも分かるように徹底的にミニマル。 《試聴》

■Isotach / Matthew Bourne

Isotach

Isotach

 

ジャズ・ピアニスト、マシュー・ボーンのソロ・ワークはピアノとチェロの伴奏というシンプルなものだが、その音はニュー・クラシック/コンテンポラリー・ミュージック/アンビエント・ミュージックの境界を行き来する静謐な緊張に満ち溢れた作品であり、ボリュームの大きさによって流し聴くことも聴き込むこともできるという非常に優れた演奏を楽しむことができる。良作。

■A Rift In Decorum: Live At The Village Vanguard / Ambrose Akinmusire

A Rift in Decorum: Live at the

A Rift in Decorum: Live at the

 

ジャズの事はなんも知らずに試聴だけして気持ちよかったら買っているオレだから、このアルバムのアーティスト、アンブローズ・アキンムシーレという人の事も彼がトランペット奏者であることもなーんも知らずに聴いているのである。2CDのライブでインプロビゼーションがややこしくて面白いぞ。 《試聴》

■Portrait In Jazz / Bill Evans Trio ビル・エヴァンス・トリオのアルバム『ポートレイト・イン・ジャズ』はジャズ・ファンにはお馴染みの作品なのだろうが、ちょっと待ってくれ、これは実はリイシュー版で、現行リリースされている11曲収録のアルバムにさらに3曲追加され14曲になっての新盤なんだ。それにしてもいきなりマイルスの「ブルー・イン・グリーン」が流れてきたからオレはマジ腰ぬかしたよ。 《試聴》

■Wind / Eric Roberson

Wind

Wind

 

ベテランR&Bシンガー、エリック・ロバーソンのミニアルバム。これは「Earth+Wind+Fire」という3部作の内の1作なのらしい。甘くソウルフル、エモーショナルかつ解放感に溢れた良作。《試聴》

■Earth / Eric Roberson

Earth

Earth

 

そのエリック・ロバーソンのミニアルバムシリーズ第1弾。《試聴》 

映画『Spyder』は『ダークナイト』へのテルグ映画界からの返答か?

■Spyder (監督:A.R.ムルガードース 2017年インド映画)

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「インド映画上映会レポート」、最後になるのはテルグ語映画『Spyder』。 監督は『Ghajini』(2008)『Holiday: A Soldier Is Never Off Duty』(2014)『Akira』(2016)のA.R.ムルガードース。……というかそれ以外の人、全く知りません。南インド映画殆ど知らないんです。そもそもA.R.ムルガードース監督自身タミル出身で、フィルモグラフィの多くはタミル・テルグ語映画を手掛けており、3作あるヒンディー語作品にしても自身の作品も含むタミル語映画のリメイク作だったりするんですね。

さて映画『Spyder』、「蜘蛛の話なのか?スパイダーマン的な何かなのか?主人公がヒーローに変身してあれやこれやする痛快特撮インド映画なのか?」と最初勝手に思ってたんですが、よく見りゃタイトル『Spider』じゃなくて『Spyder』なんですね、こりゃ迂闊でした。じゃあ蜘蛛じゃなくてなんだ、というとそれは「スパイだー!」ということらしいんですね!(←特に何も考えていない発言)

物語の主人公の名はシヴァ(マヘーシュ・バーブ)、秘密情報局に勤める彼は昼夜電話通信を監視し、その中で危機的状況にある者を見つけ出して極秘に手を差し伸べていたんですね。しかしそんな中、折角助けたはずの女の子が殺されていることを知ってしまう。シヴァは捜査の中で、「肉親が死んだことを悲しむ者を見るのが快楽」という異常者、バイラヴドゥ(S・J・スーリヤ)の存在を発見するんです。おぞましい犯行を繰り返すバイラヴドゥを追うシヴァでしたが、神出鬼没のバイラヴドゥはなかなか捕まりせん。そしてバイラヴドゥはさらに強大な破壊工作へと乗り出すのです。

主人公シヴァがどんな具合に「スパイだー!」なのかというと、要するに犯罪防止の為に市民生活をスパイしていたということなんですね。いわゆるNSAアメリカ国家安全保障局)の通信傍受システム・エシュロンみたいなことを一人でやってるわけです。言ってみりゃあ非合法の盗聴活動ということになってしまいますが、シヴァはあくまで市民生活を守るために「神の見えざる手」として働いているということになってるんですね。

とはいえ、お気に入りの女の子を見つけたシヴァが情報解析して彼女の行動を逐一追跡しそれを利用して口説きに入るとかって相当公私混同してませんか!?公私混同以前にやってることストーカーだし!?インド映画の口説き手法がストーカーしまくって相手に根負けさせるとかもうそろそろ止めましょうよ!?まあ、テクノロジーは諸刃の剣、使い方によって善にも悪にもなると言っているのでしょうか(違)。

物語はこのシヴァとサイコパス犯罪者バイラヴドゥとのコンピューター・インターフェース上での大追跡劇、さらには拳と拳のぶつかり合う大活劇へと発展してゆきます。登場するGUIは実にSFチックで、どんなプログラム走ってるんだか分かんないけど高度な情報戦が展開されるハイテク・スリラーとしての面白さも兼ね備えているという訳なんですよ。全体的に荒っぽい脚本ながら次から次へと煽情的なスペクタクルを繰り出し、そこに生々しいバイオレンスを炸裂させる手腕は流石『Ghajini』『Holiday』のA.R.ムルガドース監督作品だと思わされました。

ところでこの作品、ハリウッド映画『ダークナイト』ないしはノーラン版バットマンのモチーフが散見するように思えたんですよ。何の利益にもならないのに人の不幸を嘲笑うためだけに残忍な犯行を繰り返す狂人バイラヴドゥは当然ジョーカーでしょう。彼はジョーカーと同じく、同情の余地の全くない「絶対悪」として登場するんですよ。彼が人々を焚きつけてその悪意を引き出そうとするシーンなどは、『ダークナイト』の「爆薬フェリー」のエピソードに対比しているんじゃないでしょうか。

監視機構vs犯罪者の戦いといった構図は『ダークナイト』でゴッサム・シティ監視装置を使ってジョーカーを炙り出そうとするバットマンを思わせます。また、クライマックスのシーンもバットマンジョーカーが対峙するあるシーンと似ているように見えた。後半の大破壊行為は『ダークナイト・ライジング』のベインもちょっと混じってるかな。それと、頭陀袋に目と口の穴を開けたマスクが登場しますが、これは『バットマン・ビギンズ』のスケアクロウがモチーフで間違いないでしょう。

それに対してシヴァはバットマンということになりますが、「市民生活の非合法的な盗聴・監視」というグレイゾーンの職務を遂行する彼にはダークヒーローの匂いがします。ちょっとこじつけです。シヴァは『ダークナイト』におけるバットマンのように善悪の彼岸で葛藤したりしないし悪党でも迷わず殺しますが、「正義」それ自体に強烈な憤怒を帯びているようにも見えます。バットマンジョーカーが実はコインの裏表の存在同士だったように、シヴァとバイラヴドゥもやはりコインの裏表の存在だったんじゃないでしょうか。


SPYDER Telugu Trailer | Mahesh Babu | A R Murugadoss | SJ Suriya | Rakul Preet | Harris Jayaraj