映画『クローゼットに閉じ込められた僕の奇想天外な旅』はマジカル・ミラクル・ミステリー・ツアーだった!?

■クローゼットに閉じ込められた僕の奇想天外な旅 (監督:ケン・スコット 2018年フランス・アメリカ・ベルギー・シンガポール・インド映画)

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今日紹介するのは2018年製作でつい最近日本でも公開された『クローゼットに閉じ込められた僕の奇想天外な旅』という作品です。なんだか変わったタイトルですね。いったいなぜ「僕」は「クローゼットに閉じ込められ」、いったいどんな「奇想天外な旅」をすることになったのでしょう?

物語はインドのムンバイから始まります。この街で暮らす貧しい青年アジャは母の死をきっかけに、生前母が旅を夢見ていたパリへ行くことを決意します。そのパリでアジャはマリーという女性と出会い再会を約束します。無一文の彼は閉店後の家具店に忍び込みクローゼットの中で眠りますが、なんとこのクローゼット、深夜のうちにアジャを閉じ込めたままイギリスへと出荷されてしまうのです。当然イギリスで彼は入国拒否され、あろうことか今度はスペインに飛ばされます!さらに様々な偶然が重なり、彼は世界各地を転々とする事に!果たしてアジャはマリーと再び出会うことができるのか!?

主人公アジャを演じるのはインドの人気俳優ダヌシュ。日本では馴染みが薄いですが本国では40本以上の作品に出演しており、自分も『Raanjhanaa』1作だけ観たことがあります。共演として『アーティスト』『グッバイ・ゴダール!』のベレニス・ベジョ、『エイリアン・バスターズ』『はじまりの旅』のエリン・モリアーティ、『キャプテン・フィリップス』『ブレードランナー2049』出演の個性的なソマリア人俳優バーカッド・アブディ。監督は『人生、ブラボー!』『ビジネス・ウォーズ』のケン・スコット。

さてさて、インドからフランスへと出発した主人公アジャですが、不運と偶然が重なりイギリスへ、スペインへとたらいまわしにされた挙句、さらにはイタリア、そしてアフリカのリビアにまで転々とする事になっちゃうんですね。本当にもう「なんでこうなっちゃうんだ!?」という事の連続で、これぞまさに「奇想天外な旅」たる所以なんですよ。この思いもよらぬ旅を生み出させてしまう偶然の在り方が実にマジカルであり、さらにこれらの旅で起こる様々な事がひとつに結びついてゆく様は実にミラクルなんです。

これらの旅の遍歴から次々と驚きと楽しさが生み出されてゆき、さらに先の読めない展開は「主人公、いったいどうなっちゃうの!?」と全く目が離せません。そしてアジャが訪れる様々な国での千差万別な文化、習俗、そこで生活する人々との忘れられない出会いとが、この物語を百花揺籃なカラフルさに染め上げます。映画のジャンル分けでいうなら、この作品はある種のファンタジーだということもできるかもしれません。しかし、ファンタジーでありつつ、物語ではヨーロッパを悩ます移民問題、さらにアフリカを覆う難民問題が提起され、しっかりと現実世界に足が付いているのですよ。

とはいえ、様々な「奇想天外な旅」を描くこの物語の根幹にあるのは、「パリで出会った女性となんとしてでももう一度会いたい」というロマンス要素であり、さらに「パリに憧れながら亡くなった母の、その隠された理由と、主人公の出生の秘密」という、主人公のアイデンティティに関わるものであったりするんです。こうしたドラマの在り方が物語を重層的で、しかも非常に感慨深いものにしているんですね。もうオレなんかは「こういう映画を観たかったんだ!」と思ったし、「これこそが映画じゃんか!」とすら思わされました。こりゃもう今年のベストの1作と言ってもいいんじゃないかなあ?

非常に屋台骨のしっかりしたこの作品、なんだか良質な小説を読んでいるような気分だな、と思ってたらやはり原作があり、それはロマン・プエルトラスの『IKEAのタンスに閉じこめられたサドゥーの奇想天外な旅』という作品ですね。実はこの原作者、映画にもいい感じの役柄でちょこっと登場します。というわけで映画『クローゼットに閉じ込められた僕の奇想天外な旅』、本当に楽しく、そして素敵さがいっぱいに詰まった作品なので、是非皆さんにお勧めしたいですね!あ、インド映画ぽい歌と踊りのシーンもあるよ!


『クローゼットに閉じこめられた僕の奇想天外な旅』予告編

IKEAのタンスに閉じこめられたサドゥーの奇想天外な旅 (小学館文庫)

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『きっと、うまくいく』『PK』の監督ラージクマール・ヒラニによる最新作『SANJU/サンジュ』

■SANJU/サンジュ  (監督:ラージクマール・ヒラニ 2018年インド映画)

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(この記事は2018年12月22日に更新した記事「『きっと、うまくいく』『PK』の監督ラージクマール・ヒラニによる新作伝記映画『Sanju』」を日本公開に合わせ内容を少々変更してお送りしています)

■インド映画界の巨匠ラージクマール・ヒラニ監督最新作

今日は傑作映画『きっと、うまくいく』『PK』で日本でも広く知られるインド映画監督ラージクマール・ヒラニの最新作『SANJU/サンジュ』を紹介したいと思います。この作品は2018年にインドで公開されたのですが、ボリウッド作品としてはこの年最大のヒットを記録しているんですね(インド映画全般ではタミル映画『2.0』に次いで第2位)。物語は現在も活躍する実在のインド映画スター、サンジャイ・ダットのこれまでの人生を振り返ったものとなっています。

とはいえ、日本の映画ファンの方にとっては「サンジャイ・ダットって誰?」と思われるに違いありません。日本で紹介されている彼の出演映画作品は『PK』『アラジン 不思議なランプと魔人リングマスター』『レッド・マウンテン』『アルターフ -復讐の名のもとに-』などがありますが、これも『PK』以外はコアなインド映画ファンじゃないと知らない作品ばかりでしょう。

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■サンジュ/サンジャイ・ダットって誰?

実はこのサンジャイ、インド本国ではいろんな意味で有名な俳優なんです。父母がインドでは知らない者のいない映画俳優のスニール・ダット、女優のナルギスという映画大スター一家の生まれであり、本人も俳優として様々な作品に出演しています。ちょっと怖い顔をしているので、自分が今まで観た作品の中では悪役ぽい役が多い気がします。特に映画『Agneepath』の悪役演技は「インドにはこんな怖い俳優がいるのか!?」と啞然とした記憶があります。日本の俳優で言うなら若山富三郎原節子との間に生まれた石橋蓮司って感じかな?

しかし彼が真に「有名」なのはそこだけではありません。なんと彼はドラッグ、銃の不法所持、テロ・破壊活動の容疑により有罪判決を受け5年の禁固刑に処せられた、という過去を持っているんですね。サンジャイを知らない方なら「いったいどんな悪人なんだ!?」と思ってしまうでしょう。しかし映画は、彼のそんなスキャンダラスな側面のみを描くのではなく、そのような反社会性に走ってしまった彼の孤独な魂に寄り添うかのように作られた作品なんです。だって、なんたってラージクマール・ヒラニ監督ですよ!?

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■破滅へとひた走る放蕩生活

物語はこのスキャンダル真っ盛りの頃、サンジャイの妻マーニヤター(ディヤー・ミルザー)が夫の真の姿を知ってもらうべく作家のウィニーアヌシュカー・シャルマー)に彼の伝記を執筆依頼するところから始まります。そしてサンジャイ(ランビール・カプール)が語り始めたのは、高名な俳優である父スニール・ダット(パレーシュ・ラワル)からの期待に圧殺されかけていた青春時代、さらに、インドで最も有名な女優である母ナルギス(マニーシャー・コイララ)が、死に至る病魔に襲われたことへの深い悲しみでした。

インド映画では「強大なる父権との確執・対立」というモチーフが非常によく描かれます。カラン・ジョーハル監督による『家族の四季 -愛すれど遠く離れて-』などはその最たるものでしょう。また、恋人の父親に認めてもらうために血みどろの戦いにまで発展するアディティヤ・チョープラー監督作『Dilwale Dulhania Le Jayenge』はインドでは超ロングランの記録を持つ大有名作品です。家族主義を重んじるインドでは父権とは絶対のものであり、そこから生まれる確執・対立を通して、それとどう折り合いをつけてゆくのかが大きなテーマとして取り扱われます。

今作『SANJU/サンジュ』において、サンジャイの父であるスニール・ダットの影はあまりにも巨大です。映画人としても家庭人としてもあまりにも完璧な父と息子サンジャイとの間には確執も対立もありません。サンジャイは父の完璧さに己の卑小さばかりを見出し、その期待の大きさに立ち向かうことも出来ず、ただただひたすら萎縮してゆくのです。そしてその重圧から逃れるために彼が手を出したのがアルコールとドラッグでした。

彼の放蕩生活は止まる所を知りません。経済的に恵まれた家庭であったからこそ逆に歯止めを利かせることもできず、ずぶずぶと爛れたような日々を過ごすのです。その中で恋人ルビー(ソーナム・カプール)との出会いや親友のカムレーシュ(ヴィッキー・コウシャル)の手助けがありこそはすれ、破滅的な性向は決して正されず、遂に彼は己の男らしさを肯定する為に銃器に手を出してしまいます。

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■青春期の生き難さを描く普遍的な青春ドラマ

サンジャイは弱い男だったのでしょうか。クズ男だったのでしょうか。自分にはそう思えません。彼は「父あっての自分」というアイデンティティの脆弱さからなんとしても逃れたかった。「自分」が「自分」でありたかった。彼がその放蕩生活の中で否定し抹殺したかったのは「自分では無い自分」の姿だった。彼のその生活はあまりにも極端でしたが、父親のコントロール下にある「庇護された自己(子供)」から「一個の確立した自己(大人)」へと成長するための途方も無い自己否定、そのあまりにも長い道のりを描いたのがこの作品だったのではないでしょうか。

もうひとつ、これらサンジャイの乱れきった生活の有様から見えてくるのは、これが欧米映画なら意外とよく描かれる光景だな、ということです。『ドラッグストア・カウボーイ』や『トレイン・スポッティング』といった作品は、彼らをドラッグに走らせるものがインドのような「強力な父権」ではなく、もっと漠然とした生活や社会への不安であったりもしますが、こういった「青年期の生き難さ」を描いたものとして同等であるともいえるのです。そういった点で映画『SANJU/サンジュ』はこれら欧米映画と比べても全く遜色の無い「青春の彷徨」を描ききった作品だといえるでしょう。

とはいえ、こういった「青春の彷徨」を描きながらも、物語は決して暗かったり遣る瀬無いもので終始したりはしません。実際のサンジャイ・ダットが現在見事映画界に復帰し、再び華々しいキャリアを復活させているという結末が既に明らかな以上、この物語には明るい未来(現在)が待っていることは誰もが知ることです。「青年期の生き難さ」を経た「青春の彷徨」が辿り着く希望に満ちた「今」。未来は明るいほうがいいし、そして多くのインド映画は、いつも希望の香りに満ちているのです。

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「SANJU/サンジュ」予告編

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■今回の記事での紹介作品 

ブチ切れ除雪作業員の復讐大作戦!?/映画『スノー・ロワイヤル』

■スノー・ロワイヤル (監督:ハンス・ペテル・モランド 2019年アメリカ映画)

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麻薬売買にまつわる事件に巻き込まれ殺された息子の敵を討つため、一人のオッサンが立ち上がる!という映画『スノー・ロワイヤル』でございます。

息子を殺された親父というのをリーアム・ニーソンが務め、「おお!これは『96時間』的な「実は親父はCIA工作員!」とか「名うての殺し屋!」みたいな無双映画なのか!?」と一瞬思わされますが、今回のリーアム父さん、CIAでも殺し屋でもなく、普通に単なるオッサン!強いて言うなら街から模範市民賞を貰っちゃうような真面目な男で、お仕事は除雪作業員!おいおい大丈夫なのか!?除雪車で凶悪マフィアに太刀打ちできるのか!?と心配になってきちゃいますな!

主人公が除雪作業員ってェぐらいですから舞台はロッキー山脈の麓となる大豪雪地帯の街、その名はキーホー。ここで主人公ネルス(リーアム父さん)は家族と幸福に暮らしていましたが、ある日麻薬絡みの事件のとばっちりを受け息子が殺されてしまいます。怒りと悲しみに心を引き裂かれ復讐の鬼と化したネルスは一人また一人と関係するマフィアを屠っていきますが、一方、部下を次々に殺されたマフィアのドンは敵対勢力の仕業と勘違いし、その組織に報復攻撃、いつの間にかマフィア同士の大抗争にまで発展してしまいます。錯綜する状況の中、ネルスの復讐は貫徹されるのか!?

とまあこんなお話なんですが、「普通の除雪作業員だけどオジサンがんばっちゃう!(復讐を)」とばかりに緊迫のスリルとサスペンスがつるべ打ちになった殺戮劇が展開するのか!?と思わせつつ、物語はなんだか妙に脱力したテンポとポカーンとさせられそうなシチュエーションに包まれながら斜め上方向へと脱線してゆくんですな!そう、実はこの『スノー・ロワイヤル』、「おっさん無双映画」と思わせておきながら、その正体は「奇妙なセンスで構成されたブラックユーモア怪作」だったのですよ!

単なる一般市民なのにもかかわらず妙に淡々とかつ律義にマフィア構成員抹殺を続けてゆく主人公ネルスのそこはかとないサイコパス風味はもとより、マフィアの大ボスのイキり過ぎて逆に失笑を買ってしまうキャラクターも実にマイルドだし、その構成員たちもどことなく緊張感が薄く、勘違いから敵対することになった相手というのがネイティブ・アメリカン・ギャングだという部分もなんだか奇妙で可笑しいんです。物語の鍵を握ることになるマフィアボスの小さな息子というがこれまた天真爛漫で緊張感皆無、総じて全員遣る気は満々なんだけどなんだか上滑りしまくっている、というのがこの物語なんですな。

物語の見せ方も独特です。通常ならカットしているような間延びしたシーンや物語に直接関係の無いようなシーンや会話をちょくちょく挿入し、脱力した方向へ脱力した方向へとお話を誘ってゆくのですよ。ある意味ちょっとデヴィッド・リンチ作品を思わせる部分さえありましたね。一応地元警察というのも出てきて事件捜査したりもしますが、これが物語展開にも事件解決にも何の役にも立っておらず、じゃあ何のために出てきたかというとお話を賑やかにする為の一要員だった、というのもまた無意味で楽しい。

実はこの作品、2014年公開のノルウェースウェーデン合作映画『ファイティング・ダディ 怒りの除雪車』という作品のリメイクなんですが、この『スノー・ロワイヤル』自体が同じ監督ハンス・ペテル・モランドのセルフリメイクなんですね。彼自身はノルウェーの出身なんですが、作品全体に立ち込める妙なセンスと妙なテンポというのは、案外監督の持つ北欧らしいセンスという事なのかもしれませんね。ま、北欧のことよく知らないで思い付きで言ってるんですが、意外とそんなことなんじゃないのかなあ?なにしろ止み付きになりそうな変な作品なので一度ご覧になってみるのもよろしいかと思います。

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インドと共に歩んできた男の60年に渡る愛と苦闘/映画『Bharat』

■Bharat (監督:アリー・アッバース・ ザファル 2019年インド映画)

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激動の近代インド史と共に生きてきた男がいた。彼の名はバーラト。映画『Bharat』は印パ独立から21世紀初頭にかけ、流転し続けるインドの歴史と寄り添うように生きた一人の男の、愛と苦闘、そして胸に秘めた強烈な誓いを描いた作品である。主演はサルマーン・カーン、カトリーナ・カイフ、スニル・グローヴァー、ジャッキー・シュロフ。監督は『スルターン』(2016)『Tiger Zinda Hai』(2017)でもサルマーン・カーンとタッグを組んできたアリー・アッバース・ ザファル。例によってSpaceboxさん企画のインド映画上映会にて、英語字幕で鑑賞。

1947年、印パ分離独立は凄まじい暴動と殺戮の嵐を生み出してしまう。鉄道員の父(ジャッキー・シュロフ)を持つ少年バーラトの家族もパキスタンからインドへ向かう難民列車に乗り込もうとしていたが、大混乱の中バーラトの父と妹は行方不明になってしまう。「お前は長男なのだからしっかり家族を守れ。私は後から必ず伯母のやっている雑貨店に行く」とバーラトに言い残して。成長したバーラト(サルマーン・カーン)は父の言葉を頑なに守り、様々な過酷な仕事を続けながら家族を支えてゆくが、父と妹の不在は常に彼の心を苛んでいた。 

1947年のインド独立から今年2019年は70年余り経つことになるが、この映画作品では最終的に描かれるのが2010年、主人公が70代の頃となるので、物語自体は「インドの60年間の歴史と歩んできた男の物語」ということになるだろう。物語はこの2010年現在からの主人公の回想の形を取ることになるが、それが1964年・1970年・1985年・1990年といったパートに分かれて物語られることになる。特に、陰惨なオープニングを経た後の、成長したバーラトがサーカス団に入団してハッチャケまくる1964年のパートは、電飾輝くセットと豪華絢爛な歌と踊りが炸裂する「つかみはバッチリ」な楽しみに満ち溢れ、この冒頭ですっかり作品世界に引き込まれる事だろう。

この後バーラトは家族を養うために危険を伴う過酷な職業を渡り歩くことになるが、ここにおいて苦渋と困難のみをローズアップすることなく、逆に思いのほかユーモラスかつナンセンスな展開を持ち出し、予想だにしなかったギャグ・シーンの連続に大いに笑わされながら同時に驚いていた。劇場でもインド人観客の笑い声が絶えなくて、コメディでもないのにここまで盛大な笑いに包まれたインド映画も珍しかったように思う。とはいえ勿論サルマーン兄ィ危機一髪!の緊迫した状況にも直面し、ここにおいてはサルマーン兄ィの剛力無双振りと熱いハートの炸裂する様をとことん堪能できる。

そして当然ヒロイン・クムッド(カトリーナ・カイフ)との華やかなロマンス・シーンが盛り込まれ(今作のカトリーナは相当タフな役だったが)、子供の頃からの親友ヴィラヤティ(スニル・グローヴァー)との家族同然の気の置けない友情ぶりも描かれる。さらには今年日本で大ヒットしたサルマーン兄ィ主演の『バジュランギおじさんと、小さな迷子』もかくやと思わせる卑怯なぐらい大泣きに泣かせる展開もあるではないか!こうしたユーモアとシリアス、友情と涙、ロマンスとアクションがテンコ盛りとなった緩急自在なシナリオにエンターティメント作品としての充実を感じた。

ただし幾つかのパートを積み重ねることで構成された物語は求心性に欠けともすれば散漫になってしまう。後半にあたる1985年のパートは確かに楽しかったが少々オチャラケが過ぎたかもしれない。とはいえ物語の核心にある「守るべき家族」「父との誓い」といったテーマはどのパートでも遍在しており、それによってなんとか空中分解を免れたシナリオ構成ではあった。

18歳から70歳までを演じるサルマーンはこれが結構見事に演じ分けており、特に70歳の老け役はアミターブ爺もかくやと思わせる貫録たっぷりの風貌で全く遜色がなかった。18歳というシーンも18歳はどうかとは思いつつ、特殊メイクなのかVFXなのか確かに若々しく見え、さらにほっそり見えたのでびっくりした。カトリーナ・カイフはタフで男勝りな役柄で実に個性的だった。親友役スニル・グローヴァーの徹底的にフォローに徹した演技は物語に安心感を与えていた。しかしやはり父親役のジャッキー・シュロフだろう。どこか悲し気な目元と慈愛に満ちた表情で失われた父親像とその幻影を演じる彼の存在感は圧倒的だった。

ちなみにこの作品は韓国映画『国際市場で逢いましょう』(2014)のリメイク作となる。実はこの『Bharat』を観る前に予習を兼ねて視聴してみたのだが、朝鮮半島の南北分断や父親を徹底的に敬い家族をとことん守り抜くといった儒教的内容、途上国の貧困から経済発展を遂げた現在という歴史の流れなど、 インド史とインド的な精神性とに非常に親和性の強い作品性を成しており、これのリンド版リメイク構想はまさに慧眼であったなと思わされた。『Bharat』もまたインド独立からの苦闘の歴史、経済的困窮からの経済発展、大いなる父権の影と家族主義という部分で実にストレートにインド映画王道の作品である。そしてタイトル『Bharat』とは、ヒンディー語で「インド」という意味でもあるのだ。

アリー・アッバース・ザファル監督作レビュー

寓話的な物語と深化した映像美を誇るインド歴史大作 / 映画『パドマーワト 女神の誕生』

■パドマーワト 女神の誕生 (監督:サンジャイ・リーラー・バンサーリー 2018年インド映画)

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(この記事は2018年1月29日更新の拙ブログ記事「寓話的な物語と深化した映像美を誇る歴史大作 / 映画『Padmaavat』」を映画日本公開に合わせ内容を一部変更して更新しています) 

『Devdas』(2002)、『Goliyon Ki Raasleela Ram-Leela(銃弾の饗宴 ラームとリーラ)』(2013)などで悲劇的な愛を究極の美術で描くインド映画監督、サンジャイ・リーラー・バンサーリーによる新作が遂に公開された。タイトルは『パドマーワト 女神の誕生』、前作『Bajirao Mastani』(2015)に続きまたもや豪華絢爛たる歴史絵巻を披露することになる。出演はバンサーリー映画の常連となったディーピカー・パドゥコーンとランヴィール・シン、さらにシャーヒド・カプールがバンサーリー映画初出演となる。

物語の舞台は14世紀初頭の北西インド、ラージャスターンにある王国メーワール。この国の王ラタン・シン(シャーヒド・カプール)の王妃パドマワティー/パドミニ(ディーピカー・パドゥコーン)は絶世の美女の誉れ高く、その噂はハルジー朝のスルターン、アラーウッディーン・キルジー(ランヴィール・シン)の耳にも届いていた。アラーウッディーンは兵を挙げメーワール王国に進軍、パドミニを一目見させろとラタン・シンに迫る。これを拒んだラタン・シンに狡猾で知られるアラーウッディーンはある計略を巡らすのだ。

作品は1540年にスーフィー詩人マリク・ムハンマド・ジャヤシによって書かれた叙事詩『Padmavat』を基に製作された(映画タイトルは『Padmaavat』と”a”がひとつ多い)。『Padmavat』自体は13世紀にあった史実を基にしているとも言われるが、歴史家の間では論議を呼んでいるという。

要点を挙げながら感想を書いてみよう。まずなにより今回もその美術は圧倒的なまでに荘厳かつ美麗を極め、バンサーリー監督の面目躍如となっている。前作『Bajirao Mastani』も歴史絵巻だったが、今作ではさらに地方色・民族色が濃厚で、よりエキゾチックな美術を楽しむことができる。思わず息を呑んでしまうほど驚異的な美術設計をされたシーンが幾つもあり、セルゲイ・パラジャーノフ監督作『ざくろの色』に通じる芸術映画の領域に足を踏み込んでいさえすると思う。それとは別に冒頭における森でのパドミニの鹿討ちのシーンは非常にファンタジックな味わいを見せ、コスチュームプレイのみに留まらない美術の冴えを感じさせた。

物語はどうか。「絶世の美女を巡る二つの王国の睨み合い」といったその骨子はあまりにもシンプルで、どこか寓話のようですらある。世界各地にある「絶世の美女を巡る物語」の一つの変奏曲のようにすら感じる。物語展開もそれぞれに波乱やスペクタクルもありつつ基本的に二つの国を行き来するだけといった流れであり、若干の単調さを感じた。また、凛とした貞女パドミニ、泰然たる王ラタン・シン、獰猛狡猾なるアラーウッディーンといったそれぞれのキャラはこれも寓話的で分かりやすいが逆に判で押したように定型的で破綻が無く、人物像としての膨らみや面白味には欠けるきらいがある。モノローグの多用も押しつけがましく感じた。ラストは衝撃的だが、前時代的な悪しき因習を美徳の如く持ち上げているだけのようにも見える。16世紀インドで書かれた物語だから致し方ないのか。

総体的に見るなら「バンサーリー美術の深化」と「物語性の後退」といったアンビバレントな二つの感想を持つこととなった。実の所、もともとバンサーリーは作話能力に難があり、それを素晴らしい美術で凌駕し補う形で完成させた映画の多い監督だというのがオレの意見だ(『Saawariya』などその最たるところだろう)。今作ではそれがかなり極端に現れる形となったが、物語の寓話性がそれをあまり感じさせず、結果的に非常に完成度の高い作品だということができるだろう。比類無き壮麗さと悲痛なる愛の宿命を描く現在最高のインド歴史絵巻、これを見逃す手は無いだろう。

■『パドマーワト 女神の誕生』予告編

■参考:サンジャイ・リーラー・バンサーリー監督作品レヴュー一覧