「歩くか死か」を描いた陰惨な不条理劇:スティーヴン・キングの『ロング・ウォーク』を読んだ

ロング・ウォーク / スティーヴン・キング(リチャード・バックマン名義) (著), 沼尻 素子 (翻訳)

ロングウォーク (扶桑社BOOKSミステリー)

近未来のアメリカ。そこでは選抜された十四歳から十六歳までの少年百人を集めて〈ロングウォーク〉という競技が行われていた。それは、コース上をただひたすら南に歩くだけという単純なものだったが、このレースにゴールはない。歩行速度が落ち、三回以上警告を受けた者は次々に射殺され、最後に生き残った一人が決まるまで続く文字通りの「死のレース」なのだ。昼もなく夜もなく、冗談を交わし、励まし合って歩き続ける少年たちの極限状況を、鬼才キングが生々しく描いた異色作、復刊!

1:「死のレース」

歩くか、さもなくば死か。若者たち100人が参加する国家主催のデスゲーム〈ロングウォーク〉で、生き残ることのできるのはたった一人だけ――長編小説『ロング・ウォーク』は近未来のアメリカを舞台にした酸鼻を極める不条理劇だ。

作者はスティーヴン・キング。彼が大学生時代の1967年に執筆し、出版社からボツ原稿にされまくった挙句、『キャリー』(1974年)で華々しいデビューを飾った後の1979年に「リチャード・バックマン」名義で出版されたこの作品は、キングの実質的な処女作となる(もう1作、1966年に書き始められた『ハイスクール・パニック』があるが、未完の状態が続いたのち1971年に完成したため、『ロング・ウォーク』が処女作の扱いとなっている)。

それにしても異様な物語だ。100人の若者たちがただただひたすら歩き続け、歩けなくなるとそこで射殺される。それが延々と、たった一人が生き残るまで繰り返されるだけの物語なのだ。しかもこれが政府の主催であり、強制でも刑罰でもなく、「死」の制裁を知りながら若者たちが自発的に参加し、あたかもマラソン競技のように人々が見守る中、毎年開催されている「死のレース」だというのだ。

物語では、この「死のレース」が、なぜ、何のために開催されているのかが全く描かれない。物語の舞台は第2次世界大戦の決着が現実とは異なる歴史改変世界であり、ここで描かれる近未来のアメリカは、全体主義的な軍事独裁国家の如きものになっているようだが、それもはっきりとは描かれない。「死のレース」の意図も、娯楽か、統制か、それとも別の何かか、曖昧なまま放置される。描かれるのは「歩くか死か」の極限状態の中で、ただただ若者が殺されてゆく描写だけなのだ。この骨子だけでも、この物語がいかに不条理めいているか分かるだろう。

2:死を前提とした『スタンド・バイ・ミー』

「歩くか死か」の極限状態のみが300ページ余りに渡って執拗に描かれる「だけ」のこの物語は、ある意味「退屈な」物語でもある。なぜなら、いわゆる「物語らしい」ドラマが存在しないからだ。そこがまたこの物語を一種異様で異質なものとして成り立たせている。しかし、とてもとても静かなドラマであれば、それは確かに存在している。

物語に登場する若者たちは、誰もがその辺のどこにでもいそうな、普通の子供たちでしかない。彼らが、この「死のレース」の中で、何を背負い、何を思い、何を考えていたのか。彼らの夢、希望、悲しみ、愛、絶望が、沸き上がっては消えてゆく。それはどれも特別でも何でもない、ありふれたものだ。子供たちは次第に心を行き交わせ、己の想いをぶつけ合い、友情や対立を生んでゆきながら、お互いの死の瞬間まで目撃してしまう。

ありふれた思考と会話だけで長編を成立させてしまう——そこに当時のキングの非凡さがある。先に書いたように、ある種の「退屈さ」はあるにせよ、それを確信犯的にねじ伏せ、ラストまで描き切った執念と丹力にこそ、この物語を評価すべき点がある。これは「死を前提とした『スタンド・バイ・ミー』」だ。

3:不条理の二重写し

若者たちの歩行時間が既に数十時間を超え、100人いた彼らのほとんどが殺されてゆき、極限の疲労と、意識混濁と、さらには狂気が描かれることとなる後半の、あまりに酸鼻極まる状況に、もうこれ以上読みたくない、やめてくれ、と叫びそうになった。それでもページを捲る手が止まらない。彼らの誰もが己の死を強烈に意識し、絶望に身も心も引き裂かれながら、それでもなけなしの希望にすがろうとする。

それにしても、この物語はなぜこれほど不条理なのだろう。なぜこのような不条理な物語が書かれたのだろう。それは、執筆された1967年当時の、ベトナム戦争に起因するのらしい。若者たちが、政府の一声で理由のはっきりしない戦争に送り込まれ、次々と望まぬ死を迎えてゆく、この不条理こそが、物語の根幹にあるものだという。

ただし、それだけをこの作品のテーマだとするのは早計だろう。『ランニング・マン』や『最後の抵抗』といった、キングがバックマン名義で出版した最初期作品のほとんどは、どれも異様な抑圧状態と、虚無的で破滅的なラストを迎える作品ばかりだった。それは作品執筆当時の、未だ作家デビューの果たせないキングの心理状態と密接にリンクしていたのではないか。極貧の中、出版社に弾き続けられた若者が、理由も告げられぬまま死地へ送り込まれる若者たちを書いた——この作品の不条理は、戦場のそれとキング自身の焦燥のそれが、二重写しになっている。だからこそ彼は300ページを歩き切ったのだ。