骨餓身峠死人葛(ほねがみとうげほとけかずら) / 野坂 昭如

九州の入海をながめる丘陵の,最も峻険な峠「骨餓身」.昭和初期,その奥にある葛炭坑を舞台に繰り広げられる近親相姦の地獄絵,妖しく光る異常な美の世界.磨き上げられた濃密な文体で綴られる野坂文学の極致.衝撃の表題作の他,「人情ふいなーれ」「同行二人」「マイ・ミックスチュア」「当世ますらお団」「ああ奇怪大綬章」「紀元は二千六百年」を収録.
野坂昭如という作家
野坂昭如はオレが子供の頃結構TVで見かけたが、作家というよりはパフォーマンス文化人といった印象が強かった。サングラスがトレードマークで、作品が猥褻か否かの裁判で世間を賑わせ、TVCMで「マリリンモンローノーリターン」と歌ったかと思えば参院選に出馬し、芸能ニュースで大島渚と殴り合う映像が流れたりもしていた。なんやけったいなおっさんやなあ、一体何がしたいん?とよく思っていた。
それでも、野坂の原作をアニメ化した『火垂るの墓』を観た時は、その心胆寒からしめる物語にこの人はやはり正真正銘の作家なんだなあ、とすっかり見直してしまった。とはいえそんな野坂の著作を読んだことは今までなかった。
そんなオレがなぜ今回野坂の短篇集『骨餓身峠死人葛』を読んだのかというと、その表題作がSNSで「相当にエグい猟奇小説」として紹介されていたからである。相当にエグい猟奇小説。いったいどれだけエグくて猟奇なのか興味津々となったオレはそれを確かめるためにこの短篇集を手にしてみた。
猟奇地獄絵図短篇『骨餓身峠死人葛』
短篇小説「骨餓身峠死人葛」は九州の山奥の小さな炭鉱町を舞台に展開する。時代は戦前から戦後。戦中は特需に沸き活況を呈した炭鉱町だったが、出水災害をきっかけに経営が行き詰まり、極貧の中で町民たちが目を付けたのは死体に生える"死人葛"(しにんかずら)という名の幻覚作用を持ったツタの密売だった。しかし"死人葛"は新鮮な死体にしか生えず、そこで町民たちが起こした行動とは……というのがこの物語だ。
噂通り相当にエグい猟奇小説だった。人里離れた山奥というタコツボの如き環境、その閉鎖環境の中でドロドロに煮詰まってゆく人間関係、前近代的な採掘作業の中で虫けらのように死んでゆく人々、そこに業績悪化による貧困がとどめを刺し、堰を切ったかのように狂気が噴出するのだ。生き延びるために人々はけだもの以下まで落ちぶれ、乱交と死の生贄に躍る餓鬼と化すのである。描写は酸鼻を極め淫靡の限りを尽くし、死臭と体液の臭いが漂ってきそうな不快でグロテスクな文章が濃厚に展開してゆく。
とまあ実に不気味な小説であり、ホラーと見紛うほどの異常な物語なのだが、しかしその根底にあるのは、戦前戦後の日本の、限界と呼んでいいような地方集落の、自らの肉を食むような貧困の様であり、そのような環境で生きねばならないことへの強烈な怨嗟であるのではないかと思う。それは翻れば、「火垂るの墓」に代表される飢餓への怨嗟であり、”焼跡闇市派”と自称する野坂ならではのテーマに則った作品だと言えるのではないか。同時に、どうにも過剰すぎる極悪描写の数々は、これも一貫して無頼を気取っていた野坂らしい、始末の悪い露悪なのではないかと感じた。
その他の短篇
残りの短篇もざっくり紹介しよう。「人情ふいなーれ」は戦時中の貧困にまみれた男女の哀切に満ちた追想を描く。貧困描写がどこまでも生々しい。「同行二人」はお互いの子供同士が駆け落ちしてしまった母親二人を通し、戦後の庶民風俗を浮かび上がらせる。「マイ・ミックスチュア」は戦後復興著しい社会の中で自らの孤独に苛まれる死体愛好家の女が主人公となる。「当世ますらお団」は性欲を持て余した男たちが結婚詐欺を思いつくが、どうにもしょうもない結末に至ってしまう。「ああ奇怪大綬章」は大企業を定年退職した男が家族の中で邪魔者にされ、デートクラブにのめり込んでゆく。「紀元は二千六百年」は戦中戦後を舞台に”愛国心”に踊らされる父母を醒めた目で見つめる青年がドヤ街に身を落としてゆく様が描かれる。
これら短篇に一貫して描かれるのは戦中戦後における庶民の貧困と、その中における生臭い性生活と小市民的な風俗、今よりももっとガバガバな倫理観、そして戦後復興時における従来的な家族生活の解体とそれによる孤独の光景だ。どの登場人物もしみったれでみみっちくて、同時に深い悲しみを背負っている。そしてどの作品も昭和の臭いが濃厚で、物語の内容云々よりもこの克明な昭和風俗描写に噎せ返ってしまった。野坂はどちらかというなら風俗作家だったのではないか。オレも昔は”昭和なもの”には忌避感が強かったが、こうして令和の今に60を過ぎる年齢になってみると、これら昭和の光景がなぜか懐かしく思えてしまったのが奇妙だった。


