地球に落ちてきた男 (監督:アレックス・カーツマン他 2022年アメリカ・イギリス製作)

1976年公開の映画『地球に落ちてきた男』の続編ドラマ
1976年に公開されたニコラス・ローグ監督・デヴィッド・ボウイ主演による映画『地球に落ちてきた男』は「孤独」について描かれた作品だった。それは滅亡に瀕した自らの惑星を救うため地球にやってきた一人の異星人が、様々な妨害の末に故郷の星に帰れなくなってしまうことの悲哀を描いていた。10代の頃この映画を観たオレはその静かで透明な孤独の光景に陶然となり、劇場を出た後も暫く現実感覚が戻ってこなかったほどだった。オレにとって映画『地球に落ちてきた男』は、今でもSF映画の最高峰であり、終生のベストワン作品である。
とはいえ映画『地球に落ちてきた男』はカルト映画の呼び名もあるように、おそろしく静かでかつ長い映画で、かなり人を選ぶ作品である事も否めない。だから他人に勧めようとは全く思わないのだが、それでも強烈な愛好家は世界中に多いらしく、これまでDVDやBlu-rayが何度も仕様を変えて販売されている(そしてその都度買い替えていたオレ)。その『地球に落ちてきた男』の続編TVドラマが、劇場公開後46年も経ってから製作されたと聞いて本当にこの作品の根強いファンが多いのだな、と改めて確認させられた。
映画から45年後、再び地球に落ちてきた男
TVドラマ『地球に落ちてきた男』は、映画版のラストから45年後、再び異星からの使者が地球に訪れるところから始まる。男の名はファラデー(キウェテル・イジョフォー)、前回失敗に終わった故郷の惑星の救済計画をもう一度推し進めるためにやってきたのだ。それには核融合炉を製作する必要があり、地球における核融合炉研究の第一人者、ジャスティン・フォールズ (ナオミ・ハリス)と接触するが、彼女は実験失敗の失意の中下野していた。さらに核融合炉の権利を奪わんとする巨大企業とCIAがファラデーを執拗に追い詰め始める。
という訳で全10話を観終わったのだが、これが映画版への深いリスペクトと映画版を超える強烈なエモーションに満ちた素晴らしい作品だった。観る前は多少の不安はあった。映画版の主演だったデヴィッド・ボウイの人気にあやかっただけの作品だったら嫌だな、と思っていたのだ。しかし実際は、ボウイが出ていないにもかかわらず(なにしろ鬼籍に入っているので)、映画版とボウイへのしっかりとした敬意がそちこちに見られるのだ。
タイトルロゴが映画版を踏襲しているのも嬉しかったし、10話それぞれのタイトルが全てボウイ曲のタイトルが使われているのにも驚いた。映画版のフィルムは使われていないが、映画版での様々なシーンが再び舞台となったり追想シーンで登場し、しっかりと映画版に寄り添いながらも、映画版のコピーではなくドラマ版ならではの新たな物語を展開しているのだ。また、映画版主人公だったトーマス・ジェローム・ニュートンが登場することになるが、ボウイ以外誰も演じられないだろうこの主人公の代役を英国俳優ビル・ナイが演じており、45年後のT・J・ニュートンとして実に堂々とした演技を見せ驚かせてくれた。
主人公となるファラデーを演じるキウェテル・イジョフォーも混乱し苦悩する異星人の姿を迫真の演技で見せてくれた。映画版では瘦せこけた白人姿の異星人が主人公だった部分を、ドラマ版では壮健な黒人の姿の異星人であるという対比も心憎い。この物語が放つエモーションの多くは女性科学者フォールズを演じるナオミ・ハリスによるものであり、彼女の感情に引き摺られる形で物語に没入させられるが、ただしあまり天才科学者ぽくなかった部分はちと惜しかった。書ききれないが他の演者の誰もが皆強い存在感を持ち好演だった。
「私たちは再びやり直せる」
この物語は、その最大のテーマとして「私たちは再びやり直せる」ということを描いているのだと思う。異星人ファラデーは故郷の星の救済計画を再開させるために地球にやってきた。女性科学者フォールズは実験の失敗による失意の中にいたが、再び核融合炉開発計画に挑む。また彼女の父は寝たきりだったが、ファラデーの力により再び人生を取り戻す。ファラデーらに絡む大企業CEO女性とその兄は犬猿の仲だったが、ファラデーと出会うことにより再び関係を修復しようとする。一方、悪辣なCIA職員らは、再びやり直すどころか相も変らぬ陰謀ばかり推し進めているので結局彼らは救われない。
この「再びやり直す」というテーマは、ボウイの稀代の名曲『チェンジズ』とも呼応し、なお一層ボウイの影が見え隠れすることになるだろう。そして、痛々しい孤独の中に沈むことで終わった映画版を、「再びやり直す」ことでポジティブな意思を持った物語として完成させたことも特筆に値するだろう。とはいえ一言で「再びやり直す」とはいってもそれは簡単なことではない。その困難と障壁が、このドラマ版に大きな物語性を持ち込むことになるのだ。
SFテーマの作品ということで、異星の息を呑む情景や異様なテクノロジー、異星人の奇妙な姿や超常能力など、CGIやSFXを使った映像もふんだんに盛り込まれ、この辺りは映画版を遥かに凌駕するが、見せるべきものを効果的に見せることに注意しており、決して鬼面人驚かす特殊効果でかさ増ししたSF作品には堕していない。
そして最終話第10話のクライマックス、全てのボウイファンが号泣必至のある瞬間が訪れる。オレは泣いたよ。そうか、ここで、これか。これまで様々なボウイ映画やボウイ曲を使用した映画があったけれども、これほどボウイとその曲に寄り添った物語を作り上げたのはこの作品をおいて無いだろう。それほど素晴らしかった。全てのボウイファンは必見だろうし、ボウイに興味のある方なら是非観てほしい。もちろん映画版を観ていない方にも十分感動的な作品として受け入れられるに違いない。




