フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン(監督 グレッグ・バーランティ 2024年アメリカ映画)

1969年、人類初の月着陸を目指し大わらわのNASAを舞台に、一般市民に宇宙旅行キャンペーンをするため雇われた広告ウーマンと、「広告なんて必要ない!」とうそぶく真面目一徹の発射責任者とが睨み合っちゃうというロマンティック・スペース・コメディです。しかしある日、「失敗に備えて月面着陸のフェイク映像を作れ」と政府極秘機関からのお達しがあり事態は怪しい雲行きに!?主演はスカーレット・ヨハンソンとチャニング・テイタム、『Love, サイモン 17歳の告白』のグレッグ・バーランティが監督を務めます。
《STORY》1969年、アメリカ。人類初の月面着陸を目指す国家的プロジェクト「アポロ計画」の開始から8年が過ぎ、失敗続きのNASAに対して国民の関心は薄れつつあった。ニクソン大統領の側近モーは悲惨な状況を打開するべく、PRマーケティングのプロフェッショナルであるケリーをNASAに雇用させる。ケリーは月面着陸に携わるスタッフにそっくりな役者たちをメディアに登場させて偽のイメージ戦略を仕掛けていくが、NASAの発射責任者コールはそんな彼女のやり方に反発する。ケリーのPR作戦によって月面着陸が全世界の注目を集めるなか、「月面着陸のフェイク映像を撮影する」という前代未聞の極秘ミッションがケリーに告げられる。
宇宙へのロマンとくっつきそうでくっつかない男女のロマンス、この二つが相乗効果を生む実に素晴らしい作品でした。併せて、1969年当時のアメリカの風俗やファッション、そして克明に再現されたNASA施設やアポロロケットの雄姿など、ビジュアル面でも相当楽しめる作品でもあります。しかしなにより素晴らしかったのは広告ウーマン・ケリーを演じるスカーレット・ヨハンソンの艶やかさと気風の良さ、NASA発射責任者・コールを演じるチャニング・テイタムの質実剛健な男臭さでしょう。この二人の魅力が作品を大いに牽引しているんです。
さてこの作品、「月面着陸のフェイク映像」へと物語が収斂してゆく形となっていますが、主題はそこではないと感じました。「月面着陸のフェイク映像」は陰謀論としてお馴染みですし、同工のものとして「有人火星着陸の捏造」をテーマとした『カプリコン・1』という映画があったりもしますが、この『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』は”陰謀論”や”フェイク画像”の是非を問題にした作品では決してないと思うんです。ではなにかというと、これは「見せる」ことを第一義にすることの弊害と「広告」がそれを加速してしまうことへの危惧なのではないでしょうか。
広告ウーマン・ケリーは、予算ばかり掛かって国民に人気のなかったアポロ計画を、企業とのタイアップという形で巧みにマーケティングしてゆき、大きな支持を得てゆくことになります。一方NASA発射責任者・コールはこういったマーケティングなど不必要だと突っぱねます。マーケティングの成功が宇宙計画遂行を円滑にしたんだからナニが不満なの?とは思うんですが、でもコールは(なにしろ生真面目過ぎる男ですから)、虚飾塗れの巧言令色は宇宙計画の本質とは何一つ関係がないのだ、と言いたかったんです。彼は広告を否定したいのではなく、本質を見失いたくない、と主張したかったんだと思うんです。
結局はバランスの問題なんですが、物語は「決して嘘ではないが飾り立てて見せたもの」がまかり通ることにより、「見せる側が見せたいものが本物であり、その演出なしに見せたものは本物ではない」という部分まで歪められてしまう、ということを描いているんです。ケリーはNASA担当者の「見栄えのいい代役」を次々と広告に出演させてしまいます。その最終形態が「月面着陸のフェイク映像」という虚偽そのものになってしまった、というのがこの物語なのではないでしょうか。それは同時に、広告ウーマン・ケリーの、嘘で塗り固められた人生とも被ってくるんです。
しかし映画は、決してそれをシチメンドクサイ問題として描くのではなく、広告業界という虚業に就き、嘘で塗り固められた人生を歩んだケリーが、真面目一徹のコールと出会うことにより、「決して飾らない真実」に目覚める、という形に実を結んでゆきます。「決して飾らない真実」、それは多分きっと愛するということで、愛ゆえにケリーは真実へと歩もうとしたのでしょう。そういったロマンチックさが、この物語を最高に素敵なものとしているんです。
