もどかしくて遣り切れなくて、何もかもどうしようもない。/パク・チャヌク監督作『別れる決心』

別れる決心 (監督:パク・チャヌク 2023年韓国映画

オールド・ボーイ』や『お嬢さん』など鮮烈な印象を残す作品を撮ってきたパク・チャヌク監督の最新作。オレも好きな監督で結構な本数の作品を観たが、この作品に関しては予告編がなんだかモヤッとした印象しかなくて劇場鑑賞は見送っていた。だが最近Amazon Primeで配信されたので観てみたら、これが紛う事なき傑作で舌を巻いてしまった。いやー劇場で観とけばよかったな。主演は『殺人の追憶』のパク・ヘイル、ヒロインを『ラスト、コーション』のタン・ウェイが演じ、『新幹線半島 ファイナル・ステージ』のイ・ジョンヒョン、『コインロッカーの女』のコ・ギョンピョが共演している。

【物語】男性が山頂から転落死する事件が発生。事故ではなく殺人の可能性が高いと考える刑事ヘジュンは、被害者の妻であるミステリアスな女性ソレを疑うが、彼女にはアリバイがあった。取り調べを進めるうちに、いつしかヘジュンはソレにひかれ、ソレもまたヘジュンに特別な感情を抱くように。やがて捜査の糸口が見つかり、事件は解決したかに見えたが……。

別れる決心 : 作品情報 - 映画.com

物語は山頂から転落死した男の事件を追う警官へジュンが、容疑者として挙げられたその妻ソレに尋問を繰り返すうちに次第に心惹かれてしまう、というもの。結局ソレは無実となるが、二人はその後も奇妙な関係を続け、そして第2の事件が起きてしまう。……とまあ字面だけだとやっぱり地味で平凡なお話で、「その後も奇妙な関係」と書いたのも、二人に突然炎のように愛が燃え上がるわけでもなく、なんだかモニョモニョゴニョゴニョと、どうしたいんだか分からないような感情の遣り取りを続けるだけなのだ。予告編同様、なんだかモヤッとしたお話なのである。

にもかかわらず、これがなんと、面白いのである。興味が尽きず画面から目が離せないのである。凝りまくった映像表現の釣瓶打ちに目を奪われてしまうのだ。オレは映画言語には無知だが、カット/ショット/アングル/撮影/編集/音楽、あらゆる部分で緻密で独自な事をやっているのがひしひしと伝わる。そこから生まれる緊張感と迫真性が凄まじい。それは、何故ここまでやるのか?と恐怖すら感じさせるほどだ。

その複雑化した映像表現は、煎じ詰めるなら主人公の錯綜した心情を視覚化したものなのだろう。愛妻家でモラリストで頭が切れ常に沈着冷静な男である主人公が、自分では決して認めていない、有り得るはずの無い恋情に心を錯綜させているのである。ただ何しろ本人はそれを認めようとしていないから、それはなんだか「モヤッ」とせざるを得ない。それは言語化した途端に現実化する、即ち恋していると認めてしまうからである。

そのモヤモヤは、その後の物語全体を支配することになる。事件後もソレの世話を焼くへジュンの行動そのものがモヤモヤの産物であり、にもかかわらず常に微妙な距離感を置くのもモヤモヤさせる。そもそもヒロイン・ソレの正体が掴めない。無実なのか殺人犯なのか。悪女なのか普通の女なのか。何故資産家とばかり結婚しているのか。中国人であるソレは韓国語が若干苦手で、どこか会話にワンクッション置かれているような気にさせる。コミュニケーションがとれているのかいないのかが判別できない。モヤモヤする。いつも歯に物が挟まったような感じ。靴の中に小石が挟まっているような感じ。

そしてそのモヤモヤは、強烈な感情を孕みつつも、なにもかもがはっきりせず、はっきりさせず、感情そのものの不発という形で膨れ上がり、クライマックスに巨大な悲劇を招いてしまう。愛も憎しみも、生も死も、善悪すらも、全部モヤモヤと寸止めで、何一つあからさまではない、という異様な状況が逆襲を始めるのだ。それはもどかしくて遣り切れなくて、何もかもどうしようもないという事だけがはっきりしていて、最後にただただ呆然とする以外にない絶望の形だけがくっきりと浮かび上がる。それはもはや生殺しという形での、魂の殺人だ。

観終わった後に「うわああああなんなんだこれ」と呻いてしまった。なんだ、というわけでもなく、こうだから、ということでもない、モヤモヤの果ての感情のやり場の無さ。それが不気味であり異様であり気持ち悪くもありグロテスクでもあった。なんと言うか、とても綺麗で美しい残虐心理ホラー。ある種「これぞ映画」と言い切っていい凄まじい程に映画の魔力に満ち満ちた作品だったな。これも暫定今年度ベストテンに入る一作だなあ。