顔を失った女の凄惨な旅路/チャック・パラニュークの『インヴィジブル・モンスターズ』を読んだ

インヴィジブル・モンスターズチャック・パラニューク(著)、池田真紀子(訳)

インヴィジブル・モンスターズ

事故で顔を失ったわたしは、裏切った婚約者に復讐するため旅に出る。交錯する過去と現在、境界をなくす男と女、聞こえない叫びと悲鳴、見えない殺戮と破壊…。超過激ノヴェル。

この『インヴィジブル・モンスターズ』はパラニュークの第2長編『サバイバー』の後に出版されたものになるが、実は第1長編『ファイト・クラブ』以前に書かれた作品であり、実質的な処女作ということができる*1。ただしこの作品、「あまりに不愉快な内容」だとしてどの出版社も受け入れてくれず、結局『ファイト・クラブ』のヒットにより日の目を見ることができた、という経緯を持つのだ。

インヴィジブル・モンスターズ』は「銃の暴発により下顎全てが吹き飛ばされ、醜怪となったその顔を隠しながら生きる女」が主人公となる。もとより主人公は第一線のモデルとして活躍していたが、その「商売道具」の顔を無くすことにより、自らのアイデンティティそのものも失ってしまうことになるのだ。

物語はそんな主人公が友人や恋人とアメリカの各地を旅しながら「見えない怪物」として生きる自分自身に決着をつけるまでが描かれてゆく。その文章は苦痛と虚無、哄笑とアイロニーに満ち、同時にあからさまに性的で不道徳であり、物語には犯罪と薬物と暴力とが横溢する。それらは同時にリリカルで、気の滅入るような美しさを湛えている。それはまるでナボコフの陰鬱なパロディのようだ。

この物語の本質にあるのは「性的アイデンティティの喪失」ということなのではないかと思う。主人公は「モデルの顔」を失うことで「性的存在としての女性イメージ」を失うことになる。そして物語にはもう一人、性転換手術により女性になろうとしている男が登場する。彼において性転換手術は男性から女性へアイデンティティを移行することだが、同時にそれは男性性というアイデンティティを失うことでもある。こういった「性的アイデンティティの喪失」が人間心理をどう変えてゆくのかがこの物語に底流するテーマのような気がしてならない。

作品の最大の特徴となるのは時系列がシャッフルされた特異な構成だ。そして文章の頭ごとに【〇〇へ】という小見出しの形で「現在どの時間軸へ飛んだのか」が明記される。これはファッション雑誌の細切れの形で飛び飛びに掲載される記事を模したものなのらしい。同様に、物語内では「現実の些末で微細なデータ」が羅列され、物語に無機質で冷え冷えとした感触を与えることになる。

こういった「シャッフルされた時系列」「現実の些末で微細なデータの羅列」はその後の多くのパラニューク作品に頻用されることになる。とはいえ、こういった文体・文章構成は作品を読み難くしていることも確かだ。また、物語はエキセントリックな登場人物とエキセントリックな設定でもって描かれることになるが、その後のパラニューク作品がそうであるように、エキセントリックさと奇異な構成ばかりが目立ってドラマが薄い。これはもうパラニュークの手癖としか言いようがないのだが、むしろ提示されたグロテスクでヴィヴィッドな世界観そのものを楽しむ、というのがパラニューク作品の読み方になるのだろう。

*1:ただしちょっとややこしいのだが、出版されていない初期作品『Insomnia: If You Lived Here, You'd Be Home Already』というのが存在しており、本当の第1作はこの作品になっている記述もある