ポン・ジュノ監督による新作映画の原作となるSF長編『ミッキー7』を読んだがなんだかなあって作品だったな

ミッキー7 / エドワード アシュトン(著)、大谷 真弓 (訳)

ミッキー7 (ハヤカワ文庫SF)

 宇宙開発で危険な仕事をこなすために生み出 された【使い捨て人間/エクスペンダブル】ミッキー。すでに六度の 死を経験した彼の身に思いがけないことが!?『パラサイト 半地下の家族』監督ポン・ジュノによる映画化決定!興奮のエンタメSF

人類が外宇宙に乗り出し様々な居住惑星を開拓していた未来。氷の惑星ニブルヘイム開発部隊で働くミッキーは【使い捨て人間/エクスペンダブル】と呼ばれる危険任務専門の男だった。既に数度の死を体験し6番目のミッキー/ミッキー6として生きる彼にまたもや死の危機が襲う。からくも生存できた彼だが本部では彼を死んだものとみなし既に「ミッキー7」が製作されていた。クローンの重複はどちらか一方の廃棄処分を意味する。そこでミッキー6が起こした行動とは?というSF長編『ミッキー7』である。

この『ミッキー7』、『パラサイト 半地下の家族』でカンヌ/アカデミー賞ダブルクラウンに輝き、『グエムル-漢江の怪物-』『スノーピアサー』『オクジャ/okja』といったSFアドベンチャー作品も得意とする監督ポン・ジュノによる映画化が決定しているといういわくつきの作品でもある。ちなみに映画化タイトルは『ミッキー17』、主演は『TENET テネット』『THE BATMAN-ザ・バットマン-』のロバート・パティンソンが務めるほか、共演としてナオミ・アッキーやトニ・コレットマーク・ラファロ、スティーヴン・ユァンが予定され、2024年公開を目指して製作中である。

……とまあそんなこともあり期待して読み始めたのだが、これが実は、ええとそのう、相当つまらなかった。まず設定が穴だらけ、プロットが貧弱、登場人物は魅力がなく紋切型、SFアイディアは陳腐で古臭い。ええいどうしてくれよう、と読みながら何度もうんざりさせられてしまった。

例えば冒頭で事故に遭い死を覚悟して救助も断った主人公が実はやっぱり生きていました、なんて部分から既にグダグダで、拠点コロニーに辿り着いたら「ミッキー7」が既に誕生済、というのも随分早すぎると思うが、その後クローン重複発覚を恐れるサスペンスがどう展開するかと思ったら物語中盤までミッキー7はただ寝ているだけ。サスペンスらしいサスペンスは6と7が少ない配給食糧を巡ってみっともなく争うだけ、という体たらく。

惑星にはムカデ状の敵対生物(この造形も白けるが)がいるにも関わらずたいした対抗策も防御策も練られておらず、そもそも入植前にそんな問題は解決しておけよ、と思ってしまう。ようやくムカデ生物討伐の部隊が出動するがこれが次々と討ち死にして大騒ぎするけれども、こういった死と隣り合わせの戦闘部隊こそ「クローン化」できるようにしておくもんじゃないのか。

入植隊隊長はクローン嫌いでミッキー6&7を二度と再生しないと息巻くけれども、いやいや必要だから【使い捨て人間】がいるのだろうにそれを廃止してどうなるのか。さらにこの入植隊というのが資材も食料も乏しいジリ貧の運営状態で常にピーピー言っているのだが、入植前の運営計画っていったいどうなってたんだ、と突っ込みたくなってくる。辛うじてドラマらしいのは6と7の女性関係なんだが、まるで魅力的に描かれない6と7がどうしてこうモテるのか理解できず、その恋愛描写も紋切型で少しも面白くない。

最大の問題は「クローン体が重複してしまった」という設定が物語進行に全く奉仕しておらず、たいした面白くもない無意味なドタバタを繰り返しているだけで、この設定がなくとも実は物語が成立してしまうという部分だ。

この物語って要するに「西部開拓」の貧弱な入植状態を「惑星開拓」というSFに置き換えたものなんだろうなあ、と思える。で、入植隊いちの底辺雑用係が原住民の襲撃を阻止し入植隊に成功をもたらす、ってなお話なんだと思えばさもありなんと感じる。そしてポン・ジュノが目を付けたのはこの底辺雑用係と一般入植者との格差、ここなんじゃないかと思うのだ。『スノーピアサー』にしても『パラサイト 半地下の家族』にしても「格差」の物語だったから格差好きのポン・ジュノは新作映画でも「格差」をメインテーマに持ってきたSFとして仕上げる算段なんじゃないだろうか。まあオレ、ポン・ジュノ映画ってアレゴリーが明示的過ぎてあんまり面白いと思ってないんだが……。