方法序説 / デカルト (著)、谷川 多佳子(訳)
すべての人が真理を見いだすための方法を求めて,思索を重ねたデカルト(1596-1650).「われ思う,ゆえにわれあり」は,その彼がいっさいの外的権威を否定して達した,思想の独立宣言である.本書で示される新しい哲学の根本原理と方法,自然の探求の展望などは,近代の礎を築くものとしてわたしたちの学問の基本的な枠組みをなしている.[新訳]
『方法序説』は近世哲学の祖としても知られる17世紀フランスの哲学者・数学者ルネ・デカルト(1596-1650)が1637年に刊行した著作である。
いかなる「方法」の「序説」なのかというと、『みずからの理性を正しく導き、もろもろの学問において真理を探究するための方法についての序説およびこの方法の試論(屈折光学・気象学・幾何学)』という500ページを超える書物の、「序説」部分に当たるのだ。とはいえこの『方法序説』のみでもデカルトの「思考するための指針・方法」そのものが詳らかにされており、しかもそれが整理され尽くした論理的かつ核心的な内容となっているため、この「序説」単体で読まれることになったのだという。
『方法序説』は6部に章立てされ、デカルトがどのような方法で彼の言う「真理」を追求していったのかが順序立てて説明されることになる。それは以下のような形になる。
第1部 - 学問に関する様々な考察
第2部 - 探求した方法の主たる規則の発見
第3部 -この方法から引き出した道徳上の規則
第4部 - 「神」と「人間の魂」の存在を証明する論拠、自身の形而上学の基礎
第5部 - デカルトが探求した自然学の諸問題の秩序、特に心臓の運動や医学に属する他のいくつかの難問の解決と、「人間の魂」と「動物の魂」の差異
第6部 - 自然の探求においてさらに先に進むために何が必要だと考えるか、また本書執筆の経緯
『方法序説』で面白かったのは科学の方法論で哲学を成そうとしていたという部分で、これはデカルトが哲学者であると同時に数学者でもあったからだが、つまり数学の数式の如く理路整然と論理的に明快に整理された形として哲学が展開できるはずだと考えていたようなのだ。デカルトの時代において、科学と哲学は同じものだったのだ。そして科学の自明さのように哲学の自明さを探求したものがこの『方法序説』だった。だからこそ、こんなに丁寧に、きちんと順序だてて、理路整然と、論理的に、「真理」を探求しようとしたわけだ。そこが近代哲学の要であったのと同時に、近代哲学の限界でもあり、これ以降の現代思想によって批判・検証されてゆくのだが、それはまた別の話となる。
「我思う、ゆえに我あり」という有名な言葉は、この『方法序説』の第4部において用いられた言葉だ。「自分が何かを思えるのは自分が存在しているからに他ならないんだからそれがどうしたというのだ」とも言えるが、そういう事ではない。デカルトは『方法序説』の第1部から第3部にかけて、「真理」の探究の為にそれまで自明とされてきたありとあらゆることに疑問を投げかけ続けてきた、という事を書いている。全てを検証するために全てに対して徹底的に懐疑的に接したわけなのだ。そして続く第4部でもって、「その検証する主体である”私”は確固として存在する」という「真理」に行きつくのだ。
ではデカルトはなぜ「真理」のために「あらゆることに疑問を投げかけ続けた」のだろう。そして「”私”が確固として存在する」という「真理」はいったい何を導き出そうとしたものなのだろう。
デカルトが疑問を投げかけたものは(デカルト自身も学んだ)当時のスコラ学派的な学問の在り方なのだろう。大まかにいうならスコラ学派は、論証の根拠をキリスト教と古代ギリシャ哲学に求める、いわば権威主義的な学問だった。それをデカルトは疑い、自らの「真理」に辿り着こうとしたが、その「真理」とは第4部表題に書かれているようにキリスト教的な「神」と「魂」の概念だった。ここでデカルトは、あくまで自明とされてきた「神の存在」、「魂の概念」を、自らの論理でもって改めて検証し証明しようとした。そしてそれを成すのが「確固として存在する”私”」という主体性において、ということだった。逆に言うなら、それまでの学問は権威ありきであり、「私という主体」が存在しなかったと言うことなのだ。
ただここには矛盾があって、「あらゆることに疑問を投げかけ続けた」デカルトだが、「神の存在」それ自体は、証明するべきものではあっても疑問を投げかける対象では決してなかった、ということなのだ。それが17世紀ヨーロッパの限界ということもできるが、しかしあれだけ鋭敏な合理性を持っていたデカルトが、一片たりとも「神の存在」を疑わなかっただろうか、とも思えるのだ。というのは『方法序説』第6部ではローマ・カトリック教会によるガリレオ・ガリレイの異端審問と地動説の否定が、自らの物理学的意見の公表を躊躇わせた、ということが書かれていて、この『方法序説』自体も当初異端視されることを恐れ匿名で出版されていたのだ。デカルト自身は敬虔なカトリック教徒だったが、実はその教義の在り方と自らの合理的精神との矛盾をどこかで感じていたではないか。
しかし「疑問を投げかけてはいけないもの=神」に「疑問を投げかけてしまう」のは当時では恐ろしい禍根を生む事になる。だから「神の存在」は最初から「ある」の前提で検証せねばならなかった。ただしそれをスコラ学的な無批判な自明さによるものではなく、「自らの論理」でもってどうにかしてでも「ある」ものにせねばならなかった。そのためにはまず「自らの論理」の寄って立つ「自ら」を規定しなければならない。それが「”私”が確固として存在する」という事であり、そこを起点として「神の存在」を帰納的に論証しようとした。だが実のところデカルトの展開するその論証は、自己言及的な苦しいちぐはぐさに満ちている。なぜならそれは、実証主義的な見地により「神の存在」を論証しようとしているにもかかわらず、「神」それ自体はあくまで自明なものとして取り扱っているからだ。だが神を自明なものとして扱うことによる齟齬をデカルトは分かっていたんじゃないだろうか。
もう一つ、デカルトと同時代に生きた哲学者であり神学者でもあったパスカルが痛烈なデカルト批判をしていたことも挙げられる。パスカルは『パンセ』の中で「私はデカルトを許せない。彼は全哲学のなかで、できることなら神なしですませたいものだと、きっと思っただろう(断章77)」と歯に衣を着せぬ口調で書いている。同時に「哲学をばかにすることこそ、真に哲学することである(断章4)」などと皮肉めいたことを書いているが、これもデカルトの事なんじゃないかと勘繰ってしまう。「神の存在」を論証しようとさえしたデカルトを、なぜ同じく神を信奉するパスカルがここまで批判するのか。そこにはデカルトの持つ合理性と理性主義が、実は「神の存在」と相容れないものであることを敏感に嗅ぎ取っていたからなんじゃないのか、とちょっと思ってしまった。