フランス文学探訪:その6 /ジッド『狭き門』

狭き門 / ジッド (著)、中条 省平 (訳)、中条 志穂 (訳)

美しい従姉アリサに心惹かれるジェローム。二人が相思相愛であることは周りも認めていたが、当のアリサの態度は煮え切らない。そんなとき、アリサの妹ジュリエットから衝撃的な事実を聞かされる…。本当の「愛」とは何か、時代を超えて強烈に問いかけるフランス文学の名作。

読みながらまず感じたのは力強い筆致と確信的な登場人物たちの心理描写だった。これは作者ジッドの力量もあるだろうが訳文が相当にこなれているという事もあるのだろう。

描かれるのは相思相愛なのにも関わらず、いつも煮え切らない態度をとるヒロイン・アリサと、彼女を狂わんばかりに愛しながらも、その態度に常に心引き裂かされてゆく主人公ジェロームとの、およそ30年に渡って続くすれ違いの物語である。ジェロームへの強烈な愛を示しつつ、その感情とは裏腹に、会わないでおこう、手紙は止めよう、と言い続けるアリサの行動は実に不可解で、その不可解さの真相がこの物語の核心となる。

その真相となるものは、アリサの強い信仰心からであり、神への愛を貫き通したいからとも捉えられる。しかしそれはあくまで表層的なもので、作者ジッドはそこへのミスリードを誘いながら、実は別のものを描いていたように感じた。この作品がジッドの半自伝的作品であることから考えると、バイセクシャルであり、放蕩な性生活を送りながらも、妻とは性交渉を行わなかったというジッドの、その奇妙なアンビバレンツが表出したのがこの作品なのだと思うと腑に落ちるものがある。

それは、性の快楽への強烈なる希求と、その快楽に溺れてしまう事の恐怖、罪悪感、それらに引き裂かれてゆく苦悩と苦痛が、ジェロームとアリサの生殺しのような恋愛模様として描かれたという事ではないのか。同時にそれは、「狭き門」という聖書の一節をタイトルにしているように、ジッドが持つ信仰心と、逃れることのできない己の肉欲との相克を描いたものだったのではないだろうか。

ジッド,アンドレ(1869‐1951)。1947年、ノーベル文学賞受賞。