「続編」というより単なる「後日譚」といった印象 / 映画『ゴーストバスターズ/アフターライフ』

ゴーストバスターズ/アフターライフ (監督 ジェイソン・ライトマン 2021年アメリカ映画)

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1984年に公開されたアイヴァン・ライトマン監督作『ゴーストバスターズ』は社会現象になるほど大ヒットした作品だが、オレも劇場で観たけれどそれほど感銘は受けなかった。なんかこうバカ騒ぎすぎて、どこか空疎に感じたのだ。レイ・パーカー・ジュニアの大ヒット主題歌も、あちこちであまりにしつこく流れまくっていたのでうんざりしていた。

続編の『ゴーストバスターズ2』(89)はそれなりにシナリオが練られていて楽しめたが、かといって印象に残る様な作品でもなかった。しかし女性出演者を大幅にクローズアップしてリブートされた2016年の『ゴーストバスターズ』、これは楽しめた。主演女優たちが新鮮だったのもあったが、特にクリヘムのアホ極まる役柄が最高過ぎた。

そんな『ゴーストバスターズ』だが、1作目から37年の時を経て「1,2作目の正式続編」が製作されたのらしい。タイトルは『ゴーストバスターズ/アフターライフ』、2016年版はどういう扱いなんだと思ったが、とりあえず観てみることにした。

【物語】少女フィービーは母や兄とともに、祖父が遺した田舎の古い屋敷に引っ越して来る。この街では30年間にわたり、原因不明の地震が頻発していた。ある日フィービーは地下研究室でハイテク装備の数々を発見し、祖父がかつてニューヨークを救ったゴーストバスターズの一員だったことを知る。そんな中、フィービーは床下にあった装置「ゴーストトラップ」を誤って開封してしまう。すると不気味な緑色の光が解き放たれ、さらなる異変が街を襲いはじめる。

ゴーストバスターズ アフターライフ : 作品情報 - 映画.com

1,2作目の『ゴーストバスターズ』は大都市ニューヨークを舞台に怪しいおっさんたちがゴースト相手にドタバタを繰り広げる物語だったが、この『アフターライフ』では舞台をオクラホマの片田舎に移し、かつてのゴーストバスターズ・メンバーと血縁関係にあるのらしい子供たちが主演となる。子供たちが主演、という部分でティーンエイジャーを狙った部分もあるだろうが、初代ゴーストバスターズの孫・子供たち世代の物語といった意味合いもある。この辺りに「正式続編」としての連続性を持たせているのだろう。

田舎町にある炭鉱で巻き起こる怪異といった点ではスティーヴン・キング作品『デスペレーション』を思わせるものがあった。ではなぜ田舎町なのだろう。1作目が公開された80年代初期のアメリカはカーター政権から続く経済停滞を新たなロナルド・レーガン政権がレーガノミックスで立て直そうとしていた時期だった。諸所の問題を抱えながらも経済回復の兆しが見えたのが1983年、『ゴーストバスターズ』1作目の製作時期であっただろう。電飾の眩く輝く大都会でゴースト相手におっさんたちが大騒ぎを繰り広げる1作目は、経済活動の中心地を襲うゴーストの如き忌まわしい不況を、働き盛りの男たちが叩き潰し笑い飛ばす景気付けの物語でもあったのだろう。

一方、20年代アメリカはトランプ政権下におけるポピュリズムの時代となる。都市部に在住しエスタブリッシュメントを支持する大卒白人は、トランプ政権批判から共和党を去り民主党支持へ切り替わり、トランプ支持層はより田舎へと移った*1。即ち20年代アメリカにとって、アメリカを分断した無教養なトランプ支持者こそが「ゴーストの如き忌まわしい敵」であり、「田舎」にはその巣窟が存在するという事なのだ。そしてその「ゴースト」を退治するのは科学合理主義を信じ未来ある世代である子供たちなのである。映画『ゴーストバスターズ/アフターライフ』にはこのような図式が隠されているのではないか。

とはいえ、物語的には初代『ゴーストバスターズ』のノスタルジーで製作された物語といった性格が強く、そのスケール感の小ささは続編というよりも「後日譚」といった趣がしてしまう。全体的に既視感が強く、よくよく考えてみれば単なる「再話」であり、実のところ新しいことなど何も起こっていないのだ。そして「正式続編」としての連続性を持たせたいがために、2016年版に見られた思い切った飛躍に乏しい物語となっている。一見賑やかなVFXにしてもスーパーヒーロー映画を見慣れた若い世代にはパッとしないものにしか見えないだろう。

そういった部分で薄味で食い足りない部分もあったが、主演のフィービーを演じたマッケナ・グレイスの天才子役ぶり、その兄トレヴァー役で『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』の瑞々しい演技が印象的だったフィン・ウルフハードの熱演などが作品の救いとなっていた。