アントニイ・バージェスの『時計じかけのオレンジ』を読んだ

時計じかけのオレンジ / アントニイ・バージェス

時計じかけのオレンジ 完全版 (ハヤカワepi文庫 ハ 1-1)

近未来の高度管理社会。15歳の少年アレックスは、平凡で機械的な毎日にうんざりしていた。そこで彼が見つけた唯一の気晴らしは超暴力。仲間とともに夜の街をさまよい、盗み、破壊、暴行、殺人をけたたましく笑いながら繰りかえす。だがやがて、国家の手が少年に迫る―スタンリー・キューブリック監督映画原作にして、英国の二十世紀文学を代表するベスト・クラシック。幻の最終章を付加した完全版。

時計じかけのオレンジ』といえばスタンリー・キューブリックの映画作品がなにしろ有名だし、この映画のファンの方も多い事だろうと思う。ところがオレはこの映画がそれほど好きではない。 キューブリック・ブランドであることが邪魔しているのかもしれないが、アイロニーの在り方が単純すぎ、主人公であるチンピラ青年にも共感する部分が無く、彼と仲間たちの行う「超暴力」にもうんざりさせられるのだ。結局この作品は映画で観られる個々のキッチュなアイテムや主人公のファッション、ルドビゴ療法という言葉がアイコンとして独り歩きしてしまっている作品のような気がするのだ。

にもかかわらずこの今、『時計じかけのオレンジ』の原作であるアントニー・バージェスの作品を読もうと思ったのは、《タイム》誌による20世紀ベストノヴェルの一冊であり、『1984年』と並んで「読んだ気になっている小説の一つ」のように思えて、この辺で一回挑戦しとこうかあ、という気になったからである。あと、この小説も10代の頃文庫本を買っていて結局読まなかったという経緯があり、心理的積読を一個減らしたかったというのもあった。

物語の内容はあえて説明するまでもなく、近未来のイギリスで暴れまわる不良少年集団の野放図さと、その中心である主人公アレックスが逮捕され、サディスティックな思想矯正を受ける様を描いたものだ。骨抜きにされたアレックスはこれまで彼が行っていたような「超暴力」にさらされ、瀕死の状態で救われ、今度は非人間的思想矯正を行う政府に対する批判キャンペーンのコマとして使われるようになる。読んでみると映画化作品は原作の内容を非常にきちんとトレースしており、目立った改変も無い。しかしにもかかわらず、原作者バージェスはキューブリックの映画化作品を嫌っていたというから面白い。

時計じかけのオレンジ』はいわば非常にアイロニカルな物語であり、同時に、「自由意志とは何か」について描かれた物語でもある。いかな非道なチンピラであろうと、政府がその思考を、その意思を強制的に改造するという行為はディストピアへの第一歩であるということだ。すなわち体制批判も込められてるのである。ここにはクリスチャンとしてのバージェスの思想もあるのだろう。例えば作中ではこんな一節がある。

「役人というのは、いつも欲張り過ぎるんだ」といった。「しかし、本質的な意味は、真の罪悪だ。選択のできない人間というものは、人間であることをやめた人だよ」(中略)「そういうのが当たり前だ、クリスチャンである以上はね」(p250)

この「選択のできない人間」こそが、「時計じかけのオレンジ=外見は自然物であるのに中身は非自然物のまがい物=非人間的存在」ということなのだ(ところで映画では描かれないが、アレックスが物語冒頭で襲撃を掛けた家屋に住む作家が書いていた本のタイトルが『時計しかけのオレンジ』だった)。

とはいえ、この物語の本当の面白さは、そういったテーマ性にあるのではない。『時計じかけのオレンジ』の本当の面白さ、それは、作中に頻繁に登場するチンピラスラング、「ナッドサット」の面白さだ。例えばこの文章。

そこで、おれ、オディン、ドヴァ、ツリーとかぞえると、ブリトバをヒュッヒュッヒュッとジョージーのリッツォやグラジーじゃなくて、やつがノズを持ってるルーカーねらって切りつけたら、兄弟よ、やつ落とした、落としたよ。(p83)

なんだかさっぱり意味が分からないが、原作ではこれらナッドサット語に実際の意味のルビがふられており、意味が分かるようになっている。これらナッドサット語は言語学者でもあったバージェスが「ロシア語を取り込んだ英語」として作成した人工言語であり、アレックスら10代のチンピラが使うスラングとして登場するのだ(ちなみに「ナッドサット」とは「10代」という意味で、いわば「俺らの言葉」といったところだろう)。そして弾丸のように奔出するこのナッドサットが、一種独特の世界観を物語に与え、異様なドライブ感をもたらしているのだ。

バージェスはこの作品を書く時、実際に存在する若者言葉を使ってしまうと時代を経れば古びてしまうと考え、それでこの人工言語を生み出したのらしい。そしてそれは功を奏し、この小説を時代を超えて楽しめる物語として書き上げることに成功したのだ(ただし映画では汎用し過ぎると意味が分からなくなると考えたようで、原作とは多少違う、すぐ意味が連想が出来るナッドサット語が使われている)。

こういったナッドサットの面白さに加え、時に読者に直接語りかけて来る、主人公アレックスの妙に懐こい一人称表記が、彼の心理に読者を強引に引き寄せる事になる。ナッドサットの在り方もそうだが、アレックスのこの話し言葉のリズムとテンポの良さが格別で、今作の訳者である乾信一郎氏の匠の技が感じ取れる素晴らしい訳文となっている。また、今回読んだのは「完全版」と銘打たれたものだが、これは諸事情によりこれまでの文庫版に収録されていなかった「幻の最終章」が収められているのだ。そういった部分で、映画化作品のファンの方もそうでない方も、一度手に取ってもらうといいのではないかと思うのだ。

ところでこの原作を読んでから改めて映画を観直したのだが、これまで「それほど好きでない」作品だったものが、とても面白く観る事が出来てしまったのだから不思議なものである。原作にはないキューブリックの美術に感心したのと、主演のマルコム・マクダウェルが、原作のアレックスそのもののように生き生きしていたのがよかったのだ。

時計じかけのオレンジ 完全版 (ハヤカワepi文庫 ハ 1-1)
 
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