■マンディ 地獄のロード・ウォリアー (監督:パノス・コスマトス 2017年ベルギー映画)
■嫁の復讐に燃えるロード・ウォリアー、ニコラス・ケイジ!
そこは静かな湖畔の森の影。そこにはレッドとマンディと言う名の夫婦がひっそりと暮らしていた。ある夜。「もう起きちゃイカガー?」とカッコーが鳴いた気がしたと思ったらさにあらず、不気味な集団が彼らを拉致したのだ!
彼らの名は練馬変態倶楽部。じゃなくて狂気のカルト集団「新しい夜明けの子供たち」(「ボクの考えた最強の教団タイトル」)。そこの教祖であるクソ変態ジェレマイアがマンディに岡惚れし、「一発やりてえ」と爛れた獣欲に駆られての犯行だった。「お前は特別だ(大意:根元までしゃぶってくれ)」とチンコ剥き出しでマンディに迫るジェレちゃんだったが、マンディに一笑に付され(チンコが小っちゃかった模様)、逆ギレしたジェレちゃんは仲間に命じ、マンディを焼殺したのだ!
自らも重症の傷を負ったレッドは、哄笑と共に去ってゆくカルト教団に復讐を誓う。片手にボウガン(その名も【死神】)、片手に夜鍋して作ったスクエアエニックスのRPGに出てきそうな斧を握って!「俺の嫁の命を奪った奴は一人残らず地獄行きだッ!!」かくして愛妻家レッドの殺戮の宴が始まるッ!!!
ニコラス・ケイジ主演、新進気鋭の映画監督パノス・コノマトス監督によるハイパーバイオレンス映画作品『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』でゴザイマス。音楽は『ボーダーライン』『メッセージ』を担当しながら先頃惜しくも世を去ったヨハン・ヨハンスンで、これが最後のスコアになったのだそう。製作にはイライジャ・ウッドの名前もあるよ!あいつ変な映画好きだよな!
■オープニングの「スターレス」からガンガンの盛り上がり!
いやー、非常に魅力的な映画だった。どんな風に魅力的だったかこれからおいおいとダラダラ書こうかと思うけど、まず!オープニングに流れる音楽がぬぁんと伝説のプログレッシヴ・ロック・バンド、キング・クリムゾンの「スターレス」!かつてプレグレ小僧だったオレは大いに盛り上がったね!第三期キング・クリムゾンの掉尾を飾る大傑作アルバム『レッド』の最終曲「スターレス」、哀感に満ちたメロディと終末感溢れる曲調でオレのみならず多くのプログレ好きに滂沱の涙を流させた曲なんだ!そこから続くヨハン・ヨハンスンのスコアもプログレタッチの曲が多く、「いったいどんな物語になるんだ!?」と大いに期待させてくれるんだよ。
こんなプログレ風味のみならず、この映画は監督の趣味、体験と思われる様々な要素が臆面もなくガシガシとぶち込まれる。音楽的にはプログレだけではなくヘヴィーメタルやハードロック、グランジの趣味を散りばめるが、エモいニューエイジ系メロディも奏でられる。
■ホラー展開と映像の見せ方から感じる強烈なアート臭
ヴィジュアルや物語の中心となるのはホラー要素だろう。全体的になにしろ血塗れだし『ヘルレイザー』の魔導士みたいな連中は出てくるし、チェーンソーでのチャンバラは『悪魔のいけにえ2』を思わせる。とはいえ悪役となるカルト集団はどっぷりスピリチュアル系で、ヒッピー・コミューンやドラッグ・カルチャーを如実に感じさせる。
主人公は狂気と激情に駆られた復讐鬼ではあるが、次第に人外の地で妖魔や怪物に挑むエピックファンタジーのバーバリアンの様相を呈してくる。甚だしく現実を逸脱したその戦いは寓話的であると同時に神話的ですらある。とはいえ山奥で異形の悪党とタイマンで戦う様はどこか日本の特撮ヒーローのようにも見える。
その映画性はホラーの一言でくくられるべきものではなく、その映像の見せ方からは強烈なアート臭を漂わせる。それはデヴィッド・リンチの諸作品やニコラス・ウィンディング・レフンの幾つかの作品を想起させ、さらにフェデリコ・フェリーニを引き合いに出したくなるようなシーンすらある。そんな中、時折下手糞な謎アニメが挿入され、観客はまたしても感覚の混乱を余儀なくされるのだ。
これら映像を創出するパノス・コノマトス監督から感じるのは計算されたセンスや美意識などといったものではなく、むしろドラッグのバッドトリップをそのままフィルムに焼き付けたかのような止めどもないカオスであり、パンクロッカーがコードも知らずにエレキギターから轟音を響かせているかのような原初的な衝動の様なのだ。
■監督パノス・コノマトスの錬金術的手法による希有な作家性
とはいえ、やりすぎて笑っちゃう場面も幾つもある。妻を殺された怒りと悲しみにパンイチ姿で暴れ狂ってみたり、血塗れの顔でキラッキラに笑みを浮かべる主人公とか、変な衣装着てご高説を垂れつつ自分の吹き込んだビミョーなレコードを聴かせる教祖様とか、まあ枚挙にいとまない。狙ったわけでもないのに笑わせるのは監督が天然だからなのかも知れない。
そしてこの作品に重要かつ欠かせない触媒として投入されているのが、やはりなんと言っても主演のニコラス・ケイジのとんでもない怪演だろう。そもそもケイジは怪演には事欠かない俳優であり、この作品における演技のみが突出してるという訳ではないが、しかしケイジの存在がなければこの作品はまるで違ったものになってしまっていただろう。
これらの要素が重合的に絡み合い複雑な化学反応を起こし、原始の海に漂う有機物が生命へと姿を変えたかのような、異形の作品として誕生したのが本作なのだ。監督の他の作品を知らないので何とも言えないが、このような錬金術的手法を持つ希有な作家性を秘めた監督だと言えはしまいか。映画『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』は奇妙にイビツな想念と美術と話法と演者の集積物ではあるが、それらが奇跡のように硬質に結晶化した、アウトサイダーアート的な傑作として完成している。