決して混じり合うことの無い東西/カスティリオーネの庭

カスティリオーネの庭/中野美代子

カスティリオーネの庭

清の乾隆帝に宮廷画師として仕えた、イタリア人宣教師ジュゼッペ・カスティリオーネ(中国名=良世寧)。かれが描いた数々の絵画と、北京の離宮につくった西洋庭園をめぐる謎の物語。その庭にかくされた秘密をさぐり、皇帝と宣教師の東西の相克を描く、異色の庭園小説。  

西暦1765年の北京、清朝離宮円明園」からこの物語は始まる。主人公となるのはイタリア人宣教師ジュゼッペ・カスティリオーネ、77歳。27歳の時、東方布教のため清に訪れて以来、50年間この地で歴代皇帝に仕えていた。彼はイエズス会宣教師であったが、かの地では宮廷画家として使われていた。そしてその時、彼の仕えていた皇帝の名は乾隆帝といった。

中野美代子による歴史小説カスティリオーネの庭』は、このカスティリオーネ乾隆帝の命により西洋庭園を造り続けてゆく物語である。こう書くとなんだかカタルシスに乏しい物語のように思えてしまうし、確かにドラマチックさやそれが生むカタルシスを楽しむ物語ではない。では何を描き出しているのかというと、西洋と東洋の、決して混じり合うことの出来ない、ヒリヒリとした対立を淡々と綴るのがこの物語なのだ。

乾隆帝の時代、清は鎖国政策を取っていたが、宣教師の滞在は許されていた。許されていたが、布教は禁止されていた。布教の禁止された宣教師に何の存在意義があるだろう?いや、あるのだ。彼らヨーロッパ人たちの持つ、当時の先端技術や知識が、清の皇帝には魅力的だった。皇帝は宣教師らを都合よく利用しているだけだった。一方宣教師らは、なけなしの使命感だけにすがって清に居残り、皇帝の前で頭を地に擦り付けながら、皇帝の無茶振りに粛々と従い続けていたのだ。

全12章に渡って描かれる物語は、実に淡々としたものだ。乾隆帝はあれを造れ、これを描け、とカスティリオーネに命令する。その中で乾隆帝の、支配者ならではの贅を尽くした当時の生活、鷹揚とした威圧ぶり、苛烈さや横暴がじわじわと沁み出してくる。それに対しカスティリオーネは一切の意見も反論もできない。しようものなら迫害や死罪が待っている。だから彼は宣教師ならではの謙虚さと自制でもって汲々と命令に従い続ける。ただひたすら忍従するその姿には畏敬と同時に虚しさすら感じる。

ちょっとしたドラマがないわけではない。それは物語冒頭の、「噴水時計の台座に隠された白骨死体」というミステリーである。物語のクライマックスでその真相が明らかにされるが、かといってそれにも種明かしのカタルシスがある訳ではない。ではなにがあるのかというと、眠れる獅子たる清という東洋の大国の、抗う事の許されない絶対的な権力の様である。そしてそれに対し何もできないカスティリオーネら西洋人の無力である。さらに言えば、キリスト教のあがめる神それ自体の無力ということでもある。こうして小説『カスティリオーネの庭』は西洋と東洋の決して相容れない対立を、冷え冷えとした筆致で描き出してゆくのだ。

さらにこの物語は、この現代から当時を振り返る形で描かれる。物語が終わり、舞台となった円明園1860年、北京を占領したイギリス・フランス両軍によって略奪され破壊し尽くされ、廃墟と化したことが明かされる。現在は整備されその面影を見る事が可能らしいのだが、どちらにしろ、物語の中でカスティリオーネが造園に尽力した円明園は、その後灰燼に帰したのだ。そしてカスティリオーネは死に、乾隆帝は死んだ。全てが時代に飲み込まれ消え去ってゆくこの寂寞感もまた、小説『カスティリオーネの庭』の魅力の一つでもある。 

◎ジュゼッペ・カスティリオーネ

f:id:globalhead:20180819204150j:plain
ジュゼッペ・カスティリオーネ(Giuseppe Castiglione、1688年7月19日 - 1766年7月17日)は、イタリア生まれのイエズス会の宣教師である。清朝の宮廷画家として、康熙帝雍正帝乾隆帝に仕え、西洋画の技法を中国へ伝え、美術や建築に影響を与えた。絵画作品では乾隆帝大閲図、ジュンガル討伐戦の情景画、香妃肖像画などが有名である。バロック様式を取り入れた離宮である円明園西洋楼を設計した。中国名は郎世寧(ろうせいねい Láng Shìníng)。
ジュゼッペ・カスティリオーネ - Wikipedia

乾隆帝(けんりゅうてい)

f:id:globalhead:20180819204347j:plain

清の第6代皇帝。清王朝の最盛期を創出する。諱は弘暦(こうれき)、廟号は高宗(こうそう)。在世時の元号の乾隆を取って乾隆帝と呼ばれる。
軍事的・文化的な成功により三世の春の最後である乾隆帝の治世は清の絶頂期と称えられる。自らも「史上自分ほど幸福な天子はいない」と自慢していたという。
在位期間:1735年10月8日 - 1796年2月9日

乾隆帝 - Wikipedia

円明園(えんめいえん)

f:id:globalhead:20180819204855j:plain
中華人民共和国北京市海淀区に位置する、清代に築かれた離宮の遺構である。面積は3.5km2に及ぶ。
1709年(康熙48年)、清朝4代皇帝康熙帝が、皇子の胤禛(いんしん)に下賜した庭園がその起源となる。胤禛が皇帝(雍正帝)に即位、1725年(雍正3年)以降様々な建物が増築され、庭園も拡張された。
乾隆帝の時代には、円明園の東に長春園、南東に綺春園(のちに万春園と改称)が設けられた(この円明園長春園、綺春園を総称して、広義の円明園となる)。長春園の北側には、イエズス会士のブノワ(en:Michel Benoist)、カスティリオーネらが設計にかかわった噴水が設けられ、西洋風の建物・西洋楼が建てられた。嘉慶帝の時代にも大規模な修築が行われ、揚州から最高級の建具が取り寄せられた。そして、文源閣には四庫全書の正本が収められた。

円明園 - Wikipedia

カスティリオーネの庭

カスティリオーネの庭

 
カスティリオーネの庭 (講談社文庫)

カスティリオーネの庭 (講談社文庫)