『ブルー・マーズ』~200年に渡る火星テラフォーミングの歴史を描く畢生のSF大作、遂に完結

■ブルー・マーズ(上)(下) / キム・スタンリー・ロビンソン

ブルー・マーズ〈上〉 (創元SF文庫) ブルー・マーズ〈下〉 (創元SF文庫)

地球の治安部隊は火星の軌道上にまで撤退し、無血革命は成功するかに思われた。だが和平交渉中、過激な一分派が宇宙エレヴェーターに攻撃を開始する。第一次火星革命の悪夢が繰り返されてしまうのか?壮大な火星入植計画をリアルに描きSF史上に不滅の金字塔を打ち立てた、『レッド・マーズ』『グリーン・マーズ』に続く“火星三部作”完結編。ヒューゴー賞ローカス賞受賞。(上巻内容紹介)

憲法を制定し、ついに政府を持った火星。人びとは自由を謳歌し,独自の社会システムと新たな文明を発展させていく。だが環境破壊や経済格差などの問題が山積する地球は、広大な火星をいまだ諦めてはいなかった……。荒涼とした赤い原野から緑の大地へ、そして水をたたえた青い惑星へと変わっていく火星の姿を、さまざまな人間ドラマとともに壮大なスケールで描き上げ、シリーズ累計11冠を達成した大河三部作、堂々完結。(下巻内容紹介)

◎目次

畢生のSF大作、遂に完結

キム・スタンリー・ロビンソンのSF小説『ブルー・マーズ』が遂に翻訳された。火星テラフォーミングに挑む人類の姿を描くこの物語は、『レッド・マーズ』、『グリーン・マーズ』、そしてこの『ブルー・マーズ』の3部作として刊行されていたが、日本では『レッド~』が1998年、『グリーン~』が2001年に翻訳が出たまま、完結編となるこの『ブルー~』に関してはそれから全く翻訳の情報が無く、このままお蔵入りか……と思われていたのである。それが『グリーン~』翻訳から15年以上たった今年、やっと出版されると聞かされ、作品のファンであるオレは大いに沸き立ったのだ。

この『マーズ』シリーズは2027年、《最初の百人》と呼ばれる科学者たちの火星入植から始まり、それから200年の時を経て、遂に火星が水を湛え空気の存在する人類居住可能な青き惑星へと変貌を遂げるまでを描いている。しかしその200年の歴史は、大きな苦闘と犠牲により成り立ち、衝突と紛争、謀殺とテロリズム、破壊と喪失によって彩られた、決して一筋縄ではいかない血塗られた物語を擁しているのだ。「火星テラフォーミング」という言葉から連想するような、夢見るような科学主義からひたすら逸脱した、人間たちの熱く暗く生臭いドラマが、実はこの『マーズ』シリーズの中心となるのだ。

政治闘争とテラフォーミング

そう、『マーズ』シリーズで描かれる「火星テラフォーミング」は、それ即ち政治闘争の異称でもあった。入植当時は火星研究に尽力し火星全土を覆うインフラ整備を推進していた科学者たちは、後に火星を原初の姿のまま手を加えない火星環境温存派「レッズ」と、火星緑化推進派「グリーン」とに分かれ激しく対立する。そこにさらに地球の国連暫定統治機構が介入し、遂には激しい破壊活動、そして火星独立革命へと発展してゆくのだ。その破壊の様は完膚無き強大さであり、『レッド~』における宇宙エレベーター崩壊、さらにフォボス落下を描くスペクタクルは、SFでなければ描くことのできないまさに宇宙規模の凄まじい情景を現出させていた。

しかし『マーズ』シリーズはそれだけのドラマではない。執筆当時の最新科学知識で描かれた、火星の地表の情景、その厳しい気候環境の中で刻一刻と移り変わる火星の姿が、まるで現実に目の前にあるかのように、微に入り細に穿ち、克明に描き尽くされているのである。さらにそれがテラフォーミングの影響により、200年のタイムスパンの中でどのように変化してゆくのかが、膨大な科学知識を演繹させ途方もない描写力により描き出されるのだ。実は3部作全編3300ページに渡る大部のこの物語において、その火星の姿を描く部分はほぼ半分はあるのではないかと思われるほどの膨大な書き込みが成されているのである。

ニューエイジ思想」としての『マーズ』シリーズ

そしてもうひとつこの巨大サーガを独特にしているのは、火星に集う登場人物たちの、強烈な自我を感じさせるある種いびつな程の個性と、その個性と個性がぶつかり合う息苦しいほどの人間関係にある。正直、日本人的な感性からいえば、ここまで剥き出しで、対立や抗争を全く厭わない自意識の強さは、時として感情移入不可能にすら思えることがあり、この作品を決して読み易いものにしていない。また、テラフォーミングの為に入植しながら過激な火星環境温存派となってテロ活動に手を染める科学者、というのも一様には理解しがたい。だが、これは訳者後書きにあった「ニューエイジ思想」というキーワードで疑問が氷解した。

そう、火星テラフォーミングを描いたこの物語は、もうひとつ、「全くゼロの環境の中から、人間たちが、どのようにこれまでの世界を否定し批評し、どのように新しい世界を築き上げてゆくのか」を、火星という名の惑星を一つ実験台として描いた作品ともいえるのだ。少々長いがWikipediaの「ニューエイジ」から引用してみよう。

ニューエイジ・ムーブメントは「新時代運動」ではなく、「維新運動」として理解されるべきものであり、「この運動は、西欧中心史観を反省し、非西欧的な思考と行動様式を取り入れようとしたものである。しかも、非西欧的なものを単純に、神秘主義的に、あるいは、オカルト的に模倣するのではなく、そこに現代科学の目を通して、自分のものにして、旧い西欧を新しい社会に適合できる「現象的、精神的、思想的、社会学的重点移動」を実現させる「信仰的社会的運動」として定義している。

新世界の黎明

火星環境に崇高な"霊性"を見出し過激派に走る「レッズ」はまさにこの「ニューエイジ」であるし、同時に火星緑化推進派「グリーン」にしても、地球人類がその長きに渡る歴史の中で澱のように貯め込んだ"当為"とも呼べる社会の在り方を否定し、その頸木から解放された非従来的な世界を築き上げようとする部分において「ニューエイジ」的と言えるのだ。

それにより、この物語は「新世界」を形作るためのありとあらゆる政治学歴史学が引用され、さらに治水学や建築学にはじまる広範な工学、遺伝子工学や原子物理学に至る様々な科学知識が持ちだされ、それらが混然一体となり凄まじい知識の集大成としての「新世界=火星」の姿とその未来が描かれてゆくのである。さらに下巻では火星に留まらない他の太陽系惑星への入植すら言及され、めくるめくようなSF的ロマンが物語を縦横に覆い尽くすのだ。これまで、これほど精緻に火星を、そしてテラフォーミングというものを描き切ったSF小説があっただろうか。まさにSF史に名を残すであろう畢生の大作であると感じるのはこの部分なのだ。

レッド・マーズ〈上〉 (創元SF文庫)

レッド・マーズ〈上〉 (創元SF文庫)

 
レッド・マーズ〈下〉 (創元SF文庫)

レッド・マーズ〈下〉 (創元SF文庫)

 
グリーン・マーズ〈上〉 (創元SF文庫)

グリーン・マーズ〈上〉 (創元SF文庫)

 
グリーン・マーズ〈下〉 (創元SF文庫)

グリーン・マーズ〈下〉 (創元SF文庫)

 
ブルー・マーズ〈上〉 (創元SF文庫)

ブルー・マーズ〈上〉 (創元SF文庫)

 
ブルー・マーズ〈下〉 (創元SF文庫)

ブルー・マーズ〈下〉 (創元SF文庫)