■Nayak: The Real Hero (監督:シャンカール 2001年インド映画)
『インドの仕置人』(1996)、『ジーンズ 世界は2人のために』(1998)とシャンカールの映画を観てきたが、「他にシャンカール映画で観ることができる作品はあるのかなあ?」と思ったのである。日本では他に『ロボット』(2010)、『ボス その男シヴァージ』(2007)のソフトが出ており、『I』(2015)も輸入盤で観たのだが、それ以外となるとタミル語版のせいかどうも入手が難しく、あっても英語字幕無しだったりするので、なかなか手が出ない。
そんな中見つけたのが2001年公開作品『Nayak: The Real Hero』。この作品はヒンディー語で製作されており、DVDも割と入手し易かったので観てみることにした。出演はアニル・カプール、ラーニー・ムカルジー、アムリーシュ・プリー、ジョニー・"ジャガイモ顔"・リーヴァル。またアヌラーグ・カシュヤプが脚本に参加している。ちなみにこの作品はシャンカールによる1999年公開のタミル語フィルム『Mudhalvan』のセルフ・リメイクとなる。
物語は悪徳政治家と正義のTVリポーターとの正面対決といった内容だ。舞台となるのはムンバイ、主人公はTV製作会社に勤めるシヴァージー・ラオ(アニル・カプール)。彼はある日、首席大臣バーラル・チョウサン(アムリーシュ・プリー)とのライブ・インタビュー番組を持つことになる。実はこのバーラル、私利私欲に走って政治を私物化し、悪政の限りを尽くしていた男なのだ。シヴァージーはバーラルに鋭い質問を投げ掛け、彼の腐敗ぶりを暴いてく。追い詰められたバーラルは「そこまで言うならお前がやってみろ!」と啖呵を切る。売り言葉に買い言葉、かくして誕生した「シヴァージー首席大臣」は次々と政策を正し、人々の尊敬を集めてゆく。しかし面白くないのはバーラル、彼は悪党たちに命じシヴァージーの抹殺指令を出すのだ。
「全ての人々が幸福に暮らせる政治を執り行おう!」映画『Nayak: The Real Hero』のメッセージは非常にストレートだ。首相となったシヴァージーは腐敗と怠慢の温床となった役人たちを問答無用で解雇し、政治の膿を次々と潰してゆく。それはまさに粛清の嵐だ。シヴァージーの思い切った政策は人々の暮らしを風通しの良いものにし、貧者は救済され、富は誠意を持って再分配される。やがて街には笑顔が溢れ、シヴァージーは人々から救世主の如く祭り上げられる。政治家でもないシヴァージーがいとも簡単に善政を敷くことができたのは、単純な腐敗構造を正しただけでも人々の生活が様変わりする、そのまさに単純なことすら行われていなかったということなのだろう。そしてまた、こんな単純なことすらできない現在の政治への、インド市民たちの鬱憤がこの映画にぶつけられているのだろう。
とはいえ、ストレート過ぎるメッセージはいささか鼻白むものであることは否めない。シャンカール監督は映画『ボス その男シヴァージ』や『インドの仕置人』でやはり政治の腐敗に鋭く切り込む内容の作品を製作してきたが、どちらの作品でも「ワルにはワルで対抗する」という、いわば正当法ではない方法でフィクションらしい含みを持たせていた。ところがこちらは大真面目である。政治を正したいという気持ちは分からないでもないが、観客は街頭演説を聞きに来たのではなくて"物語"を求めてやってきているのだ。
それを補うのが悪党バーラルが次々に繰り出す陰謀詭計であり、それと対決するシヴァージーの姿だろう。これが結構アクションたっぷりなのだ。恋人マンジャーリ(ラーニー・ムカルジー)の村に滞在するシヴァージーを暗殺部隊が強襲し、シヴァージーのボディーガードたちが迎え撃つシーンなどは派手な銃撃戦と爆発が盛り込まれ殆ど戦争状態だ。また、シヴァージーの乗る車を襲う暴漢とのカーチェイスシーンはその後肉弾戦へとなだれ込み、「なんでこんなに強いんだ!?」と思ってしまう程のダバング状態なシヴァージーの戦いが観ることができる。バーラルの執拗な攻撃は止まることを知らず、悲劇的な展開すら迎えるが、「だったらなんで政権渡したの?」と思わないでもない。
配役はどれも素晴らしい。アニル・カプールは凛として正義一徹の男を演じ、にやけた役よりもこういった役のほうが似合うような気がした。あとあんまりモハモハの体毛を露出しなかったのがよかったかもしれない。そんなアニルと絡むジョニー・"ジャガイモ顔"・リーヴァルの楽しさはもう定番だ。ラーニー・ムカルジーの演技の良さはあえて言うまでもないだろう。ただ純真な村娘といった役柄はそれほど深みが無く、ちょっと勿体ないような気もした。そしてアムリーシュ・プリー、インド映画きっての悪役を演じる彼が出てくるだけでもう嬉しくなってくる。歌と踊りのシーンもシャンカールらしい奇妙なセンスが溢れていて見所だった。